■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【6777】【ヴィルア・ラグーン】【運び屋】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
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過去の労働の記憶は甘美なり
午前一時。
街が眠りにつき始め、静かな雰囲気を纏わせ始める。繁華街であれば眠らないまま朝を迎えるのだろうが、ひっそりとしたその店は大通りから少し離れた場所で、眠り損ねたようにぽつんと灯りをつけていた。
ヴィルア・ラグーンは夜の闇を気にせぬように、スーツにサングラス姿で蒼月亭のドアを開けた。ヴィルアがここに来るのは大抵深夜なのだが、あまり時間を気にせず静かにカクテルやコーヒーを飲めるのを気に入っている。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
「今日はずいぶんすいてるな。潰れないか心配だ」
店の中にはマスターのナイトホーク以外客が全くいない。静まりかえった店の中にはジャズのレコードと、ねじ巻き時計の秒針の音だけが鳴り響く。
「たまにはそんな日もあるさ…ヴィルアが来なかったら、早じまいして別仕事しようかと思ってたところだった」
別仕事…。
それは店の隅に貼ってある『アルバイト求む』という文句に起因するものだろう。ナイトホークはこうやって蒼月亭のマスターをしながら、別の仕事などを斡旋する事もやっている。普段のヴィルアであれば首を突っ込んだりはしないのだが、今日は丁度暇だ。それに、ナイトホークが自分で別仕事と言っているのは珍しい。
「その別仕事、私がやってもいいぞ。どうせ『危険な仕事』なんだろう?」
カウンターに座りそういうと、どうやら図星だったらしくナイトホークはなにやら思案げにヴィルアを見る。
「やってくれるなら、素直に任せて俺はここで待ってたいのが本音だけど」
「誰が一人でやると言った。無論お前には私のサポートに回ってもらうつもりだ…危険な仕事でも二人一緒ならまだマシだろう」
仕事の内容がどんなものなのかはまだ分からないが、ナイトホーク自身が動くというところに興味がある。普段カウンターの中にいる姿しか見たことはないが、そうやって表向き客に見せている裏には、何か深い物を隠していそうな気がするのだ。それは中世の時代から生きているヴィルアの勘だ。
サポートに…と言う言葉に、ナイトホークが苦笑する。
「店で飲んで待ってたらダメか」
「当たり前だ。その仕事の内容を話してもらおうか…まずは『ラスティネイル』でも飲みながら」
ナイトホークがヴィルアに見せたのは、スーツケースに入った子供のミイラのような物だった。綿などで保護されているがそれはすっかり茶色く干からびていて、既に朽ち落ちた眼窩が虚空を見つめている。
だが、普通のミイラと違うのは下半身から下の部分だった。
「人魚のミイラは初めて見たな。大抵は魚と猿をくっつけたまがい物で、江戸時代にはあちこちの好事家に輸出もされたと聞くが」
『ラスティネイル』を嘗めながら、ヴィルアは目を細める。
上半身が人間で、下半身が魚の人魚…それは空想世界の存在と言われていたり、海獣を見間違えたという説もあるが、それでも世界中の伝説は尽きることがない。ナイトホークはそのミイラを避けるように煙草を吸っている。
「まがい物ならいいんだけど、今回の依頼は『人魚のミイラを海に還す』事なんだ。なんでもこれを狙っている化け物がいるらしい。そいつらに渡さないように確実に海に帰った所を見届けて終わりってわけだ」
「なら、まがい物ではないと言うことか」
今の状態ではその真贋は分からないが、それはある寺に納められていた物らしい。
巡礼中の高僧の教えに心打たれた人魚がその弟子となり、山奥にある寺へと出家したという伝説と共に寺に残されていたという。
「その坊さんが死んだ後、その人魚は即身仏になったらしいんだけど、自分が仏になって千年経ったら海に還してくれって残したんだ。それが巡り巡って俺の所に来たってわけ。まあ眉唾物な話だけど、仕事だから仕方がない」
「眉唾物かどうかは試してみれば分かるだろう。チェイサーの水を借りるぞ」
ヴィルアはチェイサーの水をほんの少しヒレの方にかけた。ただの干物であればふやけるだけかも知れないが、本物であれば…。
「どうやら本物のようだな」
「偽物の方が気が楽だったような気がする」
水を含んだヒレの一部分が、みるみるうちに生気を帯びたものに変わっていった。ヴィルアはふっと微笑むと、そのスーツケースをパタンと閉じる。
「本物だと分かればあとは仕事をこなすだけだ。担がれて猿のミイラを海に捨てたというよりも、ちゃんと仕事をこなしたという方が気分がいいだろう。掃除は後にして店の灯りを消して鍵を閉めろ…開幕だ。行くぞ」
このミイラには一体どんな物語が隠れているのだろう。狙っているという化け物もいるらしいし、少しは遊べそうだ。
「行くぞ…はいいけど、どこの海とか聞く気はないんだ」
灯りを落としながらナイトホークが銃剣の下がったベルトを手に取る。戦闘用の得物は着剣小銃らしい。多少目立つかも知れないが、それをとやかく言う気はない。
スーツケースを持ち、ヴィルアがふっと笑う。
「指定があったなら、先に『どこそこの海に』と言うはずだ。だがお前は『海に』としか言わなかったから、指定はないと思っただけだ。私の推理は間違っているかな」
吸いかけの煙草を灰皿に押しつけながら、ナイトホークは溜息一つ。
「その通りだ。舞台に上がる前にちょっと着替えさせて。すぐ済むから」
街は妙な静けさを漂わせていた。
それはただ眠っているのとは違う程の静けさと、自分達に向けられている視線…冬なのに風は生暖かく、そして時折魚の腐ったような臭気を運んでくる。
「変だな、今までミイラを預かっていてこんな事なかったのに」
いつもの黒いベストと蝶ネクタイを都市迷彩の戦闘服に着替えたナイトホークは、辺りを訝しげに見渡した。狙っているという話は前もってされていたが、預かっている間特に危険なことはなかったらしい。それを聞き、ヴィルアがサングラスの位置を直す。
「推測だが、私がミイラに水をかけ一部分が甦ったのを察したんだろうな。まあ平穏に終わる舞台より、少しぐらい波乱があった方が面白い」
「知っててやったのかよ」
「安心しろ。私は運び屋だ…ちゃんと海まで運んでやるさ」
人気も車通りもない道を小走りで海の方へ向かう。タクシーなどを拾って湾岸に向かってもいいだろうが、車ごと襲われれば逃げ場がない。自分の手に持ち、自分の足で歩く方が安全だ。
「………」
自分達に向けられている殺気を感じながら、ヴィルアは考えを巡らせる。
街中で仕掛けてくることはないだろう。下水道を通って自分達の様子をうかがってはいるが、マンホールから一匹ずつ出てくれば倒すのは容易い。流石にそれほど間抜けなことをするとは思えない。
仕掛けてくるならそれは広い場所に出てからだ…。
「吐きそうなほど魚臭いな」
ナイトホークが言うように魚の腐ったような匂いが強くなってくる。耳を澄ませばざわざわと何かが集まっている音が聞こえる。
先に面倒事を済ませた方が良いだろう。人気のない公園で持っていたスーツケースを地面に置き、ヴィルアはそれに足をかけた。
「そろそろ来るぞ。着剣小銃で戦う気なら、今のうちに準備した方がいい…役者が揃えばダンスの開始だ」
チリチリとする殺気に、ナイトホークが黙って銃剣を用意する。お互い背中合わせで周りに気を配ると生暖かい風がザワッと音を立てた。
「ヴィルアの得物は?」
ふっと笑うナイトホークにヴィルアは懐からオートピストルを二つ出し、両手に持つ。この二挺拳銃がヴィルアのお気に入りだ。魔術で戦うよりも銃はいい…自分の体力や精神力を消耗させず、撃った時に確かな手応えがある。それに、何より相手と接近しないので服を汚したりしない。
「私にはこれがあるから、この場から足を動かさずに相手を踊らせてやろう。それに弾が切れてもまだ魔術がある」
「…俺は接近戦の方が得意だから、多分魚臭くなるのは俺だな。せいぜい返り血を浴びない程度に頑張るわ」
「そうしてくれ。魚臭い男と並んで歩くのは、私もごめんだ」
ピチャ…。
ピチャ…ペタ…ペタ…。
闇の中にたくさんの目が反射した。数は四十ほどだろうか…全身を鱗に覆われ、魚の顔を持つ歪んだ人間のような者達が、じわじわと水を滴らせながら二人に向かって近づいてくる。
「お前は充分相手を引きつけてから戦え。数で押されたら接近戦は不利だ」
「ラジャー」
足下にあるスーツケースの中身がそれほどまでに欲しいのか。それを一瞬だけ考え、ヴィルアは最初の銃声を鳴らす。
そのつんざくような響き渡ると共に、謳うように声を出した。
「さあ、踊ってもらおうか。魚どもが舞う様を見るのは初めてだ」
飛び散るのは人と同じ赤ではなく、緑がかった血液…それに怯んだ魚人達が一斉に躍りかかる。
「…………!」
人の言葉では形容しがたい叫び。手先に見えるのはヒレが変化したような鋭い爪。だがヴィルアもナイトホークも不敵に笑うだけだった。
「前言撤回。魚臭くなること確定でよろしく頼む…俺が倒れても、無視してスーツケースだけ何とかしてくれ。流れ弾は気にするな」
「それは私も同じだ。私が倒れても、お前はそれに構わず何とかしろ」
それでお互い何となく分かった。
多分自分が傷ついたとしても…いや、もし死んだように見えたとしても、その爪は命を奪うことは出来ないと。立て続けに銃声が鳴ると同時に、ナイトホークが銃剣を構え相手に向かって真っ直ぐ突撃姿勢を取る。
「…泥臭い戦い方だな。まるで血に飢えた兵士のようじゃあないか」
だがその高揚感は嫌いじゃない。ヴィルアは愉しげに口の端を上げ銃を撃ち続ける。水を滴らせながら乱戦状態の所をくぐり抜けてきた魚人が、ヴィルアに向かって爪を振り下ろす。
鋭い痛みが左肩に走ると同時に、ヴィルアは赤い瞳を冷たく向けた。
「魚風情が私のスーツに傷を付けるとは…その代価は命で払ってもらおうか」
至近距離で撃たれた弾が、帽で叩かれたスイカのように頭をはじけ飛ばす。
「さあ、そろそろ遊びはやめて本気で行こう。ダンスもあまり長いと興ざめだ」
傷ついたはずの左肩を全く気にせず、弾倉を素早く取り替えながら踊るように戦っていく。近くに来た者も遠くにいる者にも平等に鉛玉という名のキャンディが与えられ、倒れた者達が地面に溶け落ちた。
「さあ、閉幕だ」
そう宣言したと同時に全ての魚人達は消え失せ、ヴィルアはナイトホークに向かってカーテンコールのように一礼した。それを見たナイトホークが傷ついた腕を押さえたまま笑う。
「……えらい優雅だな」
「いや、そうでもない。スーツに傷をつけてしまったからな…せいぜい報酬を期待するとしようか」
ヴィルアは肩だけで済んだが、ナイトホークは腕や背中に傷を受けている。それでも普通に歩いている所からすると、見た目ほどではないのだろう。血も止まっているし、この様子ならすぐに治る。
「報酬は期待していいと思うよ。にしても、そろそろ泥臭い戦い方じゃなくてもう少し洗練された戦い方をした方がいいのかな…毎度仕事の度に戦闘服をダメにしてる気がする」
「それは後で考えろ。人気がないうちに最後の幕を閉じに行こうか」
スーツケースを持ち上げて、ヴィルアがふっと笑った。
海辺から身を切るように冷たい潮風が吹いていた。倉庫付近は釣りにも向いていないのか、釣り人の姿も見あたらない。
「寒…早く帰って、シャワー浴びて酒飲みてぇ…」
ぼやくナイトホークを尻目にヴィルアはスーツケースを開ける。
魚人に襲われた時からヴィルアは考えていた。依頼は『人魚のミイラを海に還す』だが、ただそれでいいののだろうかと。普通に海に還せばおそらく魚人達は、元に戻った人魚を捕らえようとするだろう。人魚の肉は不老不死の力を与えるというぐらいだ。
それに、自ら即身仏になったのを甦らせても良いのだろうか…。
「ナイトホーク、一つ聞く。依頼は『人魚のミイラを海に還す』であって、その形状などは問われなかったんだな」
マッチが擦られる音がして煙草に火がついた。溜息と共に煙を吐き出すと、ナイトホークが困ったようにもう一度煙草をくわえる。
「そこまでは言われなかったから、ヴィルアが好きなようにしていいんじゃない?多分俺も似たようなこと考えてると思うし」
ならばいい。
ヴィルアは手に持った人魚のミイラを、両手で粉々に崩しながら海に撒く。
甦りたいわけではないだろう。そうであれば即身仏になることはないし、誰かに頼んで海へ還してもらえばいいだけだ。ただ心が仏になったとしても、その身だけは生まれ故郷へ帰りたいと願っただけで。
全てを海へ戻し、ヴィルアはスーツケースを閉じて振り返る。
「アンコールも終わったし、帰るとするか。報酬の話もまだだったしな」
「そうだな…でも、魚臭い男が並んでで歩くのはいいのか?」
「嗅覚疲労でよく分からんからいい。きっと私も似たようなものだ…」
波のない静かな海で、魚が一匹大きく跳ねた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
ナイトホークからの「危険な仕事」を同行希望ということで、何故か人魚のミイラを海に還しに行くために魚人間に襲われたりなんだりという話になりました。普段自分で動くようなことはないのですが、頼む人がいないと仕方ないので…というイメージです。
常連という話ですので割と仲がいいのだと思い、少し偉そうな感じにしてあります。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。
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