■某月某日 明日は晴れると良い■
ピコかめ |
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】 |
興信所の片隅の机に置かれてある簡素なノート。
それは近くの文房具屋で小太郎が買ってきた、興信所の行動記録ノート……だったはずなのだが、今では彼の日記帳になっている。
ある日の事、机の上に置かれていたそのノートは、あるページが開かれていた。
某月某日。その日の出来事は何でもない普通の日常のようで、飛び切り大きな依頼でも舞い込んだかのような、てんてこまいな日の様でもあった。
締めの言葉『明日は晴れると良い』と言う文句に少し興味を持ったので、その日の日記を読んで見る事にした。
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某月某日 明日は晴れると良い
バレンタインデー決戦
作戦会議の場は近くの喫茶店。
こんなシャレた店には小僧も入ってくるまい。
「……では、私はどうすれば?」
深刻な顔をしているユリが黒・冥月の前に座っていた。
小太郎のことについて、ユリが相談を持ちかけたのだ。
切り出しは先日の狐騒動の時、小太郎がユリにかけた台詞。
『これからは俺が守るから。きっと、絶対』
恋するユリは好きな男からそんな事を言われて、初々しい事に一晩眠れなかったと言う。
小太郎のほうは一つの決意を元に、とは言えユリの期待とは大きく外れた意味で言ったのだろうが、受け取った側は違う。
とても嬉しく思い、とても期待していたのだ。
それを何となく悟りながらも、冥月は茶化さずに答える。
「どうするもこうするも、まずはお互い好き合ってることを確かめなければならんだろう。それを手っ取り早く確かめるには告白だろ」
「……こ、告白ですか」
ユリの喉がゴクリと鳴る。
彼女だって今までそんな事を考えなかったわけではない。
だが朴念仁の小太郎の事だ。告白したとして、期待できる答えは持ち合わせていないだろう。
「……大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫かどうかは……微妙な所だろうな」
とは言え、何もしないのでは何も解決しない。
小太郎が動かないのであれば、こちらから動くしかないのだ。
「まずはやってみる事だ。小太郎もあれでまったく気が無いという事はあるまい」
「……そうでしょうか……?」
勇気づける冥月の言葉だが、ユリの方は浮かない顔をしている。
「……小太郎君は、私を好きになってくれるでしょうか?」
「なってくれる、では弱い。好きにさせる、ぐらいの気概で行け」
「……は、はい」
ユリはいざ事に及ぶと弱腰になってしまうタイプだろうか? 戦闘の時は寧ろ、小太郎よりも冷静なくせに。
冥月は一つため息をついて言葉を継ぐ。
「いいか、ユリ。まずは告白だ。私は何度も告白してフラれて来たが諦めなかったぞ。互いの気持ちを確認して、それから全てが始まるんだ」
「……冥月さんから告白を? 積極的なんですね」
少し意外だったのか、ユリはキョトンとした顔で冥月を見た。
改めて言われると照れくさい事もない事も無いが、だが、それもまた良い思い出だ。
「……そうですね、私、やって見ます」
「そうか。よし、それなら今度、道場に来い。小僧と二人きりにしてやる」
ユリの決心がついたところで、冥月の顔にも笑みが浮かぶ。
何と言っても冥月も女性。コイバナは大好物なのである。他人のならばなおさらだ。
他人の恋は蜜の味、なのである。
「……その前に冥月さんの話を聞いても良いですか?」
「私たちの話はあまり参考にならんと思うぞ」
「……『私たち』……良い響ですね」
それからしばらく、喫茶店で駄弁っていた。
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バレンタインデー当日。この日が決戦の日だ。
「……お、お邪魔します」
ユリは道場の前で一礼し、中に入った。
それに気づいた小太郎がユリに駆け寄る。
「よぉ、ユリ。何でここに?」
冥月と先に稽古していた小太郎は少し疲れ気味だったが、ユリに向ける笑顔はそんな疲れを見せない。
ユリを心配させない気遣いだろうか? それともユリの顔を見て疲れも吹っ飛ぶ?
自分で恥ずかしい事を考えている事に気づき、ユリは顔を染めて俯いた。
「……あ、あの、冥月さんに呼ばれて、見学に」
「師匠が? 俺は聞いてないぞ?」
「サプライズゲストだ。こういう事をしていればお前も滅多な事は言うまい?」
「……滅多な事?」
「なんでもない! し、師匠!」
小太郎に睨まれ、冥月はからかうように笑っていた。
だが、ユリの顔を見てすぐ咳払いを一つする。
師弟の秘密の会話が羨ましかったのか、小太郎に負けず劣らずの殺気をもって冥月を睨んでいた。いや、無意識の内だろうが。
「さて、小太郎。稽古に戻るぞ。……ユリの前で無様なのも嫌だろう。普通の組み手にするか」
「ば、馬鹿にすんな! 今日こそ師匠の身体に触れると意気込んできたんだぞ!」
小太郎の言葉に、耳聡くユリが反応する。
「……身体に触る?」
「い、いや! 別に変な意味じゃなくてな!」
「……どうだかわかりませんね……。興信所の屋上での事もありますし」
雫主催(?)の尻殺り合戦の事だ。確かに、あの時の小太郎はヤバかったろう。
「あれは誤解だっつの! あれは仕方なくだな……!」
「……仕方ないにしろ、女性のお尻に触ろうとしたことは認めるんですね?」
「どういえば良い!? どう弁解したら良い!?」
痴話喧嘩、と言うより尻に敷かれた亭主の必死の言い訳、だろうか。
そんな様子を見かねて、冥月が声をかける。
「どうでも良いから早くしろ。ユリはその辺に座っててくれ。あまり近付くと危ないぞ」
「オス」「……はい」
納得のいかない様子のユリだったが、静かに壁の際に座った。
その視線を受けて、小太郎はとても背筋を冷やしたに違いない。
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攻防が加速する。それを傍で見ているユリも理解していた。
最初はユルユルとスタートした冥月と小太郎の組み手も、今見てみれば最初とは全然違う。
打ち合うスピードが違う。
最初は一つ一つ確かめるようにぶつかる音が聞こえていたのに、今は断続的というか、音と音の間に間隔はほとんど無い。
動きの派手さが違う。
最初は二人とも地に足を付けながら打ち合っていたのに、今では小太郎がやたらと振り回されているようにも見える。
二人の表情が違う。
戦う者がよりハイレベルな戦いを楽しめればこういう顔になるのだろう。それだけ小太郎の戦い方も向上しているという事か。
……だが、それが気に食わない。
なんだろう、この疎外感。ユリは正座しながら二人を観察し、時間が経つごとに表情から色が失われている。
だんだん仏頂面になり、だんだん背負っているオーラがよどんでいく。
それに気づきながらも、冥月は小太郎と打ち合うのをやめない。
最近、成長が見られるようになった小僧と打ち合うのはそれなりに楽しい。
刺激の少ない生活ながら、ふと見つけた楽しみを易々と棄ててしまうのは惜しい。
惜しいのだが、これ以上ユリに睨まれているのも辛い。
これは早々に切り上げた方が良いのだろうか。
そう思って苦笑しながら、冥月は小太郎に話しかける。
「そうだ、小太郎。今日はバレンタインデーだが、チョコは幾つ貰った?」
ユリの顔がハッとなる。バレンタインデーの言葉に我を取り戻したらしい。自分のしていた顔に気付いただろうか?
「ふ、四つだよ」
「四つか……どう反応して良いやら、微妙な所だな」
「別に特別な反応なんか期待してねぇよ! っていうか、貰った俺が困ってるぐらいだ」
小太郎の言葉を聞いてユリの肩が震える。
チョコを貰って、小太郎は困るのだろうか?
「困る? どうしてだ?」
ユリの気持ちを冥月が代弁すると、小太郎は罰の悪そうな顔をして呟くように言う。
「チョコを渡されると一緒に告白されたんだよ。本命チョコっつーの? でも俺、好きでもない娘とは付き合えないよ」
大地雷。それを踏んだ小太郎はその爆音にも気付いてすらいまい。
小太郎の言葉を聞いてユリの緊張が高まる。今、この瞬間にも本命チョコを抱いているユリだ。小太郎からそんな話をされれば嫌でも身体が震えだす。
「……なぁ、小太郎。発言するにはもっと考えてからの方が良い」
「あ? なんだよ、いきなり?」
「お前にはもう少し別の訓練も必要かもな」
そう言って次の訓練内容を構築しなおす冥月に、小太郎はニヤついて尋ねる。
「で、師匠は幾つ貰ったんだよ? さぞモテたんだろ」
「ん? そうだな。……確か、結構な量を貰ったはずだ。それに一つ一つもチョコレートケーキとか、でかくてな。持ち帰るのに苦労した」
然も無げに答える冥月を見て小太郎は少し言葉をなくし、動きを止めた。
「……あれ? 師匠、何かいつもと反応違くね?」
「どういう反応を期待したんだ、小僧」
「ヒント、バレンタインデーは女性が男性にチョコをプレゼントする日です」
小僧の頭の中では友チョコなんて言葉も浮かんではいまい。
今は女性が女性にチョコをプレゼントするのも、そう珍しいものでもない。
だがまぁ、言わんとすることはわからんでもない。
「つまり、お前はどういう反応を期待したんだ、小僧?」
質問を重ねると、小太郎はにこっと笑って言う。
「あれ、やっぱ師匠って男なんじゃね? 何の違和感も持って無さそうだし」
「黙れ」
冥月のミドルキックが強烈にヒットした。小太郎は俄かに宙を舞い、そしてドサリと床に伏した。
「……これで今回の特訓は終わりだな」
「お、オス、お疲れ様でしたー」
倒れた小太郎にユリが素早く駆け寄り抱き起こしているが、小太郎一人で起き上がる力は残っていないらしい。
ちゃっかり膝枕をし始めるユリを見てクスリと笑い、冥月は影の中からチョコを取り出し、小太郎に放って渡した。
「ん? 何だ、これ」
「手作りチョコだよ。ハッピーバレンタイン」
ハッピーの欠片すら匂わせない冥月の台詞を、小太郎は鼻で笑いながらその箱を開ける。
簡素な箱の中には何やら文字が書かれたチョコが。
「……? ……?? ……師匠、これ、なんて読むんだ?」
フランス語で書かれたその文字を、小太郎が読むのはまず無理だろう。
中学でも英語は不得意。フランス語は習ってすらいないのだ。読めたのなら何かカンニングを疑うべきである。
その小太郎の様子に、冥月は悪戯っぽく笑って言う。
「愛しい人へ、だ」
「は?」「……な、何言ってるんですか、冥月さん!!」
小太郎よりも過剰反応したのはユリ。
だが怒ったユリの様子も、冥月は笑って受け流し、小太郎に尋ねる。
「どうだ? 嬉しいか?」
「男に『愛しい』って言われてもなぁ」
「もう一発喰らいたいらしいな?」
「いえいえ、滅相もございません」
軽口が叩ける辺り、どうやらまだ余裕があるらしい。鉄拳一発くらいぶち込んでも良いだろうか?
だが、あまりからかうのも、ユリの手前では悪いだろうし、冥月はさっさと道場の出口に向かう。
「ホントは『義理』だよ。フランス語で『義理』だ」
「まぁ、そんな事だろうとは思ったけどさ」
答えを聞いても反応が薄い小太郎を見て、冥月はもう少しからかっても良かっただろうか、などと思ったが、それはこの次の機会でも良いだろう。
ユリに目で合図し、道場を去る。
その合図を受け取ったユリは、小さく頷いていた。
「シャワーを浴びてくるから、小僧を頼んだぞ、ユリ」
「……は、はい」
頷きは小さかったが、その目に決意が見えたので、心配はなかろう。
今日は恋が成就する特別な魔法がかかった日。きっとユリの想いも伝わるだろう。
冥月は出掛けにロケットを掴む。
「私が本命チョコを作ることは、もうあるまいな」
呟きながらその手に視線を落とした。
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冥月の冗談は一種の突破口だった。
本命チョコと偽って渡された小太郎の反応は、ユリの目から見て『まんざらではない』。
他の女性に気があるのか! とは思ったものの、重要なのはそこではない。
誰か知らない女性から貰った本命チョコは『困る』。だが冥月ならば『まんざらではない』。
この違いはとてつもなく重要だ。
そして小太郎の台詞『好きでもない娘とは付き合えない』。
という事は、逆を返せば『好きなら付き合うよ』という事ではないか!?
となれば、まだユリにも勝機はある!
「……あの、小太郎くん?」
「ん? 何?」
もぐもぐと冥月から貰ったチョコレートを食べる小太郎に、ユリが話しかけた。
小太郎はまだ立ち上がれないのか、ユリの膝枕に甘えている。
「……冥月さんから貰ったチョコ、おいしい?」
「ん、まぁ、おいしいな。でも俺はもう少し苦い方が好みかなぁ」
「……そ、そう」
ユリの『小太郎はビターチョコの方が好み』と言う鑑定はどうやらあっていたようだ。
それに少し嬉しがるユリだが、それは表情に出さない。出せない。
緊張しているのだ。これから一世一代の告白をするとなると、自然に身体が震え始め、喉が閉まるような間隔に陥る。
この震えは、膝に頭を乗せる小太郎にも伝わっているだろうか?
この苦しさは下から顔を覗いている小太郎も感づいているだろうか?
そんな事を考えると、気恥ずかしくなってユリは視線を逸らした。
「なぁ、ユリ?」
「……え? あ、なに?」
突然小太郎に声をかけられて、ユリは慌てて返事をした。
「ユリってさ、俺と二人の時は『です』とか『ます』とか言わないよな?」
「……そ、そうね。そうしてる」
気付かれてた。自然を装ってたのに、わざとらしかっただろうか。
ユリは小太郎と二人きりの時はいつも素の自分で話をしていた。
いつもの礼儀正しい喋り方は余所行きだ。好きな人の前では素の自分を曝け出しているのだ。
いや、まぁ、その人が好き! とまでは自分を曝け出せないようだが。
「……イヤ、かな?」
「いや、別に嫌じゃない。最初会った時はそれが普通だったろ? 俺にはその方が馴染みあるな」
「……そ、そう」
嫌じゃない、なんて普通の言葉がここまで嬉しく思えるとは思っても見なかった。
ユリの心にふと温かいものが灯る。
「でも、なんで俺と二人の時だけなんだ?」
「……どうしてかしらね」
小僧の鈍感具合にその温かいものもすぐに消えてしまうようだった。
だが良い調子だ。世間話から良い感じで『それっぽい』話に移行しつつあるのではないか!?
このまま行けばスムーズに告白タイムに移れるのでは!?
「うわー、チョコうめー」
と思ったら話題が逆行し始めた。
冥月から貰ったチョコをボリボリと食べ続ける小太郎。話題の最初まで引き戻されるとは思っていなかった。
どうにか元に戻さなくては……!
「……ね、ねぇ、小太郎く」
「いやぁ、何で師匠ってあんな何でも出来るんだろうな?」
「……え?」
だが話はあらぬ方向へ逸れ、どんどんレールを外れていく。
「チョコも美味いし、強いし、美人だし? 才色兼備ってヤツ? 天は二物を与えず、なんて嘘だよなぁ」
「……そうね」
「その上、背も高いなんて……クソっ!」
本当に、この少年のこんな所はどうにかして欲しいものだ。
師匠に羨望を抱くのは良いが、ユリの前でそれを吐き出して欲しくは無かった。
これでは、小太郎に本命チョコを渡したと言う見知らぬ娘にも同情の念を抱いてしまいそうだ。
「後はもっと俺をからかわなくなると良い」
「……そんなに師匠が大好き『です』か」
ユリが何の前兆もなしに立ち上がる。当然小太郎の頭はゴスンと床に落ちた。
「痛てて、ユリ! いきなりなんだよ!?」
「……そんなに師匠自慢がしたければ他所でやってください。私は失礼します」
「あれ? ユリ? 何か口調おかしくね?」
「……これが私の素ですよ?」
立ち去るユリが見せた表情は、小太郎を髄から冷やすような恐ろしいものだったとか。
そのままユリは道場から出て行ってしまった。
残された小太郎は呆然としていたが、コツンと手にぶつかるものを感じでそちらを見てみたら、そこには可愛く包装されたチョコが。
「……美味いじゃん」
中に入っていた不恰好なトリュフを食べ、小太郎は呟いた。
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「何故それをユリの前で言えないものかな、あの小僧は」
道場の陰で様子を窺っていた冥月は小さくため息をついた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
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■ ライター通信 ■
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黒・冥月様、シナリオに参加してくださりありがとうございます! 『嫉妬するおにゃのこを書くのは楽しいなぁ!』ピコかめです。
ユリの恋路はかくも険しく、されど応援してくださる方が居ればきっと……。
今回はかなり裏方的な役回りでしたがいかがでしたでしょうか?
可哀想なユリの為に色々お膳立てをしたものの、それをぶち壊すのが小太郎クオリティ。
いつか小太郎が影の剣か何かでグッサリ刺されないか心配なものです。
では、気が向いたらまたよろしくお願いします!
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