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■過去の労働の記憶は甘美なり■

水月小織
【6118】【陸玖・翠】【面倒くさがり屋の陰陽師】
東京では仕事を選ばなければ稼ぐ手段に困らない。
かと言って、紹介する者を選ばなければどんな目に遭うか分からない。
いつものように『蒼月亭』のドアを開けると、こんな文句が目に入ってきた。

『アルバイト求む』

さて、ちょっと首を突っ込んでみようか…。
過去の労働の記憶は甘美なり

 愚か者め。
 皇女の身でありながら、人に懸想し、我らを裏切った女。
 何故人に味方する。何故人と生きる。
 その血が絶えるまで、我らの恨みは終わらぬ……。

「……面倒なことになったな」
 鞘袋に入った刀を持ちながら、太蘭(たいらん)は遠く家の灯りを見て溜息をついていた。
 刀匠である太蘭は、先日ある旧家から一振りの日本刀を譲り受けたのだが、その刀はどうやら曰く付きの物だったらしい。家には魔除けの蜜柑の木や、結界もあるのだが、如何せん猫たちが気配を察して怯えるので、仕方なく刀を持って外に出ている。
 刀の銘は『花菖蒲(はなしょうぶ)』
 鐔の部分に菖蒲の花が彫り込まれている、古刀だ。それ以外の装飾はほぼない。
 だがこの刀にはこんな話があった。
「鬼が嫌う『花菖蒲』と銘をつけたこの刀は、鬼斬りの刀だった」……と。
 旧家にあったうちは使い手もいなかったので、鬼達も気にも留めていなかったのだろう。だがそれが外に出され、太蘭の手に渡ってしまった。太蘭としては別にわざわざ鬼を斬りに行く気もないのだが、相手はそう思ってくれないようだ。血気盛んな者に目を付けられ、こうして外に出歩いている。
「俺の行いが悪かったから、仕方あるまいが」
 元々人喰いで邪眼持ちの魔物である太蘭は、鬼達から嫌われている。人を喰うのに鬼ではなく、鬼を斬る刀を打つ。別にお互い関わらない程度に生きればいいのに、こういうときは面倒だなと太蘭は思う。
「…………」
 これからどうするか。
 無論折角譲り受けた刀を鬼どもに渡す気はないし、みすみすやられてやる気もない。
 ただ早く何とかしないと、家のことが何かと気になる。一応猫の餌遣りとぬか床などについては、電話を掛けて頼みはしたが、どうしても気になって仕方がない。
「早く何とかせんとな」
 取りあえず鞘袋を持ったまま、太蘭は走る。

「良い月夜ですね……」
 陸玖 翠(りく・みどり)は月夜の下を歩きながら、そう呟いた。これぐらいの季節になると、夜の散歩が楽しい。冬の凍ったような夜空も美しいが、薄着で歩くにはちょっと寒い。
 今ぐらいの蒼い空と、明るい月。
 街灯が少ないところを選び歩いていると、不意に目の前に何かが躍り出た。
「太蘭殿?こんな遅くに何を」
 それは鞘袋を持った太蘭だった。元々無表情気味なので、何を考えているかよく分からないが、こんな遅くに日本刀を届けに行く訳でもないだろう。翠の声に太蘭は顔を上げると、鞘袋と逆の手を軽く挙げた。
「翠殿、久しぶりだな」
「どうかされたのですか?」
「ちょっと刀を狙われて、鬼ごっこ中でな。捕まると面倒なので、逃げている」
 太蘭がそう言った瞬間、総毛立つような殺気が向いた。風を切る音と共に何かが振り下ろされ、二人は軽い身のこなしでそれを避ける。
「しまった、見つかったか」
 そこにいたのは、赤い瞳に長身の女の姿をした鬼だった。肌と髪の色も赤いので、全員が燃えているようだ。鬼は太蘭を一瞥した後、翠の方を向いた。
「刀を追うてきたら、裏切り者の娘に会えるとはわらわも運がいい。二人共々黄泉の国に落としてやろうぞ」
 裏切り者の娘。
 そう言われ、翠は軽く溜息をつく。そう言われて罵られるのには慣れている。今更言われたところで、腹を立てるのも面倒だ。
「太蘭殿は、これに追われていたのですか?」
「ああ。鬼斬りの刀が俺の手元にあると気に入らんらしい。まあ、あまり仲も良くないから、仕方ないが」
 この様子だと、どうやら自分も巻き添えになってしまったようだ。追ってきた鬼をそっちのけにし、翠と太蘭は攻撃を避けながら普通に話をする。
「鬼斬りの刀があるのでしたら、それで斬ればよろしいでしょう」
 ヒュッ。
 風を切った長い爪を、太蘭が飛んでかわす。
「保存状態があまり良くなくて、研ぎ直しが必要だ。それに拵えも作り直さなければ使い物にならん。それが終わってからなら、いくらでも相手をしてやれるんだが……」
「面倒ですねぇ」
「全くだ」
 太蘭と背中合わせになり、何故か翠は笑った。
 どうも太蘭と自分は似ているところがあるらしい。それに、鬼に関しては翠も思うところがある。巻き込まれてしまったが、このまま太蘭を見捨てるつもりはない。
「ええい、ちょこまかと蝿のように動きおって!」
 鬼が苛ついたように叫ぶ。
 ここからどうしようか。路地裏で戦えない訳ではないが、人に見られると後々面倒だ。ならば人気のない所まで少し離れた方が良いだろう。
「太蘭殿、走れますか?」
 足下の雪駄を見て翠がそう言うと、太蘭は目を細めて頷く。
「靴よりこっちの方がよほど走れる」
「ならば行きますよ。乗りかかった船ですし、私も色々ありますから、太蘭殿をお守りしましょう」
 その瞬間、二人が同時に走り出した。それは人とは思えない速度で、時折塀や電信柱を足場にして闇へと消えていくようだ。
「待てえぇぇっ!裏切り者め、鬼の血を引きながら人に味方するか!」
 ちっ。
 翠の口から小さな舌打ちが漏れる。
 鬼の血を引く娘。裏切り者……それは翠の出生に由来するものだ。翠の母は鬼の身でありながら、人に懸想した。しかも敵である陰陽師と子を成したのだ。
 それは鬼達から見れば、充分裏切りであろう。自分達を封じ、時には使役する陰陽の術使いに心を奪われたのだから。
 それに関しては既に遠い昔の話だ。
 歴史の授業になるほど昔の話をされても、翠としてはわざわざそれをどうこう言うつもりもないし、相手の事情も分からぬ訳ではないので、お互いの領域を守って暮らせればそれで良いのではないかと思う。
 しかし、相手はそう思ってはくれないらしい。
 父と母を殺してもなお、その恨みは翠に向けられる。全ての鬼がそう思っている訳ではないのだろうが、こういう時はその執念深さに呆れることもある。
「全く、面倒ですねぇ」
 もう、遠く思い出せないほど昔のこと。
 なのにまだ恨みは続くのか。
 すると太蘭が隣を走りながら、くす……と笑った。
「執念深いのは、何代でも祟ると言うからな。猫でさえ七代なのに」
「太蘭殿は、何か恨まれる覚えでも?」
「今は喰わんが、元々俺は人喰いだからな。しかも刀も打つ。ずっと日本にいた訳ではないから、縄張りに関して文句があるらしい」
 人ではないとは思っていたが、そういうことか。魔を封じる守刀を打ったのも頷ける。
「なら、事を荒立てたくない気持ちは分かりますね」
 翠の見立てが確かなら、太蘭なら自分を追っている鬼を倒すことも出来るはずだ。だがそうすると、また何かとややこしいことになるのが嫌なのだろう。出来れば大人しく暮らしたいという気持ちは同じだ。
 走った先は人気のない公園だった。
 ここは民家からも適度に離れていて、戦うのに丁度いい。息も乱さずそこに立つ翠と太蘭に、追いついた鬼が嗤う。
「ハハハハッ、ここで決着を付けると言うか。面白い。どちらがわらわの相手になる?」
 その笑い声が闇に響き渡った。鬼は二人を見て言葉を続ける。
「『緋の鬼女』……そなた、わらわ達の所に戻る気はないのかえ?」
 既に忘れかけていた名。
 戻るというのは鬼へと戻り、人に仇なす存在になれと言うことなのだろう。だがそのつもりは翠にはない。
「お断りします。私は陰陽師ですから」
「人と生きると言うか、愚か者め!」
「ええ。もう昔の話ですからねぇ」
 キッ、と鬼が太蘭に目を向ける。
「お前はその刀を抜かぬのか?お前の刀で、わらわ達の同胞がたくさん斬られたわ」
「……俺はつまらん物は斬らん」
「出来損ないの人喰いの癖に、偉そうに美学を語るか」
 くつくつくつ。
 鬼が長い爪の生えた手を口元に当てて笑う。
「何と比べて出来損ないと言われるのかが分からんが、好きに思えばいい。俺には関係ない」
「古戦場で食い物を漁っていたであろう?それとも忘れたというのか?」
 ふぅ、と太蘭が溜息をつく。
 そこに翠の声が低く響いた。
「黙れ」
 自分のことをどう言われても構わない。それで気が済むというのなら、甘んじて受けもする。だが、友を罵られることが翠は許せない。
 太蘭の過去については知らないし、わざわざ聞くつもりもない。人喰いであったとしても、今は普通に生きているようだし、そうだったとしても友であることは変わらない。
 静かに怒りを燃やす翠の横で、太蘭が口元を上げる。
「そんな事もあったかもしれんが、一年以上前の食事を覚えているほど貧しくもない。重箱の隅を突きたいなら、いくらでも突け」
「お前と一緒にいた、青目の男はどうした?二人で人だけではなく、鬼も殺したであろう……異国の化け物め。人でもなく鬼でもない、出来損ないめ!!」
 ザッ……。
 音を立てて翠が一歩前に出た。そして右手を鬼に向かって突き出し、じっとその目を見る。
「黙れと言っただろう」
「ほほう。緋の鬼女とも言われたお前が、出来損ないを庇うか?」
「そんなに緋が見たいのか?」
 酷く冷酷な声が闇に響く。その瞬間だった。
 ざわ……と辺りの空気が揺れた。普通の人間であれば、その殺気に怯え、立っていることも出来なかっただろう。翠の髪がすうっと赤くなる。左の瞳も黒から緑へ。長く赤い髪が闇に揺れる。
 それは翠が普段隠している『緋の鬼女』と呼ばれる姿だった。口端を上げた翠は、その冷酷な微笑みを鬼に向ける。
「友への無礼、死して償え」
「貴様あーっ!」
 鬼が高く跳躍しようとした。だが、足を曲げた形のまま一点を見て怯えた顔をする。
「なっ……から……だが……」
 その視線は太蘭に向いていた。太蘭は目を細めて、ゆっくりと闇の中でこう囁いた。
「つまらん物は斬らんが、力を使わんとは言ってない」
「この……出来損な……い」
「まだ言うか。よほど緋が見たいようだな、ならば……」
 パチッと何かが弾けるような音と共に、鬼の体が炎に包まれた。その火はあっという間に体に周り、血のように赤い炎となって燃えさかる。
 悲鳴すら聞こえなかった。
 後に残ったのは白く燃え残った灰だけだ。鬼の体が炎の中に崩れ落ちると、風がさらさらと灰を運んでいく。
「…………」
 翠は姿を元に戻さないまま、その炎を見ていた。横にいた太蘭が少しだけ溜息をつく。
「翠殿が『緋の鬼女』だったとはな」
「その名を知っていましたか」
「魂喰らいの鬼と聞いたことがある……まあ、昔の話だ」
「そうですね、昔の話です」
 それは遙か昔の話。
 言われなければ記憶の奥底からすくうこともないほどの、遠い遠い過去の記憶。太蘭が人を喰らわないように、翠が人の魂を喰らうこともない。
 翠がいつもの姿に戻ったのは、炎が全て消え去った後だった。
「もう鬼は来ないでしょう。たまにああいう血の気の多いのがいるんです」
「それは人も同じだ。ところで翠殿、時間はあるか?」
「酒の席なら伺いますよ。あと、その『花菖蒲』の刀身も拝見したいですね」
 くすっとお互い顔を見合わせて笑う。
「そうだな。三日ほど鬼ごっこをしていたせいで、猫たちの顔も見ていないし、喉も渇いた。一人で飲むのはつまらんから、翠殿をお誘いするとしようか」
「ならばお付き合いしましょう」
 きっと太蘭は、この話を誰にもしないだろう。翠が太蘭の事を言わないの同じで。
 月の下、魔物が歩く。
 だが地面に映る影は、人と全く代わりなく……。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
太蘭同行の危険な仕事で、隠し設定にも関わる話ということでこんな話を書かせていただきました。巻き込まれてしまった感じですが、出生の秘密や正体などに触れさせていただいてます。
太蘭は中国方面から渡ってきたので、鬼達から見るとよそ者ですね。
お互い面倒がりな所とかがよく似ているので、書いてて楽しかったです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。