■白く醒める時■
逢咲 琳 |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
混濁するのは意識の流れ。
その意識も、いつかは白く醒める日が来るのだろうか。
雑多な音が渦巻く空間。
この場での出逢いが、何かを変える力になるのだろうか。
凪いだ湖に投げ込まれる、小さな石のように――何らかの波紋を生み出し。
揺らぎを、作り出すのだろうか。
白く――意識は醒め、透過する。
貴方との、出逢いで。
貴方と過ごす、時の中で。
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聖夜と日常の狭間に
今年も、もう年の瀬間近。
12月も半ばに差しかかったその日、シュライン・エマは事務員として働いている草間武彦が所長をしている草間興信所――ではなく、碧摩蓮が経営しているアンティークショップ・レンの近くにやってきていた。
年末準備のためか、それとも今日の夕食の買い物なのか、はちきれんばかりに物が詰め込まれたスーパーの袋を提げた主婦たちにぶつからぬよううまく身をかわしてすれ違いながら、シュラインは腕に抱えた二つの箱のことを気にしていた。
その、中身を心配しているのである。
「崩れてないといいけど……」
呟きは、どこからか流れているクリスマスソングにかき消される。
一年の終わりを前にして、浮かれ気分を引き出されてしまうその曲。
年々、クリスマス商戦やら正月商戦やらが行われる時期が早まってきている。おせちなんかもとっくに購入予約は始まり、終わっている。
……まあ、シュラインはおせちも自分でせっせと作るので、予約云々はどうでもいい話ではあるのだが。
「何でもかんでも早ければいいっていうものでもないと思うけど」
呟くように言いながら、シュラインが足を止めたのは――とある店の前。
「さて、今日はなおさん居るかなー?」
唇に軽く人差し指を当てて呟くと、シュラインは自動ドアを抜け、ほてほてと店内へと入って行った。
店の名は、『ゲームセンター・Az』。
シュラインが時々、顔を出す場である。
目的はゲームをすることではなく。
……ここにいる、変な男――七星那王の顔を見るため。
店内は相変わらず騒々しかったものの、前に来たときにはなかったものが出現していた。
クリスマス用の装飾品だ。
店のあちこちに赤や緑、金色などのリースやモール、リボン、オーナメントなどが飾られ、カウンター近くには2メートル近くありそうな巨大なクリスマスツリーがどーんと置かれている。きらきらとしたモールはあちこちのゲーム機に取り付けられていて、ゲーム筐体などのライト以外の華やかさを店内に添えていた。
「すっかりクリスマス準備が整ってるのね」
いつもと少し違う雰囲気のフロアを移動しつつ、シュラインは店内をゆっくりと見回した。
そういえば、店のガラスなどにも雪の結晶やら、サンタやトナカイの模様などが白く描かれていたような気がする。
普段はないものが、季節に応じて出現する。
たったそれだけのことなのに、何だか妙に心が浮ついたような感覚に陥るから、不思議だ。
ゲーマーが、ゲームなどという機械仕掛けの玩具での遊びに没頭するためだけに訪れる場所であるなら季節感などどうでもいいような気がしなくもないが、ゲーマーだけでなくカップルなどがデートに訪れる場所でもあるため、ゲーム自体には全く関係のないこの飾りつけもゲームセンター的には必要なのだろう。
「ふふ、かわいい」
近くにあった、サンタの服が洗濯して洗濯紐に干されているかのようなミニチュアオーナメントを指先でつんつんとつつくと、シュラインは小さく笑った。
興信所の中にも、こんなかわいいものをつるしておいたら零ちゃんも喜ぶかもしれない。そんな『妹』の喜ぶ姿を見たら、武彦さんもつい笑ってしまうかもしれない――などと思いながら、シュラインは暫しここに訪れた元々の理由も忘れ、様々なものが飾り付けられているフロアを眺めて回った。
その間、何度か「お嬢さん今お暇ですか?」「よかったら一緒にゲームでもしません?」などと声をかけて来た男もいたが、当然、迷う間も無く「暇じゃないの」「間に合ってるわ」と、ごくシンプルにお断りさせていただいた。
「お?」
飾り付けをゆっくりと楽しみ、1階から2階へ移動しようと階段を上がりかけたところ、上から声が聞こえてシュラインは顔を上げた。
「おお、やっぱりお嬢さんじゃないか。久し振りだなァ。どうした今日は」
ひらひらと手を振りながら階段を降りてくるのは、このゲームセンターの店長だった。その姿を見て、シュラインは思わず眼を瞬かせる。
いつもは黒いスーツなどを身に纏っていることが多いのだが、今日は見覚えのある黒い陰陽師の衣装を纏っているのである。
きっとその衣装のうなじの辺りには金色の逆さ五芒星が描かれているはずだ。
「こんにちは、店長さん。今日はね、この近くに仕事で来る予定があって。それでその前に寄ってみたのだけど……、それってなおさんの弟の衣装?」
衣装を指差しながら問いかけると、ああ、と店長は自分の衣装を見下ろしてから楽しそうに笑った。
「そうなんだ。なんだか黒天使ちゃんは最近陰陽師の仕事はしとらんと暇人に聞いたから、じゃあちょっと服貸してくれよと言ってみたら案外あっさり借してくれてなぁ」
式服の持ち主が仕事をしてない、と聞き、そういえば家督はなおさんに譲ったんだったわね、と思い出す。
時々『黒天使ちゃん』こと、七星那王の実弟である七星真王の姿はここで見かけたこともあったが、彼は仕事もしないでゲーム三昧の日々でも送っているように見えた。
実家を出たと、七星の者に呪殺された七海綺が生き返った後、七星那王から届いた手紙(届いた手紙を開封したとき、手紙を出してきた本人も何故かその場にいたのだが)には書かれていたが、実際のところは家を出て何をしているのやら。
つくづくあの兄弟ってなんだかおかしい、とつい真顔で思ってしまう。兄のほうだって、ここでヒマさえあればクレーンゲームに興じているというのだから、やっぱりおかしい。真面目に仕事に励んでいるようには見えないし。
家は大丈夫なのだろうか?
「……変な兄弟。そういえば、今日はなおさんいるかしら?」
「暇人か? ああ、2階で相変わらず頑張っとるぞ」
2階の方を見やって、店長がニッと笑った。
「朝の開店からかれこれ5時間ほど頑張っとるんだが、一向に取れんようだ」
「朝から?」
……それはまた大した暇人っぷりである。
というか。
実家のほうは大丈夫なのだろうか?と心配したくなるのもしょうがないだろう。家の当主がこんなところで朝っぱらから5時間もクレーンゲームに興じているなんて、実家の人たちが知ったら卒倒でもするのではないだろうか。
つられるようにシュラインも2階のほうを見る。
「まったく、困った人ね。そういえば最近、なおさんは何に嵌ってるのかしら。店長さん、知ってる?」
それとなくさりげなく口にしてみた質問だが、実はここに来るまでに、なおさんが何にハマっているのかこっそりリサーチしようと思っていたのだ。
本当なら、なおさんに気付かれないように近くまで寄り、忍者か暗殺者の如くその動向を探るつもりであったのだが(というか草間興信所で働いているんだしそれくらい調べるのは訳無いと言えばそうなのだが)、いつも店に来るなおさんの様子を眺めて、取れなくて悔しがっているのを見て楽しんでいる店長さんがここにいるのならそんな苦労しなくてもチャッチャと訊けばいい、という話である。
そしてそのこっそりリサーチしたブツを取って、なおさんに向かって「どーだ、うらやましーでしょー」と威張って見せ付けてやろうと企んでいたのだ。
大人げないとなおさんにツッコまれそうな気もするが、どうせ元からなおさんとは大人げない間柄なのだから、そんなもの今更である。大体にして、朝から5時間もクレーンゲームをやってるほうが、よっぽど大人げない。
シュラインの問いかけに、店長は顎先に手を添えながら首を傾げた。
「そうだなァ。最近は動物モノにハマってるようだぞ?」
「動物モノ?」
「ああ。有名なキャラクターものもそうでないものもあるんだが、犬だの猫だのペンギンだのウサギだのアヒルだの」
「動物モノかぁ……」
「いい加減いい年した男のくせにそういう可愛いモンに眼がないらしいなァ。今日は、全長52センチもあるウルトラジャンボアザラシぬいぐるみを狙ってるみたいだぞ。かれこれ数万つぎ込んどるようだ」
丸儲け丸儲け暇人サマサマ、と笑いながら店長はシュラインの横を通り抜けて下へと向かっていこうとする。それを、慌てて引き止めた。
「あ、そうだ店長さん。ちょっと待って」
「ん?」
肩越しに振り返る店長に、抱えていた箱を軽く持ち上げて見せる。
「コレ。よかったら召し上がってくださいな」
「お? 召し上がって……ということは、食い物の差し入れか? そりゃ有り難い。ちょうど小腹が空いてきてたとこだ。何だ何だ?」
興味津々の顔つきでそばに戻ってきた店長に、シュラインはおかしそうに笑う。なおさんも変わった人だが、この人も本当に、かなり変わった人だ。
が、そう言うと、きっと「お嬢さんも大概だ」と返される気がするので口にはしないでおくことにする。
「ちょっと時期的には早いんだけど、クリスマスケーキ。皆さんで食べてもらえたらと思って」
「おお、クリスマスケーキか! 構わん構わん、時期は気にせん、どうせ私は伴天連ではないしな」
「ブッシュドノエルなんだけど、お口に合うかしら」
言いながら、二つの箱のうち、一つを店長さんに差し出す。
「これはこれは、どうもサンキューだ」
にこにこ顔で箱を受け取ると、ふと店長はシュラインの顔を見て、ニッと笑った。
「しっかしお嬢さん、まさしく才色兼備ってヤツだなァ。あんな暇人なんぞに構っとらんで、もっと有意義に時間を使えばいいのに」
「たまには様子見てあげないと、その暇人さん、身を持ち崩すかもしれないないから心配なのよ」
「なるほど。持つべき物は良い友人だなァ」
感心感心、と言いながら、店長はひらりと片手を振って階段を下りて行く。
その背中を暫し眺めてから、さて、とシュラインは2階へと顔を向ける。
「それにしても、数万もクレーンゲームで使うって……ほんとにそのうちクレーンゲームで身を持ち崩しそうよ、なおさん……」
思わず真顔で呟くと、シュラインは2階へと移動した。
2階はクレーンゲームを主としプライズ系のゲームが置かれているのだが、筐体の背が高いため、人が探し難くなっている。
くるくると林立する筐体の中を歩くこと、数分。
「あ、いた」
巨大なアザラシのぬいぐるみが入っているクレーンゲーム機の前に、探し人の姿はあった。今日は黒スーツ姿である。
「……あの恰好で5時間もクレーンゲームしてるって、ちょっとしたアヤしい人よね……」
ぼそりと呟きつつ、相手に気づかれないようにこそりと少し離れたクレーンゲームの影に隠れて様子を窺う。
と。
「あっ」
そんな声と共に、びくっ、とターゲット(黒スーツで5時間もクレーンゲームをしている怪しい男)の肩が震えた。
どうやら、クレーンでうまくアザラシを挟みこんで少し持ち上げる、というところまではいったようだが、ターゲットが喜んだ途端、ぼとっと無情にも落下してしまったようだ。
……相手は見るからに愛くるしいアザラシのぬいぐるみなのだが、かれこれ5時間もねばってフラれ続けているとなると、そろそろそのアザラシが悪鬼か何かのように、彼には見え始めているかもしれない……。
さて、また再チャレンジするのかしら、と思いつつシュラインはこっそり影からその背中を見ていたのだが、彼は一向にコインを投入するでもなく、その場にしゃがみこんでしまった。
……あまりにもアザラシにフラれ続けているため、ついにショックで泣き出してしまったのだろうか。
しかし。
彼は泣き出したわけではないらしく、その足許に置いていた可愛らしいクマのキャラクターが描かれたパステルピンク色の紙袋の中をがさごそとやり始めた。もしかしたら100円玉か500円玉が尽きてしまい、そこに何十枚も入れておいたコインを取り出しているのか、と思ったが。
彼が取り出したのは、とんこつ味のカップラーメンだった。
「……ラーメン……?」
しかも、さらにそこから割り箸を取り出した。
「もしかしてこんなところでカップラーメンを食べるつもりなのかしらなおさん……」
まさか、いくら彼が変人でもそこまでは……、と思ったのも束の間。
紙袋から銀色の水筒を取り出したと思ったら、封を開けてかやくなどを入れたカップラーメンを何のためらいも無く床に置き、水筒を開けると、そこから水――いや、湯気が出ていることから見ても、それは湯だ。湯を、カップラーメンに注ぎ始めたのである。
「これでよし。3分3分」
なにやら機嫌良さそうにそう呟くと、彼は立ち上がり、何事も無かったかのようにスーツのポケットからじゃらじゃらと小銭を取り出してまたクレーンゲームに挑戦し始めた。
「……なおさんって……」
黒スーツの男が、足許で湯を注いだカップラーメンを置きつつ、クレーンゲームに興じているなんて。
「変だとは思ってたけど、ここまでだとは思わなかったわ」
思わず真顔で呟いてしまったシュラインだが、そんな呟きは変人である本人に届くことは無く。変人本人はというと、また「あっ」などという悲鳴じみた声を上げている。
どうやら、またアザラシにフラれたらしい。
しかしめげずに、もう何度目かの再チャレンジをするようだ。
彼がボタンを押すことで、すす、っとクレーンが横移動を開始する。それはアザラシの間近まで移動してくる
「そうそう……もう少し……あ」
もう少し先に進ませたらイイカンジ、とシュラインが思った矢先、彼はボタンから手を離してしまった。
「バカねなおさん、ちょっと止めるの早いわよっ」
思わず小声で呟いてしまうシュラインである。
が、そんなシュラインの思いとは裏腹に彼はなにやらひどく満足そうに頷き、次のボタンに手をかけた。
すすす、と今度はクレーンが縦移動を開始しはじめる。
「んー……さっきの止めた位置が悪かったけど……そうそうそこで止めて……ってなおさんボタン離すの、遅っ!」
シュラインがクレーンを止めたほうがいいと思う位置に来たのに、彼はまだボタンを押し続け、クレーンが少し先に進んだところでやっと手を離した。
でんでんでんでんでーん、、というような緊迫感を煽ろうとするかのような音楽が聞こえてくる。が、シュラインには「どうせまたダメよ……」と大きく溜息を吐く。
どうやら、まったく腕は上達していないようだ。
「なんで一週間の大半はクレーンゲームしてるっていうのにちっとも上達してないのかしらあの人……」
アザラシがどうして取れないのかということよりも、むしろそっちのほうが謎だ。
そしてやはりというべきか当然というべきか、また「あっ」という声が聞こえた。
今度はクレーンがアザラシを持ち上げることもなく、さっさと終了してしまったらしい。
けれど、すぐに再チャレンジが始まる。
さっきと同じように、すすす、とクレーンが横移動を開始した。
「今度こそ取れるかしら……」
が。
またしても、クレーンはシュラインが「止めたほうがいい」と思うよりもズレたところで止まってしまう。
「あぁぁ……なおさん、ちょっともっとしっかりしてよ〜っっ」
身を隠しているプライズゲームの筐体の端っこを、思わずぎゅっと片手で掴んでしまう。それとは逆の手にはケーキの入った箱を抱えていたのだが、思わずその箱をへこませそうになってしまった。
しかし当の本人はそんなことまったく気づきもせず、縦移動でもまたズレたところでクレーンを止めてしまった。
「あぁぁ……バカバカッ、もうちょっと進ませなきゃでしょそこはっっ」
思わず一歩前に出てしまう。
また空っぽのまま戻ってきたアームは、すぐさまアザラシ獲得の旅へと出て行く。
「そうそう……って、だからもうちょっと進めなさいってば!」
見ているとすごくじれったい。じれったくてたまらなくて、シュラインは隠れていなくちゃという気持ちも忘れてついつい前へ前へと移動していく。
「あああ……だからそこはそうじゃなくてもうちょっと早めにストップで!」
「えっ、もう少し早めにストップですか?」
「そうよ、早めにストップよっ」
「そ、そうなんだ……じゃあ早めにストップ……」
「あっ、ストーップ!」
「は、はいストップっっ! 次は縦……」
「んー……もう少しもう少し……、よしっ、ストップよ!」
「はいっ、ストップ!」
いつの間にやら会話が成り立っていることも気に留めず、シュラインが鋭く指示を飛ばす。
すると、ぴた、っと。
今度はシュラインが思った場所でしっかりとクレーンのアームが止まる。それに続いて、またあの緊迫感を煽る音楽が流れてきて、するするとクレーンが下りてくる。
「どうかしら……取れるかしら……」
はらはらしながら呟くシュライン。その眼の前で、アームが開き、がっちりとアザラシを抱き込む。
「よーしよーし……そのままそのまま……あああ揺れないで〜っっ」
ぐっと力強く、アームが大きな大きなアザラシを抱き上げた。時折ぐらりと大きく傾いだりして、シュラインのどきどきはらはらが増す。
クレーンはそのままどうにかこうにか重たそうにアザラシを連れてシューターのそばまでやってくると、入り口にごとん、とアザラシを放り出すように落っことした。
「あ!」
「あ!」
その様子を見て、思わずシュラインは片手を伸ばし、ボタンの上に置かれていた手をぎゅうっと握り締めた。
「やった! やったじゃないのなおさんっ!」
「わあ、やったーやったー! ついに取れましたっ、取れましたよシュラインさん!」
思わず握った手を振り上げて、顔に満面の喜色を滲ませながらバンザイする黒スーツの青年を見て、はた、とシュラインはようやく我に返った。
あまりにも焦れ焦れしてしまい、無意識の内に様子見のターゲットのすぐ真後ろまで来てしまっていたらしい。
「もうなおさんったら。子供みたいじゃないの」
嬉しそうに笑いながらアザラシを景品取り出し口から引っ張り出し、やったー!などと言いつつ力任せに抱きしめているその様子を見てついつい笑うと、那王はふと、シュラインを見て一つ瞬きした。
「そういえば、いつからおられたんですか? 全然気づきませんでした」
「そりゃあんなに集中してたら気づきもしないでしょーよ」
呆れたように言うと、それもそうですね、と笑いながら那王はあっさり肯定した。そしてふと、自分の足許に視線を落とし、慌てたようにしゃがみこむ。
「ラーメン、伸びちゃいましたかね?」
「……というか、ねえなおさん。足許にカップラーメン置きつつクレーンゲームに熱中って、かなりどうなのかしらって感じなんだけど」
いや。すでに5時間こんなところにいて数万使っている時点で、かなりどうかという話なのだが。
「ラーメンまで食べちゃうなんて輪をかけてどうよって話……ってなおさん私の話聞いてる!?」
「ん?」
アザラシを紙袋の中に入れてから、その場にしゃがみこんでずるずるとラーメンを食い始めた那王が、何ですか?という顔でシュラインを見上げている。
「って、ちっとも聞いてないし……」
なんというか。
ここまでおかしな輩だっただろうか。
いや。
前から十分ここまでおかしな輩だったような気もする。
ならきっとこれが普通なのだと納得すると、シュラインも変な相手に合わせるようにその場にしゃがみこんだ。
「美味しい?」
「美味しいですよ。やっぱりラーメンはとんこつですよねぇ」
「そう? 冬場はみそラーメンとかもイケるわよ」
「そうなんですか? 俺は断固こってりとんこつですけど」
「何となくなおさんはあっさりめが好きだと思ってたけど」
「あっさりも好きですけど、ラーメンはこってり派です。背脂ぎとぎとくらいがいいですねえ」
「じゃあ、甘いものは? ケーキとか」
「それはもちろん大好きですよ」
「じゃあ食べる? コレ」
言って、持っていた箱を眼の前に差し出してやり、ぱこ、と蓋を開けた。
中からは、まるで店で作られたかのような立派なブッシュドノエルが現れる。上にはマジパンで出来たサンタや柊の飾りなどが乗っている。
「わあ、これ、どこで買ってこられたんですか?」
「違うわよ、作ってきたの」
「え。シュラインさんが作られたんですか?」
「久々に顔見に来るんだしね、手土産があってもバチは当たらないでしょ?」
「バチどころか大歓迎です。勿論いただきます、喜んで」
カップラーメンを再度床の上に置き、その上に割り箸も置くと、那王は箱を受け取って頭を下げた。
「有難う御座います。クリスマスケーキですね? サンタも乗っているし」
「そうね、ちょっと数日早めなんだけど」
「日付なんていいんです、俺はクリスチャンじゃないし。気にしません」
さっきの店長と似たようなことを言いながら、那王はクマのキャラクターが載った紙袋からもう一本割り箸を取り出すと、それをシュラインに差し出し、自分はさっき使っていた割り箸を手にし、それでケーキを食べにかかる。
「ちょっとなおさん、割り箸で食べるの? というかここで食べるの?」
「食べる物が何であれ、食べる場所がどこであれ、問題なくとてもおいしいですよ?」
つまり、その理論に基づいてここでカップラーメンを作って食そうとしたわけか。
すでにケーキを一口食べた那王が笑うのを見て、シュラインもつられたように笑う。
「でも、ラーメン残ってるし。どうするの、伸びちゃうじゃないの」
「じゃあシュラインさん、食べてください」
「え? 私が?」
「シュラインさんのアドバイスのおかげでアザラシが取れましたし。それに、ケーキをいただいたお礼です。俺はケーキで腹いっぱいになりそうだし」
「随分と安いお礼もあったものねぇ」
言いながらカップラーメンを持ち上げる。手にスープのぬくもりととんこつのいい匂いが伝わってきて、つい今しがたまで感じていなかった空腹を覚えてしまう。
「そういえば、綺くんは元気かしら?」
「はい、元気にやっています。ただ、2学期は英語がギリギリで赤点だったらしくて、冬休みの間に補習があるらしいですけど」
そういえば英語が苦手だとか言っていたなぁ、と思い出す。
前、アトラス編集部で再会し、そこで受けた依頼を片付けた後に少し勉強を見てあげたのだが、成る程、確かにこれは苦手そうだ、と思った記憶がある。
文法からして理解できていないようで、高校一年のものではなく、まずは中学あたりのものからやり直したほうがいい気がしたくらいだ。
どうしても英語は駄目なんですよね、と苦笑していた綺の顔を思い出す。
「せっかくの冬休みなのに、それは残念よねぇ」
ずるずる。
「長期休みに入るならこっちか京都にでも泊まりに来たらいいと声をかけるつもりだったんですけど、それどころじゃないみたいです」
もぐもぐ。
「でもお正月くらいは学校だって補習に来いとは言わないでしょ。たまには親子水入らずでゆっくりもいいんじゃない?」
ずるずる。
「そうですねえ。でも、正月は京都で迎える予定なんですが、綺は白味噌が好きじゃないみたいで、雑煮が食べられないんですよ」
もぐもぐ。
「あ、そうか、京都は白味噌仕立てなんだっけ、お雑煮。じゃあしょうゆ仕立てのお雑煮も用意したら?」
ずるずる。
「用意したら?って、俺がですか? 綺、俺が料理するのすごく嫌がるんですけどねぇ……味音痴なんだから余計なことするなって言われるんです」
もぐもく。
「大丈夫よ、ちゃんと私がレシピ作ってあげるし。書かれてる通りの量の調味料を入れればちゃんとできるわよ。多分」
ずるずる。
「本当ですか? それは助かります、それなら俺にもきっと作れますね、きっと」
もぐもぐ。
「もしすごく心配だっていうなら、別になおさんが頑張らなくても家の人に作ってもらえばいいじゃないの」
ずるずる。
「それもそうですね、じゃあ今年は白味噌仕立ての雑煮としょうゆ仕立ての雑煮の2種類が楽しめそうですね。……あ、そういえば、綺が絵葉書のことについてちょっとボケたこと言ってたみたいですね」
もぐもぐ。
「ああ、うん、あれね。そうなのよねー。確かに綺くんが描いたって綺くんが言ってたはずなのに」
ずるずる。
「綺が絵葉書を描いたとき、俺も一緒に描いてたんですよ。俺は絵心皆無だから、綺の絵よりももっと酷い出来で、桜がゴミみたいになったんですけど。もしかして、自分のと俺が描いたのを間違えて送ったかな?とか勘違いしてしまったのかもしれませんね。すみません」
もぐもぐ。
「ああ、うん、それは別にいいんだけど。あの時綺くん、英語のテストのことでいっぱいいっぱいになってたしね。……それはいいとして、実はなおさんに相談してみようかなーと思ったことがあって」
「というかお前らは何しとるんじゃここで」
頭上からの声に、シュラインと那王は同時に顔を上げる。
そこには、さっき1階へ下りて行ったはずの店長が立っていた。
「フロア内は基本的にカウンターと1階の飲食コーナー以外では飲食禁止だっていうのに、こんなに堂々とケーキやラーメン食ってるってどういうことだー?」
「あら、飲食禁止だったの? だってなおさんがあんまりにも自然にカップラーメン食べる準備してたから、てっきり許可されてるんだと思ったのに」
言って、青い瞳を那王へと向ける。
「困った人ね、なおさん。駄目じゃないの、禁止されてるところで食べたりしちゃ」
「って、さり気なく思いっきり俺だけのせいにしてますよねシュラインさん……」
「だってなおさんのせいじゃないの、明らかに」
「……腹黒い……」
「ふふふ、いつもの仕返しよ、仕返し」
にっこりと笑うと、「怖い怖い」と那王がわざとらしく眼を逸らす。
「仲良しだなァお前ら。髪も眼も同じ色だし、きょーだいみたいだ。……ま、食うのは別にいいけど、あとでその辺ちゃんと掃除しとけよ、暇人」
暫し二人のやりとりを眺めてから、そう言って店長はひらりと手を振ってカウンターの方へと歩いていく。
その背中を眺めやるシュラインを見ながら、那王は首を傾げた。
「ところで、相談って?」
「え? ああ、そうそう。実はねー……」
「草間とのクリスマスの過ごし方について、とかですか?」
ブッシュドノエルの上に乗ったサンタの頭を箸先でつつきながらのその言葉に、シュラインは眼を瞬かせてから唇をむーと尖らせた。
「何で言う前に言っちゃうのよ。っていうか、過ごし方じゃなくて、プレゼントの方をね、どうしようかなーって思ってて」
草間興信所で事務兼調査員を始めて、もう何年になるだろうか。
「大体ねー、クリスマスでも、あんまり関係なかったりするのよね。ほら、ウチの事務所、万年金欠だし」
しゃがみこんだまま、箸を持った手を頬に当てて、はぁ、と憂いに満ちた溜息を零す。
「クリスマスでも休業ってわけじゃないのよね、多分」
「つまり二人きりでデートとかもできないということですね」
「そうそう。だからせめてプレゼントくらいは、と」
「ヤツになら、数カートンのマルボロと上質なコーヒー豆とをリボンでぐるぐる巻きにしてくれてやったら、たとえそれが顔面に投げつけられようがどうしようが大喜びだと思いますけど」
思わず「くらえぇぇい!」とリボンでぐるぐる巻きにされた煙草数カートンとコーヒー豆入りの袋とを草間武彦の顔面に向かって投げつけているギャグ風味な自分の姿を想像してしまい、はあ、と溜息を吐いた。
「恐ろしいくらいに色気皆無ね……そんなのを想像しちゃう自分もアレだけど」
「おや。草間との間にそろそろ色気を求めたくなりましたか、そうですかそうですかふふふふふ」
にこにこと、表面上は柔らかな笑みを浮かべているが、その腹の中はきっと真っ黒に違いない。
相談する相手を間違えたかしら、と思いつつ半眼でじとーっと那王の顔をねめつけてから、やがてずず、とラーメンのスープをすすってまた溜息を零す。
「だって、クリスマスよ? 一応はロマンティックを期待したいじゃない?」
デートとまではいかなくても、せめて、いい雰囲気にくらいなったってバチは当たるまい。
……告白だって、したんだし。
恋人、というはっきりとした形は見えなくても、クリスマスくらい、好きな人とロマンティックに過ごしたいと思うのは普通のことだと思う。
無意識の内に割り箸でラーメンのスープの中にのの字を書いていたシュラインを眺めながら、那王は小さく笑った。
「シュラインさんも女なんですねぇ」
「……何気に失礼なこと言ってくれるじゃないの」
「恋をする女性は素敵だという話ですよ」
くすりと笑う那王をまた胡乱げな眼差しで見るシュライン。
彼の言葉は、本心からのものなのかどうかいまいち判然としがたい。まあ、別に今に限ったことではなく、前からこうなのだが。
「だから腹黒って言うのよ」
「また腹黒って言うし……。まあ、クリスマスくらい、さすがに草間だって何かは考えているでしょう。………………多分」
「……何その長い沈黙のあとにぽつりと付け足された『多分』って」
「……そんなの、シュラインさんだって理由は分かるでしょ」
別に草間が仕事で忙しいとか言っているわけではなく。
単に、「クリスマス」という行事を忘れているのではないか、という可能性の話である。
「さすがに、街に出たらクリスマスソングは流れているし飾りつけもされているから、忘れたりはしないとは思うんですが、……多分」
「……それでもやっぱり『多分』は外れないのね」
「……草間ですしね……」
「……プレゼント、どうしようかな……」
「本人的には、やっぱり煙草とコーヒー豆じゃないかとは思いますが。衣食住削ってでもそれに費やそうとする男ですし」
「……まあ、プレゼントだし。本人が貰って一番嬉しいものを贈るのがいいわよね、きっと」
行き着くところはやはり煙草とコーヒーか。
まあそれが一番無難だし、きっと一番喜んでもらえそうなものだ。
「あとはライターか何かつけとこうかしらね」
「そこに金をかけてやっても、喜ぶかもしれませんね」
「ライターは一度あげたことあるんだけどね」
「じゃあ、そのライターに入れるガスを買ってやるとか」
「……なんだかつくづくプレゼントの考え甲斐がないわね」
「……そんな男に惚れたシュラインさんの運の尽きですよ」
「それを言われると返す言葉もないわ」
はあ、と溜息を吐くと、シュラインは空になったラーメンのカップをことんと床に置いた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした。そろそろお帰りですか?」
「ええ、実はこれから仕事なのよ」
「そうなんですか? それはわざわざ、お仕事前にケーキを持ってきてくださって有難う御座いました」
「たまには様子見に来ないと、クレーンゲームで身を持ち崩してそうなんだもの、なおさん」
笑いながらゆっくりと立ち上がり、両腕を持ち上げて一つ大きく伸びをする。
「んー……っ、よし。一仕事頑張ってくるか」
「気をつけて頑張ってきてくださいね」
「ありがと」
またね、と言ってひらりと手を振ると、シュラインはにこにこと笑みながら手を振っている那王をその場に置いたまま、歩き出す。
まだあの人はここでクレーンゲームを続ける気なのかしら、と思ったが、問いかけるまでもなく、きっとそうするんだろうな、という結論に行き着く。
「相変わらず変な人」
くすっと笑って呟く。
その頭の中では、さっきの会話の内容がよみがえっている。
プレゼントは、煙草とコーヒー豆と、ライターのガス。
本当に、少しの色気もないものばかりだが。
今年のクリスマスは、一体どんな日になるのだろうか。
「……贅沢は言わないから、せめて一緒にいられればいいな……」
そんなささやかな願いを口にし、シュラインはゲームセンターを出、クリスマスソングが流れる街の中へと歩き出した。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】
0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/主天使】
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
この度はゲームノベル「白く醒める時」に参加してくださり、どうもありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?
シュライン・エマさん。
いつもお世話になっております。
このたびはNPC・七星那王に構っていただき、ありがとうございました。
あと、いつもはNPC1名のみ指定で、1名のみ出演(?)ということになっているのですが、今回、受注価格をかなり上乗せしていたため、もう1人オマケでちょこっと出てきています(いてもいなくてもいい存在ですが……登場NPCが変人二人ですみません/笑)。
それから、今回異界にいらしていただいたことにより、シュラインさんの階級が上がり、人形化の1つである「病状無効」の影響を脱しました。
次回Azに来ていただいた時には、風邪などもそのまま反映されてしまうことになります……風邪が流行っている時期に受注するかどうかは謎ですが(笑)、お気をつけくださいませ。
もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきます。
では、また再会できることを祈りつつ、失礼します。
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