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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【6777】【ヴィルア・ラグーン】【運び屋】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 春の夜は心が弾む。
 少しずつ眠っていた者達が目覚め、咲き誇るために力を解放しようとする雰囲気と、暖かい風。
 今日の気分は『ラスティ・ネイル』ではなく『フレンチ・コネクション』という所か。杏の核を使ったリキュールのアマレットと、ブランデーを合わせた甘めのカクテル。フランスとアメリカを結ぶ麻薬組織の名前。
「今年は暖かい冬だったな」
 蒼月亭のカウンターに座り、『フレンチ・コネクション』のグラスを傾けながら、ヴィルア・ラグーンは、カウンターの中にいるナイトホークにそう言った。元々東京の冬はヴィルアがいた所より格段に暖かいのだが、それでも今年は身を切るような寒さがなかったような気がする。
「そうだな、今年はホットカクテルをあんまり作らなかった気がするよ。でも寒いの苦手だから、暖かいに越したことはないな」
 ナイトホークは、自分が吸っていた煙草を灰皿で消している。銘柄は『ゴールデンバット』日本で販売されている中では一番古い両切り煙草だ。そしてかなり安い。
「ナイトホーク、良かったら一本どうだ?イギリスの『ソブラニー・ブラック・ロシアン』だ」
 自分のポケットから黒と金で彩られた箱を取り出したヴィルアにそう言われ、ナイトホークは少しだけ目を細める。どうやらこの煙草のことを知っていたらしい。
「流石ヴィルア、いいの吸ってるな。これ、すっげぇ高い煙草だろ」
 フィルターの部分が金で、軸の部分は葉巻にも似た茶……だが、それに合うだけの味がする。ただその外観に見合うように、吸う場所も選ぶのであるが。
「ナイトホークも別の煙草にしたらどうだ。別に儲かってないわけではないんだろう?」
「ああ、そうだなー……でも、バットは味にばらつきがあるのが、また楽しくてね」
 指先に魔術で火を灯し、煙草の先に火を付けてやると、ナイトホークが煙を味わいながら目を閉じる。
「あー、やっぱ美味いな。こんなの毎度吸ってたら、バットとか吸えなくなる……っと、忘れる所だった。ヴィルア向けの仕事の依頼があるんだけど、請けない?」
「話にもよるな。出来れば少しぐらい楽しめる方がいい」
 いろいろやったりしているが、ヴィルア自身、自分は『ただの運び屋』だと思っている。何処かから何処かへ物を運ぶ……それで報酬は得るが、仕事の内容は大事だ。
 楽しめないものなら、別に自分じゃない誰かが運べばいい。別に仕事をしなければ生きていけないわけではないし、運び屋には運び屋のプライドがある。
 するとナイトホークは、煙草をくわえながら渋い顔をした。
「楽しめる…か。危険ではあることは確かかな」
 それは、とある家にある『皮衣(かわごろも)』を、何者にも奪われず、傷つけずにある人へと渡すというものだった。それは確かに自分向きの仕事だ。
「何故それを、わざわざ運ばなければならないんだ?」
「その辺は詮索してない。ただ狙われているとは聞いてる」
 まあ依頼人の背後や歴史などは、ヴィルアにとっては割とどうでもいい。問題は条件になっている「何者に奪われず、傷つけずに」という所だ。
「条件付けがあると言うことは、それを狙っている者がいると言うことか」
 それを聞くと、ナイトホークは煙草と共に溜息をついた。
 どうやらその通りのようだ。その『皮衣』を守っていた家には結界があるが、運ぶためにはそこから出さなくてはならない。
 そして、その機会をじっと待つものがいる……。
「俺が知ってるのはこれで全部。あんまり面倒な事は聞かない事にしてるし、問題は請けるか請けないかって事だけ。どうする?」
 問題の『皮衣』がどんなものかも気になるが、それを狙っているというのはなかなか執念深い。結界の外に出るまで気長に待っているなど、気の長い話だ。
 その執念が自分に向けられたら、どれほど楽しいだろう。『フレンチ・コネクション』のグラスを空け、ヴィルアはニヤッと笑ってみせる。
「いいだろう、ただし一つだけ条件がある。ナイトホーク、お前も一緒に行くぞ」
「はあ?俺は仲介役じゃん、なんで一緒に……」
「一人で踊っても面白くないだろう。ダンスには相手が必要だ。それに、観客も」
 一人で仕事が出来ないわけではない。ヴィルアの腕なら大抵の相手と同等に戦えるし、苦労することもないだろう。ただ、それではつまらない。
 ナイトホークと一緒なら少しは楽しめそうだ。何度か戯れて知ったのだが、ナイトホークは何故か戦闘時に「キレる」癖がある。キレないようにさせるためには結局原因を探るか、訓練するしかない。それにヴィルアには思う所があった。
「お前が行かないなら、この話は無しだ。たまには外で戯れるのもいいだろう」
 戯れると言われ、ナイトホークが天を仰ぐ。
 これはダンスの相手と言うよりは、犬の躾なのかも知れない。それでも、確かに自分がいきなり「キレる」ことを知っているのは、ほとんどいない。ここでヴィルアに断られれば、仕事を請けることが出来なくなってしまう。
 結局仲介というのも信用商売だ。
 依頼人からは危険で訳ありな仕事を、如何にどれだけ親切丁寧にこなすかを。
 そして仕事をする側にはその為の条件と、如何に気持ちよく仕事が出来る環境を提供出来るかを。
「了解。ステップには自信ないけど、それでよろしければ」
「足を踏まなければ充分だ。リードは私がしてやろう」

「こんな夜中にすまんですの。昼は色々忙しゅうて……」
 ヴィルア達を待っていたのは、顔面がシワで埋まってしまいそうな小さな老婆だった。
 歯が抜け落ちてしまっているせいなのか、喋る声は小さく、今にも消えてしまいそうにも見える。顔中皺だらけなのに、どこにもシミ一つないのが何故か不自然だ。手も小さく皺だらけなのに、妙に白い。
「これを稲荷神社にいる狐の面を着けた男に運んでくだされ。お頼み申します」
 老婆と同じように小さなテーブルに乗せられたのは、長い間何処かに大事にしまってあったのか、古そうな油紙に包まれ紐で十字に縛られた座布団ほどの大きさの物だった。包んである油紙は端が変色し朽ちていているが、埃などを被っていた様子はない。
 それを見て、ヴィルアは目を細めこう言った。
「中をあらためてもよろしいですか?」
 別に中身が見られなくても仕事はする気ではいるのだが、狙われているという物には興味がある。
「そうじゃの。見ても大したもんじゃありませんが……」
 紐をほどき、バリバリと乾いた音を立てながら紙を取る。埃臭いような、古びた物独特の何かが鼻をくすぐる。
 中に入っていたのは綺麗に折りたたまれた銀色の毛皮……これは銀狐か、それとも別の獣か。それは見ただけでは分からないが、確かにこれからは、尋常ではないオーラのような物を感じる。高貴で気高く、そして強い魔力。
 震える手で皮衣を開こうとした老婆を、ヴィルアは手で止める。
「いえ、これで充分です」
「条件は『何者に奪われず、傷つけず』でいいんだよな?」
 出されたお茶の湯飲みを持ちながらナイトホークが聞いた言葉に、老婆は顔を上げ小さく首を立てに振った。その仕草があまりにも小さすぎて、一瞬何の感情を表そうとしたのか分からなかったぐらいだ。
「そのまま渡してくれれば、それで結構ですじゃ」
 チラ……とナイトホークがヴィルアを見た。
 これを狙っている者達は、この皮衣を奪い何を目的としているのか。それを聞けば答えてはくれるのだろうが、変に足を突っ込んで余計な仕事を増やしたくはない。
 ナイトホークの元に持ち込まれる仕事は、多かれ少なかれ厄介だったり、訳ありだ。それを承知で請けるのだから、後は依頼をこなせばいい。
 持参してきたアタッシュケースに、ヴィルアは皮衣を入れ、パタンと音を立てた。
「ご安心下さい。相手の方はご承知なんでしょう?」
「行けば分かりますじゃ」
 その言葉を信じるしかないだろう。
 さっと立ち上がり、ナイトホークを連れヴィルアは玄関に行く。
「お頼み申します……」
 立て付けの悪い引き戸を閉め、小さな一軒家を一歩出ると、ピンとした緊張感が流れているのが分かった。
 ざわりと沸き立つ空気に、ヴィルアは口元を上げる。
「なかなか楽しめそうだな、ナイトホーク」
「楽しくなくていい。とっとと運んで、酒飲んで寝る」
「そうぼやくな。ダンスは楽しまないと損だぞ」
 指示された場所はここからさほど遠くはない。だが確実に、何者かが仕掛けてくるだろう。それをどう捌くか。
「荷物はヴィルアが持ってて。キレてる間に、スカッと忘れてましたーとか言ったらマジで呻くから」
「当たり前だ。あくまでこれは私の仕事であって、お前はサポートだ」
 さて、いったいこれを狙うのは何者か。寝静まった夜の街をヴィルアが走っていると、不意に生臭い空気が鼻を突いた。獣の吐息……それがどこからか自分達を追っている。
 その時だった。
「うわっ!何か躓いた」
 足下を小さな獣が走り、二人の走る足を止めようとする。人気のない辻。耳鳴りがするほどの静寂。
「ふむ、これはこの辺りで付き合ってやった方が良さそうだな」
 どうやら、今日のダンスステップは『フォックストロット』のようだ。小走りに走る狐。だが自分達はそのステップで踊っても、追われるものではない。足下を駆け回る何かを軽やかに避けながら、ヴィルアは楽しそうにこう言った。
「猟犬もいることだし、キツネ狩りとしゃれ込もう。行くぞ」
「俺が猟犬かよ……了解」
 追われるものから追うものへ。ヴィルアが立ち止まると、ナイトホークが足下の小さな気配に向かって、下げていた銃剣を抜き、なぎ払う。
「キャン!」
 小さな獣が鳴く声がし、血が辺りに飛び散った。それにおののき、さわっと動く気配にナイトホークが走り込んでいく。
「さあ、狐を探せ!それとも先に私の方に出てくるか?お前達が欲している物は、これだろう?」
 猟犬が走る。
 それに追われた者達が、散り散りになって逃げていった。地面に倒れ、ぴくぴくと小さく足を動かしているものを見て、ヴィルアはニヤッと笑う。
 それは小さな犬。しかし、これは単なる余興だ。そうやって自分達の足を止め、皮衣を狙っている大本を倒さねば。
 ヒュッ……!
 風を切る音を、ナイトホークがかわした。今のところ、キレずに上手く雑魚を蹴散らしてくれているようだ。とりあえずそれは向こうに任せておいて、自分は大本を倒そうか。
 うやうやしく一礼し、歌うように闇の中へ一声。
「さぁて、これが欲しくば私と踊れ」
「それは、お前達が持っていても仕方がないものだ。渡せ……」
「黙れ」
 ぴしゃりと言った言葉に、辺りが静まりかえる。持っていても仕方なかろうが、頼まれた物を運ぶ。それだけだ。
「私の知った事じゃあない。踊るか踊らないか、それだけだ」
 その言葉と共にヴィルアが闇の中へと跳ぶ。
 風を切る音と、獣の吐息。人間離れした動きでくるりと身を翻し、片手でアタッシュケースを持ったまま銃を出す。

 渡せ……ソレヲワタセ…。
 その銀の皮衣……それがあれば、狐狸の王になれる。
 己の皮を剥ぎ、人となったあの婆には必要ない、その衣を……。

 薄明かりに浮かんだのは、色々な獣の皮を着た人の姿。その言葉にヴィルアは全てを理解した。
 自分の皮を剥ぎ、人として生きようとした者。
 そして、色々な獣の皮を着て、人を捨てようとする者。その手には大きなナタのような刃物が握られていて、爛々と狂気に光った目がヴィルアを凝視する。
「楽しいダンスの始まりだ。来い!」
 刹那。
 ヴィルアを見上げていた者が、口から血を吐いた。今まで小物を蹴散らしていた猟犬が、その身を翻し油断しているその身に銃剣を突き立てる。
「思っていたとおりだな」
 ナイトホークに関してヴィルアは思っていたこと……。
 それは、ナイトホークを上手く戦わせる方法。自分から突っ込ませず、上手く指示を与えれば、よほど相手が常軌を逸した力でもない限り、言うことを聞くのではないだろうか。その予想は当たっていたようだ。
「ぐっ、ちょろちょろとうるさい蝿が……っ!」
 糸を引くように流れる血。銃剣を力任せに引き抜くと、それはくるりと振り返り、刃物をナイトホークへ振り回す。
「ダンスの相手は俺じゃないぜ」
 不敵に笑ったナイトホークが、ヴィルアと視線を重ねた。それにニヤッと笑い、引き金を絞る。
「全く、躾のなっていない野生の獣はこれだから困る」
 落ち着きなく猟犬の動きに惑わされ、目を回しているうちに撃たれる。だがフォックストロットは、この速いテンポが命だ。リズムに乗るように急所を確実に狙い、それと同時にナイトホークに走っていく。
「さて、今宵はこれぐらいにしておきましょうか」
 膝を折るように倒れたものには目もくれず、ヴィルアは楽しそうに目を細め、ナイトホークに右手を差し出した。

 あの銀の皮衣は、元々あの老婆のものだったらしい。
 だが遙か昔人に惚れ、その力を捨てるために皮を剥ぎ、代わりに人の皮を着た……赤い鳥居の下で待っていた、狐の面を着けた男がそう言った。あのたくさんの皺と、それに反してシミのない肌は、合わない皮を無理矢理着ていたからなのかも知れない……だがヴィルアには関係のないことだ。
「人として死ぬことを選んだのであれば、我らは口出し出来ません。代わりにこれを渡して下さい」
 そう言って男は自分が着けていた面を手渡し、皮衣を持ち闇の中へと消えていく。これをまた老婆の元へ運べば、今回の依頼は終了だ。
「何か、面倒せぇ話だな。人になりたいとか、人じゃない者になりたいとか」
 そう言って溜息をついたナイトホークに、ヴィルアはポケットから煙草を出す。
 面倒だが、それを望む者は古今東西どこにでもいる。自分が望む、望まざるに関わらず変えられてしまった者も。
「ナイトホーク、お前は元に戻りたいか?」
 『ソブラニー・ブラック・ロシアン』を一本渡しヴィルアが問うと、ナイトホークはクックッと喉の奥で笑いながらマッチを探している。
「それこそ面倒だな。俺は別に何かに変わりたいわけじゃないから、今のままでいい」
「それが一番だ」
 指先に灯った炎に照らされ、金のフィルターをくわえた二人が同じように笑った。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
ナイトホーク同伴での危険な仕事で、何かを運ぶ……ということで、このような話を書かせていただきました。今回はキレるナイトホークというよりは、キツネ狩りやフォックストロットのように速いペースで…という感じです。本当に躾教室な趣ですが。
ヴィルアさんの統率力なら、言うことを聞きそうな気がします。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。