■CallingV sideU―Nerium indicum―■
ともやいずみ |
【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】 |
駆け去ってからしばらくし、歩調をゆっくりなものにする。
強かった……だが、勝った。勝ったのだ。これで……これで帰れる!
「…………」
ふと、数日前に受け取った手紙の内容を思い出す。
最近東京に現れるという「遠逆」の名を語る者を始末しろ、ということ。
家に帰って来いということ。
どちらも嫌だ。どちらも嫌なのだ。
だが、選択権などない。
胸元を衣服の上から掴み、激痛に耐える。汗が流れた。前屈みになる。意識が朦朧とした。
(いた……い……)
どしゃ、とその場に転倒する。両手を地面について起き上がる。それすらもかなりの苦痛だった。
ふと奇妙なことに気づいた。
服に血がついている。それに指と手にも。
「……?」
おかしい。相手からの攻撃は受けていないはずだ。返り血も浴びていない。ならどうして……?
視界が霞んだ。頭を振って意識をはっきりさせようとするが、無理だった。
「……早く……帰ら、なきゃ……」
呟きは小さく。
そのまま、意識を失って倒れてしまう。じわり、と血が衣服にさらに滲んでいた。
意識がないので自分がどんな状況にあるのかわかることはなかった。赤黒いミミズ腫れの紋様が肌に浮かび、その形に皮膚が裂け続けていた。そこから血が流れていく。だから手も衣服も赤く染まって――。
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CallingV sideU―Nerium indicum―
手に小さな箱を持つ。自分でプレゼント用にと包装紙で包んだので少し不恰好かもしれない。
菊坂静は意気揚々と病院に向かう。
やっと自分の家の合鍵ができた。これを欠月にプレゼントするのだ。
胸をどきどきと高鳴らせ、静は微かに頬を染めて小さく息を吐いた。
どうやって渡そう。なんて言えばいいんだろう。家で何度か練習したけど、うまくいくだろうか。
「えっと……この鍵は『一緒に住みましょう』って意味じゃなくて」
口の中で小さく、本当に小さく呟く。周りを歩く人たちに変に思われないように声はできるだけ抑えた。
(一緒に住めたら……嬉しいけど)
学校から家に帰ってきた時、「おかえり」と言ってもらえる生活が羨ましいのだ。欠月に笑顔でそう言われたら、一日の疲れなど吹っ飛ぶことだろう。
「僕……欠月さんが兄だ家族だって口だけだったから……だから合鍵は……僕にとって欠月さんが本当に家族と同じ存在だって証で…………だから、受け取ってくれたら……」
嬉しい。
口の中でもごもご言う静は溜息をつく。あれだけ練習したのに、いざ欠月の前に立つと緊張するのが目に見えていた。
からかわれるだろう、きっと。でもそれでも、悪い返答はしない……と思ってしまう。
信号が青になったので横断歩道を渡る。ああ、もうすぐ病院だ。
*
「……面会謝絶?」
受付で静は呟く。
「え? で、でもこの間は元気だった……はずですけど」
間違っているんじゃないだろうか、別の誰かと。
そう思いながら受付にいる看護師に言うが、彼女は「いいえ」と否定した。
「遠逆欠月さんは確かに面会謝絶になっています」
「えっ、ど、どうして!? 状態が悪くなったんですか!?」
想像ができない。肉体と魂が離れるだけのはずだ。それにこの間会った時は充分元気だった。
欠月はいつもの個室に居るようだった。だがその部屋からは信じられないような声が響いてきた。
悲鳴と、獣のような唸り声だ。
部屋に続く廊下の端に立つ静は後退りをしそうになる。
あれは間違いなく欠月の声だろう。だがアレが? と思う。
狂ったような声が廊下に反響した。それは個室のドアが開いたままだからだ。
「嘘……」
呆然と佇む静は、今の呟きが自分のものとは思えなかった。
どくんどくんと心臓の音が大きく聞こえる。耳が痛くなった。
そっと歩き出す。足音をたてないようにしていることに気づかず。
もうすぐドア、というところで、部屋から出てきた看護師とぶつかった。静に驚くがすぐさま言う。
「この部屋の患者は面会謝絶よ」
わかってます、と返事をする前に部屋の中が見えた。
ベッドにベルトで拘束されている欠月は、その全身に包帯を巻き、患者服姿だ。いつもは私服なのに。
包帯も患者服も赤と白のまだら模様である。ベッドの上で悶えている欠月は目を見開き、血を鼻と口から垂れ流す。
どうして。
(欠月さん……?)
足もとから寒気が這い上がってきて静は口元を手で押さえた。そのままきびすを返してトイレまで走る。
トイレに駆け込んで個室に入った。
その場に跪くような姿勢で静は胃の中のものを吐き出す。幼い頃に失った家族のことを思い出してしまったのだ。
嘔吐は止まらない。胃の中のものを全て出しても胃液を吐く。
洋式の便座に手を置いたまま、静は咳き込む。涙が滲んだ。
酷い。
あの状態の欠月の姿が、目に焼き付いている。
普段はいつも笑顔で、我慢強いと本人も言っていたのに。どんな痛みにだって耐える精神的な強さを持っているはずの欠月が、あんな……あんな悲鳴まであげて。
ミイラ男のような出で立ちであった欠月に一体なにがあったというのか……。
「うっ」
込み上げてきた吐き気に静は再び口を大きく開いた。
*
嘔吐感がやっと収まり、静は欠月の部屋のドアの前に突っ立っていた。
廊下は先ほどと違って静まり返っている。欠月の部屋からも物音一つしない。
(さっきの出来事が……嘘みたい……)
嘘であればいいのに。
静は面会謝絶のことを思い、差し出した手を引っ込めようとした。だが周囲を見回し、誰もこちらを見ていないことを確認して中に入る。
夢ではなかったと、思い知る。
寝息をたてている欠月は新しい包帯と患者服に替えられていた。前に会った時より一回り痩せている。
ベッドの上に拘束ベルトで縛り付けられたままの欠月の顔は包帯でほとんど見えない。微かに見える目元と口元が、逆に痛々しさを増していた。
「欠月さん……」
小さく話し掛ける。
「面会謝絶なのに……ごめんなさい、入ってきて」
体が震える。欠月を起こしてしまうかもしれない。けれども抑えきれなかった。
「何が……あったんですか……? ど、どうしてこんな酷い事……」
静は力なく笑う。涙が零れそうになった。
よろよろとベッドに近寄り、すぐ傍にあったイスに腰掛けた。いつもは、ここに座って欠月と楽しく話しているはずなのに。
溜息をつく。
どうしてこんなことになったんだろう。鞄の中にあるプレゼントのことも、もう頭にはない。
一体いつ、静の平和な日常が崩れたのだろう。原因に心当たりがない。
静は欠月が目覚めるまで彼をじっと見つめていた。欠月が目覚めたのは、それからきっかり30分後だった。
ゆっくりと瞼を開けた欠月は「あれぇ」と呑気な声を出す。首だけ動かして静のほうを見た。
「……おかしいなぁ。面会謝絶になってなかった?」
「黙って入ってきました」
「そう。あーあ……キミに見られちゃったな」
明るく言う欠月は笑おうとするが、それができないようだった。顔にも傷があるのでうまく笑えないのだ。
「……泣いてるの?」
囁く欠月の言葉に応えられない。涙が止まらないのだ。
「な、んで……なんでこんな……」
「…………」
「欠月さんが何をしたって言うの!」
膝の上の拳を握りしめ、静が押し殺したように言う。
「どうしてこんな目に遭わなきゃいけない!」
「……静君。それは、僕が遠逆家の所有物だからだよ」
残酷な言葉に静は動きを止める。欠月は天井を眺めていた。
「ある人物を殺せと命じられたんだ。その命令を実行した。そうすれば、実家に帰らなくても文句は言われないからね」
「帰る?」
「うん。でも帰るのは急いでないみたいだったんだけどな……。ほら、ボクってここに半年以上居るでしょ? 放置されてた理由は、こんな状態になってわかったんだけどね」
「どういうことですか?」
「……僕ね、身体と心臓にどうやら変な仕掛けをされてるみたい」
静が青ざめた。
それが原因でこんなことになっているのか!?
「帰るのを拒否してるから、手荒な手段になったみたいだね。遠逆の家は、いつでもボクを殺せたから放っておいたんだよ」
「欠月さんは……欠月さんは玩具じゃないです!」
「……遠逆にとってはボクはオモチャだよ」
それは事実だろう。
ひっ、と喉が引きつった。静はぼろぼろと涙を零す。両手で必死に涙を拭う。
欠月は困ったように眉を下げる。
「……だから知られたくなかったのに。キミは絶対に泣くと思ったんだよね」
「欠月さん……」
「悲しい顔をさせるつもりはなかったのに。ごめんね」
「どうして欠月さんが……っ、謝るんですかっ」
欠月のせいではないのに。
いつまでたっても泣き止まない静を欠月は見つめていた。
「静君、ボクね、実家に帰るよ」
「え……」
静が顔をあげる。信じられないという瞳で見ると、欠月は苦笑しようとした。だが、笑顔は歪になる。
「抵抗するのが疲れたわけじゃないよ。ここに居ると……キミが苦しむしね」
「欠月さん……」
「帰ったらもうあの家から出してもらえないと思うけど、帰らないことにはこの『発作』は止まらないから」
「発作って……あの、」
「皮膚が裂けちゃって出血がね……。ま、それだけじゃないんだけど」
欠月が悲鳴をあげていた様子を思い出す。静にすら想像がつかないほどの激痛なのだろう。欠月はおそらく、それに今までずっと耐え続けていたのだ。
「一回ね、ベッド壊しちゃって……だからこうして縛られてるんだけど。発作って、いつ起きるかわからないんだよ」
「…………欠月さん、窮屈じゃないんですか? 外しましょうか?」
「いいよ。物を壊すのってあんまり好きじゃないんだよね。勿体無いじゃない?」
こんな時でも明るく喋る欠月が可哀想だ。
静は涙を拭って尋ねた。
「発作って、どのくらいの間隔で起こってるんですか?」
「そうだね……どんどん間隔は縮まってる感じはするけど。一日に数回はあるよ」
「…………」
愕然とした。
あんな発作を一日に何度も? 欠月の腕が細くなっている理由がわかった。抵抗するのにも体力をかなり使うのだろう。それでは痩せてしまうに決まっている。
(……このままここに居たら欠月さんが死んじゃう……)
家に帰っても欠月が無事でいられるという保証はない。だがここに居ても欠月には苦痛が襲うだけ。
「こんな姿を見続けたら、キミのほうが参っちゃうからね……。ごめんね」
「謝らないで!」
静は叫んだ。
「欠月さんは悪くない!」
「……ありがと」
なんでだ。
なんで欠月ばかりこんな目に遭う!?
また泣きそうになってしまい、静は立ち上がった。
「あ、ち、ちょっと顔を洗ってきます」
個室から出て、静は廊下をとぼとぼと歩いた。
「……いやだ……」
唇を噛み締めながら。
「……いやだ……ころさないで……」
立ち止まって両手で顔を覆う。だがすぐに歩き出す。なるべく顔を壁に向けた。泣き顔を誰かに見られないようにするためだ。
「……お願い、だから……」
欠月さんを、たすけて……。
最後の一言は声にならなかった。掠れてしまったのだ。
こんなところで声に出したとして、その願いは誰が叶えてくれるというのだろうか。
欠月は遠逆家に命を握られているのだ。彼は帰ることしかできないのだ。他に選択肢はない。
(欠月さんは……家に帰るのが嫌じゃないのかな……)
その答えは、すでに出ているのではないか。彼は半年間も戻る様子を見せなかったし……帰るのを拒んであの発作に苦しんでいたのだ。
静は鼻をすする。顔を洗って、早く戻ろう。早く――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【5566/菊坂・静(きっさか・しずか)/男/15/高校生・「気狂い屋」】
NPC
【遠逆・欠月(とおさか・かづき)/男/17/退魔士】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、菊坂様。ライターのともやいずみです。
満身創痍の欠月との対面、いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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