■CallingV 【金糸梅】■
ともやいずみ |
【6073】【観凪・皇】【一般人(もどき)】 |
――呼んでいる。
あの、逃げ延びた運命の日から随分と長い年月が流れた。
決断できなかった己の甘さ、弱さ。それを認識してはいても、決意はできなかった……あの時までは。
自分はずっと捕らえられてきた。虜囚だ。囚人なのだ。
自分はずっと霊のように存在していなかった。亡霊だ。過ぎ去った、昔の幻。
日本に戻って来たのは、自分の責任を果たすため。自分にしか、きっとできないだろう。
死にたい。死にたい。もうこんなに長く生きているのは苦痛だ。だが。
(本当は、決意した理由は)
そんなことじゃ、ない。
確かに辛い。今でも、生きていることが、誰かと関わるのが、辛い。
けれども、それは今までずっとだった。ずっと、だ。
もう終わりたいのも本当の気持ちだ。だが、決意させたのは……。
拳を握りしめる。
(終わらせる……)
あの日、自分がしなければならなかった役目を果たすのだ。自分が『終わる』ためには、それしかないのだ。
呼んでいる。自分を。この運命が。
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CallingV 【金糸梅】
「俺」
観凪皇は胸の前に拳を作る。本当は衣服を掴みたかった。顔を俯かせる。
「このまま生きていくか、死ぬべきか……どっちが正しいかなんてわかりません。多分、誰にもわからない」
あぁ、彼女は聞いてくれているだろうか、自分の言葉を。このたどたどしい、自分の気持ちを。
「どちらを選択するにせよ、深陰さんは決着をつけなければならないと思うんです。あなたの、この長かった旅の決着を」
どうかお願いです。俺の心を、俺の言葉を、聞いていてくれますように。この気持ちが全部伝わるなんて、たいそれたことは思いません。
「その決着の為に遠逆家に戻るというのなら……俺はそれも一つの答えなんじゃないかって思います。だから」
だから。
「俺は呪いを解きに行くなとは言いません……、言えません……!」
深陰さんが苦しんできたのは、見ていないけれど、伝わっています。俺も、辛いです。
「だ、だけど、一つだけ……」
涙が滲んだ。声に。
涙が零れそう。顔をあげられない。
「一つだけ……言うとしたら………………」
言ってはいけない。
言ってはならない。
彼女を『止める』言葉は――! でも!
「死なないで……ください!」
両手で顔を覆った。嗚咽が、口から出ようとする。我慢しろ。俺より彼女のほうが辛いじゃないか。俺の希望を、ただ、黙って聞いてくれているんだ。だから。
「俺は……深陰さんと、もっとずっと一緒にいたいですよ! だってやっぱり好きなんですもん!」
鼻をすすり、皇は目元を手の甲でごしごしと擦った。
「事情を知っても、それでも自分のこと好きかって深陰さんは俺に訊いたけど……言えますよ! だって深陰さんはやっぱり俺の思った通りの人なんですから!」
これが別れになるかもしれない。ここで別れれば、もう会えないかもしれない。だから言わせてください、俺の最後の我侭を。
「俺は深陰さんが本当に大好きですっ!」
精一杯の、気持ち。伝わってください、どうか。
ぐすぐすと鼻をすする音が響く。長い沈黙のようで、短い――。
「皇」
呼ばれて顔をあげる。みっともない顔だろう、今の自分は。
深陰は涙を浮かべて微笑んでいた。
「ありがとう。わたしを、みてくれて。わたしを、好きになってくれて」
「深陰さん」
「だから、わたしは行く。今のわたしを、遠逆深陰を皇が憶えてくれる。皇には辛いと思う。誰かにその辛さを強いることになるとは思ってもみなかった」
でも。
「憶えていて、わたしを。わたしが確かに存在していたこと。たくさんの罪を犯し、過ちを犯し、たくさんの優しい人たちの、皇の手を振り切って生きてきたわたしを」
その凛とした姿に皇は魅せられた。そう、だから好きだ。彼女が好きだ。
彼女は泣き顔になりそうな顔で笑った。そして近づいて来る。皇の頬に両手を遣る。そして……二人は長い口付けを交わした。このままずっと続けばいいのに、と皇は思う。この夢のような時間が……別れなんてこないようにずっと、ずっと……!
皇のそんな願いは、決して叶わないだろうことはわかっていた。だが願わずにいられない。
そっと深陰は離れ、それから照れたように微笑する。
「実はさ、術を使う為以外のキスって……皇とが初めてなの」
「え……」
「じゃあね!」
皇の追究を許さない為か、深陰はきびすを返して走り出した。すぐさま闇の中に消えてしまう。
最後の、明るい別れの声。
皇はわかってしまった。また、涙が頬を伝って落ちていく。もう拭うことはしない。
彼女は戻ってくる気がないのだ。
(憶えてます)
憶えてます、ずっと。ずっと。
(深陰さんが、どんな風にここまで来たのかを)
自分と出会ってからのこと。自分の目で見た彼女。その声。その仕種。その表情。笑い顔。怒った顔。辛そうな顔。凛とした姿勢。ありとあらゆる、自分の知っている『彼女』を――――。
(決して忘れはしません……!)
皇の元を去った深陰は涙を零していた。走りながら。
(ありがとう)
ありがとう。
(わたしを、女の子としてみてくれて)
ありがとう。
(嬉しかった)
深陰は空を見上げた。
戻ってくるとは、言えなかった。戻ってこれるとは思えない。おそらくこの身体は時間の流れが凍結されている状態に近い。だからそれが解放されれば、時間が一気に経過するだろう。一瞬で砂塵になるだろう。
だから。
(わたしが、やらなきゃいけない……)
深陰は振り返った。皇の姿はもう見えはしない。もしかしてまだ泣いているかもしれなかった。
彼女は前を向くと駆け出し、一気に跳躍した――。
*
一ヵ月後――。
現時刻は朝の九時あたり……遠逆家の門の前で、遠逆月乃は背後を振り向く。
「これでいいんですか?」
「上出来。このままあなたに同調して中に入る」
深陰は月乃の右手に手を重ねる。そのまま門の内側へと入って行く。結界の張られた遠逆家に入るには、血族でなければならない。だが中に入った途端に、誰が戻ったかすぐに見抜かれてしまう。自分は抹消された身だ。だから協力者が必要だった。そこで選んだのは44代目当主だった遠逆月乃だったのだ。
月乃と一緒に中に入り、深陰は懐かしさを感じた。同時に苦痛が胸に走る。そう、昔とほとんど変わらない。この門で、弟の手を振り払った。
だが、今日は違う。贖罪のためじゃない。自分の為じゃない。本当は、これは宿命だったのだ。
「ありがと」
深陰は月乃に礼を言った。彼女の協力を得るのに時間がかかってしまった。もう、これ以上は時間をかけてはいけない。
月乃は「いえ」とかぶりを振った。その表情に、深陰は微笑する。小さく呟いた。
「参った……。兄さんに似てるわ、ほんと」
そう洩らして深陰は即座に駆け去った。
広い部屋。その奥に座る、老人。
襖を突き破って登場した深陰に、彼の顔色は変わらない。深陰もまた、対峙するように近づいた。
老人は静かに口を開く。
「なんの用ですかな、お嬢さん」
いいえ。
「姉さま。あの頃と変わらずお美しい姿でなにより」
「……あたる」
深陰は呟く。悲痛な、声だ。
遠逆中。「中」と書いて「あたる」と読む。正真正銘、深陰の弟だ。
おそらくは、『あの時』に一緒に呪われたのだ。深陰が彼の手を振り払った際に、呪いは彼に飛び火した、中途半端に。そのために彼は深陰と同じように今日まで生きてきたのだ。
深陰は影の刀を一振りする。
「儀式を止めなさい。今後一切、憑物封印は禁ずる。わたしたちが仕えていた、遠い昔に滅びた一族は、待っても復活しない。復活を望んじゃいけない!」
「それを姉さまが言うのですか。途中で逃げ出したのはあなたでしょう?」
痛いところを突く。だがそう言われるのは覚悟していた。
「わたしが逃げたことは間違いだった。あそこで止めるべきだった。わたしが、止めさせなきゃいけなかった……。その責任を、いま、果たしに来たわ」
「……今さら」
「そうね。今さらよ。でも」
長い逃亡生活の中でこの家のことを気にかけなかった日はなかった。恐ろしくて知りたくもなかった。耳を塞ぎ、目を瞑ればそれでいいと何年も思っていた。けれど、深陰の意識を変えたのは憑物封印の儀式のことだった。
まだ、行われていたのだと。それを知った瞬間、雷に撃たれたような衝撃が走った。
止めなければならなかった。自分がそれを成さねばならなかった。あそこで逃げたせいで、犠牲者が出た。自分は、あそこで止めるべき役目だったのだ。
あの瞬間、深陰はわかってしまったのだ。自分がなんの為に存在していたのか……それは。
「わたしが生きてきたのは今この時のため……! それは確信できる!」
そのために多くの犠牲を払った。弟まで巻き込んでこのザマだ。懐かしい日本に戻ってきてまず最初にしたことは遠逆家のことを調べることだった。呪いを解くヒントがないかと日本各地を歩き、彼らが封じた場所を手当たり次第に潰していった。結局は巻物を手に入れてもう一度『憑物封印を行なう』ことにしたのだが。
「わしが死んでも儀式はなくなりはしませんよ」
「いいえ……止めるわ。それがわたしがこの350年生きた意味になる!」
深陰は弟に向けて駆け出す。だがすぐさま後方に飛び退いた。
弟の前に誰かが飛び出し、刀を構えたのだ。黒い衣服がなびく。遠逆家の戦闘訓練用の衣装に身を包んだ……あの時の赤茶の髪の少女だった。彼女はこちらを見据え、言い放つ。
「長には手出しはさせない」
「…………」
深陰は顔をしかめた。弟はにやにや笑っている。そうか。歪んだ姿にしたのはわたしか。いいだろう、その責任も全部被ってやる。おまえを、ただ生きるだけの姿にしてしまったその呪いも、わたしの呪いも……。
「全部ひっくるめて破壊してやる……! 今度は容赦しない!」
深陰は刀を変化させてサイに持ち替えた。両手に握るその武器は、大陸を旅する際に自分に合うと思った武器だ。
人間の盾などわたしには効かない!
「日無子、わかっておるな。必ず殺せ。殺せないやもしれんが、致命傷は負わせろ。例えおまえの身体が破壊されても、わしを守れ。おまえの愛しい男、殺されたくはないだろう?」
「…………」
弟の囁きに日無子と呼ばれた少女は顔色一つ変えず頷く。だが瞳に力が込められた。
(退けるとは思えない……殺すしかない……)
深陰は唇を噛んだ。ここでも犠牲を出すのか、わたしは。
長い先の未来のためにここで死んでというのは身勝手なことだ。けれども自分は、やると決めた。
(謝らないわ)
深陰は武器を構えて一気に飛び出した――!
*
破壊された部屋の中の惨状は酷いものだった。畳も、障子も、襖も。
目の前にいる老人に深陰は囁く。深陰の衣服はほとんど原型を留めていない。燃えカスとしてまだ身体に貼り付いている部分もあるが、ほとんどなくなっていた。
「……憑物封印の『意味』は、あんたしか知らない。あんたは300年以上も遠逆家を支配していたのだから……」
深陰自身はケガ一つない。いつもは括っている長い髪は背中に垂れている。
「誰にも伝えてないでしょ、あたる。もうずっと、このまま生きていくって思ってたものね、あんたも」
わたしもよ、と深陰は続けた。
不変を、生きていくと思っていた。
「だからあんたを殺せば終わる。とりあえず、ここでは」
「……わしは死ねぬ。姉さまもだろ」
弟はいつもと同じ姿勢で言う。彼は逃げることができない身体なのだ。彼の肉体は深陰と違って時間を蓄積していく。そのため、肉体はもう自分の意志のままに動かせることはほとんどなかった。外を歩き回ることも、走ることもできない。
「……死ぬ準備をしてきたわ。だから死ねる」
使う決断がなかなかつかなかった。
だって……全てを壊すなんてやはり勇気が必要だ。この遠逆の持つ全てのしがらみを、徹底的に破壊するのだ。いいことも、悪いことも全て、情け容赦なく、区別せず、壊すのだ。それを怖いと思わない者はいない。
深陰は見下ろす。謝りたい。勝手な姉でごめんねと。だがそれは、深陰が許されたいと思っているだけの言葉だ。だから言わない。
「…………そうか。姉さまは、死ぬつもりか。時間凍結が解除されれば姉さまの肉体では耐えられまい」
まだ朝だというのに暗闇に沈んだ静かなその場所で。
深陰は空中から巻物を取り出した。東と西の『逆図』。思えば、ここから始まったのだ。
巻物を解き、空中に広げた。様々な妖魔が封じられている。室内を占めるように広がった紙の中では今も妖魔が生きているのだ。
深陰とあたるはその中心にいる。
「……終わりはしない、きっと。遠逆家の宿願叶うその時まで……!」
「そうね。でも、わたしたちの代で一旦終わりにしましょう。それに、わたしたちの物語は少々長すぎたわ。読んでる人も飽きるくらいにね」
「饒舌になりましたな」
「……それほど長い時間を生きてきたわ」
深陰は微笑んだ。そして呟く。この時の為に仕掛けてきた様々なものを発動させる、運命の言葉を。
深陰たちがいた家屋が全て吹き飛ばされ、屋根瓦が舞う。竜巻が起こり、天へと伸びた。渦の中へ全てを呑み込んでいく。
渦の中心にいる深陰にあたるは言う。風で声が届くか不明だったが……きっと姉には届いているだろう。
「それではお別れですな、姉さま。あちらで色々話しましょう」
「……ええ」
あたるの肉体がぐず、とその場で一瞬のうちに溶けた。
深陰の長い髪が嵐の中でなびいた。息をすることもできない。けれども、彼女は笑っていた。満足そうに、微笑んだ。
あの時逃げたことは間違いだった。本当ならあそこで踏みとどまっていたはずなのだ。その運命を覆し、深陰は逃げた。そして今はもう一度与えられたチャンスを見事に掴んだ。――けれども。
あの時に逃げなければ今の深陰は存在していない。様々な人たちとの出会いは、あるはずのなかったこととして終わっていたはずだ。自分と出会ったことで運命を狂わせた者も中にはいただろう。そのたくさんのことに、今は感謝を言いたい。ありがとう、と。
そして、最後に、自分に一番の勇気を与えてくれた彼に……。
深陰はかぶりを振る。
きっとあの少年は自分のことを憶えていてくれるだろう。それが遠い未来でも。……信じていいだろう。
もしも転生などというものが実在しているならば、生まれ変わってもう一度彼を好きになろう。好きになりかけていた深陰の気持ちを、次に継いでいきたい。
「……ばいばい」
小さく呟いた刹那、深陰の肉体が悲鳴をあげる間もなく砂塵となって風に呑まれてしまった。
全てを飲み込んだ竜巻はやがて天へ昇り、吸い込まれて消え失せてしまった。
遠逆家の中心部分にあった建物は……その建物内で起こった事件と、長の命と共に消失してしまったのである。
*
皇のもとにその手紙が届いたのは深陰がいなくなって一ヶ月以上経ってからだった。届けに来たのは深陰に劣らない美少女で、コンビニで買い物をして出てきたそこに立っていた彼女に皇は正直驚き、面食らった。ゆるいウェーブの長い髪を持つ彼女は皇を真っ直ぐ見て口を開く。
「観凪皇さんですか?」
静かな声に皇はどきりとする。慌てて頷いた。
「預かっていたんです。全てが済んだら渡してくれって」
「え?」
瞬きする皇の前に彼女は一通の手紙を差し出す。水色の封筒には宛名が書いていない。本当に自分に?
「受け取ってください」
「君……は?」
誰?
不思議そうにする皇に彼女は手紙を押し付けるように渡すと、一歩後退した。
「遠逆の者です。では、確かにお渡ししましたよ」
そう言うなり彼女はこちらに背を向ける。皇は焦った。遠逆という名前に反応したのだ。
「ま、待って! 君、遠逆の人なの?」
「そうですが」
「あ、あの……」
どうしよう。何を訊こう。何から訊こう?
焦りすぎて考えがまとまらない皇を肩越しに一瞥すると、彼女は目を細める。
「急いでいますので失礼します。あなたの問いには、その手紙が答えてくれるでしょう」
そう言うなり彼女は颯爽と歩いて行ってしまった。
残された皇は手の中の封筒を見下ろす。これ、もしかして……。
ごくりと喉が鳴った。頭の中を様々な考えが巡る。生きているのだろうか。無事に呪いは解けたのだろうか。今はどうしているのだろうか。
皇は天気の良さもあって、公園のベンチで手紙の封を開いた。今時珍しい縦書きの便箋に、綺麗な字がしたためられている。
観凪皇様――
この手紙が届いているということは、わたしはもうこの世にいないということでしょう。
この手紙を届けてくれるように頼んだのは、わたしの兄の直系の子孫。つまりはわたしとも遠い親戚になるわね。
この手紙が意味することとは、わたしが呪いを無事に解いたということを表しているので、心配しないようにね。
長い時間を生きていて辛かったと皇には言ったけど、嘘ではないけれど、でも、それだけではなかった。楽しいこともあったし、嬉しいことも勿論あった。でも、それを言うと心が挫けそうになったので言いませんでした。
たくさんの人に支えられていたのはわかっているし、たくさん感謝しています。勿論、皇にもね。
本当は手紙を書くのも躊躇ったけど、その後のわたしを気にしているかもしれないと思ってこうして筆をとりました。
わたしがもしも……本当に万に一つの確率で生き残ったとしたら、わたしが皇の目の前に現れていたはず。まぁどの面さげて、って感じかもしれないけどね。
だから、この手紙が届いたということはわたしが死んだということ。皇が落胆して大泣きしてるのが目に浮かぶようだわ。
泣かないで、なんて言いません。たくさん泣いてください。わたしの為に泣いてくれる皇が、わたしは好き。わたしの為に泣いてくれているのなら、わたしが止める権利はないから。
生き残れないことはわかっていました。わたしの肉体は時間の流れを無視して存在してきたので、負荷も相当なものだと自覚しているのだから。呪いが解けた途端にどうなってしまうかは、想像しなくてもわかります。
嘘を言いたくなかったので、戻るとは言えませんでした。生き残るとは、言えません。図々しいと思うしね。
それでも、最後に、本当に最後だけどわたしの、隠していた気持ちを書きます。
生き残りたかったです。生きて、皇の前に戻りたかった。笑って、普通の女の子になって、皇に「ただいま」と言いたかった。ううん、きちんと別れは言わなかったので「元気?」と言って現れたほうが格好がつくかしら。
皇と一緒に年をとって、一緒に過ごして、喧嘩もして、皇に嫌われてしまうかもしれないけれど…………皇の願いは、わたしの隠していた願いでもありました。
けれどそれが許されないことをわたし自身は知っています。350年という長い歳月で皇みたいに手を差し伸べてくれた人をわたしはことごとく振り払ってきました。傷つけたくなくて。わたしが傷つきたくなくて。
ある人は裏切られたように思っただろうし、ある人は怒ったかもしれない。皇みたいに泣いていたかもしれないけど。
わたしとの出会いが皇の人生を良いほうへ導けばいいと思います。
この結末にわたしは……勝手なことだけど、納得しています。人間は自分の生まれた意味を求めるというけれど、たまにそれに気づく人がいるというけれど……気づけたわたしは幸運だったと思います。けれど、気づくのに300年以上かかってしまいました。長いよね。
そういえば文も長くなってしまいました。もう便箋も最後ですね。
最後だけど。
皇のことが、好きでした。今ならはっきりとわかります。
ありがとう。皇の気持ち、本当は凄く嬉しかったです。
だから、どうかわたしのことで泣くのは、これを最後にしてください。これはわたしのお願い。泣いてる皇は可愛いので、他の女の子が慰めようと寄ってくると思います。害虫を寄せ付けないためにも泣かないように。変な女に引っかかっては、惚れられた女として悲しくなりますので。
それではお元気で。
最後に「遠逆深陰」と書かれて手紙は終わっていた。
彼女らしいなと思った。最後の最後まで……変なところで素直になれない、彼女らしい。
「……うぅ、」
歯をぎしりと鳴らせる。噛み締めた音だった。皇は俯き、手紙を持っていた手に力を入れてしまう。そのため手紙に皺がついた。
手紙の上に涙が落ちていく。慌てて皇は手紙を折り畳み、自身の胸に当てた。膝の上に涙が落ちるのを、今度はためらいもしない。
「み、かげ……さんっ、深陰さんっ……みか、げ……さん……!」
繰り返し呼んでも、もう彼女は帰ってこない。
「俺、も……俺も、深陰さんのこと……っ」
好きです。まだ、過去形にはできません。
嗚咽を堪えるのが辛くなり、皇は声をあげて泣いた。声が枯れても、涙が枯れるまで、ただ……彼女を想って――――。
***
春の季節がきた。4月は、誰もが新しい気持ちで再出発する季節だ。
だが皇はそんな気持ちにはなれなかった。桜の花びらがひらひらと舞う中、皇は公園のベンチに座っていた。ここに彼女を座らせて、血を拭いたのだ。
皇はポケットからハンカチを出す。深陰が新しく買ったハンカチだ。一度も使っていない、綺麗なままで持ち歩いていた。
深陰さん。
皇はまだ蕾もある桜を見上げて思う。
あれから泣いてませんよ。泣きそうには、なりますけど。
深陰の魂が安らぎを得ていればいい。自分はその助けに少しでもなれたのなら……それだけで、嬉しい。
深陰がどんな最期だったのか皇は知らない。知るべきかもしれないけれど、まだ勇気が出ない。ああこれが、深陰の言っていた恐怖なのだろうか。怖いから、まだ逃げていたい現実だ。
深陰さん見えてますか? 綺麗ですよね、桜――。
皇は微笑んだ。きっとどこかで深陰も見ているだろう。それが天国か、あの世か、よくはわからないが。そんなものが存在していないとしても、皇はそう思うことにしている。
立ち上がる。
また明日も来よう。せめてこの桜が散るまでは。自分の心が、もっと落ち着くまでは。まだ大学が始まるまで休みはある。
歩き出した皇はふとベンチを振り向いた。そして足を止める。
「……あぁ」
なんだ、見間違い、か。
一瞬だが深陰が立っていたような気がしたのだ。誰も居ないじゃないか、と独りごちて歩き出した。空いっぱいの青。その美しさに桜の花はよく映える。
公園の中は穏やかで、平和だった。深陰がいなくなっても何一つ変わりはしない。はしゃぐ子供たちの声。散歩する老人。彼らはいつもと変わらない日常を今日も過ごしているのだ。
本当はすごく……すごく、寂しい。もうどこかで、以前のようには、偶然に彼女に会うことはできないのだ。
帰ろう、と思った時……皇の足が止まった。
公園への出入り口である場所から、真っ直ぐこちらに歩いてくるのは……。
皇は硬直し、目を見開き、それからすぐに駆け出した。
相手は皇が駆けてくるのを見て足を止め、それから両腕を広げた。皇を抱きとめるためだろう。
困ったように、けれども照れ臭そうに。白い服の上に水色のカーディガンを羽織り、膝丈のスカート姿のその人は――微笑んだ。
「ただいま……じゃないわね。『元気?』だったかしら」
皇は思いっきり相手を抱きしめ、それから手に力を込めた。どうか消えないで。その祈りを込めて。
「もう一度言わせてください――――俺は、あなたのことが――――好きです」
「知ってるわ」
彼女は皇の背中に手を回して抱きしめ返し、小さく笑ったのだった――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【6073/観凪・皇(かんなぎ・こう)/男/19/一般人(もどき)】
NPC
【遠逆・深陰(とおさか・みかげ)/女/17/退魔士】
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■ ライター通信 ■
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最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました観凪様。
長かったこのお話を少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
最後まで書かせていただき、大感謝です。
観凪様と彼女のこれからの未来に、幸多きことを祈って……!
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