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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 それはクリスマスが少し過ぎた年末の話。
「クリスマスと、この前の参加賞も兼ねてプレゼントを選んでやろう」
 黒 冥月(へい・みんゆぇ)に誘われた立花 香里亜(たちばな・かりあ)は、超高級デパート内にある宝石店のカウンターを目の前に、溜息をつきながら辺りを見渡していた。
 普通のデパートなら年末商戦で人が多く慌ただしいはずなのに、そこは何だか周りにいる人たちもゆったりとしている。
「好きな物を選んでいいぞ」
 冥月にマフラーとセーターを編んだことと、以前蒼月亭でポーカーをした時の参加賞を…という事だったのだが、まさかこんな入ったこともないようなデパートに来るとは思っていなかった。しかも着いているはずの値札は、冥月の能力で丁寧に隠されている。
 好きなもの…と言われても、どれもこれも高価そうだ。
 香里亜はそっと冥月の顔を見て、首をかしげる。
「えーっと…好きな物と言われても、ちょっと高価そうなんですが」
 どれもこれも、見ているだけで目の保養になりそうなぐらい高価だということは、値札を隠されていても分かる。そんな香里亜に冥月はふっと笑いながら、ケースの中から赤いルビーのついたネックレスを出させ香里亜の首に当ててみせた。
 リボンのガーランドスタイルにダイヤがちりばめられていて、そこにを雫の形にカットされたルビーが下がっている、豪華だが派手すぎないデザインだ。揺れるルビーはピジョンブラッドで、深く透き通った赤が美しい。
「クリスマスプレゼントなんだから遠慮することはないぞ。ふむ…赤もなかなか似合うな」
 この店に入った時から冥月は、このネックレスが香里亜に似合うと思っていたので、首元に肌なじみよく収まっているホワイトゴールドを見て、満足げに頷く。
 香里亜も鏡を見て一瞬「あ、可愛い…」と言ったが、何かを思い出したようにぷるぷると首を横に振った。
「いやいやいや、遠慮しますって。私には素敵すぎて不相応です」
 やはり砦は硬いか。
 本当であれば、香里亜自身に何でも好きな物を選ばせたかったのだが、この調子だと遠慮して何も選ばず帰りそうだ。案外頑固な香里亜のことだから、こういう事は予想していたが、やはりそう来たか…だが、冥月は少しも焦った様子を見せず、香里亜の横に立つ。
「じゃあ、私が選んだ物をクリスマスプレゼントに…というのはどうだ?」
「うっ…でも…」
「香里亜は私が見立てた物は受け取ってくれないか」
「いや、そういう訳じゃ…」
 やはり香里亜の弱点は、こうやって情に訴えることだ。冥月が少ししょんぼりしてみせると、香里亜はおろおろしながらこくっと一つだけ頷いた。
「じゃあ、私にコーディネートしてくれた物をプレゼントにと言うことなら」
 よし、思った通りだ。
 少しほっとする香里亜を見ながら、冥月はビロードが張られたトレーにネックレスと合うようにイヤリングと指輪を出させた。イヤリングは少し華やかに、その代わり指輪はハートにカットされた可愛いデザイン。まさか揃えて見立てられると思っていなかったので、その潔い選び方に唖然とする香里亜。
「えっ、まさかこれ全部ですか?」
「私が選んだものだから文句は言わせないぞ」
「あうう…」
 値段はネックレスだけで百万を超えるのだが、それは言わない方が良いだろう。似合う者が身につければ、宝石だってそれが本望と言うものだ。
「さて、身形も合せないとな」
「はい?」
 香里亜は全てを身につけ、緊張したように鏡を覗き込んでいる。店員に「お似合いですよ」と言われても、微笑みも曖昧だ。それを尻目に冥月はこのデパートの支店長を呼びつけた。香里亜には内緒だが、冥月はこのデパートの上客だったりする。電話一本で支店長が来る程度には。
「いらっしゃいませ、黒様。今日はどのようなお品物を?」
 やって来た初老の品の良さそうなスーツ姿の男性に、冥月は香里亜の方をチラと見る。
「この娘を『大人の』女性にしてやってくれ。金は問わない」
「かしこまりました。ただいま従業員をお呼びいたしますので、全てお任せ下さいませ」
 品良く頭を下げ、支店長はそっと電話をかけ始めた。一体何が起こっているのか。きょとんとしながら香里亜は冥月を見上げる。
「えーっと、何が起こっているのでしょう?」
 これも冥月からのプレゼントの一つだった。
 宝石店はまだまだ序盤で、今日は一日かけて香里亜を『大人の女性』にするため、一緒にここまでやってきたのだ。常日頃から「大人の、素敵な女性」になりたいと言っている香里亜に、少しでもその雰囲気を体験させたかったのだ。
「まずは形から、大人の女性を知ってみろ」
 無論それだけが全てではないということも分かっている。
 外見だけではなく中身も大事だが、まずは何事も形から体験するのもありだろう。服が変われば姿勢が伸びるように、大人な格好から見える物もある。宝石もそのうちの一つだ。本物を知っておけば、変に惑わされることもない。
「いらっしゃいませ。今日は私、山本が担当させていただきます。何でもご遠慮なくお申し付け下さい」
 支店長に呼び出された制服姿の女性が微笑みながら礼をした。冥月は香里亜の背をそっと押し、少し意地悪く笑ってこう言う。
「宝石に合う様に。まだお子様だからヒールは低めで頼む」
「かしこまりました」
 くす…と山本が微笑む。何か抗議したそうな香里亜に、冥月もくすっと笑う。
「店員はプロだ、全て任せればいい。だが好みや好き嫌いは正直に言え。どんなわがままも応えてくれる」
 全身コーディネートという注文にも全く怯まず、まずは下着売り場から行きましょうと言う山本と、何事もないように宝石の精算をカードで済ませる冥月の間で、香里亜はごくっと息を飲んでいた。
 何だか今日は、今まで体験したことのない長い一日になりそうだ…と。

 下着はフランス製、絹のストッキングもガーター留め。服はネックレスが目立つようにと、スカート部分が四段になっているピンクのテイアードドレス。背が少し高めに見えるように、スカート丈は膝ぐらいだ。
「パンプスはヒール低めでございますが、アンクルストラップになっております」
「それなら歩きやすそうだな」
 色々な色や形のドレスを試着してみたが、香里亜がピンク好きと言うことで、全体的にその系統の色で山本は全てコーディネートした。その代わり毛皮のケープやパンプスは黒にして、全体を引き締める感じだ。
 試着室の前で冥月は、香里亜が着替えるのを待っている。するとそれらを身につけた香里亜が、そーっとカーテンを開けた。
「こんな感じですけど…」
 少し恥ずかしそうに出てきたが、自分が好きな色なだけあってそのドレスは香里亜に似合っていた。ピンクと言っても濃いめなので、アクセサリーとも違和感がない。
「うん、いつもより大人っぽいし、よく似合ってるな」
「冥月さんにそう言ってもらえると嬉しいです」
 スカートを確かめるように香里亜がくるっと回った。
 だが買い物はそれで終わりではない。次はバッグや腕時計などの小物だ。バッグは服に合わせ、エルメスのピンクのバーキンにし、腕時計もクリスマス限定の文字盤がピンクのカルティエ『タンクフランセーズ』だ。
 店舗を無闇に回ると、香里亜がブランドの看板を見た途端走って逃げそうなので、好みに合う物を山本が選んで来るという形での買い物は続く。
「何か私の好みを知られているような気が…」
 流石に相手はプロだ。好きな色やドレスの形から、香里亜が好きそうな物を持ってきてくれる。最初の宝石店ではかなりおどおどしていた香里亜も、ここまで来ると開き直ったのか冥月などにアドバイスを聞きながら、自分で好きな物を選べるようになってきた。まあ、試着したり持ってみたりして「これ」と決めた後で、ブランドを見て怯んだりはしているが。
「次はコスメフロアでしょうか」
 香里亜も、大体の要領が分かってきたらしい。だが冥月は首を横に振り、山本にこう指示する。
「エステとネイル、ヘアケアの方は大丈夫か?」
「はい、お時間の方予約してございます」

 ここまで徹底した全身コーディネートとは思っていなかった。
「よく分からないので、お任せします…」
 エステの応接術スーでカウンセラーを前に、ハーブティーを飲みながら質問に答えたり、コースを見せて貰ったり、何だか妙にめまぐるしい。
「まだお若いですし肌も綺麗ですので、フェイシャルもエステもリラックスを中心に行わせていただきますね」
「お願いします」
 まずは全身の血行を良くし、血色を良くしてからコスメらしい。使っているブランドがあればそれに合わせるとも言われたが、生憎そんな大層な物は持っていない。
「何処か体の部分で気になることがあれば、おっしゃってくださいね」
 カウンセラーの言葉に、冥月がくすっと笑う。
「香里亜、バストアップの相談はいいのか?」
「はうっ、冥月さんひどい。確かに気になりますけど…」
「では、そちらの方もコースにお入れしますね」
 タラソテラピーでの全身マッサージに、血色を良くするという意味でのホワイトニング。普段蒼月亭で旗ラテいる時は、眉を整えたりリップを塗るぐらいしか化粧をしない香里亜にも、カウンセラーは丁寧に普段のケアや化粧の仕方を教えてくれる。
 アイラインの引き方を練習している香里亜が、ふと横の椅子に座って様子を見ている冥月を見ながらこんな事を言った。
「私ばかり色々やってるんですけど、冥月さん退屈じゃありませんか?」
 そんな事は全くなかった。
 似合う服や小物を一緒に選び、少しずつ大人っぽく可愛らしくなっていく香里亜を見ていくのは楽しい。慣れないせいでおずおずマスカラをつけてみたり、口紅を塗られたりというのも新鮮だ。
「退屈なのに誘うはずないだろう。それより香里亜は楽しんでるか?」
「あ、はい。お姫様みたいでちょっと楽しいかも…」
 普段着る服は黒と決めていて、買い足す物もさほどないので、自分が着ない物を選んだり買ってやるのは結構面白い体験だ。香里亜が楽しんでいるのなら、それに越したことはない。
 爪は派手になりすぎないようにチップをつけずに、ドレスに合わせ少し濃いめのピンクに白のフレンチネイルにした。髪はアクセサリーが映えるようにアップにまとめ、アクセサリーに合わせた赤のスワロフスキーが着いたバレッタやヘアピン。コスメも基礎化粧品と一緒に、今使っているファンデなどを合わせて買っている。香水は控えめだが優しいフローラルな香りの、クリスチャン・ディオール『フォーエバーアンドエバー』だ。
 全部着替えて見せた香里亜に、山本も微笑みながら頷いた。
「よくお似合いでございます。シューズのソールなど、具合が悪ければ調整いたしますが」
「いえ、大丈夫です…冥月さん、どうですか?」
 艶のあるリップにほんのりと入ったチーク。アイラインやマスカラなどを駆使した上品でお嬢様っぽいメイクに、香里亜は何かを確かめるようにそっと鏡を覗き込む。
「見違えたな。よく似合ってる」
 嬉しそうな冥月にほっとしながら、香里亜はぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。こんなにしっかりメイクしたのって初めてなので、何だかくすぐったいですね」
 さて、これで終わりではない。
 全身コーディネートも、この後のためにしたようなものだ。それに折角『大人の女性』になったのに、そのまま帰ってしまっては勿体ない。
「さて、買い物も終わったし行くか」
「えっ?」
 全ての支払いをまとめてカードで済ませ、冥月は履き慣れないパンプスで香里亜が転ばないように、そっと手を取りながらデパートの外へ手を引いた。香里亜が今日着ていた服や靴、宝石の鑑定書やコスメ類などはまとめて冥月の影にしまってある。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております…」
 山本のお辞儀に見送られた香里亜が見たのは、入り口の前に止まっているリムジンだった。

 白いテーブルクロスに、行儀良く並べられたシルバー類。品の良い照明に、あちこちに飾られているアレンジメントされた花。
 そして細身のグラスに注がれるシャンパン。
 『大人の女性』への仕上げは、夜景が美しいと評判のホテルにあるフレンチのディナーだった。香里亜の前に座る冥月は、黒いスーツだがタイトスカートに高いヒール、オニキスのアクセサリーと、いつもと違った大人っぽい装いだ。
 乾杯の後一口シャンパンを飲み、冥月はくすっと一つ笑ってみせる。
「どうだ、大人な気分は」
 普段ナイトホークは香里亜に絶対酒を飲ませないのだが、香里亜自体は特に下戸というわけではないらしい。学生時代はそっと隠れて友達と飲んだりしたこともあるという。なので今日は特別に…ということで、料理に合うシャンパンとワインを少し用意してある。
 大人な気分という言葉に、香里亜は少し上目遣いで頬を押さえた。
「お姫様みたいです。でも、本当の大人な女性になるには、まだまだ修行が必要かな…」
「そうか。でもよく似合ってるぞ」
 冥月が思っていることは、香里亜にも伝わっていたようだ。
 ひとまず形から入っても、それに伴っていくためには普段やっているトレーニングなどのように、日々の修行だ。それが積み重なっていけば意識しなくても大人だし、歳だけ取って大人になりきれない者もいる。それが分かっていれば大丈夫だ。
 香里亜は窓の外に目を向ける。
「すごい素敵なレストランですね」
「将来は素敵な恋人にでもエスコートしてもらえ」
 シャンパングラスを傾け冥月がそう言うと、香里亜もグラスを持って少しはにかむ。
「うーん…でも、冥月さんより格好いい男性が想像つかないかもしれない…なーんて」
「おい…」
 ……何だか複雑な心境だ。
 もしかしたら、香里亜なりのお返しなのかも知れないが。
「あ、折角だから後で一緒に写真撮りませんか?こんなに可愛くしてもらったのに、このまま帰ったらちょっと勿体ないかも。それに写真を見てお化粧のお手本にしなきゃ」
 それは良いアイディアだ。きっとナイトホークも香里亜の姿に驚くだろうし、この姿は他の皆にも見せてやりたい。
「今日は頂いた物だけでなくて、丸一日全部宝物にしますね」
 今日一番の笑顔を見て、冥月がくすっと笑う。
 それが、何より嬉しい言葉。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
以前のゲームノベルでの参加賞と、クリスマスプレゼントを兼ねて香里亜を全身コーディネートということで、色々とお買い物という話になりました。大人買いという勢いで、色々見立てたりエステに連れて行ったり…と、何だか楽しそうです。買い物が楽しいのは、欲しい物を手に入れるという狩りの欲求もあるそうです。
リテイク・ご意見は遠慮なく言ってください。
お預かりしている話もお早めにお届けできるよう頑張ります。