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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

 少し初夏の陽気の、気だるい昼下がり。
 ランチタイムが過ぎてしまったので、蒼月亭の店内にはマスターのナイトホークと従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)、そしてコーヒーを飲んでいる黒 冥月(へい・みんゆぇ)の三人だけしかいなかった。
「今日はいやに静かだな」
「連休明けだから、こんなもんだろ」
 最近の蒼月亭は昼間にも客がいることが多いが、香里亜が来るまでは大体昼間はこんな感じだった。そんな事を思い出しながら、冥月がカップを置くと、香里亜が突然こんな事を言い始める。
「そう言えば、ナイトホークさんと冥月さんって、私が東京に来る前からのお知り合いなんですよね?」
「そうだが、それがどうかしたか?」
 香里亜が東京にやってきたのは、丁度一年前ぐらいのことだ。ふい……と視線を上げ冥月が香里亜を見ると、当の本人は不思議そうにナイトホークと冥月を交互に見ている。
「いえ、このお店って大通りから少し中にあるので、冥月さんがどういう経緯でこのお店を知ったのかなって、不思議だったんです。クーポン雑誌に載ったりしているのも、つい最近ですからそういう関連じゃないですよね」
 そうだ。
 香里亜が来てから蒼月亭は季節のイベントなどで賑やかになっているが、冥月はその前からこの店を知っている。
 そして、この店を知ったきっかけ。
「そうだな……」
 そう呟きながら、冥月は奥の方で煙草を吸っているナイトホークを見た。ナイトホークは少し笑いながら、こんな事を言って香里亜をからかう。
「香里亜は、色々聞きたがりのお年頃だな」
「えー、だって不思議じゃないですか」
 その眼差しは、あの日と同じようにも見え……。


 冥月がこの店を知ったのは、香里亜が蒼月亭に来るずっと前のことだ。
 それが秋だったのか春だったかは詳しく覚えていない。そもそも冥月は、よほど特別でもない限り、記念日など覚えたりしない方なのだ。
 その日の蒼月亭は、夜なのに客が全くいなかった。
「今日は閑古鳥が鳴いてるな……」
 元々蒼月亭という店自体、ナイトホークが趣味と道楽でやっているのでこういう日は多々ある。煙草の煙と共に溜息をつき、早じまいしようかと思ったその時……。
「………!」
 突然店の入り口横の壁が、何者かによって吹き飛ばされた。いったい何が起こったのかと驚き、カウンターから身を乗り出して覗き込むと、そこには痩せた老人を追詰める黒服女……冥月が立っているのが見えた。
「いらっしゃいませ……じゃねぇな、こりゃ」
 冥月はカウンターの中で煙草をくわえ、目を丸くしているナイトホークを一瞥し一言こう言い放つ。
「すまん、後で弁償する」
 だが、冥月はカウンターの中にいる色黒で長身の男……ナイトホークを見てこう思っていた。
「怯えた様子がない……素人ではないな」
 普通店の壁が吹き飛ばされれば、一瞬何が起こったか分からずあっけに取られても、しばらくしたら現実に戻って騒いだり怯えたりするはずだ。だがナイトホークはカウンターの中で煙草をくわえたまま、のんびりと棚にある酒を床に下ろしたりしている。この様子なら警察などに通報される事はないだろう。
「カウンターの外はお客様のスペースですので、ごゆっくり」
 ナイトホークとしては、取りあえず壊されたのが壁だけのようなので、特に何かを言う気もなかった。古くからの友人に譲られた木の看板は、取り替えようがない物なので壊されると困るが、後は何とかなる。店にある酒なども、一応勿体ないので棚から下ろしてはいるが、本当に稀少な物は別の場所に置いてある。
 さて、騒がれないのであればさっさと仕事を済ませてしまおう。冥月は自分を睨み付ける老人に向き直った。
「破壊の『概念』が付与された腕か。私の影さえ壊すとは恐れ入るが、逃げ切れはしない。観念しろ」
「う、うるさい!お前なんか僕の手で壊してやる……」
 ゆらりとした動きで老人が立ち上がる。
 そこでナイトホークはその老人の不自然さに気が付いた。
「なんだ、あれは……?」
 確かに目の前にいるのは老人だ。なのに着ている服はどう見ても子供っぽい。帽子にはゲームのキャラクターがついているし、斜めにかけているバッグにも同じキャラクターのイラスト。
「俺には関係ないか。触らぬ神に祟りなしだ」
 余計な詮索をして、面倒事に巻き込まれるのはたくさんだ。吸っていた煙草の火を消し、新しい煙草をくわえ、その辺にあったライターで火を付ける。
 老人に向き合ったままの冥月は、口元に薄く笑みを浮かべていた。
「体に教えねば駄目か。ならば来い」
「黙れ!僕の力があれば、お前なんか簡単に殺してやれるんだ!」
 確かに『破壊の概念』が付与された腕で触れられれば、人一人簡単に殺せるだろう。現に彼はそうやって色々な物を壊し、殺し、逃げ回ってきた。
 しかし、彼はまだ気付いていないことがある。
 一生懸命襲いかかろうとする手を冥月は簡単にかわし、狭い店の中を重力がないように身軽に飛んでみせる。
「どうした、店の物を壊すだけか?」
「畜生!どうして当たらないんだ?」
 派手な音を立ててテーブルが壊れた。カウンターの中ではナイトホークが、煙草をくわえたまま溜息をついている。
「……アンティークの、いいテーブルセットだったんだけどな」
 形ある物はいつか壊れるのだから仕方がない。店の中では冥月が老人の攻撃をすり抜け、逆に容赦なく蹴りなどを食らわせている。
 どんなに強い攻撃でも、当たらなければ全く意味がない。
 影すら壊す強力な力でも、それをかわす体術があればいくらでも対処は可能だ。それになんと言っても経験が違う。
 ゲーム感覚で人を殺したり、物を壊したりしているこの老人と、生きるために人を殺す技術を身につけざるを得なかったあげく、修羅場をくぐり抜けてきた冥月とでは踏んだ場数が違いすぎるのだ。
「これで終わりだ」
 ヒュッと風を切る音を立て、老人の右手をかわした冥月は、がら空きになった腹を思い切り殴りつけた。
「くっ……!」
 その勢いで老人の体が壁に叩きつけられ、壁に掛かっているアンティークの時計がぐらっと揺れる。
「うっ、うわああああーっ」
 壁を背にし、老人は呆然とした表情を見せた後いきなり大声で泣き出した。火がついたような、もしくは自分の思い通りにならないのが悔しいというような、そんな泣き方だ。
 それに構わず冥月は老人を見下ろす。
「人体実験には反吐が出るし、十歳の年でそんな体にされた事は哀れに思うが、同情はしない。仕事だからな」
 人体実験。
 その言葉に、カウンターにいたナイトホークが一瞬眉間に皺を寄せた。
 自分でも、つい忘れそうになっていた言葉。この女は老人に向かって「十歳」と言った。ならば老人と自分は、ある意味同じ立場だ。
 一歩間違えば、追われていたのは自分である可能性もあった訳で……。
「うわああーん……ああーん」
「仕事は生け捕りか、死体を持ち帰る事だ。自分で選べ」
「嫌だよ……死にたくない……」
 冥月は黙ったままだ。
 ナイトホークも何も言わず、カウンターの中で腕を組んでいる。すると泣いていた老人の視線がそっちへ向いた。
 ここにいるのは誰だ?
 自分を追いかけてきた女を倒すことは出来ないが、こいつを人質にしたら……。
 それは浅はかな考えだった。老人はナイトホークを見据え、最後の力で走り込もうとする。
「お前も道連れだあっ!」
「………」
 それは出来ない相談だ。
 煙草をくわえたまま、ナイトホークは全く表情を変えない。そして老人の体にどこからともなく飛び出した影の槍が突き刺さる。そしてその体が影に飲み込まれた。
「血で店が汚れる前に、どけといたぞ」
「そいつはどうも」
 結局、こうするしか方法がなかったのかも知れない。生きていたとしたも、元の体に戻れる保証はないし、破壊を心から楽しむようになっていた。ポケットから携帯を取りだし、冥月は草間 武彦(くさま・たけひこ)に電話を掛ける。
「草間か。標的の『遺体を発見』した。それと……」
 壁などを壊してしまったこの店の弁償をさせなければならない。何か店の名前が分かるような物を探していると、何かを察したナイトホークがぼそっとこう言う。
「……蒼月亭」
「ああ、蒼月亭という店が半壊している。依頼主に手配させろ」
 どうやらここの店主は食えない奴のようだ。電話を切り、冥月はナイトホークに礼をする。
「店を壊してすまなかったな」
「いや、別に。それよりコーヒーでも飲んでいかないか?」
「は?」
「店に来て何も頼まないで帰られるのも、それはそれで癪だから。コーヒーぐらい飲んでいってくれても、罰は当たらんと思うけど」
 変な奴だ。普通目の前で店を壊され、あげく人まで死んでいるのに「コーヒーを飲んでいけ」とは。だが目の前でコーヒー豆を挽き始めたナイトホークに、冥月は大人しくカウンターに座る。
 それと同時にナイトホークも心の中で苦笑していた。
 本当は「人体実験」という言葉が気になって呼び止めたのだが、気の利いた台詞が出なかった。だが何か話さないとまずいだろう。コーヒー豆を挽きながら、何気なくクッキーを出し溜息一つ。
「人体実験って、あれ本当?」
「……聞いていたのか」
 出されたクッキーをつまみ、冥月もナイトホークを観察している。肌の色のせいでどこの生まれかがよく分からない。だが神経が太いことは確かだ。
 しかし、自分の能力とかを聞かれるかと思ったのに、いきなり人体実験の話をしてくるとは思わなかった。「東京」に住む人間は自分も含め、多かれ少なかれ何か抱えているが、目の前でコーヒーを入れている男も、もしかしたらそうなのかも知れない。
 ネルに挽かれたコーヒーが入れられ、湯を落とし始めると店の中に香ばしい香りが漂った。
「そうだったらどうするんだ?」
 逆に問い返された。
 確かに取りあえず聞いてはみたものの、本当にそうだったとしても自分には何の手出しも出せそうにない。それにナイトホークが探しているのは、たった一つの研究所のことで。
「いや、聞いてみただけ。戦前からあって、今でも裏で続いてる所だったら知りたいなと思ってね」
「守秘義務があるから、依頼人に関しては言えん。だが、お前が探している場所とは違うと言うことだけ教えてやろう」
「ん、ならいい」
 湯気の立つコーヒーカップが、冥月の目の前に差し出された。それと共にナイトホークは少し笑ってこう言う。
「当店自慢のブレンドコーヒーをどうぞ。俺はマスターのナイトホーク、今後ともよろしく」
「黒 冥月だ」
 自分の名を名乗り、コーヒーを飲む。それはスッキリと研ぎ澄まされたような味で、冥月の好みにかなり合っていた。
 ナイトホークが何を思っているのか、どういう経緯で戦前から続いている研究所について知りたいのかは分からないが、これならたまにコーヒーを飲みに来るのもいいだろう。今それを問うても、きっと答えは返ってこないだろうし、そのうち知ることもあるかも知れない。
「コーヒーは美味いな」
「それはどうも」
 台風が通過したような店の中、カウンターだけが時間が止まったようだった。


「……草間に紹介されてな」
 冥月は、嘘をついた。
 草間絡みの仕事でここを偶然知ったのは本当だが、香里亜にそのことを言う必要はないだろう。壁も直ったし、テーブルもあの時とは違うアンティークのセットが置いてある。
「そうなんですか。二人ともコーヒーお好きですもんね」
 それを聞いた香里亜がにこっと笑うと、ナイトホークも笑ってキッチンを指さした。
「香里亜、そろそろオーブン見て来いよ。クッキー焼くのは良いけど、炭焼きされる困るから」
「はーい。でもそんなに時間経ってないし、炭焼いたことないですから。冥月さんに誤解されちゃうじゃないですか」
 クスクスと笑い、コーヒーカップを見るとすっかり空になっていた。そんな冥月を見て、ナイトホークがコーヒーミルを用意する。
「当店自慢のブレンドでも如何ですか?」
「お前の奢りならもらおうか」
「かしこまりました」
 あれから蒼月亭に来るようになり、季節が移り変わり、色々な物が変わった。
 香里亜が東京に来たことや、生きる目的が少しずつ出来たこと、そして冥月とナイトホークの間にあった秘密を少しずつ話し始めたこと。
 多分これからも、色々と変わっていくことはあるだろう。
「お待たせしました、当店自慢のブレンドです」
 それでも冥月が飲んだコーヒーは、あの日と変わらない研ぎ澄まされた味だった。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
蒼月亭に初めて来たときの話でしたが、お互いすごいきっかけでしたね。研究所については、最初の頃はあんな感じで素っ気なくですが、そのうちまた少しずつ話していくのだと思います。さりげなく出合った頃と、今と違う部分があったり…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。