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■CallingV 【弟切草】■

ともやいずみ
【6073】【観凪・皇】【一般人(もどき)】
 もうすぐこの憑物封印も終わる――。
「終わる……」
 本当に?
 期待は大きく、疑いも強く。
 これが終わって……それでおしまいではない。
 自分は迷っている。まだ……決めかねている。不安が胸を占めている。それはこの国に来てからずっとだった。
 迷いは強くなっていくばかり。今まで切り捨ててきたものが多すぎるから……今さらという気もする。
CallingV 【弟切草】



 しとしとと、か細い雨が降る――。
 日が暮れてから降りだした、その夜の雨の中を観凪皇は歩いていた。彼はぼんやりとした瞳で唸る。
「う〜ん……やっぱりおかしい……身体の調子が悪いのかなぁ」
 感覚と動作にズレが生じている気がするのだが……これはどうすればいいのだろう? 病院に行くべきだろうか?
(神経のどこかが変とか……そういうものなのかな)
 医学を学んでいるわけではないので皇は自身の身体のことがよくわからない。どこがどういう風におかしいのか、きちんと説明できないのだ。
 と、足を止めて皇は眉間に皺を寄せた。
(って、それどころじゃない!)
 自分のことも少し心配ではあるが、それよりもまず今は……。
 皇は傘をあげ、空を見上げる。真っ黒な空には月も星も見えない。
(深陰さん……)
 忘れて、と言っていた。憑物封印を終えると死ぬから、忘れてくれと。
 そんなのは――。
(嫌だ。というか、俺としてはそのツキモノフウインとやらをやめて欲しいんだけど……)
 やめてくださいとお願いしたところで、深陰が素直に承諾するとはとても思えなかった。なぜなら、彼女はツキモノフウインをする為に日本に帰ってきたのだから。
 でも深陰が死ぬのは嫌だ。かなり嫌なのだ。
 ふと疑問になって首を少し傾げる。
(……というか、よく考えたらツキモノフウインの事をよく知らないんだよな、俺って)
 ツキモノフウインは深陰がしている仕事で……。だが、やはりよくはわからない。
 今でも思う。
 あの囁きは、本当は自分の聞き間違いではないのかと。
 どうすればいいんだろう。深陰に次に会った時、なんて言えばいいんだろう。なんて声をかけるべきだろう?
 考えすぎて頭が痛くなってくる。
 皇は額を手でおさえた。
(はぁ、頭こんがらがってきた……)
 とりあえず……次に深陰に会えたら自分の素直な気持ちを告げよう。そうするしか、きっとないのだ。
「――!」
 気配に気づき、皇はすぐさま顔をあげて振り向く。



 皇が駆けつけた時は全てが終わった後で、雨も止んでいた。深陰は巻物を閉じて、奇妙な表情をしている。不安そうな、それでいて……安堵したような。
 細い路地に立つ深陰は雨に濡れていた。深陰は皇の気配にやっと気づいたようで、こちらを振り向く。怯えたような瞳をしていた。
「あ……」
 小さく呟いた深陰は視線を彷徨させ、それから皇を見遣る。
「また……会ったわね。でも、これで最後よ、今度こそ」
 巻物を空中に消す深陰を見た皇は迷った。何から言えばいいだろう。どうすれば憑物封印をやめてくれる?
 早々に去ろうとする深陰を皇は腕を掴んで引き止めた。
「……離して。もう憑物封印は終わったわ。もう会うことはない」
「俺は深陰さんとお別れしたくないです!」
 言わなければ。チャンスはもう、きっとここしかないのだ!
「だ、だって」
 皇の頬が熱く火照った。
「俺、深陰さんのこと大好きですもん!」
 皇の告白に、深陰の瞳が大きく見開かれる。すぐさま辛そうな色が瞳を染める。
「俺にはツキモノフウインの事は何も言えません……事情があるでしょうし……。でも、それでも死んで欲しくないです!」
「…………」
 真摯に見つめる皇の目から逃げるように深陰は視線を逸らした。彼女は恐れるように呟く。
「……ごめんなさい……その願いは、きけない……もう、無理なのよ」
「無理って、どうしてですか?」
「…………軽蔑するわ、絶対に。
 ありがとう。好きになってくれて……。日本で最後にこうして……」
 深陰の言葉が止まった。
 路地の奥の闇から何かが恐ろしい速度で迫ってきた。
 漆黒の武器を振り上げたソイツは、深陰を目指して一直線に駆けて来た。皇には感知できないほどの速度……気づけないその刹那の時間で――!



 チリッ、とした痛みにも似た気配。それは深陰が忘れかけていた刹那の戦いの匂い。殺意の香り。
 間に合うか!? 振り向いても間に合わない!
 瞬時に判断された彼女の右手には漆黒の槍が握られている。得物が長いのでその分空気抵抗がある。だが相手との距離が長ければ有利だ。
 ――来る!
 反射的に右腕だけが先に相手の攻撃を受けた。遅れて身体が後ろを向く。
 槍から伝わる攻撃の響きに深陰は相手も長物で来たことを知った。
 振り向く。視界に入る。その前に攻撃が来る。受けろ。こちらが攻撃する前に相手は体勢を直す! 相手の武器が間合いに入るのは……。
 ガキッ!
 再び、身体に染み付いた反応だけで深陰は相手の攻撃を受けた。
(遠逆の退魔士!)
 驚愕するしかない。こんなに近い位置で攻撃なんて!
 相手の手に握られているのは刀だ。深陰の武器も刀に変化させている。
(――強い!)
 冷汗が出た。
 相手が再び攻撃してくる。視える! 視えるが回避できない! 受け流せ!
「くっ……!」
 相手は自分を殺す気だ。殺気がびりびりと伝わる。
 命のやり取りを、これほどの緊張感で行うのは久々だった。
 世界を歩き回り、色々なものを見、経験してきた。自分より強い者と戦ったことも何度かある。
 だが――。
(同じ流派だとこれほど……)
 これほど戦い難いとは!
 遠逆の強みは体術でも、武器を扱う技術でもない。
 自在に武器を変化させられることが強みだ。武器を扱って戦う者は、武器の間合いを考えてしまう。それを崩すことのできる遠逆の家は……恐ろしい。
 遠逆の奥の手とは、この武器のことだ。切り札なのだ。だがそれを躊躇なく使っているということは、知っているのだ。自分のことを。
(いや……知らないはず。だってわたしは、もう抹消されて……)
 深陰の視界に入った相手は、17歳くらいの少女だった。赤茶の髪の、袴姿の少女だ。
 見覚えのある顔だった。日本に帰ってきて立ち寄ったあの場所で、氷の中に閉じ込められていたあの――。
 続けて攻撃を受ける。なんという速さだ。
(はっ、速い! どの攻撃も全力で……!)
 こんな戦い方ではスタミナがすぐになくなってしまう!
 普通の人間の目では一撃に見える。だが深陰の目にはそれは五回の攻撃として映っていた。
 どれも急所を狙ってきている。迂闊に受ければ瀕死になる傷を負わせるものばかりだ。
 距離をとらないのはこちらに反撃をさせないためか。
(っ!)
 眉間を狙った一撃を弾き、深陰は後方に退がろうとする。だが相手がさらにこちらに踏み込んできた。
(ダメだわ。こいつ、『そういう』訓練を受けてる……! 長期戦タイプじゃない!)
 暗殺者タイプの戦士だ。相手を一撃で必ず殺す気合い。目で追えても防げない速度を重視する戦い。
 狭い路地で戦うには不利だ。もっと広い場所に……。
 足元の水溜りなどものともせずに相手の少女は攻撃を絶えず仕掛けてくる。その全ての攻撃を深陰はぎりぎりで受けていた。ますます相手の攻撃の速度があがる。
(っ、ま、まずい……!)
 深陰と少女の間には決定的な差がある。それを深陰は痛感していた。
 勝てない。わたしではこの少女に勝てない。
 彼女の瞳を見てみろ。生命力に溢れているじゃないか。生きるために必死の者の目だ。
 深陰は表情を歪めた。
(勝てない……! だってわたしは……)
 死にたいと願っている者が、勝てるものか!
 どうしてそんなに必死なの? どうしてそんなに強い意志を持てるの?
 迷いが生まれた深陰は、それでも身体に染み付いた反射で攻撃を受け流す。ああ憎い。この身体が憎い。
 長期戦になれば勝利はこちらに傾くだろう。むざむざここで殺されるわけにはいかなかった。だが勝てないのはわかっている。ならば方法は一つしかない。……逃げるのだ。
 深陰は瞬時に思考を切り替えた。逃げる。もう決めた。
 だがこちらの顔色を見た相手が目を細める。どうやら気づいたらしい。戦う意志がないことに。
 少女は深陰から距離をとるべく後方に退がった。鮮やかな身のこなし。さすがと賞賛したい気持ちだ。
 彼女の標的がすぐさま変わる。今まで視界に入れなかった男のほうを見遣った。
 ゾッとした。寒気が背筋を駆ける。
 少女の持つ漆黒の武器が薙刀に変化した。一瞬で足の向きが変わる。そう、それは皇に向いていた。
 彼女が踏み出す。マズイ、と思った。皇では避けられない。避けられない!
「皇!」
 叫んだ深陰も走り出した。つま先に力を込めて、加速をつけるしかない。間に合うか? いや、間に合わせろ!



 深陰の戦いに目が追いつかなかった。突然の敵の来訪に皇は混乱していた。
 だから。
 刺客の少女の目が唐突にこちらを向いた時、その殺意の鋭さに動けなくなった。殺される……殺される!
 次の瞬間、ドッ、と重い音がした。
 鈍い衝撃に皇はよろめく。
 皇はゆっくりと視線を下ろした。
「…………深陰さん?」
 目の前に深陰が居る。彼女が受けた衝撃がそのまま皇に伝わったのだ。
 深陰の心臓を刃が貫いている。彼女は皇を庇ったのだ。
「深陰さ……!」
 皇の叫びと同時に、彼女の首が目の前で刎ね飛んだ。刺客の少女の刃が、一撃で頭を胴から離したのだ。
 顔に深陰の血が飛び散る。皇はその温かさに表情が引きつった。
 深陰の首がどん、と無造作に落ち、胴体がゆっくりと倒れていく。だが刺客の少女はその、首のない肉体の四肢もバラバラに斬った。まるで料理でもするように、美しく。
 ビッ、と武器を振り、血を落とす。美しい刺客はすぐさまきびすを返して闇の中に消えていった。足音も立てずに。
 しばらく皇には音という音が聞こえなかった。やっと気づいた時に聞こえたのは、遠くから響く犬の鳴き声だった。
 皇は足もとを直視できなかった。
 見下ろせば転がっている。深陰の……バラバラになった手足や、首が。
 見たくない。見たくない。見たくない……。
 皇はいつの間にか傘を落としていた。彷徨わせていた瞳を、ゆっくりとゆっくりと下げていく。
 嘘だ……。
 憑物封印を終えたら死ぬはずだ。まだ死ぬはずない。彼女が死ぬはず……。
 だが現実は、足元を血の混じった水溜りが占めている。
 あまりの強い衝撃に皇は地面に崩れ落ち、深陰の成れの果てに手を伸ばす。嘘だ。夢だ、きっと。
 伸ばした手は深陰に触れる直前で止まる。転がっている右腕が、その指先が震えて動いた。そしてすぐ傍の胴体まで緩やかに動いた。磁石で引き寄せられるように近づいていく。奇妙な光景だった。
 腕はやがて右腕があった場所に到着して、くっつく。切断された箇所からは煙があがり、再生が開始された。
 腕だけではない。足も、左腕も集まってくる。切断された一番大きな肉体が呼び寄せているかのようだった。
 首のない身体が完成し、四つん這いになって動き出す。転がっている首に右手が伸ばされた。
 首を拾い上げると、切断箇所に持ってきてぐっ、と押し付けた。そこから煙があがってこちらも傷を再生し始めた。止まっていた心臓が再び鼓動を開始する。
「いた……ぃ……。死な……せて……もう、死なせてよぉ……」
 悲痛なうめきが深陰の唇から洩れた。涙を流し始める。
「もう許して……死なせて……」
 嗚咽を交えて言う深陰の肉体からは傷が綺麗に消え去り、立ち昇っていた煙もなくなる。多量の出血で顔色が悪かったはずの彼女は、みるみるうちに血色が良くなる。
「深陰さん……?」
 皇がそっと声をかけると深陰はしばし沈黙してから振り向く。そして苦々しそうに顔を歪めた。彼女はすぐに自嘲的に笑った。
「気持ち悪いわよね……。
 ………………わたしはね、もう350年以上もこの姿のまま生きてるの。老いることも、死ぬこともできずにね」
 驚きに目を見開く皇。
 深陰は囁く。
「――知りたいなら、わたしのこと……教えてあげる。それでもわたしのことを好きだって、言えるかしら――――?」



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6073/観凪・皇(かんなぎ・こう)/男/19/一般人(もどき)】

NPC
【遠逆・深陰(とおさか・みかげ)/女/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、観凪様。ライターのともやいずみです。
 深陰の秘密の一端が明らかにされました。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!