■とまるべき宿をば月にあくがれて■
エム・リー |
【2320】【鈴森・鎮】【鎌鼬参番手】 |
薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。
彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。
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とまるべき宿をば月にあくがれて 八
四つ辻に吹く風は、もうすっかり春のものとなっている。
むろん、四つ辻にも四季の移ろいというものは存在している。春には春の花が蕾を開き、夏には虫どもがからころと唱和する。あまり知る者はいないが、花腐しの雨もあれば梅雨には長雨があったりもするのだ。当然ながら雪も降る。
だが、そこにあるのはひっそりと静まりかえった夜の帳だ。そればかりは平時変わる事のない風景なのだ。
その四つ辻の中に、ただ一軒ばかりある小さな茶屋の前に、数日前からぽつんと一本の立て札が立てられている。
器用に造られたものだとは言い難い、しかし手作りゆえの温もりの感じられるそれには、一枚の紙が貼り付けられていた。
『イタチ谷村春祭りのおしらせ』と書かれた告知ポスター。貼られていたのはその紙だった。
「って事だからさ、みんな来てよ〜。侘助の作るダンゴも当然うまいんだけど、バアチャンたちが作るダンゴとかけんちん汁もほんっとヤバいんだって〜」
言いながら茶屋の中を忙しなく往行しているのは、今や四つ辻にとってなくてはならない存在ともなった鈴森鎮だ。
鎮は、今日もイタチ姿のまま、茶屋の主である侘助の肩の上にいる。片側には鎮が、もう片側にはイヅナのくーちゃんが座っているのだ。
侘助は、もう随分と慣れたもので、ふたりが肩に座っていても、器用に動いて作業をこなし続けている。今も、新たに茶屋にやってきた妖怪達に湯のみと茶うけを出してきたところだった。
「俺の生まれた故郷なんだって〜。いいとこだから、ほんと、みんなで来いよな〜」
そう続ける鎮の手は何枚ものチラシを持っている。くーちゃんの手にも数枚、同じチラシが持たれていて、ついでに侘助の手にも同じものが数枚握られている。
「俺も、話には聞いた事がありますけれどもねえ。なんでも、随分と紆余曲折を繰り返してきたみたいですけど、今じゃあカマイタチと大カマイタチに混ざって、一般の人間も一緒に暮らしてるっていうじゃないですか」
茶屋に来た客――むろん妖怪ばかりだが――に茶を差し伸べる、そのついでにとチラシをも一緒にテーブルに置きながら、侘助は安穏とした笑みを満面に浮かべた。
「そうなんだよ! 妖怪肯定派の人たちがさ、みんなで引っ越してきてくれてんだ」
鎮は嬉しそうにそう返し、はたはたと揺れる見事なひげを得意気にぴんと伸ばしてみせる。
「へえ、おまえさんたちが妖怪だって分かってて、それでもいいやっつって、一緒に生活してくれてんのかい」
チラシを手にした妖怪のひとりが興味深げにうなずいた。
鎮は意味もなく胸をそらしてふんぞり返り、得意満面といった顔で笑う。
「すばらしい村だろ」
「昼間でも、人間に化けたりせんでもいいのかい」
「あったりまえじゃん。俺らも普通にうろうろするぜ」
「その……怖がって悲鳴をあげたりってな事も」
「そういうのも面白くていいんだけどなー。村だとそれも全然だな」
そんなやりとりを幾らか交わした後、妖怪達は揃って思案に耽る色を浮かべた。
人間と妖怪とが共存していける空間。それは古今東西、おそらくは非常に珍しい、というよりは稀な、いや、前代未聞と言っても過言ではないかもしれない。
古くには百鬼夜行などと言われて怖れられ、夜ともなればどの家も門戸をぴたりと閉めきって、ちらりと覗く子供の姿でさえ稀な時代もあったのだ。それが近代へと移り変わるのと同じくして、そもそも妖怪というものの存在をすら信じようとしなくなってしまった。
黄昏時にかくれんぼをしてはいけない。隠し婆が来るから。そんなふうに子供を叱り飛ばす母親もいなくなり、山道で入道に遭ったならばお決まりの言葉をかけてやらねばならないという、そんな話を信じるものですら皆無に近い。そもそも、現代にあっては、妖怪の住める場所そのものが数少なくなってきているのだ。
そんな中にあって、鎮がひらひらと揺らすチラシの中にしたためられているうたい文句は、少なくとも人間に対し随分と好意的な心を保っている四つ辻の妖怪達にとり、これ以上にはないといっても間違いではないほどに魅惑的なものだった。
――昼日中、怖れられるのを危惧する必要も身構える必要もなく、思うさま人間達と遊び戯れる事が出来る。
鎮の誘いを断る者がいるはずもなかった。
◇
鎮が案内した村は、人の多く住む街から山をいくつか越えた場所にある、手入れの届いた里山をもった場所だった。
昭和の農村をそのまま再現してみたような、のんびりとした、そして温かな空気の広がる村だ。
「たっだいま〜!」
鎮はイタチ姿のまま、ころころと転がるように畦道の上を走り回る。
田植えの時期より少しばかり早いためだろう。まだ稲は見当たらないが、畦道にはシロツメクサが一斉に花を咲かせている。
春祭りとはいえ、決して派手なものではないようだ。しかし畦道を抜けて拓けた場所に建っていた小さな神社の参道にはそれなりの数の縁日が並び、子供から老人まで、それこそ年の差も性別も関係なしに、ベーゴマをやって遊んでいたりしている。
参道の向こうからは賑やかな笛太鼓の音色が流れ、狐やひょっとこの面をつけた子供達が歓声をあげながら駆け抜けていく。
それはまさに、昭和の初期に見られた風景そのものだった。
――そう、その人々の中に混じり、カマイタチや大カマイタチの姿までもが含まれているのを除けば。
村は、鎮の言葉通りの場所だった。
安穏とした陽射しの下、人間達が妖怪達と対等に肩を並べて言葉を交わしている。
イタチの腕にある鎌を怖れるわけでもなく、屈託なく笑う人間達。そして、むろん、鎌が人間達に傷を負わせる事のないようにと配慮してはいるが、それでもそれを隠すわけでもないカマイタチ。彼らは鎮の先導に続いて姿を現した妖怪達に目をよこして明るい笑顔を満面に浮かべた。
「いいとこだろ〜?」
ひとしきり村中を縦横無尽に駆けてきた鎮が、肩で息をしながら頬を緩める。
向こうではくーちゃんが屋台にのぼってリンゴ飴を受け取っていた。
「春祭りなんだけど、一応、そこの山の山神を祀るっていうやつなんだよな。これから田植えだしさ」
はたはたと尾を振りながら言った鎮に、侘助が大きくうなずく。
「なるほど。そのための祭りなんですね」
「んー、まあ、ただ単に、みんな騒ぐのが好きなだけかもしんないんだけどな」
返して笑い、それから鎮は侘助の肩に飛び乗って四つ辻から来た妖怪達に言を述べた。
「好きなように散らばって、好きなように遊ぼうぜー。今日は特別だ。おまえら全員分の買い物、俺がおごってやってもいいぜー!」
得意気に胸を張る鎮に、それまではやはり緊張の色を払拭出来ずにいた妖怪達の間に安堵の空気がたちこめた。
「あ、でも俺あんまり小遣いもらえてないから、やっぱりひとりひとつまでな!」
続けて述べた言葉に、妖怪達はいつもと同じ笑いをこぼし、それから思い思いの方向に散らばっていった。
「大丈夫なんですか、鎮クン」
残った侘助が横目に鎮の顔を見る。
鎮は上機嫌にうなずいた。
「あったりまえじゃん。ひとりひとつまでなら、俺の小遣いで、たぶんなんとか……」
言葉は、しかし、語尾に近付くにつれて小さなものへと変わる。
侘助は小さな笑みを洩らして眼鏡を指の腹で押し上げた。
「それでは、俺も買い物に行ってくるとしましょうか。むろん鎮クンのおごりで」
「え、侘助のも!?」
「俺も四つ辻の住人ですからねえ」
安穏と笑う侘助の肩の上、鎮は慌てたようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「なあなあ、安いやつにしとこうぜ。あ、いや、ほら、あとで俺の知ってるバアチャンのとこに連れてってやるからさ。バアチャンのダンゴうまいんだぜー!」
「それも楽しみですねえ」
「そ、それもって」
飄々とした笑みを満面に浮かべたままの侘助に、鎮はあわあわと尾を動かした。
くーちゃんがリンゴ飴を片手に戻って来て、やはり侘助の肩に飛び乗る。
「きゅー?」
「くーちゃーん。俺のぶたの貯金箱が危ういかもしんないよ」
「きゅうー?」
「いやね、鎮クンが中々に太っ腹でしてね」
言って肩を小刻みに上下させる侘助に、鎮の尾がしおしおと垂れた。が、しかしそれも束の間。
「ま、いっか」
言って再び顔をあげ、ふかふかとした尾を風にまかせながらうなずいた。
「今日は特別だしな!」
言いながら、鎮は元気よく侘助の肩を飛び降りる。
向かう先には並ぶ縁日。ベーゴマを廻して子供達をからかう妖怪もあれば、面をつけて追いかけっこに興じる妖怪もいる。中には縁日を手伝うものもいて、そのいずれもがもうすっかりと村の風景に馴染んでいた。
鎮はその風景に見入って嬉しそうに笑い、侘助を振り向いて得意気に目をしばたかせた。
「侘助もさ、いっつも客を迎えるばっかりなんだしさ。今日はゆっくり休んでいけばいいじゃん!」
「きゅうー!」
参道を駆けてゆく鎮に続き、くーちゃんもまたそれを追って駆けていく。
侘助はそれを見送って小さく頬を緩め、それからのんびりとした歩調で参道を進む。
太陽の位置は空高くにある。
碧空には雲もなく、足元に続く若草は心地良い春の風に揺らいで気持ちよく唄をうたった。
里山の緑も、春に芽吹き始めたばかりのようだ。未だ目に青く、そしていかにもやわらかそうに見える。
鎮は時折思い出したように侘助を振り向いて大きく手を振った。それに応えてくれるのが嬉しくて、くすぐったそうにヒゲを風にそよがせる。
四つ辻の薄闇の中で見る住人達。陽光の下で見る彼らの顔は、四つ辻にいるときとはまた違ったものであるようにも見えた。
――穏やかで優しく、そして懐かしそうに目を細ませる彼ら。
「誘ってみてよかったな、くーちゃん」
「きゅうー」
何度も何度もうなずくくーちゃんに笑みを返し、鎮はますます機嫌をよくして駆け回った。
「鎮クン、ちゃんと前を見て歩いてくださいね」
のんびりとした声にうなずいて、嬉しそうに手を振りながら。
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】
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ライター通信
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お世話様です。いつもご発注ありがとうございます。
鎮様が四つ辻にいらっしゃるのも、今回で8度目となったのですよね。
今回は鎮様のふるさとにお招きくださいまして、まことにありがとうございます。
山神とか、そういうのはわたしの勝手で足してしまったのですが、もしかしたら
そういうのは持たない里であったりするだろうかと、ちょっとドキドキします。
でも、妖怪と人間とがなんら障壁なく共存できる場所というのは、もしかしたら本当にどこかに存在しているのじゃないかなと、時々妄想に耽ります(笑
素敵ですよね。そういうの。
それでは、今回のノベルが少しでもお気に召していただけますように。
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