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■貴方のお伴に■

伊吹護
【1252】【海原・みなも】【女学生】
 人と人とは、触れ合うもの。
 語り合い、分かり合い、時にはぶつかって、支え、支えられて生きていくもの。
 けれど、だからこそ。
 誰にも打ち明けられないことがある。
 癒したいのに、見せることすらできない傷がある。
 交わることに、疲れてしまう時がある。

 そんなとき、貴方の元に。
 人ではないけれど、人の形をしたものを。
 それらは語る言葉を持たないけれど、貴方の話を聞くことができます。
 貴方の痛みを、少しだけ和らげてあげることができるかもしれません。
 どんな人形が欲しい、と具体的に決まっていなくとも構いません。
 貴方の悩みを、これまでの色々な出来事を、思いを教えていただけますでしょうか。
 ここには――たくさんの、本当にさまざまな人形をご用意しております。
 男の私に話しにくいことがあれば、代わってアンティークドールショップ『パンドラ』店主のレティシア・リュプリケがお聞きいたします。

 きっと、貴方に良い出会いを提供することができると、そう思っております。
 人形博物館窓口でも、『パンドラ』の店主にでも。
 いつでも、声をおかけください。
 すぐに、お伺いいたします。

貴方のお伴に 〜ある夜の出来事〜

 白い息を吐きながら、走る。
 既に夜は更けていたが、街灯や周辺の家の窓から漏れる光で、それほど暗くは無い。
 視線の先、道の向こう、正面の空にはぼんやりと三日月が輝いていた。
 月の光は人の心を狂わすと言うが、こんなに他の光が強くては、月明かりを感じることもできはしない。
 最も、そんな妖光などなくとも、走る少女――海原みなもの心は千々に乱れきっていた。

 あと、もうちょっと。
 バイト先から家までの道程が、いつもより長く感じる。心臓が飛び跳ねるようだ。
 でも、後ちょっと。あそこを曲がれば、もう家。
 そう心の中で呟いて、十字路を右に曲がる。
 すぐに見える、小さな家。純和風の木造平屋一戸建て。家族と一緒に住んでいる家。
 でも今はそこに、もう一人大切な友人がいる。
 いや、友人と言っていいかどうか。
 大切な存在ではあるけれど、友達ではあるけれど。彼女は少なくとも、人ではない。
 人形。球体関節人形のマリー。意識を持ち、喋る人形。自分に素直になれない、そんな子。
 飛び込むように、玄関へ入る。
 ただいまっ、と誰にでもなく声を掛けつつ、自分の部屋へと急ぐ。
 戸を開ける。
 いつもの部屋。いつもの風景。いつもと同じように、そこにはマリーがいた。
 畳に箪笥、右手には押入れ。和の部屋の中に、一つだけ洋風な、飾り木の椅子。彼女のために手に入れたその椅子。そこに座っている、マリー。
 遠目に見れば人かと間違いそうなほどの精緻な、そして整った顔立ち。流れる髪は艶やかで。
 けれど、違う。
 空気が違う。
 昨日までは、刺々しいけど、どこか暖かい空気で満たされていた部屋。
 今は、何も感じない。ただただ冷え切って、凝り固まっている。
 マリーの顔の右半分を覆う、シンプルな仮面の所為か。でもきっと、それだけではない。
 恐る恐る、近づく。手を伸ばす。
 そっと仮面に指を掛けると、それは手の平に落ちてきた。
 いつもなら、途端に言葉が飛んでくるはず。悪口雑言の限りを尽くした、でもどこか暖かい、叱咤激励の色も含んだ、たくさんの言葉が。
 生気に満ちた紅い瞳の光も、今は無くて。ただの硝子玉にしか見えない。
「……マリー?」
 返事は、無い。
「返事して、マリー? 起きてるんでしょ? ねえ」
 呼びかける。応えはない。何度も何度も、呼びかける。
 身体を揺らす。抱きしめる。それでも、何も変わらない。
 やっぱり。
 昨日のことが原因なのは間違いない。
 きっと、怒らせてしまったのだ。

 ――それは、昨晩のことだった。
 みなもは、疲れきっていた。
 その日もバイトで帰りが遅くなっていた。学校へ行って、そのままバイトへ行って。さすがに続くと、疲労は重なっていく。
 さらに言うならば、気分も沈んでいた。バイト先で、嫌なことがあったのだった。
 セクハラ紛いの暴言。理不尽な指示と量。気分が落ち込み、疲れることでミスもしてしまう。そしてまた責められる。最悪なバイトだった。今週一杯で辞めよう、痺れる頭で呆然と考えながら、家に帰り着いたのだった。
 おぼつかない足取りのまま、部屋に入る。
「お帰り! 今日も遅いのね、暇で暇でしかたがなかったわよほんと。もうちょっと早く帰ってきなさいよ。働きすぎじゃない?」
 すぐさま声が降ってきた。なおも愚痴混じりの言葉が続く。普段なら、それはみなもを気遣い、心配する気持ちを内に包んだ言葉だと理解できるのだけれど、その時はそんな余裕はなかった。
「ちょっと、静かにして……もう、寝る……」
 言い募るマリーを放っておきながら、押入れから布団を引きずりだす。
 それを敷いて寝間着に着替えていると、妙に寂しさがこみ上げてきた。侘しさに、自然と、涙が滲んできてしまう。
「ちょっとちょっと、何泣いてんのよ。泣いたって何にもならないわよ!?」
 いつもなら苦笑しながら受け流して、それでいて少し暖かくなれるそんな言葉も、ただただ辛く聴こえた。
 涙が止まらない。いつのまにか、マリーに腕を伸ばし、抱き寄せていた。
「……一緒に寝て」
 彼女の文句が一際大きくなる。
「嫌だって、言ってるでしょ! べたべたするのは、嫌いなのよ」
 もし彼女が自ら動くことができるなら、きっともがいて、暴れていただろう。しかし彼女は動けない。ただ、言葉でしか反抗できない。
 ――そして、その言葉も。
 連なる否定の言葉を聞きながら、みなもは机の上に置いておいたそれを手に取った。半月状の形をした、顔の右半分だけを覆う、シンプルな仮面。人間がつけるには少し小さいそれは、マリーのものだ。
「卑怯よ! そんなのっ……!!」
 マリーの声が悲鳴のように、より一段高くなる。
 彼女に添い寝をしてもらって、一緒に寝る。それは、前々からみなもが望んで止まないことだった。しかし、マリーはそのたびに拒絶していた。みなもも、無理にそうしても仕方ないと引き下がっていたのだが。
 仮面を、彼女の顔に当てる。
 途端。
 部屋を、静寂が包んだ。
 あれだけマシンガンのように発せられていたマリーの言葉が消える。
 仮面を付けると喋れなくなり、その他、些少な力も震えなくなる。マリーにはそんな特徴があった。
 もちろん、分かっていた。
 無理矢理そんなことをしてしまえば、彼女の心はより頑なになってしまうと。
 でもその時は、身体と心の疲労に襲われていて。
 泥の中に沈み込むように眠りに落ちた。

 今日の朝も、危うく寝坊しそうになって、ろくに話もできないまま慌てて家を出てしまった。
 そして、今に至る。
 全面的に、自分が悪い。一日過ぎてみて、心も落ち着いてきて、そう思える。
 けれど、話もしてもらえないのではどうしようもない。
「お願い、何か、何でもいいから返事をして。いつもみたいに喋ってよ。怒ってよ……」
 部屋の中には、ただみなもの声だけが響いて。畳に、壁に、染み込むように消えていく。
 静寂が戻る。
 ――終わりなの?
 終わりには――したくない。
 髪に触れる。肩を掴んで、身体を揺らす。もう一度、もう一度と呼びかける。
 変わらない。返事は、ない。
 何か――何か。
 ぐるぐるぐるぐる。思考ばかりが空回りする。
 頬に触れる。抱き締める。何度も、声をかける。
 くすぐる。
 そんなことしたって無駄なのは分かっているけど。脇の下をくすぐる。もう自分でも何をしているのかよく分からない。
 藁にもすがる思い。
 必死に。くすぐる。
 ただひたすらに。
「ああああああー、もうっっ!! くすぐったいわけないじゃないの! 見てて痛々しいったらありゃしないっ! やめやめっ!」
 その声は、そんなに長い付き合いでもないのに、とても、とても懐かしく聴こえた。
「マリー……」
 声が掠れる。
「根負けよ、全く、もう……気が強いんだか、弱いんだか……融通がきかないってって言うか。だから何でも抱え込んで破裂しちゃうのよ」
 諦めの中に、少しだけの暖かみ。変わらない毒舌。
「ごめん」
 言いながら、腕を回す。きつく抱き締める。
「壊れる壊れるっ、ちょっと、もうっ……ほどほどにして離れなさいよ、べたべたするのは嫌いだって、さっきも言ったじゃない」
 マリーの言葉に、もう少しだけ、と答えて、腕を少しだけ緩める。マリーの肌の心地よい冷たさを噛み締めるようにしてから、ゆっくりと離れる。改めて、向かい合う。
 そして、それから。
 色々と話をした。
 いつもの掛け合い漫才のようなやり取りではなく、一方的に言うだけではなく。
 こんなにゆっくりと話し込むのは、初めてだったかもしれない。
 まずは、お互いに、遠慮がちに謝った。
 みなもは、疲れていたからといって、マリーの意志考えずに、一方的だったこと。
 マリーも、いくら自分の性格だからと言って、みなもに強く言い過ぎたこと。素直になれずに、本当に嫌というほどでもないのに、激しく拒絶してしまうこと。
 他にも、軽い雑談も。少しだけ、昔のことも。たくさん話した。
 いつのまにか、夜もかなり更けていた。
「もうそろそろ寝なさいよ、明日に響くわよ」
 マリーがそう言ってくれる。身体は正直なもので、言われた瞬間、大きな欠伸が出てしまう。
「うん、そうする……」
 言いながら、上目遣いにマリーを見つめる。
「言いたいことがあるなら、さっさと言いなさいよ」
 指摘されてしまう。お見通しのようだった。せっかくなので、遠慮せずに言ってみる。
「抱いて、寝てもいい?」
 見詰め合う。しばしの間を置いて、彼女は言う。
「だからぁ……何度も言ってるけど、嫌なんだって!」
 帰ってきた強い口調に、首をうな垂れてしまう。
「でも、そうね……隣で横に寝てあげるくらいなら、いいわよ、まったく、お子様なんだから」
 仕方ないなあ、とぼやきながらも。
 彼女の声の中に今までとはまた違った親密さを、柔らかさを感じたのは、みなもの気のせいだったろうか。
 その日の晩は、睡眠時間はあまりとれなかったけれども、でも、ゆっくりと、深く、幸せに眠ることができた。
 そしてまた、朝が来る。
 まだしばらく、頑張れそうだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1252/海原・みなも/女性/13歳/中学生】

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、伊吹護です。
 またまたご依頼ありがとうございます。
 毛色を変えたつもりで書いてみました。うーんでも、中々難しいですね。
 ずっと言っていただいていたマリーとの添い寝、こんなところでいかがでしょうか。
 なかなか厄介な性格(流行の性格?)のマリーですが、今後も宜しくお願いします。
 またマリー関連のノベルですが、こちらでも構いませんし、シチュエーションノベルで発注いただいても対応できますので、宜しくお願いします。