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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【4583】【高峯・弧呂丸】【呪禁師】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 待ち合わせに指定されたのは『蒼月亭』という名の店だった。
 場所を教えられたときに、電話口で少し嬉しそうに言われた言葉を思い出す。
「ゆっくり話をするにはいい店だよ…」
 高峯 弧呂丸(たかみね・ころまる)は、電話で言われたその店へいつものように和服で出向いていった。待ち合わせ時間は午後七時…初めて行く場所でもあるので、その十分前には着いていて座って相手を出迎えたい。
 蔦の絡まった建物に、蒼い月の描かれた古い木の看板。
 押し戸をそっと開けると控えめな音でドアベルが鳴り、それと共に声がかけられる。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 アンティークの内装に、辺りに漂う煙草とコーヒーの香り…カウンターには客が何人かいるが、一番奥の席と手前の二つの席に『予約席』という札が置いてあった。まだ待ち人来ていないらしく、少しほっとしながら弧呂丸はカウンターの中にいる長身で色黒のマスターらしい男に話しかけた。
「あの、人と待ち合わせをしているんですが…」
 するとマスターは予約席の一つにそっと座るように促す。
「ああ、連絡はちゃんと受けてます。高峯様ですね」
「はい」
 名前からしてレストランかと思っていたのだが、この店はどうやら昼間はカフェで夜はバーになるようだ。和服でカウンターに座ると浮くのではないかと一瞬思ったのだが、少し暗めの照明やアンティークの家具のせいで、不思議と居住まいは悪くない。
 少しカウンターの様子を見ていると、ワインクーラーで冷やされた白ワインがグラスに注がれ弧呂丸の前に出された。それと一緒にパテが塗られたフランスパンや、生ハムなどが乗せられた皿も。
「待っている間こちらを…フランス、アルザス地方の『ヒューゲル・エ・フィス ゲヴルツトラミナー』でございます。ごゆっくりどうぞ」
 これもあらかじめ用意されていたものなのだろうか。その薄いレモン色のワインが入ったグラス自分の方に引き寄せ、弧呂丸は店の入り口を見ていた。
 待ち人が来たらすぐ分かる。
 店の入り口から少し過ぎた所ぐらいで車を止め、そして振り返ったりせず真っ直ぐドアに向かう。それは待ち合わせ場所がレストランであれ、ホテルや会社のロビーでも変わりがない。たくさんの人がいてもその中からあっという間に自分を見つけ、少しだけ微笑んで一礼…。
 車のエンジン音。本格的な冬の訪れを感じさせる冷たい風に顔を上げ、すっかり暗くなった足下も気にせずドアが開けられる。
「こんばんは、待たせたかい?」
 外気温差で曇った眼鏡を右手で取り、弧呂丸に向かって篁 雅輝(たかむら・まさき)が微笑みながら一礼した。弧呂丸がいつも和服のように、雅輝はいつもスーツ姿だ。何度もこうして話したりしているのに、ネクタイを取ったところを見たことがない。
「いえ、私も今来たばかりです。お久しぶりです」

 高峯家と篁家は、お互い代々続く古い家系だ。
 高峯が歴史の影で呪禁を行い、篁は政治などに関わっている。その関係で元々知り合いなのだが、弧呂丸と雅輝は時々こうして家など関係なく食事をしたりしている。年もさほど離れていないので、雅輝と話をするのは弧呂丸にとってはなかなかいい刺激だ。
「新政権はどうでしょうね…首相が変わって色々ごたついてますが」
 政治が動き、それによって人や世界の流れが変わるとお互い何かと忙しくなる。
 それがいい流れであれば見ているだけで済むのだが、悪い流れであれば裏から色々と手を回さなければならない。他人が聞けば全く面白味も色気もない話なのだが、それでも二人にとっては重要だ。
 雅輝はワインを一口飲んで、視線を宙に躍らせる。
「選挙区調整とか比例区調整とかが大変そうだけど、これからの動き次第だね。これで野党に強烈なカリスマが出れば、少しは流れも変わるかも知れないけど」
 確かに今の日本は、いい意味でも悪い意味でも混沌としている。今の首相が別の人に変わったとしても、さほど変わりなく日々は進んでいくだろう。民営化の動きや、新しい法律が出来たとしても、流れを変えるほど大きな波は起こせない。ある意味ぬるま湯のような平和だ。
 カリスマ…という雅輝の言葉に、弧呂丸は少し笑う。
「雅輝さんが立候補したら、きっと受かりますよ。どうですか?」
「若いってだけで変なイメージをつけられるのが目に見えるね、それは。何か政治の舞台でやりたいことがあれば考えるけど、今は会社の経営で一杯一杯だよ」
 クスクスと喉の奥で笑って雅輝が肩をすくめた。弧呂丸としては割と本気で言ったのだが、どうやら冗談と受け取られてしまったらしい。
 代々続いてきたとはいえ、二十七歳という若さで篁コーポレーションという会社の経営をこなしている雅輝に対して、弧呂丸は憧れや尊敬の念を抱いている。きっと政治の場に出てもその手腕は遺憾なく発揮されるだろう。
「もし雅輝さんが政治家になったら、教育改革に力を入れそうですね」
「そうだね。別に土曜日が休みになってゆとりが出来たところで、高校や大学の受験システムにまでゆとりが出来た訳じゃない。それに最近は不登校のケアに目が行ってるけど、それと同時に才能がある子の飛び級受け入れとかにも目を向けて欲しいな」
「今の義務教育のシステムだと、才能や学力のある子まで一定に芽を刈り取るようなものですから」
「才能を伸ばしたいなら海外に出るしかないってのは、普通の家庭では辛いところだ。政治に不満を言ってしまえば、景気は回復しつつあるとはいえ雇用問題や、失業者対策とか、今はいいかも知れないけれどこの先十年のことを考えると、画期的なことでもして何処か変えなきゃならないだろうね」
 そんなつもりはないと言いつつ、やはり政治関係の話になると雅輝は色々と思うところがあるようだ。今日の話題は教育関連だが、外交や経済関連などの話を振ればちゃんとそれに応じた意見が帰ってくる。自分とあまり変わらぬ歳でこれだけ一緒に話を出来る相手はなかなかいない。
 空いたグラスにマスターがワインを注いでくれ、それで話を一旦中断する。
「そういえばそろそろクリスマスだけど、最近忙しいのかい?」
「ええ、まあ…」
 弧呂丸自体は月日にあまり関係ない仕事なのだが、きっと兄のことを指しているのだろう。ある意味クリスマスからホワイトデーまでは忙しい仕事だ。
「雅輝さんはどうなんですか?」
「それなりに忙しいかな。今年はチャリティーでクリスマスマーケットをやったりするし。でも僕はワーカホリック気味なところがあって、暇になると不安だからこれぐらいが丁度いいのかも知れない。兄は忙しくてうんざりしてるみたいだけどね」
 二人にはもう一つ共通点がある。
 それは変わり者の兄がいて、兄が継ぐはずの家業を弟である自分達が継いでいるところだ。
 先ほど飛び級の話をしていたが、雅輝の兄も日本の義務境域で才能を持て余し、小学生の頃からほとんど海外留学で飛び級の教育を受けていたと聞いたことがある。今は日本に戻って篁の研究所で研究室長をしている科学者だが、会社を継ぐ気は全くないらしい。
 一度少しだけ会ったことがあるのだが、雅輝と十歳近く年が離れているのに年下に見えるほど幼い容貌で、しかもゴシックっぽいスーツを着て無邪気に笑っていた。
 それを思い出し、弧呂丸はふぅと溜息をつく。
「雅輝さんのお兄さんは、いつもお元気そうですよね」
「相変わらずだよ。危険な研究や、他の企業に狙われるような特許を申請してても危機感は全くないし、いつも通り自由に生きてる…それが時々羨ましくなることはあるけれど」
 それは初耳だった。雅輝は自ら進んで会社を継いだはずなのに、それでもやはり自由な生き方が羨ましいと思うことがあるのか…そう思うと、弧呂丸の口から言葉がこぼれ落ちた。
「たまに思うんです。もし…私じゃない別の誰かが家業を継いでいたら、今自分は一体どんな生き方をしていたんだろうと」
 自分じゃない他の誰か。それは自動的に兄を指すことになるのだが、それでも弧呂丸は自分が呪禁師以外の生き方をしているところが想像できない。
 先祖代々受け継がれる家業を背負って立つという決意と責任。
 それを覚悟しているからこそ他の生き方を全く考えられないのだが、それはとても寂しいのではないだろうか…たまにそんな気がしてならないときがある。
「雅輝さんも羨ましいと思うことがあるんですね」
 弧呂丸の言葉に雅輝はスッと目を伏せた。
「でも、兄がいるから僕は安心してこの位置にいられるんだろうけれど。それは弧呂丸も一緒じゃないのかな」
「………」
「多分逆の生き方をしていたら、お互い不幸になってそうな気がする」
 その通りかも知れない。
 もし兄がいなければ…真面目すぎて思い詰める所に風穴を開け、流れを変えてくれる人はいなかっただろうし、逆にどこまでも横道に逸れて歩いていこうとする兄を引っ張ってこられるのは自分だけだろう。
 思わず黙り込んでいると、雅輝がグラスを持って笑う。
「ほら、また考え込んでる。考えたって答えが出ないことは、人生の宿題だと思って先回しにしてもいいんだ。別に期限がある訳じゃない」
「そういうわけじゃ…これは癖みたいなものですから」
「そう?こういう言い方をすると可笑しいけれど、僕はこれでいて結構兄のことは好きなんだ。時々自由な生き方が羨ましくなるときもあるし、振り回されることも多いけどね…弧呂丸はお兄さんのことは嫌いかい?」
 弧呂丸は小さく首を横に振った。
 つい突っかかるような態度を取ってしまうこともあるが、嫌いなわけがない。兄に何かあれば命がけで自分は助けに行くし、きっとそれは兄も同じだ。
 血は水より濃い。生まれたときからずっと確かに繋がっている絆がそこにある。
「嫌いじゃないですけど、面と向かって好きとも言いがたいです」
 言いにくそうに弧呂丸がそう言うと、雅輝も少し溜息をつく。
「僕も実際面と向かって言ったことはないよ。兄のことだから、まかり間違ってそんな事面と向かって言ったら、絶対図に乗るのが見えてるからね」
「私は多分『急になんだ、気持ち悪い』って言われそうです。でも、それぐらいの距離が丁度いいのかも知れませんね」
「うん…でも、こうやってお互いの愚痴が話せていいかな。弧呂丸は一生懸命考え込んで自分の中にため込みそうだから、こういう時に吐き出さないと」
 なんだか痛いところを突かれた気がした。
 兄に対する愚痴を本人には出来ないし、かといって別の誰かに話すというのも気が引ける。
 たまにちょっとした口論になり、それに対して真面目に考え込んで思い詰めていたら、当の本人はそんな事をすっかり忘れていたなんて事はよくある。
「そんなに私はため込みそうに見えるんでしょうか」
「弧呂丸は真面目だからね。それは長所でもあるけれど、いっそ兄なんて自分の掌で転がしてやろうってぐらいの気持ちじゃないと、傍若無人の弟は勤まらない…って、たった四年しか弟歴は違わないか」
「確かにもう少し力を抜かないと、弟をやることに疲れるかも知れません。気をつけます」
 そんな事を話しているうちに、ワインのボトルは空になっていた。
 ほんのりとした酔いは回っているが、もう少し何か飲みたい気がする。弧呂丸がどうしようかと思いながら半分ほどワインが入ったグラスを持っていると、雅輝がマスターを呼び寄せる。
「弧呂丸はまだ飲めそうかい?」
「大丈夫です」
「なら『タワーリシチ』を二つ」
 聞いたことのないカクテルの名を告げると、マスターは「かしこまりました」と言い、シェーカーに氷を入れ始めた。その様子を見ながら雅輝が何だか嬉しそうに笑う。
「今頼んだ『タワーリシチ』は、いつか弧呂丸と一緒に飲みたいって思ってたんだけど、作ってくれるところが少ないんだ。今日ここで待ち合わせをしたのは、これを飲ませたかったからってのもある」
「それはどうしてですか?」
 全ての材料が入れられシェーカーが軽快な音を立てシェイクされていく。二人の目の前にカクテルグラスが出され、マスターはそこにほんのり白みがかった液体を満たしていった。
「お待たせいたしました。『タワーリシチ』になります…カクテルの意味は社長からお聞き下さい」
 マスターが席から離れると同時に、雅輝はカクテルの意味を説明してくれた。
 それはロシア語の『ターバリシュチュ』の英語読みで、『仲間』や『同志』を意味する名だと。
「変わり種の兄をサポートする弟同士、これで乾杯したかったんだ。一生変わる立場じゃないけど、それはそれでまた楽しきかなって」
 一生変わらない立場。それはたまに大変なこともあるが、それでも大事な自分だけの位置…。
 お互い無言で笑いながらグラスを軽く当てる。
 硬質的な音の後同時に口にしたカクテルは、少し強かったがスッキリと迷いや憂いを晴らすような爽やかな口当たりだった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
4583/高峯・弧呂丸/男性/23歳/呪禁師

◆ライター通信◆
初めまして。発注ありがとうございます、水月小織です。
蒼月亭で雅輝と待ち合わせをして、お堅い話をしながら…というプレイングから、このような話を作らせていただきました。お互い旧家の名を継ぎ、しかも兄をサポートする立場という重なりにものすごい親しみを感じたりしました。
何があっても変わらない位置ながら、時には弟同士「兄はいいよね」みたいな話をしているのかも知れません。『タワーリシチ』というカクテルもぴったりです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。