|
|
■戯れの精霊たち〜地〜■ |
笠城夢斗 |
【2447】【ティナ】【無職】 |
「森とは命の集大成だ。そうは思わないかい?」
――『精霊の森』にたったひとり住む青年は、会うなりそんなことを言い出した。
「といってもここには、動物がいないんだけれどね。僕と、精霊たちがいるだけ」
どことなく遠くを見るような目。
銀縁眼鏡の縁が冷たく光る。
「だけど、その代わりに精霊たちが暖かいんだよ。そう、暖かい――大地の精霊なんかは特に。まるで人間を見ているような気がしてくるね、彼らを見ていると」
大地の精霊……?
自分が足をつける地面を見下ろす。その柔らかい土……
「あ、土にはあいにく精霊はいないんだ。この森の場合」
そう言って、青年は視線をある方向へ飛ばした。
そこに、ひとつの大きな岩と――一本の太い木があった。
「あれ。あの岩と、木に宿っているのが大地の精霊だね」
岩と木。
どちらもとても年季が入っていそうな、古くて、強くて、どっしりとかまえて――暖かい。
ずっとこの森を見守っていてくれたふたりだ――と、青年は言った。
「彼らはかけらも動くことができない。あの場所にいるのが当たり前のまま何十年――何百年だ。外のことを知りたい。でも知ることができない」
願いを、叶えてやりたくてね――と、眼鏡の青年は優しい声でそう言った。
「だから、彼らにキミの体を貸してやってくれないかな」
木と岩は、どこかほんのり輝いて見える。森の外からの来訪者を、歓迎してくれているのだろうか。
「なんだったら、遊んでくれるだけでもいいよ――僕の力で、擬人化させることはできるしね」
お願いしてもいいかな。そう言って、青年は微笑んだ。
|
咲き誇る桜、夕刻の呼び声
ティナは思う――彼女の大好きなあの人は、樹の精霊だ。
けれど。
自分以外の樹を、まともに見たことがあるだろうか――?
*****
「ん? ティナか」
“精霊の森”の守護者と名乗る青年、クルス・クロスエアが、森の中の小屋からひょいと顔を出し来訪者の名を呼んだ。
ティナはいつになく上機嫌だった。
「ファード」
開口一番、会いたい人の――正しくは精霊の名を呼ぶ。
「ファードに会いたいのか? 分かった、行こう」
クルスが言うより早く、ティナはファードのいる場所まで四足で駆け出した。
ファードはこの森でももっとも大きな樹に宿っている。
ティナはクルスがたどり着くまで、ファードの樹皮に耳を当ててファードの中を流れる水の音を聞いていた。
「――お待たせ」
かなり遅れてクルスがやってくる。ティナの四足の全速力には、人間の足は勝てない。
ティナはファードの樹から顔を離し、
「ファード、宿らせる。おでかけ、する」
「ああ、今日は宿らせる方か。――いつもありがとう」
森の守護者は微笑んでそう言った。
精霊の森。そこには精霊たちが棲んでいる。
ただし精霊たちは、そのままでは姿も見えないし、森から出ることもできない。
――魔術師でもあるクルスがそれを解決する方法を編み出したのは一体何年前のことだったか――
精霊たちを森から出すためには。誰かの体に、彼らを宿してやるしかない。
ティナの意識にファードの意識を重ねるのは、何度目かなのでするすると自然に――
ファードの、根付く力強さを感じて、ティナはうん、とうなずいた。
『ティナ』
心の中で、ティナを呼ぶ嬉しそうな精霊の声がする。
呼ばれたことが嬉しくて、ティナも「ふぁー、ど」といたずらっぽく呼んでみる。
「ファード。今日、一緒に、『おはなみ』する」
『おはなみ……?』
首をかしげる気配がする。それはそうだろう、樹が樹を鑑賞する趣味など持っているはずがない。
「桜を見に行くのかい?」
クルスが聞いてきた。ティナは、しーっと人差し指を唇に当てた。
「おっと、失礼」
青年は笑って、
「じゃあ、楽しんでおいで」
とティナとファードに軽く手を振った。
森の外へ出ると、爽やかな風か吹きぬけた。草原の揺れる音が心地よく耳に触れる。
『どこへ……行くのですか? ティナ』
「ん。ヒミツ」
『腰に……何をつけているのですか?』
不思議そうにファードが尋ねてくる。
たしかにティナは、腰に大きな皮袋をさげていた。
「ひみつ」
笑って言いながら、ティナは駆け出した。
今回のティナは少しサバイバルだ。岩場を見つけると、でっぱりに手をかけ足をかけ登って行く。
今日はファードを宿らせているせいで体が硬い。それでもティナは頑張った。
『ティナ……危ないです』
「へいき。ティナ、こういうところで生きてる」
『………』
なぜかファードの寂しそうな気配が伝わってきて、ティナは岩場を登るのをやめた。
「どうした? ファード」
『……いえ。あなたの生き方を、まったく知らない私が悲しくなってきて』
いつも優しい声が、悲しげに揺れている。ティナは慌てた。
「ティナも、ファードがどうやって生きているか知らない。気にすることない」
『でも……』
「ファードが悲しいと、ティナも悲しい」
うつむく。ファードが『悲しまないで』と懇願するような声で言った。
『そんなつもりではなかったのです。ごめんなさい』
「いい。――知らないことは、これから知る。クルス、言ってた」
『………』
「さ、登る」
ティナはもう一度、ひとつ上のでっぱりに手をかけた。
元から野生的な生活をしているティナである。ファードのために体が硬いというハンデさえなければ、この程度の岩場は楽勝なのだ。
岩場を登り終えると、そこは平になっていた。
ティナはそこに腰を落ち着ける。少しだけの休憩。
ぐるりと回りを見渡すと、ユニコーン地域が一望できた。
『まあ……』
ファードが驚いたような声を出す。
『こんなにも……広いのですね、外は』
ティナが前にファードを宿らせて外に出た時は、一部の場所にしか連れて行かなかった。こんな風に地域全貌を見るのは、ファードにとって初めてなのだろう。
「ティナ、知ってる。せかい、もっともっと広い」
ティナはうんと両手を広げた。胸を張り、風を受け止める。
『もっともっと……』
呆然と、ファードがつぶやく。
「ほら。あれ、ファードの森」
ティナは岩場から下をのぞいて指を指した。
ファードが絶句する。ここからでは、精霊の森もちっぽけな森のひとつだ。
ティナはにっこり笑って、
「こんなにいっぱいものがある、せかい。その中で、ティナの大好きな場所のひとつ」
と言った。
さあ、次は目的地へ。
風に髪をなびかせながら、ティナは今度は来た方向とは違う場所へ走った。
そこも垂直に近い岩場だった。しかしティナは難なく下っていく。
風が吹くたびに彼女のきゃしゃな体が揺れたが、構いはしない。
『ティナ……』
心配そうなファードの声がする。
「大丈夫。ティナ、丈夫。それに、慣れてる」
自信満々に言って、そして言葉通りに見事にすとんと地面に降り立った。
目の前に広がっていたのは林だった。
「ん。こっち」
ティナは四足で慎重に林を抜ける。
やがて――
柔らかい春の若草の感触が、ティナの手に触れた。
一面の視界が広がった。次に見えたのは――
ひらひらと散る、薄ピンク色の花びら。
『まあ……綺麗な樹』
ファードが感嘆の息をつく。ティナは彼女のその感想に満足した。
満開のピンク色の花をつけている樹。それは春には欠かせない、桜だった。
風もないのに不思議に散る。散っては虚空を舞い、踊るように舞い、近づいていくティナの頭上に優しく降った。
「これ、さくら。さくらって言う樹。きれい」
『ええ、とても綺麗だわ』
こんな樹もあるのね――とファードは感慨深そうにつぶやいた。
ティナは桜の樹の周りをくるくる回り、全身にさくらの花びらを受け止めた。
桜の樹の周りは、一面が林とそれを包む岩場だった。つまり人間にはたどりつけない。ここはとっておきの、秘密の場所なのだ。
一体なぜそうなったのか、中央に一本だけ咲き誇る桜の樹――
ティナは顔を上向ける。ひらりと視界を遮る花びら。鼻の上にのっかって、慌ててぷるぷると顔を振る。
ふと、
ごとっと音がして、ティナの腰から皮袋が落ちた。
「あっ」
ティナは慌ててその皮袋を持ち上げた。
『それは、何なのですか? ティナ』
不思議そうなファードの声。
「んーっと」
ティナは皮袋から瓶を取り出した。茶色い瓶だ。中身が透けて見える。液体がなみなみと入っている。
「さけ。おさけ。ティナ、初めて。ファードもか?」
『お酒……ええ、私もです』
ティナはコルク栓をかじって、ぽんと栓を抜いた。そして、入り口をぺろっとなめた。
「にがい。でも、あまい」
それは矛盾するような、しかし正直な感想――
入り口から香ってくるのは、ほろ苦い甘さの魅惑的な香りだった。
それは街人からもらってきた酒。ティナは少し酒瓶を傾けて、一口飲んでみる。
「……苦い」
ぺっと吐き出しながらも、苦さの次にくる甘さがなんとも言えず甘美だった。
『不思議な……水ですね』
樹であるファードにとっては、液体はすべて『水』と分類されるらしいが――
『甘い……水は、ある種の植物とは相性がよいのですよ、ティナ』
「?」
ファードの言っていることが一部理解できなかったティナだったが、とりあえずファードがこの『おさけ』を気に入ってくれたらしいことは分かった。調子に乗ってごくごくと飲み始める。
『あ……ティナ、このお水はあまりいっぱい飲んでは――』
樹だけに水の成分を分析する能力が高いらしい、ファードは慌てて止めようとしたが、すでに遅し。
「ふあ……あ?」
瓶を半分空けたところで、ティナは顔がかっと熱くなるのを感じた。
頭が……くらりとする。目がとろん。視界がぐにゃっと曲がる。体も芯から熱くなってくる。
「ふあ……、へん、ティナ、へん」
ティナは突然きゃはきゃはと笑い出した。そして、瓶の中身を飲み干した。
『ティナ! 大丈夫ですか?』
「きゃはは。ティナ、ふぇえき。ふぇえき」
とても平気そうではないろれつが回らない状態で言いながら、ティナはふらふらと桜の樹の周りを回る。
そして突然、桜の樹に飛びついた。
幹が揺れた。一斉に、花びらが舞った。同時に風が吹いて、ざ、ざ、ざ、と薄ピンクの花びらが偏った方向へと流れていく。
ティナは幹のところどころのでっぱりに指をかけて、木登りを始めた。
『危険ですティナ、今のあなたでは――』
「ふぇえき、ふぇぇき」
きゃははと笑いながら、真っ赤な顔のティナは幹の半分くらいのところまで登った。
そしてそこでつるっと足をすべらせ、どてっと背中から落下する。
『ティナ!』
「きゃははっ」
ティナが落ちた拍子にまた花びらが散る。それがまるでティナを彩るように降ってきた。
ティナはむくりと起き上がり、ぷるぷると頭を振る。そして、
「さくらひゃん、のぼる」
再度桜の樹の幹に手をかける。
『ティナ……』
ファードは心底心配そうだったが、やがて意を決したのか、自分の体の硬さを柔らかくしようと一生懸命努力して、ティナの動きの邪魔にならないようにする。
ティナは時々足をすべらせながらも、今度は落下することなく、まず低いところにあった太い枝を見つけてまたがった。
右も左も上も桜の花びら。――花びらは無限ではないのに、なぜか尽きることがないように思えるこの不可思議な世界。
「ね。ファードぉ」
ティナは尋ねてみる。「ファード、他の樹、見るとー、どんな気分〜?」
『え……』
ファードは少し考えた後、
『そうですね……こんなところにも友達がいた、という気分です』
その答えに、ティナは満足そうにうなずいた。
そしてまたがっていた幹の上に立ち上がると、さらに上のでっぱりに手をかける。
『これ以上上に登るつもりですか!?』
驚いた声が心から響いてくるが、ティナはお構いなしに木登りを続行した。
そして今度たどりついたのは――
桜の樹のてっぺん――
体の軽いティナは、枝の細いそのあたりに腰をかけても枝葉を揺らすだけで済んだ。片手でぐっと樹の中央部を握って、片手を額に当て、遠くを見る。そうすると、自分の下半身は桜に埋まっているような状態になった。
――遠くが見える。
岩場の上からは下しか見なかったが、今は――上が見える。
太陽が見える。
山に隠れんぼしようとしている太陽が見える。
「きゃはっ。たいよーさん、どっこに、行く?」
『太陽……』
ファードが微笑ましそうに一緒に太陽を見つめているのが分かる。
太陽は山に隠れる前に、白い雲にも顔を隠したり出したりした。
「かくれんぼっ。かくれんぼっ」
酔っ払っているティナは激しく桜の樹を揺らした。ゆさゆさと激しく揺らされ、花びらが落ちていく。
『ティ、ティナ! だめです、危険です――!』
「ね、花びら落ちてくの見るの、きれい」
『早く、早く下りてください! 貴女まで落ちてしまう……!』
「地面、花びらでいっぱいにして、埋まる、埋まる!」
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
――ぱきり、とティナが支えにしていた枝が折れた。
「うきゃっ――」
がさ、がさがさと音を立てて、ティナの体が樹の中を落下していく。
途中にあったからみあった枝のところで受け止められ、
「いたいー」
ティナはてへっと舌を出した。
体中すり傷だらけになった。中には血があふれる深い傷もあったが、ファードの治癒能力ですべての傷はあっという間に消え去った。
『もう……ティナ』
ファードがたしなめるような声で言ってくる。『だから、だめだって言ったでしょう?』
「えへへー」
ティナはにこっと笑うと、今度は酔っ払った危なっかしい足取りで樹を下り始めた。
最後の最後でまた足をすべらせたティナは、どさっと背中から地面に落ちた。
『ティナ!』
「んー、だい、じょー、ぶ」
地面は、一面花びらとなっていた。ティナはその上に寝転がったまま、ごろごろと転がった。土がつくのも構わない。花びらを体にくっつけるためには多少汚れても仕方ない。
「さくら、づけ。さくら、づけ」
『ティナったら』
くすくすとファードが笑う気配がした。
土まみれ花びらまみれとなったティナは、むくりと起き上がると桜の樹の幹に抱きついた。
「だって、ね」
夢見るように、目を閉じて……
「ファード、あまり、動かない。はしゃが、ない。花、咲かないから、花びら散らない」
『………』
「だから、花、教えてあげたい。それで、お友達、ファードの、お友達、増やしたい」
桜の幹に耳を当てたまま、ティナは言葉を紡ぐ――
と、
――……れぐらい、簡単さ――
「???」
ティナは顔を桜の幹から離して、目をぱちくりさせた。今、桜の方から声が聞こえたような――
ファードがくすくすと笑う。
『私を宿している間はね、ティナ。他の植物の声が聞こえるのですよ』
「!」
ティナはもう一度桜に耳をつけた。
――友達になるくらい、簡単さ――
「! 友達、友達!」
『ええ。――ありがとう、桜の樹さん……』
ティナは嬉しくなって、桜がたまっている場所まで駆けていくと、そこへ頭からつっこみ花びらまみれになった。
そこからずぼっと顔を出すと、
「花びら、おどれ!」
両手を広げ、花びらを撒き散らす。
薄ピンク色の舞姫はふわふわと空中を漂った。
ティナは立ち上がり、たまに街で見かける踊り子の真似をして踊りだす。
桜を浴びて、踊る踊り子。
『かわいいティナ……』
ファードが嬉しそうに囁いた。体が硬いというのに、ティナは無理やり踊ってくれる。
ファード自身には絶対できないことを、体験させてくれている。
『ありがとう……』
そこは誰も近づかないある場所でのこと――
ひとりの獣人の少女の楽しげな歌い声と、風がないのに舞う花びらが、どんな世界にも負けないほど華やかにうららかに春を呼んでいた、夕刻のこと――……
―FIN―
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【2447/ティナ/女/16歳/無職】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
ティナ様
お久しぶりです、笠城夢斗です。
このたびはゲームノベルにご参加くださり、ありがとうござました!
納品の遅さには、もう言葉ではお詫びしきれません……。本当に申し訳ございませんでした。
ティナさんのようなかわいいキャラは大好きなので、また書けてとても嬉しかったです。ありがとうございましたv
ティナさんに楽しい日々が待っていますように……
|
|
|
|