■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【6118】【陸玖・翠】【面倒くさがり屋の陰陽師】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
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過去の労働の記憶は甘美なり
終電後の駅。人影は少なく、自分の足音だけがやけに響く。
空は薄く雲がかかっているせいで、出ているはずの月も全く見えない。
「やっぱり、タクシーに乗れば良かったかな……」
この時期は送別会や年度末で、どうしても帰りが終電になってしまうことも多い。ヒールの足を少し早めてはいるが、今日は何だか妙に気持ちが急いている。
最近この辺りでは、謎の通り魔事件が起きているらしい。そんな事を会社の同僚に聞いたせいだ。気のせいだ。気のせい……。
「………!」
人気のない住宅街への角を曲がると、不意に猫が自分の前を走り抜けた。
「びっくりした、猫か……」
急に高鳴った心臓を落ち着けるように息を吐く。すると、自分の後ろから足音が聞こえる。
誰だろう。近所の人だろうか。
いや。ここはコンビニも遠いし、終電で一緒の方向に行く人は少ない。勇気を出してチラと振り向くと、長い髪とスカートをなびかせた女性だった。
「なんだ、今日は何かおかしいな、私……」
だが、何かがおかしい。その手に持っているのは……刀?
「みーつけた……」
薄暗い灯りの下、その女が笑いながらそれを振り上げ……。
「ここでしょうかねぇ……」
大きな蜜柑の木がある日本家屋の玄関で、陸玖 翠(りく・みどり)はそんな事を呟いていた。表札には『太蘭(たいらん)』と名前が書かれているので、間違いはなさそうだ。
呼び鈴を押し、鍵のかかっていない引き戸を開けると、玄関先に座っていたのは翠がいつも連れている猫又の式である七夜を、一回り小さくしたような、小さな黒い子猫又だった。
「んにーぃ」
「ごめんください、太蘭殿はいらっしゃいますか?」
翠が聞いたその言葉に子猫は首をかしげ、七夜に鼻を近づける。
物の怪の気配を漂わせているのに、ずいぶん人懐っこいなと思っていると、廊下の奥から作務衣を着た長身の青年が現れた。
「いらっしゃい。お呼び立てしてしまってすまないな」
「いえ、気になさらずに。それに、一度はご挨拶に伺わねばと思ってましたから、丁度いいです」
その青年……太蘭と翠が知り合ったのは、蒼月亭で行われた『チョコレートパーティー』の時だった。お互い割と近くに住んでいるのだが、店に行く時間や曜日が違うと、なかなか顔を合わせることは少ない。
七夜を連れ、刀の入った鞘袋を持ち客間に通されると、縁側では猫たちが団子になって日向ぼっこをしていた。
「太蘭殿は、猫がお好きなんですね」
「何だかんだで増えてしまってな。翠殿もいい猫を連れている」
「式ですが、いつもこの七夜だけは随伴させているんですよ。そちらの猫又のお名前は?」
「村雨だ。いつまでもやんちゃで困ったもんだ」
そうは言いつつも、猫たちを見る太蘭の視線は厳しいものではない。村雨は七夜が来たのが嬉しいのか、ネズミのおもちゃをくわえ遊んで欲しそうな顔をしている。
「七夜、遊んでいらっしゃい」
「ニャー」
式ではあるが、普段は普通の猫とは変わりがない。そう言われた七夜は、たたっと村雨の所に走っていく。
「さて、お話をしましょうか。このままでは猫を愛でて終わってしまいそうです」
「そうだな。茶でも飲みながら、話をさせていただこう」
ここまでやって来たのは、猫を愛でるためでも、太蘭に刀を貸すだけでもない。それはある意味もののついでだ。
呼び立てた。
そう太蘭が言った通り、それは翠にかかってきた一本の電話がきっかけだった。
「陰陽師である翠殿に、頼みたい事があるのだが」
普段であれば面倒だと流す所なのだが、太蘭が刀を打っている所は見てみたいと思っていたし、興味もある。中に誰かを通さずに、直接自分に電話を掛けてくるのも珍しい。
入れ立ての緑茶が出され、太蘭がふぅと息をつく。
「神社に納めた守刀を盗み、辻斬りをしている者を倒していただきたい」
それを聞いた瞬間。翠の目が興味深そうに細くなった。
「もしかして最近出ている、女性ばかりを狙った通り魔事件に関わっていますか?」
「察しがいい。その通りだ」
女性ばかりを狙った通り魔事件。
それは棒のようなもので殴られ、意識を失った女性があちこちで発見されている妙な事件だ。ケガとしては肩や腹の打撲で、命に別状はないはずなのに、その意識だけがいつまでも戻らない。目撃情報がないので「通り魔事件」としながらも、その全容は未だ掴めていないようで、連日新聞やテレビを賑わせている。
「あの事件、遙か昔に俺が打った守刀、『篝火花(かがりびばな)』を盗んだ何者かがやっているらしい。辻斬りとは言ったが、あれに刃は付けていない。だが……」
「刀としての力はある、のでしょう?」
「その通りだ。あれは『斬る』ではなく、斬った者の魂を刀に『封じる』んだが、あのまま刀に囚われるとこちら側に帰ってこられなくなるし、勝手にあんな使い方をされてはたまったものじゃない」
斬った者の魂を『封じる』刀。
それを目の前にいる太蘭が打ったと言われると、やはり興味をそそる。刀が盗まれたと聞き、太蘭自身も探してはいたのだが、相手も用心深く女性しか襲わないので、太蘭の前には姿を現さないしらい。
「何を望んでいるのか分からんが、間違った使い方で守刀を妖刀にしたくはない。翠殿……この依頼、請けていただけるか?」
「元よりそのつもりです」
断るつもりなら、電話口でだって出来る。
その事件が起こり始めた頃から、これは人ではない何かの力が関わっていると思っていたし、何よりその刀……『篝火花』を見てみたい。
「ただし私は優しくありませんので、盗んだ相手の安全は保証しませんが」
「刀と、封じられてしまった者達が無事なら、相手がどうなろうと俺の知った事ではない」
不敵に笑う太蘭に、翠も茶を飲みながら頷いた。
真夜中……。
翠は七夜に辺りを探らせながら、その辻斬りが訪れそうな場所を歩いていた。今日の風は暖かく、時折春の匂いがする。天を仰ぐと晴れてはいるようだが、月だけがうっすらとした光を放っていた。
「さて、現れるでしょうかねぇ」
翠は手の甲に符を貼り、春の風に髪をなびかせている。
出来るだけ静かな気配で。そして、わざと隙を見せるように。相手は女性しか狙わないと言うだけあって、かなり狡猾なのだろう。刃のない刀なら、男性相手だと受け止められ抵抗されるかも知れないし、手から刀が離れれば魂を封じる事が出来ない。
いったいどんな者が、刀を盗んだのか。
そんな事を思いながら歩いていると、不意に自分の耳元で七夜が鳴いた。
「ニャア……」
翠の前方、曲がり角から長い髪の女がゆっくりと歩き出た。そして静かに近づきながら顔を上げ、歪んだように笑う。
「みーつけた」
腰に下げていた刀を抜き、女がスカートをなびかせ走り込む。翠は自分の手の甲に貼っていた符をチラリと見、口の中で小さく呪を唱える。
キン!と甲高い音と共に、翠の両手に現れた刀がそれを弾いた。
「………っ!何者?」
両手に一本ずつ刀を持った翠が、右手の刀を前に出す。
「それは私が聞く事であって、貴女が聞く事ではありません。その刀、おとなしく返していただければ、悪いようにはいたしませんが」
風を切る音が返事だった。
女は両手で刀を上段に構え、街灯の明かりの下、翠に斬りかかろうとする。それを軽い身のこなしでかわしながら、翠は『篝火花』を観察していた。
紅色に光る刀身。刃がなくても分かる、その造り。
篝火花とはシクラメンの事だが、そう呼ばれるのは花が篝火のように見えるからだ。そして篝火花は、魔を封じる花と言われている。
本当は、魔を打ち払い封じるための刀が、こんな者に使われているなんて……勿体ない。
「魂を封じて、貴女は何になるおつもりですか?」
演舞でも舞うかのように、翠は二本の刀を操り力任せに振り下ろされる刀を避けた。口元には笑みが浮かび、足下に映る影は優雅に動く。
「うるさい……お前には関係ない!」
「それもそうですねぇ。でもその刀は、貴女のくだらない欲望のために、作られたものではありませんよ」
くすくすくす……闇に笑い声が響いた。
力を得たいとか、そんなどうでもいい事が聞きたいわけではない。別に刀がこの女を操っているわけではない事は、充分すぎる程分かっていたし、たとえその理由がどうであれ、この女を見逃すつもりもなかった。
さて、どう遊んでやろう。
鎬を削るような真似をして、刀に傷は付けたくない。まずは取りあえず、刀に封じられている魂を解放しようか。
「………」
左手の刀で女の攻撃を弾き、翠は右手に持っていた刀を鞘に収めた。ぶつかった拍子に火花が散り、翠の持っていた刀が飛ばされる。
「もらったぁ!」
振り上げた刀を返し、翠の体に下ろされようとしたその刹那。
「……甘い」
懐から出された符が『篝火花』に張り付く。右手の指先二本だけで挟むように刀身をつまみ、翠はふっと笑った。
「封じられし魂よ、元ある所に戻りなさい」
刀身が篝火のように揺らいで光り、次々と刀から火の粉になって空へと消えていく。
空っぽになった『篝火花』を持った女は、それを構えたまま翠を睨み、叫ぶ。
「貴様あぁぁぁっ!」
狂ったように振り回される刀を、翠は笑って避けた。刀を弾かせたのはわざと。隙を見せれば、その瞬間相手は絶対自分を斬りにかかってくる。それを狙い、魂を解放させれば、女の手に残るのは空になった『篝火花』だけだ。
「そろそろ終わりにいたしましょう。その刀も貴女に使われるのは、さぞかし嫌でしょうから」
弾かれたはずの刀は、翠の左手に戻っていた。それで斬りかかる刃を止め、右手に持った刀で女の手を思い切り峰打つ。
「ぎゃあっ!」
手応えはあった。峰打ちといっても物は鋼鉄だし、思い切り打てば骨の一本は簡単に折れる。闇の中を『篝火花』が飛ばされるのを見て、翠はすかさず右手の刀を納め……。
「『篝火花』!悪しき者を封ずる本来の姿、我が元で見せなさい!」
闇に飛んでいったはずの赤い刀身が、翠の手に握られる。凛として澄んだ気配。それを見た女が、恐怖に目を見開かせ逃げようとする。
嫌だ。私は斬る側だ。
こんな刀に封じられるなんて、嫌だ。
今まで自分が斬ってきた女達のように、足をもつれさせ走る。すると……。
「見つけましたよ」
自分の後ろにいたはずの翠が目の前に現れ、笑いながら刃を振り上げ……。
「ごめんください。起きてらっしゃいますか?」
鞘に収めた『篝火花』を持った翠は、そっと太蘭の家の戸を開けた。ここはいつも鍵を掛けていないのか、それとも自分が来る事を知っていて鍵を開けていたのか分からないが、戸を開けると闇の中に太蘭が立っている。
「いらっしゃい。玄関先も何だから、上がってくれ」
客間には何故か酒宴の準備がしてあった。それに苦笑しながら座り、持っていた刀をそっと差し出す。
「ご確認下さい。それにしても準備が良いというか、何というか……」
太蘭は無言で笑ったまま『篝火花』を改めた。少し調整は必要そうだが、大きな傷もなく、これならまた納めても大丈夫そうだ。
「守刀として、本来の使い方をしてもらったようだな」
何かに気付いたように、太蘭は翠を見る。
「今まで理不尽な使い方をされていた『篝火花』も、本望でしょう?」
翠がそう言うと、近くにいた村雨がテーブルの上に鼻を伸ばした。乗せられている魚が気になるのか……それを太蘭が手で押しやり、片口に手を伸ばす。
「お疲れ様だった。翠殿は結構いける口だと聞いたので用意させてもらったが、飲んでいかないか?猫を相手にしてばかりというのもつまらん」
酒の話はしなかったはずなのだが、蒼月亭ででも聞いたのか。
だが遠慮する理由はない。翠は杯を手に取りふっと笑う。
「いただきましょう。それと一つ聞いてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「『篝火花』……あれは、太蘭殿がお一人で作ったものですか?」
魔を封じるための刀。
そんな物を自分の力で作る刀匠。漂わせている気配から、太蘭が普通の人間ではない事は分かっていたが、それでもそんな刀を作るのはかなりのものだ。
その言葉に太蘭は村雨を膝に乗せ、指に付けた酒を舐めさせこんな事を言う。
「そうだが。だがあれはかなり昔に打った物なので、今見ると未熟で恥ずかしいな。それに最近は猫と遊ぶのに忙しくて、気が向いたときしか刀を打ってない」
「これで未熟なら、最近打った刀を見せていただきたいものですね」
「翠殿が嫌でなけば、またの機会にでも」
「ええ、お願いします」
太蘭自身と、彼が打つ刀に少し興味が出てきた。それに何となく、太蘭とは話が合いそうな気がする。
「七夜も少し舐めますか?村雨は結構いけるようですよ」
「ニャーア」
指先に酒を付け七夜の鼻先に持っていくと、ざらっとした感触と共に二人の笑い声が薄闇に響き渡った。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師
◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
太蘭からの危険な依頼で、刀関連の仕事……という事で、このような話を書かせていただきました。猫が好きとか、何だかお互いの共通点はいろいろありそうですね。興味がある事はとことん突き詰め、興味がなければ面倒がるとか。なので犯人の素性や目的などは、あまり興味がなさそうにしてみました。
刃のついていない刀…というのは珍しいですが、こんな物を時々打ったりしています。
リテイク・ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
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