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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 黒 冥月(へい・みんゆぇ)が手渡された地図には「大きな蜜柑の木が目印の日本家屋」と書いてあった。
「ここか?」
 その仕事は、いつものように冥月が蒼月亭でコーヒーを飲んでいたときにナイトホークから持ち込まれた仕事だった。
『前一緒にポーカーやったことのある太蘭(たいらん)が、腕の立つ奴を捜してるんだ…何でも危険な仕事らしくて』
 特に仕事や金に困っているわけではないのだが、以前蒼月亭で会ったとき太蘭が刀剣鍛冶をやっていることは聞いていたし、一度話もしてみたかった。仕事の内容がどうであれ、こういう機会は見逃さないに限る。
 玄関の引き戸は閉められているが、鍵を掛けていないのかすんなりと戸が開いた。
「誰もいないのか?」
 しんとした中に冥月の声が響き渡る。自分の声が聞こえていないのだろうか…何かを確かめるように冥月は辺りを見渡した。
 古い靴箱の上に飾られている刀掛けに置かれた日本刀が一振り。それは凛とした雰囲気を漂わせながら置かれている。白鞘に納められていないのは、短期間の間ここに飾っておくためなのだろう。漆塗りの鞘には朱で椿の花が描かれていて、それに合わせたように隣には土物の器に椿が一輪飾られている。
「………」
 その美しさに惹かれ、冥月は思わず刀を手に取った。そっと鞘から引き抜くと、その刀身に彫られた椿の花が現れる。ふくさを持っていないのでポケットからハンカチを出し、その刀身の姿、地金、刃文などをじっくりと見る。
「素晴らしいな…」
 鎬造りの丁字刃。刃縁につく沸(にえ)や匂いも美しい…思わずそれに感心していると、廊下の奥から声がした。
「刀が欲しいのか?」
 真っ直ぐぶれのない足取りで出てきたのは、太蘭だった。その後ろから猫が何匹かちょこちょこ後をついてきている。冥月は刀を持ったまま首を横に振った。
「いや。そういうわけではない」
 別に日本刀を打って欲しいというわけではない。冥月は刀を鑑賞しながらふっと微笑む。
「この刀の様に霊体は斬れんが、斬るだけなら私の影の方が斬れる…」
 そう言いながら影を剣の形にし、玄関先に置いてあった金属の塊を易々と切って見せると、太蘭は興味深そうに目を細めた。
「ほう、影使いか」
 冥月の影の能力は、実体がある物にしか威力はないが、鋭さや薄さはいくらでも調整できるし、刀を抜くというアクションもないので、相手に悟られることも警戒されることもない。その気になれば何でも斬ることが出来るだろう。
「だが興味はある。この斬る・突くに特化した形状とその威力、なのに鎬という守りの考え方。斬るよりも殴るに近い大陸の剣とは違い、戦いの観念からして洗練されている。それにこの美しい波紋。素晴らしい技術だ…」
 日本刀は『斬る』事に特化した武器だ。
 武器としての性能だけではなく、その精神性や美しさまで兼ね備えた武器はほとんどないと言っても過言ではないだろう。タイミングさえ合わせれば、銃の弾さえ斬る事が出来る。
 お互い沈黙していると足下でにゃーと猫が鳴き、ふっと辺りの空気が緩んだ。
 太蘭の視線を感じ、冥月は一つだけ咳払いをし刀を鞘に収める。刀の美しさについ語ってしまった。本当なら刀身だけではなく柄巻や鐔などについても話が出来るぐらい、冥月は日本刀に興味があるのだが、今日はそれを語りに来たわけではない。
「先日は急にゲームに参加させて悪かったな」
 ポーカーの事を話すと太蘭は子猫をひょいと抱きながら、くすっと一つ微笑む。
「いや、あれはあれでなかなか楽しかった。まずは上がってくれ…ここで話をするのは寒いだろう」
「ああ、詳細を聞こう」

 火鉢のある客間に通された冥月は、太蘭から仕事の内容を聞いて少しばかり唖然とした。それは太蘭が刀匠になったきっかけにも関わる話でもあったからだ。
「俺が刀を作っているのは『神殺しの刀』を打ちたいからだ」
「…それは大きな野望だな」
 世界各国に『神殺しの剣』の話はあるが、日本刀に関してはそういう伝説はほとんどと言っていいほどない。布都御魂(ふつのみたま)の話もあるが、それは刃が日本刀と逆の刃側に湾曲した剣だ。厳密に言うと日本刀ではない。
 しかしそんな物を作ってどうするつもりなのか…。茶をすすりながら冥月は少し息をつく。
「で、私に頼みたい仕事とは、それに関わるものなのか?」
 太蘭が頷く。
「先日作り上げた『七胴落とし』を奪いに、百鬼達がここに来るのでそれを退治してもらいたい。相手は実体だから、冥月殿の力でも対応できる」
 『七胴落とし』とはまた曰くありげな名だ。江戸時代には死罪になった罪人の体を使い試し切りをすることで「二つ胴」などと茎(なかご)に彫り込まれた物があるが、それが七つとは…本当に何処かで試し切りをしてみたのか、それとも単なる自信から来るものなのかは分からないが、わざわざ銘をつけたということは相当の業物なのだろう。
 床の間に置いてあった刀を、太蘭は抜いて見せた。
「これが『七胴落とし』だ。実際神が斬れるかどうかは分からんが」
 漆塗りの漆黒の鞘には翡翠で出来た縁飾り。柄巻や刀身も黒で統一されている。ただ刃の部分と銘の部分だけが白く浮き出て見える。
「もしかしてこの翡翠は、私がゲームの景品でやったものか?」
「そうだ。いい物だったので遠慮なく使わせて貰った…長い時間を掛けて作った刀だから、あっさり取られるのは癪に障る」
 確かにこれを短期間で作るのは無理だろう。
 太蘭の話では、百鬼とは言っているがやって来るのは物の怪達なので、冥月の力でも対処できるだろうということだった。そして…それらを率いているのは、力は弱いが神の眷属なのだろう。
「引き受けてもらえるか?」
 断る理由は全くない。冥月は湯飲みを茶托に置き頷く。
「いいだろう。だが、いざというときはその刀、使わせてもらうぞ」

 その日は月のない夜だった。
 辺りは妙に静まりかえり、冬だというのに風が全くない。それなのに身を切るような寒さだけがしんしんと満ちている。草木も静まりかえり、生きている者達は皆息を潜めているようだった。
 広い庭で冥月は七胴落としを持ったまま立っている。太蘭は猫たちを家に入れ、縁側の近くに立ってその様子を見ていた。
 目を閉じていても、冥月は闇の中に動く気配を感じている。太蘭の凛とした気配ではなく、小さくざわめきながら自分の腰に下げた刀に集まってくる気配と殺気…。
 キィ…キィ…。
 突然冷たい風が吹き抜け、木々がザワッと音を立てた。それを合図に冥月は目を開ける。
「………!」
 風を切る音すらしなかった。
 剣や刀の形をした影が、闇から物の怪達に襲いかかる。その斬れ味が鋭すぎるせいで、斬ってからややしばらく経たないと血も吹き出さない。
「今日は化け物相手だから、遠慮なく行かせてもらおう」
 普段なら襲いかかってくる者達に対しては、臨機応変に影の形を変えて対処するのだが、今日の冥月は全てを影の刀で切り刻むつもりだった。それは太蘭の刀匠としての技術に敬意を示したのと、この庭で戦うのなら刀がなじむと思ったからだ。
 物の怪達は、形容しがたい声を上げながら冥月が腰に下げている刀に手を伸ばそうとする。それを余裕の表情でかわしながら、容赦なく刃を振り下ろす。
「カタナ…カタ…ナ…」
「ヨコセ…ソレヲワタセ…」
 だんだん物の怪達の数が多くなってきた。襲いかかってくる爪や歯、鋭く飛ばされる衝撃波などは影で防いでいるが、数が多くてキリがない。百鬼とはいうものの、日本での「百」は数が多いという意味なので、実際はもっといるのだろう。
 ゆら…。
 身の毛がよだつ程の気配と共に闇が揺れ、辺りの物の怪達がざわめき始める。
「来たか。面倒事はとっとと終わらせるぞ」
 口元が笑いそうになるほどの緊張感。
 物の怪達がざわめいているはずなのに、風のない水面のような静寂が冥月の周りを包んでいた。
 そして闇の中から現れたのは、鎧甲に身を包んだ武士の姿…。
「貴様は何者だ」
「明かさぬ…」
 その刹那、冥月は影を使ってその武士の刀を受け止めた。受け止められるということは、相手は実体で攻撃しているらしい。鎬を削るような攻防が静かに繰り広げられる。
「くっ…」
 全面でお互いの距離を測りつつ、影の刃で武士を狙っても、物の怪達が己の体を使ってそれを食い止めてしまう。一度距離を測った方がいい、冥月は闇の中を移動し、合間を取った。
「何故この刀を欲しがる?」
「……我らに仇なす恐れがあるもの、残して置くわけにはいかぬ」
「これが『神殺しの刀』だからか?」
 パシッ!という音と共に、影が武士の刀を受け流す。
 喉が渇く。
 これほどの緊張感は久しぶりかも知れない。
 おそらく…これは自分の推測にしか過ぎないが、目の前にいる武士姿の者は神の一人なのかも知れない。日本には八百万の神がいるという。物の全てに神が宿るという考え方から来たものなのだろうが、その中には自分達に友好的な者ばかりではないのだろう。祟り神の中には己の名を明かさない者もいる。
「人でないのなら遠慮することはないな」
 人を殺すのであれば断っていただろうが、そうじゃなければ遠慮することはない。問題は物の怪達が邪魔をすることで、なかなか武士を斬ることが出来ないのだが、ここで決着をつけておくべきだろう。
「私は気が短いんだ。黙って去るか、私に斬られるか好きな方を選べ」
 腰に下げた七胴落としの柄に手を掛ける。
 それを見た物の怪達が、一つの塊になって地の底から響き渡るような叫びをあげ、冥月に襲いかかろうとする。その後ろにきっと武士がいるのだろう。
 まだ早い。我慢しろ。
 刀の抜きどころが早すぎれば武士まで刃は届かないだろうし、遅すぎれば自分が餌食になる。
「………!」
 滑るように刀が鞘から抜けた。その漆黒の刀身は、自分が斬るべき相手が分かっていると言うがごとく物の怪の塊に入り込む。そこに抵抗感は全くなく、水に落ちていくような感触だ。
 そして……。
「ぐわあぁぁ…っ!」
 その後ろから冥月を斬ろうとしていた武士を、七胴落としは構えていた腕ごとまっぷたつに切り裂く。物の怪達には抵抗感なく入っていった刃が、武士相手には己から噛みついていくように刃がのめり込んでいく。その斬れ味に冥月は賞賛と、ほんの少しの恐れを感じた。
 『七胴落とし』どころの話ではない。百鬼を斬り、神を斬る刀。
 この刀は、精神が脆い者が持つには危険すぎる。その斬れ味に酔い、刀に飲み込まれかねない。名刀だが…妖刀だ。
「まだ相手をするか否か。生き残っている奴は選べ…」
 武士が倒れたのを見て、残った物の怪達は不快な声を上げながらちりぢりになっていく。その闇の中、冥月は刀を鞘に収めまた目を閉じた。

「感謝する」
 武士が残した鎧のかけらを手にしながら、太蘭は安心したように縁側の戸を開けた。祟り神は、奉ることで守護してくれるという考え方があるので、太蘭はそれを神棚に奉るらしい。
 今まで脅えていた猫たちも、おぞましい気配が去ったので安心してやってくる。
 冥月は提げていた刀を返し、皮肉っぽく笑って見せた。
「思い通りの刀だったか?」
 縁側から居間に上がると、先を歩いていた太蘭は刀を少しだけ見て首を横に振った。
「いや。これはこれでいいが、思った物にはまだ遠い。次は『百鬼(なぎり)』という銘の刀でも打つか…気が向いたらの話だが」
「まだこの先を目指すのか」
 職人というのはこういうものなのか。『七胴落とし』だってかなりの名刀なのに、それでも満足いかないらしい。
「次はもっと面倒なのが来るぞ…とと、お前達は元気だな。怖いのがいなくなったから安心したのか?」
 足下でじゃれつく猫たちに顔を近づけるようにしゃがむと、冥月は影の中から猫缶を出し太蘭の方を見た。
「餌をやってもいいか?」
「ああ。腹も減っているようだ。わざわざ済まない…冥月殿も茶の一杯も飲んでいくといい。嫌でなければの話だが」
 嫌という事はない。猫たちがにゃごにゃご言いながら餌を食べる様子も見たいし、以前ゲームで、太蘭が一目見ただけで稀少宝石であるターフェアイトに気付いた理由も知りたい。
「そういえば、太蘭翁はターフェアイトを知っていたのか?」
「それか。宝石の知識も多少あるし、眼に魔力があるから詳しく見なくても分かる」
「それでか」
 真夜中の不思議なお茶会。
 またこういう機会はありそうな気がする。冥月が窓に目をやると、そこには『七胴落とし』の鞘のような漆黒が音もなく広がっていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
ナイトホーク経由で太蘭からの『危険な仕事』ということで、日本刀の話を書かせていただきました。太蘭が刀を打ち始めたきっかけも聞きたいと言うリクエストでしたので、何だかすごい野望をさらっと語ってます。一体何を斬る気なのかは、別の話と言うことで。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。