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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

「いい天気だなぁ……」
「そうね。雨が降らなくて良かったわ」
 澄んだ空。風は少し強いけれど、五月晴れの爽やかな一日。
 初夏の陽気の中、シュライン・エマは草間 武彦(くさま・たけひこ)と一緒に、ある場所へとむかって歩いていた。武彦は歩きながら、つい煙草を探そうとして、何かに気付いたように手を止める。
「シュラインが手伝いに行く所って、この前花見の案内をしてくれた太蘭の家なんだっけ?」
 そう。
 今日のシュラインは、梅雨前に庭の手入れなどをしたいと太蘭に頼まれ、その手伝いに行くところだ。太蘭の家の庭には、タタラ場(日本刀を打つための鍛冶場)だけではなく、蔵もあるのでかなり広い。そこに大きな蜜柑の木が植わっているし、隅っこでは家庭菜園もやっているらしい。
 何にせよ手入れのし甲斐がありそうなので、今日は武彦も連れてきている。太蘭の家には猫の手はたくさんあるが、悲しいかな草むしりは出来ない。
「武彦さんも行くと興味深いと思うわよ。日本刀とか、銃のレプリカとかもあるし、猫ちゃん達も可愛いし」
 しばらく歩いていると、白い花に包まれた大きな蜜柑の木が見えてきた。木で出来た塀に入ると、いつものように玄関先では、たくさんの猫たちが固まって日向ぼっこをしている。
「こんにちはー。今日は武彦さんも一緒なのよ」
 いつもと違う訪問者に、猫たちは興味津々だ。目線を合わせるようにしゃがむ武彦の足に、頭をすり寄せる。
「人懐っこいな、お前達」
「うにゃー」
 目を細めているのは、白よもぎ猫の正宗(まさむね)か。二人で座り込んで猫を撫でていると、カラカラ……という音と共に玄関の引き戸が開いた。
「あ、こんにちは。太蘭さん」
「こんにちは。今日はシュライン殿だけではなく、草間殿も一緒なんだな。ひとまず上がってくれ」
「お邪魔します」
 太蘭が家に入ると、猫たちもとことこと後を着いていく。その後ろに、シュラインと武彦が着いていくかたちだ。
「おっ、年代物ぽい兜だな」
 玄関にある靴箱の上には、青いビロードの上に兜が飾られていた。おそらく五月ということで、飾りを変えたのだろう。その横には菖蒲の花が生けてある。
 欄間(らんま)や家の造りなど、ここは由緒正しい日本家屋なので、ただ見ているだけでも面白い。居間に入ると、太蘭は二人に冷たい緑茶と柏餅を出してくれた。
「太蘭さん、先日は美味しいウドと、桜の見所をありがとうございました。これ、そろそろ飲み頃のオレンジ酒なんだけど、よろしかったらどうぞ」
 オレンジ色に染まった瓶を渡すと、太蘭が嬉しそうに目を細める。
「いつもいい物をすまない。今、桜の葉の塩漬けを作っているので、出来上がったらシュライン殿にもお裾分けしよう」
 シュラインと太蘭は、こうして手作りした物をお互い交換する仲だ。そんな二人の会話を聞きながら、武彦は猫を膝に乗せ撫で回す。
「太蘭が漬けたぬか漬け、シュラインにもらって食べたけど美味かったな。切ってタッパーに入れておいたら、皆があっという間にお茶請けにして喰ってた」
「ぬか漬けはいつもあるから、今日も持って行ってくれ。一緒に漬けた昆布も、茶漬けにすると旨いから、今日はそれも入れておこう」
 何だか催促してしまったような気もするが、太蘭はそういうことはあまり気にしない方らしい。しばしお茶を飲みながら、シュラインの作った果実酒が美味しいとか、そんな話をして一息着いた後、太蘭はすっと立ち上がる。
「そろそろ、作業しようか。一緒に話していると、楽しくて根が生えそうだ」

 軍手に帽子、そしてエプロン。
 日に焼けないように日焼け止めも塗り、シュラインと武彦は縁側から庭の方に出ていた。大きな蜜柑の木が目に付くが、よく見ると庭には色々な草木が植わっている。
「庭の草むしりと、隅の方の家庭菜園の手入れだな。草間殿は大丈夫だろうが、シュライン殿は、虫とか嫌いじゃないか?」
 ガーデニングにはどうしても害虫退治がつきものだ。日本手ぬぐいを頭に巻いた太蘭にそう聞かれ、シュラインは武彦と顔を見合わせる。
「シュラインは、茶色のアレ以外は大丈夫なんだよな」
「いやいや、やめて。名前を聞くのもダメなの」
 生き物や幽霊などは怖くないが、シュラインはゴキブリだけはどうしてもダメだ。興信所でもホウ酸団子などを置き、徹底的に退治しているぐらいだ。まあ、後始末は武彦の仕事なのだが。
「家にはそれはいないから大丈夫だ。化学肥料や農薬を使わないから、土を掘るとミミズがいるかも知れないが、それは逃がしてやってくれ」
 ミミズやテントウムシの幼虫は、植物には益虫だ。だがナメクジや毛虫、蜜柑の木につく芋虫などは退治しないと後々大変らしい。
「じゃあ、俺は梯子借りて蜜柑の木についてる虫とか退治するから、シュラインは草むしりだな」
「それがいいだろう。俺も草むしりと、家庭菜園の土を耕して苗を植えたりしよう」
 やっぱり武彦を連れてきて良かった。普段からあまりアウトドアな方ではないが、こうやって体を動かすのは武彦も楽しいらしい。風が吹くと蜜柑の木もさわさわと揺れ、辺りに甘い香りが漂う。
「蜂に刺されないようにね、武彦さん」
「ああ、芋虫だけ退治する」
 シュラインも地面に生えている雑草を、手や借りたスコップなどでむしっていく。と言っても、元々太蘭がマメだというのもあり、雑草を抜くのは簡単で、後は家庭菜園の間引きや、支柱立ての手伝いが主な感じだ。
「菜園には、何を植えてるのかしら」
「植えているというか、勝手に生えているのも多いな」
 シソやミョウガなどは、庭に自生しているようだ。ミントやパセリなど、勝手に増えるハーブ類は、あまり手を掛けない方が案外よく育つ。支柱を立てているのはトマトや茄子、キュウリなどの苗だ。
「庭で作るのは夏野菜ばかりだな。今年は種生姜を買って、少し増やしてみようかと思ってるんだ。梅酢に漬けて紅ショウガも作れるし薬味にもなる」
「夏に、取れたての野菜食べるのっていいわよね。田舎だとトマト丸かじりして……なんか素敵だわ。東京じゃないみたい」
 庭が広いせいなのか、それとも家自体が醸し出す雰囲気のせいなのか、太蘭の家にいるとここが東京だと言うことを忘れそうになる。でも、古き良き時代から変わっていないのだと思えば、それも不自然ではない。
「収穫時には食べきれなくなるから、その時はシュライン殿を呼んでお裾分けしよう。育てたり作るのは好きなんだが、作った後のことはあまり考えてないんだ」
 そう言われると、何だか夏が楽しみだ。
 シュラインも鼻歌を歌いながら土を耕したり、枝豆を撒いたりする。帽子を被ってはいるが、やはり今日は初夏の陽気だ。知らず知らずのうちに汗が流れ、それをそっと軍手の甲で拭い。
「うーん、土の匂いがするわ」
 結構いい運動になってしまった。武彦の方も害虫退治を終え、苗を植えるのを手伝ったり、ビニールを被せたりと奮闘している。
「探偵仕事と別の筋肉使うな」
 首にかけた手ぬぐいで汗を拭いながら武彦が笑う。
「そうね。でも、土に触れる場所があるのっていいわよね」
 心地よい汗、心地よい疲れ。それに少し体を伸ばすと、太蘭が家の中を指さした。
「お疲れ様。二人とも家の風呂で汗を流していくといい。地下から湯を引いてある温泉だから、疲れも取れる」

「……本当に温泉だわ」
 流石に男女別れてはいなかったが、太蘭の家の湯船は岩などで作られているものだった。これぐらいの広さがあれば、民宿が出来るそうだ。家も広いし、もしかしたら元は何かの店だったりしたのかも知れない。
 「汗が引くまでこれを着るといい」と太蘭が用意してくれた作務衣に着替え、シュラインが廊下に出ると、脱衣所の前で真っ白な猫の一文字(いちもんじ)がちょこんと座って待っていた。
「お風呂頂いちゃったわ。早く戻らなきゃね」
 居間の方に戻ると、太蘭と武彦が縁側の方に出て二人で冷酒を飲んでいるのが見えた。そっと部屋を覗くと、武彦がぐい飲みを持って振り返る。
「先に頂いてるよ。今、レプリカ銃の話してたんだ」
「あら、それは私も聞きたいわ」
 前々から、レプリカ銃についてはシュラインも話を聞きたかった。そそっと近づいて座ると、太蘭が新しいぐい飲みに酒を注いでくれる。
「旧日本軍が使っていた銃は、設計図を作らずに熟練の職工が、一挺ずつ職人芸で調整してたんだ。ある意味芸術的とも言えるな……三八式歩兵銃などは終戦近くまで使われてたぐらいだ」
「そうなの?」
「じゃあ、ずいぶん前から使われてないか?」
 三八式歩兵銃が使われ始めたのは、明治三十八年だ。それから終戦近くまでというのはかなりの物だ。驚く二人に太蘭は、目を細めて頷く。
「それほど使いやすく、性能が良かったんだ。大量生産品ではなく、職人が作ったというのが興味深くて、レプリカは大抵そういうのばかり作っている」
 シュラインは、それを聞きながらこくっと冷酒を飲んだ。
 職人が調整していた銃というのは、何だか一本ずつ作る刀と似たような所があるのかも知れない。そんなことを思っていると、武彦が火のついた煙草をくわえた。
「昔の銃しか作ってないのか?」
「いや、調整して欲しいと言われれば、ハンドウエポンなら大抵は何とかなる。弾は頼まれて作ることもあるしな。まあ面白いかどうかと聞かれると、それは別だが」
 やはり太蘭にはオートピストルよりも、刀や少し古い銃がよく似合う。もしかしたら誰かのために作ったり、調整したりしているのかも知れないが、その辺りに触れるのはやめておこう。
「やっぱり職人気質なのね」
「ニャー」
 シュラインがそう言って頬笑むと、何故か後ろの方で猫が返事をする。それに振り返ると、前にシュラインがここに来て作った折り紙の猫や巻き貝、ユニット折りの『Ring of Rings』などがケースや額に入れて飾られているのが見えた。
 武彦もそれに気づき指を指す。
「あれ、シュラインが作ったやつだよな」
「ああ。折角だから額に入れたりして飾ってあるんだ。俺も暇を見てユニットを作っているんだが、見せられるにはまだまだだな」
 そういえば『Ring of Rings』の折り方をシュラインが教えたときに、太蘭は一センチ刻みで紙に線を引いていたが、まだあれを作っているのだろうか。
 太蘭が冷酒を飲み干し、ふぅと息を吐く。
「本当は蜜柑の花が咲くまでには、額に入れられるぐらいの物にしようと思っていたんだが」
「凝り始めると、色の配置とかにこだわっちゃうんでしょ?何となくそんな感じがするわ」
「分かる分かる。そういうところが職人っぽい」
 クスクス……と楽しげな笑い声。
 言われた太蘭も一緒になって笑っている所を見ると、自覚はあるようだ。その笑い声に合わせて一文字も鳴く。
「あら、返事してるの?」
「ニャーア」
「ふふふっ、おいで〜。一文字は蜜柑の花と同じ真っ白ね」
 さわさわと、風で木が揺れる。その度に地面に映った影も揺れ、甘い微かな香りが辺りを漂う。そしてシュラインの足下には、真っ白い猫。
「何だかこの季節の花見も乙だな。どうしても桜に目が行くけど、こういうのもいい」
 煙草の煙が空に消えていく。その横で太蘭は、全員のぐい飲みに冷酒を注きながら少しだけ笑う。
「そうだな。年中移り変わる花を見ながら飲むのも良いし、月を肴にするのも一興だ。縁側があると、茶と酒で年中暮らせる……また、二人で遊びに来るといい。家は無駄に広いから、客が来ると猫も喜ぶ」
「ただ遊びに来るだけじゃ悪いから、また草むしりでも資料整理でも呼んでちょうだい。太蘭さんのお家って、何だか居心地良いのよね……」
 まあ流石にお風呂を借りるのは、一人の時は微妙なので武彦と一緒の時限定だ。太蘭は多分全く気にしていないだろうし、邪な気を起こす事もないだろうが、シュラインとしてはやはり気になる。
「俺も暇なときは呼んでくれ……って、シュライン。風呂どうだった?」
 その言葉ににこっと笑い。
「すごく良かったわよ。武彦さんもお風呂借りる?」
「遠慮しないで入っていってくれ。その間シュライン殿と、折り紙でもして待っていよう」
 シュラインと同じように笑う太蘭を見て、武彦が溜息混じりに笑う。
「じゃ、風呂貸してもらうかな。旅行に行く暇も金もないけど、ここでならちょっとした旅行気分だ」
「なら作務衣とタオルを出してこよう。シュライン殿は、しばらく猫でも揉みながら待っててくれ。すぐ戻る」
 二人を見送り、お酒を一口。蜜柑の白い花と、足下の白い猫。皿に乗っている人参のぬか漬けを、お行儀悪く手でつまみ。
「トマトや枝豆が大きくなるの楽しみだわ。蜜柑もこれから花が散って、実がなるのね」
 また夏が来て、そして季節が巡って。
 もう一度ぬか漬けをつまみ、シュラインは蜜柑の花を静かに見つめていた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
太蘭の庭の手入れの手伝いと、そこから色々とお話ということで、ばたばたのんびりな話を書かせていただきました。温泉がやっと出てきてますね…そのうちお泊まり会でも出来そうな勢いです。
銃のレプリカの話は、別のNPCの話とも繋がってます。図面がないのに職人が手作業で作るというエピソードに、何だか心惹かれる物があります。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。