■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【6118】【陸玖・翠】【面倒くさがり屋の陰陽師】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
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過去の労働の記憶は甘美なり
「むぅ、妙な所に来てしまったようですね」
表向きの仕事として店員をやっているゲームセンターから、自宅に帰ろうとしていたはずなのに、ふと気が付くと陸玖 翠(りく・みどり)がいたのは全く見覚えのない場所だった。
普段であればこのような異界に迷い込むときは何らかの違和感があるのに、今日は全くそれがなかったことに翠は少し溜息をつく。
「さて、どうしましょうか」
辺りにあるのは桜の木…それは吉野の千本桜にも劣らぬほどの林になっている。桜の季節になれば早咲きの蕾から順に花をつけ華やかになるのだろうが、今はここも冬なのか葉はすっかり地面に落ち見るからに寒々しい風景だ。時折風で枝が揺れる音が響くだけで、辺りに人の気配はない。
いざとなれば無理矢理にでも自宅に帰ることは出来るのだが、何故かそうし難い気がする。桜を見上げ白い息を吐くと、足下にいた黒猫の式神である七夜が不意に一声鳴いた。
「七夜?どうしした」
その方向を見ると、そこには長身の男が立っていた。
その顔はよく知っている…翠の友人である松田 麗虎(まつだ・れいこ)だ。肩ぐらいまである髪を後ろでくくり、ジーパンからぶら下げているキーチェーンが歩くたびにちゃらりと音を立てる。
「麗虎…いや、少し違う…」
そのほんの少しだけの違和感に翠は少しだけ目を細める。
自分が知っている麗虎は、いつも煙草をくわえていて人懐っこく笑う青年だ。何度も一緒に酒を飲むぐらいの仲だが、そこにいる麗虎はいつもと雰囲気が違っている。それは麗虎であるはずなのに、いつもの麗虎じゃない…という妙な感じだ。それに漂わせている気配が人の物と違う。
思わず立ち止まり様子をうかがっていると、七夜がもう一度麗虎を呼ぶように鳴く。
麗虎がそれに気付き、翠に向かって目を細めた。
「よう、こっちでは『初めまして』…と言うべきかな」
「貴方は、私の知っている麗虎とはほんの少し違うようですね」
普段であれば敬語を使わないのだが、ただ姿を借りた別人である事を考え思わず敬語で話しかけると、麗虎はそれにふっと笑う。
「いつもと同じでいいよ。別人な訳でもないし、色々訳ありで上手く『現実の俺』が『異界の花畑の俺』の記憶を認識してくれないだけだから」
異界の花守…それを聞き、翠はもう一度桜の木を見渡した。どうやらここはその『異界の花畑』らしい。
麗虎自体は一度命が消えた「人の器」を借り生きていく魔物なのだが、捨てられていた赤子に乗り移ったときに何か事故があり、それまで過ごしてきた記憶を失い、それに合わせて異界で過ごしている間の記憶が現実で認識できなくなってしまったという話だった。
「なかなか興味深い話ですね…」
なくした記憶や、この『異界の花畑』には興味がある。結界に遮られた別次元なのか、それともまた別の世界なのか…。
「いつものように接してくれていいよ。現実で仲いいの知ってるから、敬語だと何だか他人行儀だ。それに翠のことここに呼んだの俺だし」
それで迷い込んだのに違和感がなかったのか。
しかし、何故自分がこんな場所に呼ばれたのか分からず無言で見つめていると、麗虎が林の奥を指さした。
「悪いようにはしないし、ちゃんと元の世界に戻すから安心して。花畑にある古椿が化けちまって俺じゃ手に負えないから、対処してくれそうな翠に協力してもらおうと思って」
「だったら先に電話なり連絡なりしてくれればいいだろう」
「電話したら『面倒だから嫌だ』って言われそうだから」
本当に現実のことはちゃんと覚えているようだ。
翠は確かに面倒くさがりで、自分の力を使うことでもない事であれば断ることも多い。麗虎はその辺の駆け引き具合が上手いので、基本的に断るようなことはしないのだが、それでもいきなり「化けた古椿を何とかしてくれ」と言われれば考えただろう。
「もし私が断ったら?」
「その時は俺が何とかするか、他の誰かに頼むさ。でも…」
「私が一番向いていると思ったんだな。仕方ない…乗せられましょうか」
本当にこの辺りの駆け引きは絶妙だ。無理矢理帰っても麗虎は多分普通に見送ってくれるだろうが、それでは翠の気が済まない。さほど強い化け物でなければ自分はサポートに回って麗虎に任せてしまうことも出来る。
案内をするという麗虎の横を早足で歩きながら、二人はその椿の林へと向かった。
「ずいぶん広いな」
「ああ、ここは人の心に咲く花が全部あるからな。今は冬だから花は少ないけど、春から夏にかけては賑やかすぎて目眩がするぐらいだ」
花守の仕事は派手なものではないらしい。花殻を摘み、剪定をしたり接ぎ木をしたりとやることは現実世界の花守と全く変わらないという。一つだけ現実と違うことは、たまに花に惑わされて迷い込む人間の道案内をして、元の世界に返すことぐらいだ。
「これだけあれば確かに惑わされそうだ。あの桜が満開になったら、魂を持って行かれる者が出てもおかしくない」
「そうならないように花守がいるってわけだ。花は見ているぶんには綺麗だが、時々こうして化けることがあるから困る…俺一人じゃ対処しきれん」
しばらく歩くと、つややかで緑の濃い厚い葉の間に、椿が咲いているのが見えた。見頃の時期としては少し早咲きのようだが、その赤と黄色の花に緑色の比が目に焼き付くようだ。そしてその木々の間に、不自然に根が抜かれたような跡があった。
「これだ。長いことここにいたせいで魔力を得て、化けて逃げちまった」
「………」
翠は符をそっと懐から出し、椿があった所にそれを置く。
「麗虎、椿の木をここに戻せないかも知れないが、それでもいいか?」
本来であれば魔力を奪いこの場所に戻せば済むことなのだろうが、魔力を得た椿を元に戻すのは難しい。椿の堅い材は武器とし使用できるし、邪気や災いを払う「卯杖(うづえ)」として使われることもある。そして明かりを灯すための油を取ったように、椿は火の属性を持っている。古椿が化けて火の玉になったという伝承が残っているぐらいだ。
小さく溜息をつきながら麗虎が頷く。
「ああ、俺が捕まえられないって事はある意味手遅れなんだろう。それよりも、他の花に嫉妬したり外に出たときの方が怖いからな。翠に任せるよ」
そうと決まれば話は簡単だ。
翠は呪を唱えながら椿がどこにいるのか気配を追う。一度木以外の体を得れば見つけるのは簡単だ。いくら花畑が広いとはいえ、ここにいるのは翠と麗虎でなければ椿なのだ。
「……歌?」
長く艶のある髪を揺らし、椿が歌っている。
どこで覚えたのはそれは「La Traviata」…イタリア語で「罪を犯す女」…オペラ「椿姫」の第一幕のアリアだった。
どうかしてるわ!…虚しい妄想よ
かわいそうな女!
ひとりぼっちで異界という名の砂漠に見捨てられ
何をすればいいの?
楽しみなさい!
死ぬまで快楽の花から花へと飛び回り
昼も夜も自由に新しい喜びに思いを馳せるのよ……
「麗虎、お前ははそこで待っていろ」
伏せていたまぶたを上げそう言うと、麗虎は唖然と翠の顔を見た。どうして自分が待っていなければならないのか分からないのだろう。
「どうして?」
「お前が来たらややこしくなるだけだ。大人しくそこで待ってないなら、私は帰る」
「それは困る…仕方ない、俺はここで椿の世話でもしてるから、後はよろしく」
やっぱり麗虎の頼み事はいちいち面倒だ。
いや、面倒なのはそれを聞かずにはいられない自分の心なのかも知れない。
翠は七夜を連れ椿がいる場所まで自分の体を転移させる。全く分からない場所にいるなら大変だったが、あの林は一度通っているし、先に七夜を移動させその視野に移動することも可能だ。どうせここの麗虎がそれを見た所で、現実では覚えていないのだからいいだろう。
「あら…貴女はどなた?」
歌を止め、椿が翠に向かって微笑んだ。だがそれは優雅なものではなく、一途な想いが狂気に向かってしまったような邪悪な微笑みだ。長い髪に赤い着物が余計その表情を際だたせる。
「私が誰かなどは関係ありません。人の身を得てお前は何をしたいんですか?」
冷たい音と共に北風が林を吹き抜ける。枝がそれに音を立てると共に、椿は口元に手を当て笑い出した。
アハハ…。
アハハハハハハハハハ…。
狂ったような笑い声。それと共に少し離れた場所から煙が上がる。
「………!」
七夜に火消しの符を張り、翠は素早く火の手が上がった場所まで向かわせた。
これは警告だ。その力を暴走させれば、この林だけではなく花畑ごと灰にしかねない。
「たくさん花があっても私は一番になれない…だったらこの林ごと灰にして、私だけを見てもらいたいの。私はその為に力を得たわ…」
「それが愚かしい妄想と分かっていてもですか」
くす。
椿の赤く紅を引いた口元が上がると同時に、翠が持っていた符が炎を上げる。それを持ったまま翠は溜息をついた。一気に燃え上がらず、ろうそくの火のように揺らめく炎が自分を照らす。
やはり麗虎をここに連れてこなくて良かった。
恋に身を焦がし、募る想いを募らせすぎて狂気の縁に落ちる程の情念。それは手に入らなければ、自分の身ごと思い人を焼いてしまうだろう。
そうしてまで欲しいものがあることを翠は羨ましいとは思わない。
ただ、そんな愚かな想いは自分の身を滅ぼす。
その場に咲いてさえいれば、一番にはなれなくても麗虎は椿を愛してくれただろう。そうじゃなければ、わざわざ自分をここに呼び寄せたりはしない。
「そんな愚かな想いを持たなければ、麗虎を悲しませることもなかったのでしょうに」
「貴女には分からないわ…私は一番になりたい…老いていくのは嫌…私を、私を、私だけを!」
その後に叫んだ言葉は何を言っているのか分からなかった。狂気に燃える瞳…一気に上がる火の玉が翠に向かって飛ぶ。
「残念ですが、全く分かりませんね…」
火のついたままの符を右手に持ち、なぎ払うようにスッと手首ごと動かしながら呪を口にすると、飛ばした符と一緒に火の玉が椿へと向かっていった。だが自分が飛ばした炎が飛んできたというのに、椿は凍り付いたように動かない。
「アハハ…アハハハハハ…」
火柱が轟音を立て、その熱気に翠は一瞬顔を背けた。
狂った女が炎の中で笑っている。目から涙を流し、それでも笑い声を止めようとしない。
その炎は強く燃え上がっているのに椿だけを焼き、他の物に燃え移ろうとはしなかった。まるで桜の木々自身がそうすることを拒むかのように、ただ椿だけを焼き尽くし…。
「『神様、道を踏み外した女に哀れみを』…」
神の存在など翠は信じていなかった。
そんなものはいないかも知れないが、先ほど歌っていたあの歌に応えるのであれば…「椿姫」第三幕のヴィオレッタの台詞ぐらい言ってもいいだろう。
奔放で愚かで、そして悲しい女…。
翠は椿が崩れ落ち、火が消えるまでその場に立ちつくしていた。
「すまないが椿を救うことは出来なかった。火は全て消えたのを確認したから、もう心配することはない」
翠のその言葉に、麗虎は何もかも分かっているように頷いた。火が上がったのはここからでも分かっただろうし、翠が着ている服も多少煙くさい。
「いや、仕方ない。それが運命だったんだろう…ありがとう」
「役に立てたようで良かった。麗虎…いや、何でもない」
質問しようとした言葉を、翠は溜息でかき消した。先ほどにここで待っていろと言ったとき、麗虎は確かこう言った。
『他の花に嫉妬したり外に出たときの方が怖い』
もしかしたら麗虎は椿の気持ちを知っていた上で、自分をここに呼び寄せたのではないだろうか…そう思ったのだが、それは聞いた所で仕方ない。花守である麗虎に「一番」を決めることは出来ないだろうし、椿がああなってしまった以上あれ以外に方法はなかったのだろう。
「何か?」
地面に落ちた花を拾いながら麗虎が翠を見て笑う。それが何だか憎らしかったので、翠は大げさに溜息をついて見せた。
「いや、こんな面倒事はもうごめんだと思っただけだ。この礼はちゃんとしてもらうぞ」
「じゃあ、椿でも見ながら一杯やろうか」
この辺りは現実の麗虎と変わらないかも知れない。まあこんな二面性の付き合いも、長い人生の中ではいいだろう。現実でも異界でも麗虎は変わらず麗虎のままだ。
「結局酒か…まあいい。一杯付き合ってもらうとしよう」
初めて見たときには焼き付くように見えた椿の花が、今はほのかに風に揺れていた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/(表)ゲームセンター店員(裏)陰陽師
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
「異界の花守」である麗虎からの仕事をお任せということで、今が季節の椿を元に話を書かせていただきました。日本原産の花ですが、油などを取るということで京都では火の玉になったという伝承があるようです。
女心をオペラにも絡めてみました。身を焦がすほどの恋というのはどんな気持ちなのでしょうか…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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