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■paradise age■

雨音響希
【1711】【榊・紗耶】【夢見】
 しんと静まり返った夢幻館の中、何かに引き寄せられるように階段を上る。
 住人が住んでいる2階を通り過ぎ、普段は滅多に入らない3階に足を踏み入れる。
 確か、この場所は他の階と同じく長い廊下が続いていたはずなのに・・・
 何故かそこには2つの大きな扉があった。
 1つは金色のドアノブに星の刻印の入った扉
 1つは銀色のドアノブに月の刻印の入った扉
 少し迷った後で、金色のドアノブに手をかける。
「現実逃避って、悪い言葉じゃないよね」
 不意に聞こえた声に振り向けば、そこには片桐 もなが優しい笑顔を浮かべて佇んでいた。
「現実逃避はイケナイコトじゃないんだよね。現実から逃げるって、たまには必要だなって、あたしは思う。だって、現実は1つしかないんだもん」
 柔らかいピンク色に近い茶色の髪が、頭の高い位置で揺れる。
 ツーテールがブンと音を立てながら宙を切り裂き、もながトテトテと走って来ると腰に抱きついた。
「もしもの世界、とっても楽しいの。もしもの世界の中でのあたしは、いつだって幸せそうだよ。でもね、今が不幸せってわけじゃないの。だからね・・・そう、現実は1つなんだよ」
 もなが、自分でも何が言いたいのか分かっていないと言う様子で口を閉ざし、暫く考え込むように視線を宙に彷徨わせる。
「・・・ここが、貴方の居るべき場所なんだって、忘れなければとっても楽しい世界が広がってるよ」
 腰にまわしていた腕を解き、ゆっくりと後ろに下がる。
「きっと帰って来てね。あたし、ここで待ってるから」
 にっこり・・・その笑顔は、どこか哀しげに歪められていた。
paradise age 16



◇★◇


 夢の世界は唐突に、目を開けた時には榊 紗耶は見知らぬ場所に立っていた。
 真っ赤な絨毯と、高い天井。右手には延々と同じ扉が並んでいる。
 不思議な場所、不思議な雰囲気、ここはどこか寂しい場所だった。
「あれ?」
 鈴を転がしたような可愛らしい声に振り返れば、ピンク色に近い茶色の髪を頭の高い位置で2つに結んだ少女がスカートを翻しながらこちらに走って来る。
 パタパタと走って来た少女 ――― 恐らく小学生程度だろう ――― が紗耶の顔を見て、不思議そうな顔をすると首を傾げた。暫しの沈黙。そして、なにかに気がついたらしくポンと手を打つと大きく頷いた。
「そっか。扉は玄関だけじゃないものね」
 そう言うと、少女はチョコンと頭を下げた。
「あたしの名前は片桐 もな。現の守護者をやってるの。でも、これは現も夢も関係のない扉」
 もなはそう言うと、紗耶の背後にある扉を指差した。
 廊下の真ん中に浮かんでいる扉は2つ。金色のドアノブの扉と、銀色のドアノブの扉。
「ここから先にあるのは、全て幻」
 ふっと笑んだ彼女の顔は、どこか虚無的だった。
 髪を結んでいる、ピンク色のリボンが風もないのに揺れ、もなの髪に絡まりついては解けて行く。
 紗耶は、半ば無意識に金色のドアノブを握った。そして・・・・・・


◆☆◆


 目覚まし時計の微かな電子音に、紗耶は起き上がると目を擦った。だんだんと大きくなって行く音に欠伸をしつつ、そっとそれを止める。
 窓にひかれたカーテンをゆっくりと開ければ、朝の清々しい光が室内を淡く染めていく。
 階下から母親が、朝ご飯が出来上がったと声をかけてくる。紗耶はパジャマのまま階段を下りると寝惚け眼のまま食卓の席に着いた。
 ご飯の甘い匂いと、お味噌汁の匂いが混じり合う。
 目玉焼きにお醤油をかけながら、紗耶は首を傾げた。
「兄さんは?」
「もうとっくに学校に行ったわ」
 母親がそう言って、早く紗耶もご飯を食べて行ってきなさいと言葉を次げる。
 紗耶は大急ぎでご飯を胃の中に押し込むと、ご馳走様でしたと声をかけてから席を立ち、洗面台へと向かった。
 顔を洗い、歯を磨き、長い髪を2つにわけ、三つ編みにする。
 部屋に引き返すと、学校指定の深い色のセーラー服に袖を通し、前日に用意しておいた鞄の中身を再度確認してから下へと降りる。
 下りる途中でチャイムが鳴り、母親が声を張り上げる
「紗耶、鏡花ちゃんが来てくれたわよ!早くしなさい!」
「今行く!」
 急いで階段を駆け下りれば、銀色の長い髪を背に垂らした沖坂 鏡花が輝くような笑顔で紗耶にヒラリと手を振った。
「お早う、紗耶ちゃん」
「お早う。今日は早かったんだね」
「いつも紗耶ちゃんが家に来てくれるからね、絶対今日こそは私が迎えに行くんだーって思って、頑張って早起きしたんだ」
 屈託のない笑顔で言う鏡花。彼女は紗耶のお隣に住む同じ歳の女の子で、家族ぐるみの付き合いもあって、小さな頃から一緒に育った幼馴染だった。
 暫く他愛もない話をしながら通学路を歩いていると、唐突に鏡花が首を傾げた。
「ねぇ、紗耶ちゃん。今日のテスト、どう?」
 今日は期末テストの最終日。この嫌なイベントが終われば、短いながらも楽しみな冬休みが始まる。
「昨日勉強はしたんだけど、どうだろう」
「古典と生物の2教科だよね。私、生物が苦手なんだよね」
 鞄の中から参考書を取り出して、指先で示すのは遺伝の部分だった。
 確かに、ややこしい部分ではあるけれど、仕組みが分かってしまえばそう難しいものではない。得意な者と不得意な者が極端に分かれる分野なだけに、ここで点数が開くだろう。
 紗耶は鏡花と同じで、遺伝はあまり得意ではなかった。
 一生懸命口に出して確認する鏡花の言葉を聞き、2人でここはこうだとか、ここはああだとか、意見を交換しながら真剣に話し合う。知らずの内に足が止まり、ふと気がつけば2人は歩道の真ん中で遺伝について議論を交わしていた。
「邪魔になっちゃってたね」
 鏡花が苦笑しながら紗耶の背を軽く叩き、2人で歩き出す。
「ねぇ、鏡花。今日でテスト終わりだから、帰りに何処か寄らない?」
「良いねっ!そうだ、この間ね、近くに可愛い喫茶店見つけたの!入ってみたいなぁって思ってたんだけど、良かったらそこ行かない?雰囲気も良かったよ」
「それじゃ、そこにしようか」
 やったぁと、無邪気に喜ぶ鏡花に苦笑しながら、紗耶は高く澄んだ空を見上げた。


* * * * * * *


 地獄のようなテストの時間が終わると、紗耶は背伸びをした。
 後は結果を待つばかり。なるようになれと、半ばヤケな気持ちが胸を圧迫し、どこか心地良い高揚感に包まれる。テスト後は大抵、むず痒い幸福感で包まれるのが常だ。
 使わない教科書をロッカーの中に押し込め、必要最低限の持ち物だけを鞄に詰め込むと、2人は長い廊下を玄関に向かって歩き始めた。
 昨日見たテレビの話、何組の誰々ちゃんの話、尽きない話は面白く、時折笑い声を上げては鏡花の腕を軽く叩く。笑いすぎて痛くなったお腹を押さえ、目尻に浮かんだ涙を人差し指の背でそっと拭った時、2人は下駄箱の前まで来ていた。
 先が赤い上履きを脱ぎ、黒いローファーに履き替える。
 低い唸り声を上げながら稼動している自動販売機の前を通り過ぎ、駐輪場を抜けると、校庭で数人の男子生徒がサッカーをしているのが見えた。
 白と黒のボールを蹴りながら、右へ左へ、攻撃、守り。砂煙を上げて遊んでいるその輪の中に、紗耶は見慣れた姿を見つけた。
 少し良いなと思っている、同じクラスの男の子。
 ワックスで緩く遊ばせた毛先が、彼の体の動きにあわせて揺れている。
 真剣な眼差しも、淡く色付いた頬も、明るい太陽の光の下では鮮明に見て取れる。
 端正な顔立ちは、兄と少し似ているかも知れない。
 そう思った時、足元にボールが飛んできた。
 誰かが蹴ったボールが、本人が意図したのとは別の方向に飛んで行ってしまったらしい。
 弾みながら近づいてきたボールは紗耶の足元で止まった。しゃがんで、それを拾い上げる。
「悪い悪い」
 そう言って走って来たのは、彼だった。
「テスト明けではしゃいでるの?」
「そ。やっぱテスト明けって体が軽いよな」
 鏡花の言葉に頷くと、紗耶に視線を移した。手に持った白黒のボールを彼に手渡す。その時に、彼の指とほんの少し、触れた。
「今から帰り?」
「うん。紗耶ちゃんと喫茶店に寄ってから帰るの」
「そっか」
 彼の背後から、彼を呼ぶ声が響く。
「おう、今行く!それじゃぁ、沖坂に榊さん、また明日」
「うん、バイバイ。また明日ねー」
「また明日・・・」
 小さな声で呟くと、手を振る。
 まさか話せるとは思わなかった。指が触れるとは思わなかった。
 少し気になる程度の存在が、じわりじわりと大きくなって行く、紗耶はキュっと、触れた小指を反対の手で掴んだ。
「紗耶ちゃん、行こっか。私なに飲もうかなぁ。なんか、喉渇いちゃったよね」
「そうだね」
「あ!確か、苺ミルクが美味しいって誰か言ってたね。それじゃぁ、私は苺ミルクにしようかな。ケーキは・・・本日のオススメケーキが美味しそうならそれで、あんまり美味しそうじゃなかったら他のを頼もう」
「うん。私も、苺ミルクにしようかな」
 何となく、この感情を表すには苺ミルクが合っている。
 そんな気がして、紗耶は喫茶店に入ると真っ先に苺ミルクを頼んだ。


* * * * * * *


 クラシック音楽の流れる穏やかな店内を後にすると、2人は繁華街へと足を向けた。
 近づくクリスマスのイルミネーションと、陽気な音楽が2人を包み込む。
「もう直ぐクリスマスだね。紗耶ちゃんは何か予定は?」
「特には。家族で過ごす、かな?」
「そっか。私も特にこれといってないんだよね」
 鏡花はそう言うと、拗ねたように頬を膨らませて目を伏せた。
「お母さんもお父さんも、仕事でいないし。1人きりのクリスマス、か」
 彼女の両親は仕事で世界中を飛び回っている。こう言う行事の時にいないのは当たり前だから、仕方がないけれどと諦めたような口調で呟く鏡花の頭を、紗耶がペシリと軽く叩く。
「ウチに来れば良いよ」
「でも・・・」
「鏡花なら、皆大歓迎だよ。一緒にチキン食べて、ケーキ食べて、1日騒ごう」
「夜中まで、色々お話しよっか」
 弾けるような笑顔で、鏡花が紗耶の腕を引っ張ると可愛らしい服の並ぶウィンドウに連れて来た。
「ねぇ、どうせなら可愛い格好しようよ!それで、朝早くに皆へのクリスマスプレゼント買いに行こう」
「皆への?」
「そう!2人で、おばさんとおじさん、お兄さんのプレゼントを買って、私は紗耶にあげるプレゼントを買うから、交換しよう!」
「良いね。何だか楽しみ・・・」
「それじゃぁ、まずは洋服!可愛い服着て、良いプレゼント買って、楽しいクリスマスにしよう」
 無邪気にはしゃぐ鏡花に連れられて店内に入ると、暫く洋服を見て歩き、この季節に似合いの華やかな洋服を手にとっては試着していった。
 結局鏡花は紗耶が勧めた服を買い、紗耶は鏡花が強く勧めた服を買う事になった。
 膝丈のオフホワイトのスカートはベロア素材で手触りが良く、どこか品のある光沢を放っていた。トップスはシンプルな黒のシャツで、背中の部分が少しだけ開いている。
 モノトーンの落ち着いた組み合わせだったが、清楚な雰囲気のするチョイスだった。
 これに黒のブーツを合わせれば良いだろう。あと、ネックレスは少し大きめのもので、あまり主張しすぎないデザインのものが良い。
 考えながら歩いていると、何時の間にか2人は鏡花の家の前まで来ていた。その隣が紗耶の家だ。
「それじゃぁ、また明日ね。そう言えば、明日は何のテストが返って来るんだっけ?」
「現国と数学と物理と・・・」
「あぁ、もう頭痛くなってきた」
 頭を押さえて苦悶の表情を浮かべる鏡花に苦笑しながら、紗耶は手を振った。
「じゃぁ、また明日」
「うん!おばさん達に、クリスマスの事言っといてね」
「分かってるって」
「あと、今日の7時から“Red Rain”出るよ!」
「え、本当?何番?」
 Red Rainとは、10代の少年少女に絶大な人気を誇るアイドルグループだ。
 アイドルと言ってもその歌唱力はかなりのもので、ヴォーカルの“紅”の音域はかなり広く、透き通るような声が魅力的だ。ヴィジュアルに至ってもかなり良く、女の子はドラムの“紫”かギターの“蒼”かに好みが分かれている。
 ロックからバラードまで、なんでもこなす彼らはたまにバラエティ番組にも出ており、その面白いキャラクターを画面いっぱいに振りまいている。
 整った外見、人並み外れた歌唱力、それなのに性格はいたって天然でどこかずれている。そこがまた、彼らの魅力なのだろう。
「教えてくれて有難う。絶対見るね」
「うん!明日はその話で盛りあがれそうだね。じゃぁ、また明日!お休み」
「うん、また明日。お休み」
 笑顔で手を振って別れる。
 明日も今日と同じように、楽しい日になりそうだ。そう思いつつ、玄関のドアに手をかけ・・・
 その瞬間、紗耶は全ての事を思い出した。
 そう。これは幻。
 夢の中で見る、儚い幻。
 楽しかった日々は、甘い幻 ―――
 今日の音楽番組も、明日のテストの結果も、クリスマスパーティも、全ては・・・
(無論、私は私よ、何処まで行っても)
 現実は、1つしかない。
(けれど自分では見る事の出来ない夢)
 私が知らなかった、世界。
(誰かが言ってたけれど、前向きな夢もたまにはいいじゃない)
 だから、この幻に後悔はしない。
 この幻を見れた事を、嬉しく思う。
 普通ならば体験できない事。ここでは、普通の子として振舞えた、普通の子として扱ってくれた。
 ありきたりで、楽しい日常。
「楽しかったよ」
 あまりにも温かくて、楽しかった世界に少しだけ未練が残る。
 けれど、現実は・・・ここではないから。
 私が居るべき場所は、ここではないから ―――――


◇★◇


 扉を開けた先は、あの不思議な場所だった。
 廊下の隅でしゃがみ込んでいたもなが紗耶の顔を見ると立ち上がり、嬉しそうに走って来た。
「お帰りなさい。幻の世界は、楽しかった?」
「そうね。楽しかった」
「それは良かった」
 もなはそう言うと、ツインテールの髪を揺らして紗耶についてくるようにと促した。
 連れて来られた先には、1つの巨大な扉。
 他のものよりも幾分凝った模様が描かれている扉を押し開ければ、淡い光が渦巻く世界が広がっていた。
「ここは?」
「出口。貴方が、入って来た場所」
 こんなところを通った覚えは無かったが・・・けれど、何となく、光の渦の中に行くべきだと思った。
「ねぇ、貴方のお名前教えて。“貴方”のままで別れるのは、寂しい」
「榊 紗耶」
「紗耶ちゃん?」
「さようなら、もな」
 紗耶は小さなもなにほんの少しだけ ――― 唇の端をかすかに上げる程度に ――― 微笑むと、光の渦の中に歩いて行った。
「バイバイ、紗耶ちゃん」
 ・・・次の夢へと歩いて行く紗耶の耳に、もなの甘い声が凛と響いた。



◆ E N D ◆



 ◇★◇★◇★  登場人物  ★◇★◇★◇

 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  1711 / 榊・紗耶 / 女性 / 16歳 / 夢見

  NPC / 片桐 もな


 ◆☆◆☆◆☆  ライター通信  ☆◆☆◆☆◆

 この度は『paradise age』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、初めましてのご参加まことに有難う御座いました。(ペコリ)
 季節感がまったくないお話で申し訳有りません・・・!
 紗耶ちゃんの口調が非常に心配ですが、許容範囲内でしたでしょうか?
 明るく楽しい、ふわりとした雰囲気が描けていればと思います。


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。