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■諧謔の中の一日■

緋翊
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

 ―――軽く、眩暈を感じた後に。

 あなたが立っていたのは、見慣れぬ風景の中だった。

 和洋折衷、あらゆる風景が同居しているような秘境。

 そこは竹林と、或いは森林に囲まれた場所。

 そこは岩山と、或いは清い水の流れに恵まれた場所。

 おそらく「あなたが思い浮かべた景色」の大抵は、此処を探せば見つかるだろう。

「………」

 そして。
 何処に迷い込んだのかも分からずに進んで行けば、あなたは「その建物」を見つけるはずだ。
 それは古ぼけた、風情ある和風の旅館。
 竹林と、森林と、岩山と、滝等々…(或いはそう、もしかしたら高層ビルなども在るかも知れない!)
 そんなものに囲まれた、節操無き情景の中に佇むその建造物を。

「あら?お客様かしら」

 ―――その旅館らしきものがある方角から、声が聞こえる。
 美しい外見だろうと知れるような、美しい女性の声。

「ん?そりゃ、中々に珍しいな」
「そうだねぇ。もしかしたら、友達になれるかもしれないよ、巴?」
そして、二人の男らしき声が。

 ………さあ。
 行こうか、退こうか。







 あなたは、どうするのだろうか?

諧謔の中の一日










【1】





 ―――――訪れるのは、古き城。




「さて、と。それじゃ行ってくるわね、武彦さん」
「ああ……」
 ……その日。
 シュライン・エマは、自分を見送る草間・武彦の困ったような顔を見ていた。
 今二人が居るのは、草間興信所のあるビルの前。見上げた空は晴天で、正直な話、びっくりするようなことは何処にも転がっていない、と言っても間違いではないだろう。
 ―――それなのに。
「……武彦さん?」
「……むぅ」
 それなのに彼女の目の前の武彦は、非常に困ったような顔をしていた。
 いや、実際、困っているのだろう―――
(まったく、もう……)
 シュラインはそんな武彦を見て、小さく嘆息する。
 実のところ、彼がそのような顔をしてしまうことの原因は分かっているのだが……。

(悪い気分では、無いのだけれどね)

 ……そう、悪い気はしないのだ。
 彼女はくすりと笑いながら、やや悪戯っぽく武彦に言葉を紡ぐ。
「そんなに心配かしら? おかしいわね、私はそんなにか弱い女だったかしら」
「いや、勿論、君が無茶をすることはないと思って――」
「……思って?」
「……確信、してはいるんだが。しかし、わざわざ『あの場所』へ行くのなら俺も、」
「それは、また今度お願いするわね?」
 じ、と見詰めたこちらの視線に、多少内容を変えながらもこちらを『説得』しようとしてきた彼の言葉を、絶妙のタイミングで遮ってやる。
 ぐぅ、と、中途半端な溜息が武彦の口から漏れた。
「色々とやりたいことがあるのよ。 そもそも、この間だって一度訪問しているのだし……」
「いや、だから今度こそ俺がだな!」
「……この流れだと、エンドレスに同じ会話をすることになるわよ?」
「むぐ……」

 その一言で、草間・武彦は沈黙した。

「もう少しエマは、微妙な男心というものを理解してくれて良いと思うんだ……」
「ふふ」
 どことなくしょんぼりとした様子で肩を落とす武彦の肩を、ぽん、と一度叩く。
 そして―――
「行ってくるわね、武彦さん。ちゃんと貴方の頑張る余地は、残しておくわ」
「……くれぐれも気をつけて。それと、俺の企みを盛大に暴露した馬鹿な魔術師と退魔師に宜しくな」
「ええ、それはもう」
 にっこりと、笑う。
 心底こちらを案ずるような台詞と、己の計画を暴露された恨みを忘れていない子供っぽい台詞を前半と後半に織り交ぜながら、結局武彦はこちらの肩に手を乗せて来て、それを見送りの挙動とした。

「さ……今日はどんな一日になるのかしらね」

 愛する人間の見送りを背に、彼女は歩き出す。

 向かう先は馴染みの諧謔空間。

 ―――やや変わった人物との出逢いが、自分を待っている。




【2】

「あら、エマさん! 御久し振りで御座います……」
「ええ、お久しぶりね唯さん。これ、お土産です」
「まあ! これはどうも、わざわざありがとうございます。さ、どうぞ上がってくださいまし」

 興信所を発ってから、十数分後。

 いつも通りファジィな道を、けれど確信を持って――その確信さえあれば、辿り着けるというのだから出鱈目だ――歩き続けたシュラインは、既に何度か来たことのある諧謔空間に足を踏み入れていた。
 目の前で折り目正しく頭を下げているのは、その空間に存在する旅館……『諧謔』の女将である上之宮・唯。
 着物と蒼の髪が不思議と調和している友人に土産物を渡して、彼女は旅館に上がった。
「今日は確か、待ち合わせの用があるのでしたか?」
「ええ。だから少しの間だけ、お邪魔させて貰うわね」
「了解しました……出来れば、沢山滞在して頂きたい所ですけれど」
 控えめな、けれど深いとは程遠い気安い会話を繰り返しながら、二人は座敷へ歩いていく。
 そして、す、と唯が座敷へ通じる襖を開け―――



「あ、エマ君だエマ君だ。わーい、久しぶりだねぇ?」
「うむ、久しいな。将棋でも指すか? 囲碁でもオセロでも良いぞ?」



 そこに、年齢二十台半ばに差し掛かった子供が二人居た。

「……いつも思うんだけれど、唯さんって凄いわ」
「いえいえ、それほどでも」
「あー! エマ、今、俺とセレナのことを問題児扱いしたな!?」
「それでいてお土産は唯にだけ持ってきたんだねっ。エマ君、僕らにも愛を下さい!」
「……時々、遠出をしたくなったりしない?」
「………………そうですねぇ。本当に時々、ですけど」
 大変ね、と書き込んだボールを投げたら、分かります? というボールが投げ返されてきた。
 何処まで行っても、しっかりとした男なんて物語にのみ存在する幻想か――百人に一人存在する程度のものなのだと、二人は目線で事実を確認しあった。
「エマ君、今日は何の用? 暇なら遊ぼうよー」
「ふ、面白い。ならばこの間の駒・盤不使用のチェス合戦に決着をつけようじゃねぇか!」
「確か前回は、巴さんが唯さんに夕飯のメニューを聞いて喜んだ拍子に盤面を忘れたのよね……ちなみにお土産は三人分。程よい甘さと過激な辛さと鍋を溶かす甘さ、三種類の味のお菓子よ」
「……心遣い、痛み入りますわ。エマさん」
 律儀に返答すると、巴とセレナは何故か俄然と盛り上がった。おそらく、友人が訪ねてきて単純に嬉しいのだろう―――そういう意味では非常にシンプルな二人と対照的に、唯はもう一度お辞儀をしてくる。

 ああ―――そうだ。
 紛れも無く、この空間に在るこの旅館は、この空気であることこそが正解なのだ。
 ……因みに、鍋を溶かす甘さの菓子を探すのが一番大変だったのは秘密である。




「ふむ。それで、待ち合わせだったか? ……一体誰と交わした約束なんだ?」
 さて、エマの来訪にはしゃいだ巴とセレナが落ち着くのに数分ばかり経過して後。
 緑茶を愛用の湯飲みに注いで一口飲みながら、ようやく巴がその疑問を口にした。
「確かに、気になるねぇ。わざわざこんな奇妙な空間で待ち合わせるなんて、余程のことだよ」
「……自分の住んでいる場所を奇妙と言い切れるのも、凄いわね」
「君の職場だって、僕らの住処に負けないくらいに奇妙だろう?」
 何故かタバスコを入れた紅茶を悠々と飲みながら、セレナが返答する。
 シュラインは素直に、小さな苦笑で反応した。確かに、それはその通りだ……。
「あらあら、お二人とも。少しは頭で考えたら如何ですか?」
「「……むむ」」

 そして、唯の放つ棘が二人に突き刺さる。
 ………………案外、ストレスが溜まっているのかもしれない。


 今度何処かに連れ出してあげようかしら、などと真剣に思案するシュラインの横で、唯の頭痛のタネであるところの馬鹿二人はそろそろ真面目に考え始めているところだった。
「んー……まあ、おのずと候補は絞れるんだよなぁ」
「そうだね。僕と巴以外に、ここで待ち合わせてもおかしくない人物……武彦辺りだったら、そもそも一緒に来るだろうし―――ん?」
 と、どうやら思い立ったらしい。
 ここは見せ場だ。
 二人の思考回路がそんな結論に達し、同時に待ち合わせ人の名前を言おうと口を開く―――



「「きっとあいつだ、こず」」
「ふ―――待たせたなエマ。天狗の梢、参上したぞ!」
「「……」」



 瞬間、すぱぁん! と後方の襖が開け放たれた。
 出てきたのは、不遜な感じを見た者に与える黒髪の男で――今時珍しい、和装だった。
 ……そう。彼こそ、シュラインが待ち合わせの約束をしていた男。
「派手な登場ね、梢さん?」
「うむ。何と言っても、ここには存在感のある馬鹿が二人居るからな。相応の登場をせねばなるまい?」
「……くそぅ、こいつが来たというコトは、俺たちは今回脇役か!?」
「……うう。エマ君、次のご指名に期待してるよ?」



 ―――梢という名の、天狗である。






【3】

「それで。今回俺に同行を頼んだ行き先というのは、西洋の城、だったか?」
「ええ」
 
 がさがさ、と、草を掻き分けて控えめな音が空間に響く。
 細い獣道を悠々と歩きながら、シュラインは梢の言葉に首肯した。
「実は、一度尋ねたことがある場所だから……探索の難易度自体は低いのだけれど、お願い出来ます?」
「む。ああ、無論……友の頼みは断らんよ」
 首を傾げて改めて訊いたシュラインに対する梢の返事は、ほぼ即答に近かったが―――
 それでも、それなりに疑問は覚えたようだった。
 シュラインに対抗するように小首を傾げて、疑問の色を込めた視線を投げてくる。
「何か気になることでもあるのか? 或いは――」
「因みにお礼は、女の子や……梢さんに合いそうな服が載っている流行の雑誌なんかでどうかしら?」
「……むむむ。ありがとう、エマ」
「どういたしまして。宜しくお願いしますね、梢さん?」
「うむ、それは勿論……」
「気を遣いますものね? そういうのは」
「うむ……己のところに来る娘も、中等の学校に進むという年頃になってくると、そういう話題に敏感になってきてなぁ……」
「あら、中学生は守備範囲内なのね」


 結論から言うと、彼はかなり簡単に丸め込まれた。



 ……どうやらそういった情報に関しては興味津々であるらしい。
 そもそも友人の頼みなのだから、どんな用件であろうと構うまい、と思い直してしまう梢である。
(そうであろう、な)
 彼女は、曲がりなりにも自分を信頼してくれているからこそ頼みごとをしてきたのだ。
 ならば自分は、全力で応えれば――それで問題無いだろう。
「……という訳で、己は頑張ることにするぞ、エマよ!」
「えっと……梢さんの頭の中でどんな思考が展開されたのかは分からないけど、期待してるわ」
「うむ!」


 ……そんな会話をする二人の前には、もう古ぼけた城が見えていた。






「梢さん、二歩先の床は落とし穴になっているから気をつけて」
「む?」
 そして―――城の中である。
 懐から紙片を取り出して、てくてくと歩くシュラインと……一応先行している梢。実のところ、緊張した空気は微妙に存在していない探索だった。
 シュラインの言葉に振り向いて、梢は指示された床をじぃっと見る。
 ややあってから、彼は足の爪先だけで床をちょんと突いてみた。
「てい」

 瞬間、がばっ! と、野獣の口のようにその部分だけ勢いよく床が外れて、穴が開く。

「おお……本当だ。成程、一度訪れたことがあるというのは本当のようだな?」
「ええ。懐かしいわねー、そこ、巴さんが落ちたのよ」
「……ほぅ」
 成程のぅ、と頷いて、再び歩き出す。
 彼が順調に歩いていくのを後ろから見ながら、シュラインはマイペェスにその後ろを歩いていく。
 ―――前回の経験を生かして作成されたマッピングは、完璧に近い。
「……なぁ、エマ」
「?」
 しかし、一分もしない内に梢の足がぴたりと止まった。
「どうしたの、梢さん?」
「いや……」
 振り向く顔には、ふよふよと疑問符が浮いていて。
「巴が、あのような単純な罠に落ちるか? たとえ踏んだとしても、瞬間的に回避できそうだが」
「ああ……」
 もっともな疑問かもしれない、とシュラインは納得した。
 確かにそうだ。巴の実力を過大評価するつもりは無いが、先程のトラップはあまりにもシンプルで―――多少なりとも腕に覚えがあれば、素直に罠にかかり、『落ちる』ということもあるまい。



 というか―――実際あの退魔師は、ちゃんとこの罠を回避できていたのだし…………。



「ああ、戦闘中であったのか?」
「んー……いえ、戦闘中でもなかったわね」
 ふるふると首を振るシュラインに、では何故? と訊きなおす梢。
 真相は―――まあ、別に隠すほどのことでもないか、などと考えるシュラインである……。
「ええとね、私がお願いして、落ちてもらったの」
「は……」
 そうか、と、いうつもりではあったのだろう。
 けれど、なんというか、非常に予想外の回答に、梢も思わず思考が停止してしまったらしい。
 は、と息を吐いたような声が絞り出されて、流石にその目が見開かれた。
「それはそれは……そして勿論、エマのことだから―――巴も一応、了承済みで?」
「ええ」
「……そうか」
 
 そして、ちょっとだけ、梢がシュラインを怖がった。

「……少しだけ距離が離れたわね?」
「いや、気のせいだ。気のせいだが……今この城にあるどんな障害より、エマの方が怖い気がしないでもない、と思わなかったり思ったりする己の心は否定できんな」
「あらあら」
「いつもなら一緒についてきそうなあの二人が、嫌に愛想良く己を送り出したのはそういうことだったのか……」
 不覚、と云うわけでもないのだろうが、がっくりと肩を落とす梢。
 確かに嫌がっていたわねぇ、なんて、シュラインののんびりとした声が続いた。






【4】

「ふ……成程、な」

 さて、城に二人が入り込んでから、一時間程度が経過した。
 現在梢とシュラインは、小休止を取る為に、城の比較的安全と思われる一室で身体を休めていて。
 妙に芝居がかった台詞に、やはり訊くのが礼儀だろうな、などと思いつつシュラインが訊く。
「どうしたのかしら?」
「いや、まあ、己は何も分かっていないのだが――エマを見るに、なにやら疑問が多少は氷解していたようなのでな。代わりに言ってみた」
「……つまり、梢さんは何にも考えて居なかった、と」
「……そういう言い方は、卑怯だと思うぞ……」
 どうやらこの天狗、リアクションの大きさは巴やセレナに比肩するらしい。
 遠い目で壁をなぞり始める梢に、シュラインは返答してあげることにした。
「まぁ……そうね。色々、確認したいことが分かってきたわよ」
「と、いうと?」
「ええ。この城、やっぱりこんな場所にあるだけのことはあるわ……たとえば、ここね」
 ぴ、と指で地図を示すと、梢が興味深そうに顔を覗かせてきた。
「この部屋、隠し部屋みたいな作りになっていたでしょう?」
「あ……うむ、入り口は、壁の中の一片を押し込んでやっと姿を現したな」
「実はこの部屋の壁なんだけれど……一度、というかこの間来たとき、セレナさんが破壊しているのよ」
「む?」

 思わず、シュラインの指差した壁を梢が見る。
 けれど、そこは破壊されたとは到底思えぬほどに、普通の、壁が、あるだけ。

「……直っているぞ?」
「そうね。そして、この本も奥の宝箱から取ってきたのだけれど―――」
「もしかして……前回既に、それを取得していた?」
「ええ」
 ぴたり、と言い当てた梢に勝算の拍手を数回ほど。
 そう。
 この間自分は、セレナからこの部屋で古英語の文献を貰ったが――何故か、今回も入手できたのだ。
「なんというか、非常にその手のゲームを連想させるわね」
「うん? 己もあまりその手の遊戯の経験は無いが……こういう“だんじょん”の宝物は、一度手に入れたら補充はされぬのでは?」
「そう。でも、地図の此処……から、此処までね。二階と三階の一定の地域が、前回とまるで違う地形になっていたのよ。私がちょっとだけ驚いていたの、見てたでしょう?」
「む」
 今度は分かるかしら、とばかりにシュラインがそこで言葉を切った。
 ―――目の前の天狗に、暫くしてから理解の光が見える。
「つまり―――何度でも遊べます、というのが売り込みの文句か。故に物品補充も、許容されている」
「そう。だから、特殊ではあるけれど、やっぱりゲーム的な場所なのよね」

 ああ。
 無論、出鱈目にも程があるが!

「成程のぅ……やはりこの空間は面白い」
「同感ね。まさか、現実でここまで奇天烈な建造物が無造作に在るなんて……」
「まあ、直しているのは人力っぽいがな」
「……………………え?」

 そして。
 本日、おそらく初の、シュラインの驚いた声が聞こえた。

「え、梢さん、それ―――」
「いや、何故ならそこの壁……一度釘を打ったが上手くいかず、打ち直した跡がある」
「あぁっ、本当に!?」
 梢の指摘に、壁へ駆け寄るシュライン。するとそこには、確かにお茶目な形跡があった。
 ……謎だ。
 いや、既に建物が修復されていた時点で謎だらけなのだが―――これは、より一層謎だ。
「い、一体誰が直しているのかしらね……」
「巴やセレナではないとすると……誰だろうな? しかしあいつら、自分達以外に此処に定住している人間は見たことが無い、とも言っていたし……では、ここに住む化生の者か?」
「……それはそれで興味深いわ」
 思わず、釘を打つ代わりに自分の指を金槌で打ってしまい、半泣きになっているミノタウロスを想像してしまうシュラインである。
 ともあれ、謎が残っているのだ―――自分の手元のマップだって、まだ完全でもない。
 ならば、自分が調べ尽くしてやろうではないか。
「うん、よし……今日は頑張りましょう、梢さん!」
「応!」
 やるぞ、とばかりに気合を入れると、梢もそれに応えてきた。
 永い時を生きているのに、この天狗はそういうところが歪んでいない……。




「あ、そういえば。梢さんの好みって、どれくらいからどれくらいなの?」
「ふむ?」
 休憩も、そろそろ終わる。
 さて一気に残りの制圧だ、という気概が出てきたところで、シュラインはそう梢に訊いた。
「うーむ。まあ、実際年齢よりはどちらかと云えば外見が……」
「ああ……中学生の子も大丈夫なのよね」
「うむ。特にこう、小さな身体で必死にこちらにくっついてくる娘などは……こう、心が洗われんか!?」
「……そうね、まあ、完全否定はしないわ」
 ああ、思いの外の熱気である。
 成程、特徴としては守備範囲の広さ――特に幼い女の子に対して顕著らしい――が挙げられるのか。
「と……まぁ、あとは心根の問題よな」
「心?」
 うむ、と頷く梢。
 ……先程の恍惚とした表情とは、やや違う表情だった。
「己は、純粋な心を持つ者をこそ愛する。無論、幼い娘は何より……こほん。まあ、若い者には可能性が見て取れる。己のような一種完成してしまった存在ではなく、何にでも成れる可能性が……その点で、子を持たぬ己が親心などというのは不適当か………うむ。憧憬、とはいえるかも知れんな」

 優しい目だ。
 この天狗は、今、何を見ているのか。

「とにかく……子供は素直に愛おしいし、健やかに育って欲しい、と願うのだよ。エマ」
「そう。やっぱり、梢さんは予想通りの人ね」
「そうか?」
 ふふ、と梢が小さく微笑む。
 そして―――今度ははっきりと、エマを見た。
「あとは……そう。ひたむきに、一生懸命に今を生きる者も、己は好きだ。そこに年齢や外見はあまり関係ないだろう………だから、エマ。己はお前のことも、愛おしいし、応援したいと思うぞ」
 大人の。
 酷く大人びた優しい顔で、彼はエマの頭を一度だけ撫でた。
「武彦と仲良くするのだな。アレは、まあ悪く無い。梢的判断では、己の方が格好良いがな!」
「……ええ、そうね。頑張るわ、梢さん」
 おそらくその判断基準では、梢がこの地上で一番なのだろう。
 野暮な突っ込み入れず、シュラインは、素直に微笑んだ。
「それと、どうして武彦を連れてこなかったのだ? 奴でもこの城、護衛は務まるだろうに」
「ああ、それはね。男の人の顔は、立ててあげなくちゃ行けないでしょう?」
「?」
「あの人は、此処に綺麗な宝石なんかがあるって聞いていて、密かに来たことがあるのよ」
「ふ……ああ、そうか! そうだな、それは……確かにエマの言う通りだ! だがあの男、馬鹿だからな……自分もついていくなどと言って、随分粘ったのではないか?」
「ご名答。気持ちは、とても嬉しいのだけれどね」
「ははは、そうかそうか!」
 ウインク交じりに告げたその言葉は、梢にとって最上級の切り返しだったのだろう。
 臆面も無く破願して、彼は楽しそうに笑った。
「それと。今後梢さんとまたお仕事する機会があったら……こういう経験があったほうが良いでしょう?」
「ん……」
 ―――それも、その通りだ。
 相手のことを知っていれば、連携はスムーズになる。
「くっくっく……いや、面白い。己も永き時を生きてきたが、お前のように『出来た』女はそう居なかったぞ……己は今、非常にエマを評価している」
「あら、それはどうも」
 笑いの衝動に身を任せている梢は、先程とは打って変わって少年のようで。
 ……悪く無い相棒だと、思えた。
 シュラインは、さて、といいながら腰掛けていた椅子を立つ。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか?」
「うむ……任せておけ!」
 
 ごごご、と音を響かせて隠し部屋の入り口が開いていく。
 その先に待つのはミノタウロス。
 或いはシュラインのことを覚えているのか、その目には敵意があった。

 しかし―――今回も、相手が悪い。


「この梢。どのような敵が襲い来たとて、大切な友人に指一本触れさせはせんよ」


 ―――梢が、駆ける。
 シュラインは特に心配もせずに、彼の戦闘開始を穏やかな目で見送った。







【5】

「というわけで、貴様等には犯人の容疑がかかっているのだが……」

 そして、夜。
 数時間をかけて城の探索を終了した二人は、『諧謔』に引き上げてきていた。
「さあ、今のうちなら罪は軽いぞ?」
「いやいやいや、この馬鹿天狗め。俺とセレナがそんなことをするわけないだろう?」
「ふむ―――今、馬鹿とぬかしたか? 馬鹿退魔師め」

 因みに、雑談開始五分目で梢と巴は取っ組み合いの喧嘩に突入した。

「うーん、それは興味深いね。結局、その犯人らしき人は見つかったの?」
「いいえ、今日はちょっと見つけられなくて……」
「……ああ、それで梢が僕らを犯人にしたがっているんだねぇ」
 タバスコ入りの紅茶を飲みながらふむ、とシュラインと会話しているのはセレナで。
 彼もその点には気づいていなかったらしく、興味深げにシュラインの報告を聞いていた。
「まだまだ、この空間は冗談ずくめですからね……それに、巴さんとセレナさん、いじけちゃって大変だったんですよ?」
「……そうなの?」
 傍らで静かに笑う唯の台詞に、シュラインは思わず首をかしげた。
 どうやら城に行くのは嫌だったが、梢だけシュラインと遊びに行くというのも嫌だったらしい。
 ……完全に子供の思考である。
「またお邪魔させて頂くし、興信所に来たら歓迎するわよ。甘いものや辛いものは要らないけれど」
「……それはちょっと困るけど、ありがとう」
「……そいつは少しばかり困るが、ありがとう」
 予想通り、二人は少しだけ困った顔で礼を言ってきた。
 可哀想だと思わなくも無いが、自分も武彦の命を守ってやらねばならないのだ。

「さて……エマよ。今日の己は、こう、存在感十分な護衛として及第点はもらえるかな?」
 そして―――巴との取っ組み合いを強制的に終了させて、梢が訊いてきた。
 彼の浮かべる微笑は穏やかで。
 シュラインもそれに、迷わず、応えた。
「ええ。今日はお疲れ様でした、梢さん」
「うむ。お安い御用だ、友人よ」


 ―――梢は、本当に嬉しそうに笑った。
 とても疲れたけれど。それを見て、シュラインも楽しそうにもう一度微笑んだ。

 こうして、慌しかったけれど、それなりに有意義だった一日は終わりを告げたのである………。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳  / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】



・登場NPC




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 シュライン・エマ様、こんにちは。
 ―――そして、お久し振りで御座います。
 ライターの緋翊です。この度は「諧謔の中の一日」へのご参加、ありがとうございました!

 今回は、三月の前半に受注を頂いたのに、四月の納品になってしまい、本当に申し訳ありませんでした。
 いくら謝罪しても足りるものではありませんが、ここに深く謝罪させて頂きたく思います……。

(また、題名の付け忘れというミスを犯してしまったことも、重ねて謝罪致します。この度は、誠に申し訳御座いませんでした……このようなことが無いよう、以後深く気をつけたいと思います)


 さて、今回は梢のご指名ということで、実は『諧謔』の三人組のご指名かな、と思っていた私の思惑は見事に外されました(苦笑) あんな天狗でもそれなりに好いて頂けているようで、書き手の私としては本当に嬉しい限りです。
 彼を構って頂くプレイングでしたので、ちょこっと、本当に少しだけ変人ではない梢の本心も覗かせてみましたが……さて、果たして如何でしたでしょうか?

 ……それと、城に行くのは巴とセレナが嫌がりそう、というくだりには思わず笑ってしまいました(笑)
 うう……こうして見ると、私の保有するNPCの男達は子供ばっかりですね。
 因みに武彦とエマさんの関係については、前にお手紙でご指摘を頂いたとおり、私の執筆する世界内においては恋人同士、という感じで描かせて頂いております……それ故に、武彦は冒頭で少しエマさん相手に頑張っているのですが、あのような感じで大丈夫でしたしょうか?
 エマさんの中のイメージとギャップがあったら、申し訳ありません。


 さてさて、楽しく読んで頂けたなら、これほど嬉しいことはありません。

 それでは、また縁があり、お会い出来ることを祈りつつ……
 改めて、今回はノヴェルへのご参加、どうもありがとうございました。


                              緋翊