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■とまるべき宿をば月にあくがれて■

エム・リー
【4790】【威伏・神羅】【流しの演奏家】
 薄闇と夜の静寂。道すがら擦れ違うのは身形の定まらぬ夜行の姿。
 気付けば其処は見知った現世東京の地ではない、まるで見知らぬ大路の上でした。
 薄闇をぼうやりと照らす灯を元に、貴方はこの見知らぬ大路を進みます。
 擦れ違う妖共は、其の何れもが気の善い者達ばかり。
 彼等が陽気に口ずさむ都都逸が、この見知らぬ大路に迷いこんだ貴方の心をさわりと撫でて宥めます。
 路の脇に見える家屋を横目に歩み進めば、大路はやがて大きな辻へと繋がります。
 大路は、其の辻を中央に挟み、合わせて四つ。一つは今しがた貴方が佇んでいた大路であり、振り向けば、路の果てに架かる橋の姿が目に映るでしょう。残る三つの大路の其々も、果てまで進めば橋が姿を現すのです。
 
 さて、貴方が先程横目に見遣ってきた家屋。その一棟の内、殊更鄙びたものが在ったのをご記憶でしょうか。どうにかすれば呆気なく吹き飛んでしまいそうな、半壊した家屋です。その棟は、実はこの四つ辻に在る唯一の茶屋なのです。
 その前に立ち、聞き耳を寄せれば、確かに洩れ聞こえてくるでしょう。茶屋に寄った妖怪共の噺し声やら笑い声が。
 この茶屋の主は、名を侘助と名乗るでしょう。
 一見何ともさえないこの男は、実は人間と妖怪の合いの子であり、この四つ辻全体を守る者でもあるのです。そして何より、現世との自由な往来を可能とする存在です。

 彼が何者であるのか。何故彼はこの四つ辻に居るのか。
 そういった疑念をも、彼はのらりくらりと笑って交わすでしょう。
 
 侘助が何者であり、果たして何を思うのか。其れは、何れ彼自身の口から語られるかもしれません。

とまるべき宿をば月にあくがれて 四



 薄墨の華の咲くその月を花見月と名付けたのは、果たして如何なる者であったのだろうか。
 視界を埋めるのは満開の桜。桜には年毎にその色味の強弱に差異が生じるとも言われる。つまり有り体に言うならば当たり年と外れ年とが在るという事なのだろうが、それはあながち虚言ではないのかもしれない。
 神羅は、人里を幾分か離れた山間近くに広がる裾野、その桜の杜と呼ぶに相応しかろうとも思える場所の中にいた。
 時は三月。それも末に差し掛かる頃とり、山里近い地にあっては、桜もちょうど見頃を迎えたばかりといった景観を描いていた。
 折りしも刻限は夜を迎え、華は日の下で見せるそれとはまた色の異なる顔を見せている。日の下に咲く顔が安寧をもたらす稚い愛らしさであるとするならば、月の下のそれは妖美な女郎の色香を彷彿とさせるものだろう。
 神羅は、夜分、人の通わぬ頃合となった静けさの中で桜を愛でる。
 人の賑わう中で華を愛でるのを厭うのではない。賑わう中で杯を交わし、興に乗じて一曲奏してみせるのもまた愉しいものだ。
 だが、それとはまた逸し、夜の闇の内に仰ぐ桜の見事な様を愛でるのは、願わくば他に誰の気配をも感じず、ただひっそりと息を静めたゆとう風と月とばかりを伴にして、心ゆくまで楽しみたく思う。
 春とはいえ、山里近い地の、それも宵も更けた只中にあっては、外套無しでは幾分か肌寒いものを覚える。
 神羅はゆっくりと息を吐き出して、それから天空の真ん中でぽっかりと揺らいでいる月のさえざえとした白光に目を向けた。
 月は、残念ながら望月とはいかなかった。欠けのあるそれは、しかし、薄墨をぼうやりと照らしながらのんびりとした息吹を放っている。
「……そうじゃのう」
 独りごちた言は、まさにその月に向けて告げたもの。あるいは身を取り巻く花風に寄せたものであったのかもしれない。
「今宵はまたじつに好き夕べじゃ。一献差し向けるには叶わぬが、せめて一曲なると奏してやるとしよう」
 言って、神羅は手にしていた袋の内より三味線をすらりと抜き取った。
 次いで、さて、どの場所に腰を据えて撥を用意したものかと、ひととき桜の下をふらりと歩き始める。
 顔に触れる枝垂桜の枝を片手で払い除け、その向こうへと目を向けたその時、神羅はわずかに目を瞬いた。
「……ふむ」
 検めたその先に続くのは、今しがた歩いていた山里の桜の杜の風景とは異なる景観だった。
 桜の木は確かにあるが、しかし、その数は杜と呼ぶには心もとない。ぽつりぽつりと点在してある桜を目にとめて、神羅は周りの景色を窺った。
 広がる風景が夜の内にあるのは杜のそれと同じ。だが、
「四つ辻か」
 呟き、知らず迷い込んで来たらしい異界の風景を検める。
 眼前にあるのは現世とはわずかに異なる座軸に在る異界。黄泉へと続く、永遠の常夜の世界だった。
 神羅は、いつもと変わらず突如として迷い込む事となった四つ辻の土を踏みながら、しかし、驚く事もせずに止めていた歩みをゆっくりと進める。
 現世から四つ辻へと居場所を移した妖怪どもがのんびりと暮らすこの場所は、神羅にとっても居心地の良い地だ。何より酒と肴が旨い。
 桜の杜を離れてしまったのは物寂しいようにも思えるが、その余韻を胸にしたまま茶屋で酒肴を嗜むのも悪くはないだろう。
 そう考えて、神羅は慣れた歩みで四つ辻の大路の上を歩き出した。
 大路の脇にある桜もまた見頃を迎えているようだ。花の下に陣取ってほろ酔い加減となっている妖怪どもの姿も見受けられる。
 漂う夜気の心地良さに頬を緩めつつ歩みを数歩ばかり進めたところで、神羅は再び足を止めて首を傾げた。
 夜気の中に、確かに見知った気配があるのが知れたのだ。
「……」
 そろりと肩越しに振り向けば、そこには果たしてひとりの男の姿がある。その主を確かめて、神羅は短い呻き声をあげた。
「そなた、いつから後ろにおった」
 上目に男をねめつけながら、神羅はわずかに頬を膨らませる。
「おまえがそこの桜の下から出てきたあたりからかな」
 応えた男――田辺聖人は、顎に伸びた不精髭を無造作にかきまぜた。
「……私が四つ辻に出てきてからすぐという事じゃな」
「まあ、そうかもな」
「なぜ声をかけぬ」
「声かけてほしかったか?」
 問われ、神羅はぐうと息を飲む。
「そなたは道で知己に会うておきながら、それを挨拶もせずに素通りするというのか」
「挨拶って」
 神羅の言に田辺はかすかに笑った。
「あれか。季節に応じたこ洒落た挨拶でもした方が良かったか。もうすっかり春の装いですねとかなんとか」
「うう……」
「おまえがそういうものを好む奴だとは知らなかったな」
「違……」
 返す言に詰まり、神羅は視線を田辺のいる側とは逆のほうへと放りやった。
 田辺の言は止まらない。まるで言葉に詰まる神羅をからかうのを楽しんでいるかのようだ。――いや、実際に楽しんでいるのだろう。
 田辺の声に押し含んだ笑みがあるのを聞きとめて、神羅は思い切って顔を持ち上げた。
「と、ともかく、私はこれから花見酒を楽しむのじゃ。そなたの軽口に付き合うている暇なぞありはせぬわ」
 言い捨てるように述べて、神羅は止めていた歩みを、心持ち速めに進めだす。
「茶屋に行くのか」
 声が追いかけてきたが、神羅は構わずに歩みを進める。
 夜風には桜の花がちらちらと織り交ざり、視界の端には時折薄墨の枝が映りこんできた。
 眼前に広がった辻の交わる場所、さらにその傍らにある鄙びた茶屋のあるのを見て、神羅はようやく歩む速度を緩め、息を吐く。
 ――そうして小さな安堵を得たところで、背に田辺の気配の無いのを気取った。
「……そなたも茶屋に」
 行くのかと訊ねようとして、そこでようやくちらりと後ろを振り向く。しかしそこに田辺の姿は見当たらず、あるのはどこまでも広がるひっそりとした夜気と、遠く聴こえる妖怪どもの賑わう声音ばかりだ。
 神羅はわずかに首を傾げ、それからきちんと踵を返して数歩を戻り、田辺の姿がどこにもないのを検めた。
「……なんじゃ、……いなくなるのならばいなくなると、一言なり残しておけばよいものを……」
 ごちた言と共に小さな息を吐いた神羅の耳に、間を置かず、田辺の声が低い笑みを洩らしたのが届いた。
 刹那動きを止めて、その直後に顔を紅潮させた神羅が声のした方に目を向ける。
「そ、そなた……!」
 夜気の向こうに立つ桜の木に寄りかかり立っていた田辺を睨み据え、声を荒げかけた神羅だが、しかし、それは田辺の言によってゆるゆると押し留められた。
「息巻くなって。……おまえ、花見酒がしたいんだろう? 偶然だが、俺もこれから桜を見に行くところだ。四つ辻にある桜の木ってのはそれほど多くなくてな。穴場を知ってるんだが、一緒に行くか?」
 腕を組んだ姿勢のまま、田辺はまっすぐに神羅の顔を見つめている。
 その顔に薄く笑みがあるのを見て、神羅はぷいと顔を背けた。
「そなたのような輩と共になぞ行くものか」
 応えた神羅に、田辺は静かな笑みをこぼしつつ近寄って、身丈の違う神羅の顔を覗きこむように膝を屈める。
「旨い酒も肴もある。新作のケーキも、……ああ、さっき侘助からもらった団子もあったな」
「……酒に……甘味じゃと」
 ちらりと目を向けた神羅にうなずいて、田辺はふと頬を緩めた。
「お急ぎでないのなら、ご一緒にどうですか」
「うう……」
 応えに詰まり、視線を宙に泳がせる。
「まあ、お忙しいんなら? 俺ひとりで行ってくるがな」
 神羅の顔を覗きこんでいた田辺が急に衣を正して踵を返した。神羅は驚き、顔を持ち上げる。
「ば、莫迦者! つまらぬ場所であったならば容赦はせぬからな!」
 言いながら田辺の腕を掴み、緩い笑みの浮かぶその顔を上目にねめつけた。
 田辺は神羅の顔に目を落としてじわりと笑み、それから首を鳴らしながら歩き出した。

 妖怪どもの喧騒を遠く離し、ふたりは小さく諍いながらも進んでいく。
 その姿が四つ辻の闇からどこへともなく失せたのは、それから程無くしての事だった。 
 







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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【4790 / 威伏・神羅 / 女性 / 623歳 / 流しの演奏家】



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          ライター通信          
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お世話様です。いつもご発注ありがとうございます。

ええと……桜……桜はもうとっくに終わって、今は薔薇の季節となっているような気もしますが……
(遠くを見つめ)
季節を外したお届けとなってしまい、申し訳ありません。……せめても、ノベル中で桜の名残りを楽しんでいただけていればと思います。

今回は始終ベタベタとあまあまなノベルとなりました。いかがでしたでしょう。
神羅さまのツンデレっぷり……いえ、可愛さっぷりには、田辺ももうすっかりと。にやり。
よろしければこれからも田辺をかまってやってくださいませ。

それでは、今回のノベルが少しでもお気に召していただけていますように。
そして、またご縁をいただけますようにと祈りつつ。