■過去の労働の記憶は甘美なり■
水月小織 |
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】 |
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。
『アルバイト求む』
さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
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過去の労働の記憶は甘美なり
「こんにちはー、毎度どうも」
珍しく静かな草間興信所に、暢気な挨拶が響く。
シュライン・エマが事務机から立ち上がり、入り口の方へ顔を出すと、そこに立っていたのは喪服姿の夜守 鴉(よるもり・からす)だった。
「あら、夜守さんお久しぶりね。今日はご葬儀の帰り?」
「そう。あ、ちゃんと塩で清めてきたから……っと、草間さんいるかな?」
彼は死者の声を聞くことが出来るという能力と、遺体を修復するエンバーミングの技術を持っている。その為、よく死者絡みの依頼を興信所に持ってくる「お得意様」だ。
シュラインが応接セットに鴉を通すと、草間 武彦(くさま・たけひこ)は煙草の箱を手で弄びながらやって来る。
「夜守さん、相変わらず喪服似合わないな」
それを聞き、鴉は首元のネクタイを緩め溜息をついた。金髪銀眼は元からの体質なのだが、日本でデスビジネスに関わるとどうしても喪服を着る機会が多くなる。その度に「髪を黒く染めようか」と思うのだが、あいにくそうする暇もない。
「それを言われると、俺も草間さんのこと『怪奇探偵』とか言いたくなるからやめない?仕事別の所に持ってっちゃうよ」
それは困る。
シュラインはお茶を出しがてら、武彦の頭を指で突いた。草間興信所は仕事の達成率は良いのだが、あまり儲けが良いとは言い難い。鴉はその中では貴重なお得意様であり、しかも割と頻繁に仕事を持ってきてくれる。仕事の内容が「死者絡み」ということにさえ目を瞑れば、こんなありがたいクライアントは滅多にいない。
「ごめんなさいね、夜守さん」
「いやいや、時候の挨拶みたいなもんだと思ってるから。今日も相談なんだけど、いいかな」
武彦は煙草に火を付ける。
もう既にどんな相談でも請ける気ではいるし、仕事はあるに越したことはない。それ以前に、仕事を選べるほど台所具合が潤っている訳でもないのだが。
「今日は何のご相談でしょう」
吸い殻一つ落ちいてない灰皿に、灰を落としながら武彦が聞く。シュラインはその後に立って鴉が話し出すのを待っていた。
きっと、今日も「心をこの世に残してしまった」誰かの頼みを聞いて、鴉はここにやってきたのだろう。
鴉は遺体を修復するエンバーミングという技術で、死者の美しい最期をこれから生きていく人たちに遺し、死者の声を聞きこの世への心残りを少しでもなくそうとする。それが時々シュラインには、鴉が「この世とあの世の仲立ち」をしているようにも見え、その度に自分で良ければ何か手伝いたいと思わせる。
「今日も俺がエンバーミングした、死者からの依頼なんだけど……」
亡くなったのは、交通事故で亡くなったまだ成人前の男子学生らしい。彼が鴉に頼んだのは、この一つだけだった。
……以前嗅いだ事のある花の香りがとても印象的で、最期にその花を見てから逝きたい。
「花?」
シュラインの言葉に鴉が頷く。
「そう。だけど、残念なことに彼は、その花を自分の目で見たことがないのよ。知っているのは香りだけ」
その香りを彼が嗅いだのは、丁度今ぐらいの季節だったらしい。両目を手術した後の通院時に、ある場所を通るとそれが必ず香っていたという。よく知っている花の香りのようだが、それはいつも少し鼻をくすぐるだけで、どんな花かは包帯が巻かれた目では見ることが出来なかった。
「視力が少し回復したときに、自分でも探してみたらしいんだけど、その時は花も香りも見つからなかったって……なんか、砂漠で砂金を探すみたいな途方もない話なんだけど、今の季節だって言うし、彼の代わりにその花を探してくれないかな」
香りは思い出を強く残す。
きっと何も見えずに手を引かれたりしていたときに、それは彼の心を弾ませたのだろう。
ここを通れば花の香りがする。目が良くなったらその花を探しに行こう……それが最期のささやかな望みだというのなら、やはりそれは叶えたい。
黙って話を聞いていた武彦が、シュラインをチラリと見た。思わず「私に探させて」と目で訴えると、ふっと笑いながら煙草の煙を吐く。
「その仕事、引き受けさせていただきましょう。ここで断ったら、シュラインに睨まれそうだ」
忙しい武彦に代わり、それはシュラインが調査することになった。
鴉も仕事を持ち込んだ手前、出来るだけ協力したいということで、シュラインに彼の言葉を伝える役目をしてくれる。
「じゃあまず、通院してた期間と曜日とかを教えてもらえるかしら」
「ちょっと待ってね……『去年の今ぐらいの時期』で……」
彼が目の手術をしたのは去年の三月頭で、それからしばらく週に二度、火曜日と木曜日に通院していたという。
「それは午後、午前?」
「んー、午後の診療だって。包帯が取れたのは三月下旬だから、今ぐらいの時期に咲いてる花……見えてると意外と気付かないのかね」
そうかも知れない。どうしても、人は目で見た物を先に情報として認識してしまう。花を見れば、大抵は先に「綺麗」という感想が出てしまうのだが、彼はそれがなかったぶん、香りを情報として認識したのだろう。
「あとは家と病院の通院ルートね。普段は何で移動していたのかしら」
「そんなに遠くないから、家の人に手を引いてもらって歩きでって。手術で視力が弱くなっちゃうから、その歩行訓練も兼ねてたらしい」
何だか身につまされる話だ。
事故に遭ったのも、そうやって歩いていた時だったという。もしかしたら去年探せなかった花を、自分の足で探していたときだったのだろうか。そう考えると、シュラインの胸に切ないものがこみ上げてくる。
「じゃあ、その時間帯と曜日で聞き込みしてみるわ。夜守さんはどうするの?」
「あー聞き込み手伝いたいけど、喪服のままだとまずいね。俺も声聞きながら探してみるけど、仕事あるから何か分かったら電話して。じゃ、よろしくお願いします」
確かに喪服の青年が色々聞き込みをするのは、あまり普通じゃないかも知れない。シュラインが立ち上がると同時に、鴉も立ち上がって伸びをした。
「見つかるといいわね」
何故か、そんな言葉がシュラインの口をついた。
突然命を落としてしまった者は、多かれ少なかれ心残りがあるだろう。
もっと生きたい、死にたくない……それを覆すことが出来ない代わりに、最期の頼みを聞いてあげたい。死者が安らかに、ここを離れることが出来るように。
すると鴉がふっと笑った。
「うん、俺もそう思う。全部の人の頼みは聞けない代わりに、せめて自分が関わった人の願いぐらいはね……それぐらいしか出来ないし」
それは自分も同じだ。
関わらなければ全く知らないままでいた死者の願いを、鴉に頼まれて叶える手伝いをする。だからこそ、その花を見つけたい。
「そうね……じゃあ、行ってくるわね。武彦さん」
既に街に咲く花は、梅から桜へと季節を移していた。
地図を見ながら歩くと、風に乗ってほのかに白木蓮の香りが漂ってくる。
「これじゃないわよね」
白木蓮はかなり強い香りの花だが、これなら探しても見つからないはずはない。白い花は嫌でも目に付くし、香りもかなり強く印象に残る。
「よく知ってる花の香りのよう……香りを人に伝えるのは難しいわね」
同じバラの香りを嗅いでも、そのとらえ方は千差万別だ。これが目で見たものや耳で聞いたものなら割と伝えやすいのだが、嗅覚に至ってはまだ解明されていないことが多いという。
シュラインは丁度庭を掃きに出てきた人に、この辺りに香りのする花が咲くところがないか聞いてみることにした。
「すみません。つかぬ事をお聞きしますが、この辺りに歩いていても香りが分かるような花が咲くところはありませんか?」
だがやはり毎日同じ場所にいると分からないのか、聞かれた女性も困ったように首を横に振る。
「そうねぇ、白木蓮じゃなくて?」
「ええ、白木蓮の前に咲く花があれば、聞いてみたかったんですけど」
「庭梅とかかしら。でも風に乗るほど香るってほどでもないし……」
彼がその花の香りを嗅いだのは、今より少し前のことだ。白木蓮は咲くとすぐ散ってしまうので、それではない。あまり食い下がっても、相手が迷惑してしまう……シュラインが会釈をして立ち去ろうとしたときだった。
「ああ、そこの小さな酒屋さんなら結構古いから、聞いてみたら分かるんじゃないしら。ごめんなさいね、あてにならなくて」
「いえ、ありがとうございます。そちらで聞いてみますね」
地図を見ると、その酒屋も彼の通院していた道にあるらしい。シュラインは車が来ないことを確認し、目を閉じて歩いてみる。
「白木蓮じゃなくて、よく知ってる香りみたいな花……」
目を閉じただけなので、光の位置などは分かるのだが、やはり闇の中を歩くのは怖い。
そんな中を彼は手を引かれていたとはいえ、自分の足で歩いていたのだ。暗闇の中で頼りになるのは、自分の足下にある地面の感触と周りに溢れる音。そして、香り。
一歩一歩確かめるように、シュラインは目を閉じながら歩く。その時だった。
「………!」
ふわっと鼻をくすぐる香り。白木蓮じゃなく、それは梅のような優しい香りだ。慌てて目を開け、その花を探そうとする。
しかし……。
「あら?確かに何か香ったんだけど」
まださほど歩いてはいない。酒屋が近くなってきてはいるが、何か花が咲いているような様子も見えなければ、見上げた梅の木は既に花を落としている。
でも、あれは確かに梅の花のようだった。
もしかしたら、何処かで香りの強い梅を盆栽にしていたりしているのだろうか。シュラインは、今度は目を開けたままで酒屋に近づいていく。もう一度、風が吹けばあの香りが漂ってくるかも知れない。
「梅っぽいけど、それとも違う感じだったわ」
酒屋の車が店の前に停まっている。
今ぐらいが配達の時間なのだろうか……ひっきりなしにビールのケースなどが店から運び出され、トラックの荷台に積まれていく。それを横目にシュラインは酒屋に入った。
「すみません……」
「はい、いらっしゃいませ!」
エプロンを付けた愛想の良い若い女性が、にこっと笑って挨拶をした。そしてぱたぱたと走るその後ろから、ふわりと先ほどの香りが漂ってくる。それは梅のようでもあり、白檀や沈丁花など、他の香りも混ざった複雑で優しい香りだ。
彼が嗅いだという花の香り。
もしかしたらそれは白木蓮でも梅でもなく、彼女の香りなのではないだろうか……。
「貴女のつけてる香水、素敵な香りだわ」
そうシュラインが言うと、彼女は恥ずかしそうに俯いて笑う。
「ありがとうございます。日本の香りの香水が欲しくて、オリジナルで作ってもらったんです……梅がベースになっている香水で、私が好きな物がなかったので」
聞けば彼女はこの店で、午後から働いているらしい。今ぐらいの時間は配達の手伝いがあるので、何度も外に出たり入ったりを繰り返すので、その時に彼とすれ違ったのだろう。
これで分かった。
彼が探しても見つからなかったはずだ。香っていたのは花ではなく、人だったのだから。
もしかしたら、彼が探していたときにもすれ違っていたのかも知れないが、花だと思いこんでいたから気付かなかったのだろう。
「その香水を、少しだけ分けてくれないかしら」
最期に見たいと言った花。それは本当の花ではなかったけれど、その香りの思い出だけでも持っていってもらいたい。訳を話すシュラインに、彼女は少し驚き、寂しそうに頷く。
「そうだったんですか。包帯を巻いてた子、何度か見たことがあります。声を掛けたら邪魔になるかと思って、黙って見送ったりしてたんですけど……探していた香りが花じゃなくて、残念かもしれませんね」
「そんな事ないわ」
花じゃなくても、きっと彼は残念だとは言わないだろう。
見たものより、聞いたものより、香りは記憶に残るものだから……。
香水を分けてもらったシュラインは、鴉に電話をかけ草間興信所で事の真相を話した。
「貴方が探していた香りは、これじゃないかしら」
嗅いでいた香りが花ではなかったこと……梅をベースに作ったオリジナルの香水だったこと。小さなアトマイザーに入れた香水を、何度か天井に向けて振りかけると、辺りにふわっとした優しい香りが漂う。
「『この香りだ』って。そっか……花じゃなくて香水だったのかって。ちゃんと分かって安心したみたいだ」
彼の代わりにその香りを吸い込みながら、鴉がしみじみとそう言った。すると武彦が手に小さな物を持ってきて、それを応接テーブルの上に置く。
「シュライン、中に水入れていいんだよな」
「ええ。直接香水を入れると痛んじゃいそうだから。本当の花じゃないけど、杯に咲く梅を楽しんでいってくれたらって」
それは以前シュラインが太蘭(たいらん)から預かった、梅の木が描かれた杯だった。水が入っているので、中の梅が美しく浮かんでいる。そこにシュラインは何滴か香水を入れた。
香りが分かって、ようやく彼は安心しただろう。だが、ずっと花だと思っていたのだから、やはり目でもそれを楽しみたかったのではないだろうか。そう思い、シュラインは武彦に頼んで杯を持ってきてもらったのだ。
それを見た途端、鴉の目から涙が一つ流れ落ちる。
「あ、やばい。同調した……『本当の花じゃなかったけど、それ以上に綺麗だ。ありがとう』って。これで思い残すことはないよな」
本物の花以上に、心に残ったもの。それは少し切なくて、悲しくて……そして、綺麗すぎて。
花が咲く。花が香る。
彼の代わりに涙を流す鴉に、シュラインはそっとハンカチを差し出した。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
鴉からの依頼で「思い出の中にある花の香りから、花を探す」ということで、このような話を書かせていただきました。香りは記憶に一番作用するらしいですが、同じ香りを思い浮かべるのはなかなか大変ですよね。
以前のシチュノベでお渡しした杯も使っていただいて、本当の花ではないけれど美しい花…というのが書けてると良いなと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。
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