■求む、トラブル■
三芭ロウ
【3087】【千獣】【異界職】
「おい、貴様」
 どこからか声がした。あなたは辺りを見回す。
「ここだ、ここ。わからん奴め、下だ!」
 視線を落としたあなたが見たのは――

「貴様、なにか面倒事に巻き込まれておるだろう?」

 ――チワワだった。
 うるんだ瞳にプルプルあんよ、ふんわり折れた大きな耳、黒と白のロングコート。
 どこからどう見ても愛らしい超小型犬である……きんきん声で偉そうに人語を喋りさえしなければ。
「隠しても無駄だ、我輩の鼻はごまかせん。モンスター退治に剣難女難、血みどろの抗争であれば申し分ないが、このさい些細な日常トラブルでも構わんぞ……鍋でもフライパンでも、要はあたりどころだ。さ、正直に申せ!」
求む、トラブル


 それは、なかなか絵になる光景ではあった。
 昼下がりの柔らかな日差しの中、運河に沿った道を歩む背の高い娘。
 長い黒髪や服に飾られたリボンの裾が、そよ風になびく。
 胸には大事そうに抱きかかえた茶色の子犬、そしてそしていま一匹、鞠が跳ねるように傍らを行く超小型犬。
 いかにも楽しいお散歩姿に、たいていの者は目を細めて微笑ましく思うであろう――うかうかと近づいて、風になびいているのが呪符を織り込んである包帯だと知ったり、ぬけるような白い肌をした娘のやや陰の気が勝った赤い瞳を見てしまったり、あやしげな男達につけられているのに気づいてしまったりしなければ。
 娘の名は千獣(せんじゅ)。 
 話は一時間ほど前に遡る――



「貴様、なにか面倒事に巻き込まれておるだろう?」
 いきなり偉そうな声がした。
 足元から聞こえたことにはなんら疑問を感じなかった千獣であったが、ふんぞりかえっている“それ”の姿には小首をかしげた。
 うるんだ瞳にプルプルあんよ、ふんわり折れた大きな耳、黒と白のロングコート。
 きんきん声で人語を操っているのは、どこからどう見てもチワワである。
「…………」
 犬とは喋るものであったろうか。
 千獣は腕の中でうとうとしている子犬を見やり、また足元へと視線を戻す。
 そんな彼女の疑問をよそ、バロッコと名乗った謎の生物はまくしたてた。
「隠しても無駄だ、我輩の鼻はごまかせん。なんとなれば我輩は“魔わんこ”、火難水難剣難女難、この世に嗅ぎ逃すトラブルなどないわ!」
「…………」
「どうした、恐れ入って言葉も出ぬか?」
「…………」
「ははは、安心致すがよい、我輩、婦女子に対してはすこぶる紳士である。気を楽に――」
 まあ、喋っているのだから喋るものなのだろう。
 あっさり納得した千獣ではあるが、この間無言であったため今度は魔わんこが首をかしげた。
「――聞いておるのか貴様?」
「うん……聞い、てる……よ」
 む、言葉は通じるのだな、と己の風体を棚に上げて黒白チワワが頷いた。
「だからの、なにか面倒事に巻き込まれておるだろう、と尋ねておるのだ」
 めんどうごと、という言葉を千獣は反芻する。めん、どう、ごと――そして、近い言葉を探し当てた。
「……困って、いる、こと、で、いい……?」
「その通り! あるであろう? 我輩に任せよ、なんなりと申せ。はずみで悪党の用心棒を引き受けてしまったとか、うっかり上司の縁談をぶち壊してしまったとか、助けた亀に逆恨みされているとか――おう!?」
 いきなり千獣がしゃがみ込み、ずいっと子犬を差し出した。よく見れば小さな体は埃にまみれ、あちこち泥がはねている。
「この子……迷子、に、なっちゃった、みたい……飼い、主……探し、て、るん、だけど……まだ、見つ、からない……」
 その言葉に同意するように、眠りから覚めた子犬が心細げに鼻を鳴らす。
「一緒に、探して、くれる……?」



 ――で、こうだ。
 尾行に気づいたのは、子犬がうずくまっていた通りを尋ね回っていたときだった。
 大喜びで向かっていこうとする魔わんこを千獣が押しとどめ、街中を避けて運河沿いの泥道に出た頃には、追跡者は複数に増えていた。
「ぼちぼちよいのではないか、千獣?」
「……まだ、人、いる……から」
 まばらとはいえ民家もあり、遊んでいる子供もいれば洗濯物を干しているおかみさんもいる。好意とはほど遠い気を発している者達が相手では、なにがどう飛び火するかわからない。
 それにしても、なぜ?
「やはりその子犬であろうな、原因は」
 彼女の疑問が聞こえたかのように、いかにも犬らしくそちこちを嗅ぎまわりながら、バロッコが言う。
「たとえば首輪に重大な秘密が隠されていて、秘密結社に追われているとか。古代の呪いで子犬に変えられた王子というのもよいな。うむ、いかにも追っ手が迫ってきそうだ」
 エルザードに王子っていたっけ、と首をかしげつつ、千獣は抱いた子犬に問いかけた。
「そう、なの……?」
「いや、そ奴は喋らんぞ。犬だからな」
「バロ、ッコ……?」
「我輩は犬ではない」
 どこからどう見てもチワワな魔わんこは(チワワとしては可能な限り)厳粛な表情で語った。
「これは現世でのかりそめの姿。我輩、前世は荒ぶる海の魔物であったし、転生したあかつきには更に偉大なモンスターとなるであろう」
「てん、せい……」
「さよう、新たなる伝説の幕開けは近いぞ!」
「………………」
 そうこうしているうちに一人と二匹は倉庫街に辿り着いた。荷揚げ荷下ろしの時分どきは過ぎているため、人影はない。頑丈な煉瓦造りの建物の間を適当に進むと、目の前に再び運河が現れる。行き止まりだ。
「千獣?」
「そう……だね」
 くるりと振り返れば、身を隠しそびれたいかにもチンピラ風の男が三人、少し離れてフードで顔を隠した黒マントが一人。
「何、か……用?」
 気づかれたと知ってうろたえていた男達であったが、千獣の口調が外見に比べてたどたどしいと気づくや、にやにやしながら近づいてきた。
「なあ、その犬っころ、おねーちゃんのかい? 違うよなあ」
「人んちの犬を勝手に連れ出しちゃいけねえよ」
「さ、返しな」
 千獣は無言で立ったまま、不安げに鳴きだした子犬を撫でて落ち着かせている。
 そんな姿を怯えているととり、勢いづいた男達はすぐ目の前まできた。昼間だというのに酒臭い息が不快だが、千獣の表情は変わらない。
「可愛いねぇ、おねーちゃん」
「お目々の色も変わってらぁ」
「あり、がと……」
「礼を述べてどうする、千獣」
 すかさず突っ込むバロッコであったが、ちらと視線を下げた千獣に、
「褒め、て、くれた、から」
 素直に返されて絶句する。
 一方、チンピラ達はいきなりのきんきん声にぎょっとして後ずさり、あたりを見回した。
「くそ、仲間が隠れてやがるのか?」
「関係ねーよ、仲間ったってガキの声だったぜ」
「ほほう、この我輩をガキ呼ばわりするとはよい度胸である!」
 声の主がきちんとお座りしている黒白チワワだと合点がいくまで、しばらく時間がかかった。 
「なんだこいつ……犬のくせに喋ってやがる」
「無礼者!」
 バロッコの小さな体が鞠のように弾み、ありえない跳躍力で手近な男の顔面に体当たりをくらわせる。男は鼻血をまき散らしながら昏倒した。
「や、野郎!」
 予想外の攻撃に目を泳がせながらも、残る二人がナイフを抜く。
「そんなナマクラでは我輩は倒せぬぞ!」
 心底楽しそうに叫び、バロッコは再び跳躍――したつもりが、いつのまにか千獣に首根っこを掴まれ、宙ぶらりんになっていた。
「な、なにをするか!」
「駄、目……危ない、から……」
「いや、あのな」
 望むところはそこなんだが、と足をばたつかせて説得を試みようとする彼に、違う、と千獣はかぶりを振った。
「危ない、のは……この、人達、すごく……弱い、から」
 言いざま、ふわりと動くと、挟み撃ちを狙ったらしき二人はあっけなく尻餅をついた。どちらも向こう脛を押えて涙を流している。
「手加減、して、あげ、ないと……」
 一拍おいて、ぽかんと口を開けていたバロッコが笑い出した。
「くくくく、ほんとだ駄目だな、くくく、く、くふぉッ」
 しまいには噎せる始末である。
 事ここに至って、チンピラ達は相手が悪いと悟ったようだ。なにせ乱暴きわまりない超小型犬に、両手がふさがったまま大の男を足一本であしらう娘ときた。こうなると御しやすしとみていた茫洋たる顔つき、なによりこちらを見据える赤い瞳が恐ろしい。ずい、千獣が一歩踏み出すや文字通り飛び上がり、口々に訴えた。
「済まなかった姐さん、この通りだ。俺らぁただ、飼い主に頼まれただけなんだよ」
「疑うなら首輪を見てくれ、ほら、この書きつけと同じ記号が刻んである――」
 だが、千獣はまたかぶりを振る。
「出鱈目か?」
 尋ねるバロッコにも否と仕草で答え、
「合っ、てる……でも、この子、は、嫌だ、って……」
 そうなのだ。
 自力で歩くこともままならぬ状態の子犬を見つけて抱き上げたとき、いかなる手段によったものか――あるいは千獣の中の獣達が聞き分けたのかもしれない――助けを求める微かな意思を受け取った。だからこそ飼い主探しを思い立ったのだ。そして今、子犬は引き渡されることを拒んでいる。であれば。
 千獣が子犬を抱いたまま突っ立っていると、苛立たしげな老人の嗄れ声が響いた。
「いつまでもたついとるんじゃ、役立たずめらが!」
 離れた場所で傍観していた黒マントが口汚く罵りながらやって来る。子犬がびくりと震えた。
「うるせえ! 話が違うじゃねーかこのクソジジイ!」
「手間賃は治療代にもらっとくからな!」
 わめいて、気絶した仲間を引きずりながらよろよろと逃げていくチンピラ達と黒マントが入れ替わった途端、あたりの空気が重く濁った。魔法の心得のない千獣にもはっきりとわかる、邪な気だ。
「やれやれ、いくらかマシなのが沸きおったな……さしずめ妖術師か。あやつならよいであろう?」
 いざ、と勇躍する魔わんこを、しかし、千獣は離さない。
「貴様、我輩の話をちゃんと聞いておったのか? 我輩、早いとこ転生してだな――」
「……てん、せいって……よく、わから、ない……でも」
 千獣は掴んでいた手をぐっと引き寄せた。
 ぴたり、と視線が合う。
「む……」
 けぶる赤い瞳のその奥に、バロッコはもつれ絡んで揺らめく“それ”を視た。
 “これ”こそが、自分が感じ取り、声をかけずにはおれなかったものだと直感し、図らずも戦慄した。
「でも……」
 言葉を探し探し、絞り出すような千獣の声に我に返る。
「死ぬ……って、悲しい、こと、だと、思う……」
 あなたが死んだら私は悲しい。
 だから、私の前で死のうとなんてしないで――
 言わんとするところを理解し、バロッコは溜息を吐いた。
「……まあ、婦女子のたっての願いとあれば我輩も紳士であるからして……ではこたびは子犬のお守りで我慢してやろう」
 掴む力が緩まったので、ひらりと地面に降り立つ。傍らにそっと、子犬が降ろされた。
「さっさと済ませてしまえ」
 わずかに頷いて、千獣は黒マントに向き直る。
 動こうとしない子犬を鼻面で押して運河の際あたりまで移動し、黒白チワワはやれやれと肩を(正確には首を)すくめた。
 情深いおなごに我が大望を喋ったは失敗であった……
「とはいえ……」
 背後を顧み、なにやら詠唱を始めた“妖術師”と、その骨張った両手の隙間に溜まりつつあるエネルギーとを改めて値踏みして、失笑する。
 あれではわざと急所にくらっても望み薄か――次いで、構えるふうもなくすたすたと向かってゆく千獣の背を眺め――あの、たった一つの身の内に数多の息吹ひしめく不思議な娘を敵に回すならともかく。
「小娘が!」
 憎々しげな叫びとともに放たれた一ダースもの光球を、長い手足をしなやかに揺らし、最小限の動きで千獣は避ける。武術体術の類いを正式に修めたことはないが、過酷な環境を生き延びたことで鍛えられ研ぎすまされた五感と身体能力をもってすれば、動きを読むなど容易いことだ。目標を失ったエネルギー球はあるいは煉瓦の壁に激突して丸い焦げ痕をつけ、あるいは空へ逸れて霧散した。
「ま、待て! おぬし何者だ? 誰に雇われた?」
 新たな詠唱にかかる間もなくたちまちに眼前に立ちはだかり、ゆっくりと片腕を振り上げる千獣に、黒マントが慌てふためく。
「同額、いや倍払う!――よせ、わしに手をかけると後悔するぞっ」
 二つ三つ挙げられた名など知る由もなく、誤解を正すつもりもない。聞きたいことは、ただ一つ。
「あの、子……苛め、た……?」
 静かに千獣が尋ねた。先刻の子犬の拒絶に、恐怖が混じっていたからだ。
「な、なんの話だ、あれはわしの所有物であり貴重な実験体――」 
「苛め、たん、だ……」
 次の瞬間、横っ面を張られた黒マントが地に転がった。目深にかぶっていたフードが脱げ、陰険そうな老人の顔があらわになる。ところどころ地肌の透けている白髪頭を飾るサークレットに刻まれた記号が子犬の首輪のそれと同じだと気づいたとき、言い難い感情が千獣を突き動かした。大股に近寄りざま、サークレットをむしり取る。
「やめろ!」
 老人が悲鳴を上げた。同時に、
「千獣!」
 バロッコが叫ぶ。
「こやつ、様子が変だぞ!」
「あ、……!」
 振り返って、千獣は唖然となった。
 片手に乗るほどだった子犬が、狼ほどに膨れ上がっていた。
 鈍い音とともに首輪が弾け飛ぶと、体躯は更に大きくなった。
 猛禽とも肉食の爬虫類ともつかぬ猛々しい顔、ビロードのような毛皮に覆われた前足には鉤爪と水掻き。
 ぶるりと揺すった躯から後足が消え、逆棘のついた固い鱗に覆われながら長く伸びて、先端が運河に沈む。
 それは、もはや子犬ではなかった。
「――水棲の魔獣であったとはのう」
 千獣の傍らまで退いたバロッコが、呆れた口調で呟いた。
「魔、獣……」
「我輩が荒海で大いに鳴らしていた頃、幾度か似たような奴を見た。ずいぶんと小さいし棘も少ないから、子供であろうな」
 群れからはぐれたかして捕まって、阿呆な人間の研究ごっこにつきあわされたのであろう、と横目をくれた先には、本来の姿を取り戻した魔獣を惚けたように眺める老人がいた。
「ああ……わしの封印呪文が……変容の術が……生涯かけた最高呪が……」
「まさに水の泡であるな!」
 元悪のモンスターにとって敗者への追い打ちは欠かせない。両手両膝を地につけ、がっくりとうなだれる老人に、高笑いもおまけするバロッコである。
 千獣は、いまや見上げるほどになった“迷子の子犬”に呼びかけた。
「一人、で、大丈、夫……?」
 答えるように鋭い嘴から切り裂くような音を立て、魔獣が身を翻す。
 水飛沫をあげて運河に消える寸前、彼女は打ち寄せる波にも似た意識の放射の内に、感謝の意思を受け取った。



 千獣とバロッコは、もと来た道を引き返していた。
 あいかわらず傍目には楽しいお散歩風景である。
 もっとも、行きよりもほのぼのとした心持ちになっているのは確かだ。
「あの、子……うち、に、帰れる、ね」
「水路をゆけばいずれ海に出るであろうからな。しかし、我々が偶然水辺を選んだのか、あるいはあやつに導かれたのか……まあ、今となってはどうでも――おう!?」
 さざ波の立つ水面のきらめきを追いながら感慨にふけっていたバロッコは、いきなり抱き上げられて目を白黒させた。
「我輩、愛玩犬ではないのだから……」
 限りなく愛玩犬の黒白チワワは抗議の言葉を飲み込んだ。
「バロ、ッコ、が」
 ほんのりと。
「手、伝って、くれた、おかげ、だね……ありがとう……」
 千獣が、ほんのりと微笑んでいた。
 ああ、この娘はちゃんと笑うこともできるのだな、とバロッコはなにがなし安堵し、それから、柄にもないことを考えた自分が急に照れくさくなった。
「わ、我輩は別になにも……ときに千獣、腹は減っておらんか? 我輩、美味い店を知っておるのだが――」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3087 / 千獣(せんじゅ) / 女 / 17(実年齢999) / 異界職】

【NPC / バロッコ / 男 / 10 / 魔わんこ】


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■         ライター通信          ■
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はじめまして、千獣様。
ライターの三芭ロウと申します。
このたびは納品が遅れまして、誠に申し訳ございませんでした!
さて、バロッコにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。
子犬もバロッコも守りつつ淡々と対処、ということでクールに天然ぽくさせていただきましたが、
いかがでしたでしょうか。
それでは、またご縁がありましたらよろしくお願い申し上げます。

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