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■出会い桜■

shura
【3604】【諏訪・海月】【万屋と陰陽術士】
 どこをどう間違えたのか、あるいは足の向くまま来たからなのか、ふと気づくとあなたは見知らぬ道を一人歩いていた。
 周囲にはビルが立ち並び、ごくまれにすれ違う人々は皆一様に垢抜けていて、確かにここはよく知る東京のどこかだとは思えるのだが、不思議なことにこの辺りだけやけに静かで、人気がない。この静寂はまるで台風の目のようだと思いながら、さて、これは引き返すべきだろうかと考え始めた頃、ふいにひらけた場所に行き当たり、あなたは思わず足を止めた。
 広くも狭くもない空き地に樹が一本、ぽつんと立っている。あなたにはそれが一目で桜だと判った。
 そして、その樹の下に人影があることにもすぐに気づく。向こうもあなたの存在に気づいたのか、距離を感じさせない、耳に直接届くような不思議な声でこう言った。

 「交わした約束が必ず守られるとは限らない
   ――世界は予見できない事象であふれているから。
  だが、交わした約束は永遠に失われることはない
   ――この桜の下でなら。だから恐れないで、約束を交わすことを。
  わたしがあなたを覚えているから――たとえあなたがわたしを忘れても。」

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 偶然あなたがやってきた広場での出来事をノベルにいたします。外に出かけていた理由等はご自由に決めていただいて構いません。それに沿うように書かせていただきます(特になければ上記オープニングのような形になります)。
 また、訪れる時間をご指定いただければ、その時間に対応したNPCがお相手させていただきます(時間によって登場するNPCが違うのです)。特にご指定のない場合はこちらで決めさせていただきますので、無理に決めていただく必要はございません。
 オープニング後の展開はPC様のプレイングによって変わります。
 ライターの力量に限界があるため、少人数で締め切らせていただくことになると思いますが、ふるってご参加いただけると嬉しく思います。
 PC様ご自身がぜひノベル内で仰りたい言葉等もございましたら是非そちらも沿えて、ご参加下さい。
     出会い桜

 夜風が鋭い冷気の棘を落とし、少々肌寒いという程度の澄んだ空気を街に吹きかけるようになった、そんな春のある夜。月明かりの下、地面に黒く大きな影を落とす、館と呼んで差し支えない大きな屋敷の一室の窓辺に、長身痩躯の人影があった。
 ガラス越しに月光を浴びるその人影の髪は、まるで氷に閉ざされた冬を映す鏡のように冷え冷えと銀色に輝いており、垂らした横髪に半ば隠れるようにして覗く茶色の瞳は、しかし、逆に温かな大地のように穏やかな光をたたえている。額に巻いたタオルが白い顔に影を落としていたが、そこにひ弱そうな印象はうかがえない。
 諏訪海月(すわかげつ)、それが彼の名だ。
 海月は、何気なく窓から覗いた空に煌々と静かに輝く満月を認め、月影の差す幻想的とも言える外の光景へ目を向けると、ふと、散歩に出てみようと思い立った。特に目的や行き先があったわけではなく、何故かと尋ねられれば、おそらく「月に誘われて。」としか答えられなかったに違いない。それほどこの夜の月は美しく、また静寂に満ちていて、孤高の散歩には相応しく思えた。
 月の導くまま、足のおもむくままに月明かりと闇の混ざる街を歩いていた海月は、やがて、広いとも狭いとも評しがたい広場へとたどり着いた。時間帯のせいもあるだろうが妙に人気がなく、いっそ異様とも言える閑散とした独特の空気がそこには漂っている。そして、その中でもひときわ不可思議な気配を発していたのは、広場の中央にぽつりと一本だけ立つ桜の樹だった。そろそろ桜も終わる頃だというのに、それは狂ったように咲き乱れ、無限とも思える花びらを散らしては月光を反射し、夢幻の輝きを放っている。
 海月はその桜を目にした途端、胸の奥から懐かしさがこみ上げてくるのを感じた。それは海水が浜辺へと打ち寄せるかのごとく、実に自然で、決して人の手で止めることなどかなわない。
 言いようのない既視感。まるで、心の奥底に眠る『記憶』の前にかけられた忘却という薄幕を破ろうと、この光景がもどかしげに爪を立てているかのようである。
 その胸のざわめきの中で、海月はふいに確信した。諏訪海月という人間の記憶にこの桜の姿はない――だが、過去に間違いなく自分はこれを『見た』のだと。
 既視感が確信に変わった、その時。彼は桜の下に人の姿があることに気がついた――否、それは一見人のように思えるが、陰陽師である彼には人影から発せられる気配が、目の前の桜と同じものであることが判った。それはまさしく、人外の者であるという証。
 「この樹の化身、か……?」
 知らず呟いた海月の声が聴こえたのか、桜の下の人物は彼の方を振り向き、距離を感じさせない、耳に直接届くような不思議な声でこう言った。
 「いかにも、わたしは一本桜が化身、夜櫻の桜佳(おうか)。太陽が地平の彼方の寝床に帰ったあとの、月が照らす夜だけがわたしの時間。かたやあなたは、陽にも夜にも縛られない人間。しかし、あなたはわたしの正体を一目で見抜いたけれど、わたしにはそんなあなたのことが判らない――ただの人間ではないということ以外には。」
 姿は若い男のものであったがその声は深く、口調には静かに経てきたであろう長い年月を感じさせるものがある。そこに悪意や敵対心のないことを慎重に読み取った海月は、
 「俺はただの万屋で、ただの陰陽師だ。」
 と肩をすくめてぶっきらぼうに答えた。これに桜佳と名乗った桜の化身は「陰陽師。」と興味深そうに繰り返す。この単語に恐れを抱いた様子はなく、そのことからも彼が人間に害をなす類の者でないと、海月には察しがついた。
 陰陽師は時に人と敵対する人外の者と戦う役を担う。それは、決して心楽しいものではなく、言いようのない無常感と虚無感を伴い、ゆるぎない心に罪悪感にも似た小さなくさびを残すのだ。
 海月は胸にいわれのないかすかな痛みを覚えて眉を寄せ、それを振り払うように大股に桜の樹へと歩み寄ると、眼前の桜当人――桜佳に許しを得るでもなく、太い幹に背を預けて腰を下ろした。一つ、ため息をつく。その様子をどこか面白そうに見ていた桜の化身は感慨深い口調で、
 「過ぎし日を再びこの目で見ているようだ。」と呟いた。
 「何のことだ?」
 頭上で舞い散る花びらを見上げながら海月が尋ねる。桜の枝の間から見る月は、散りゆく花弁のための照明のようだった。
 「陰陽師。思い出した、『あなた』であって『今のあなた』ではない、『昔のあなた』も、そうしてそこに座っていたよ。」
 まるで言葉遊びのような桜佳の言葉を聞きながら、白銀に輝く髪の上に落ちた花びらを拾い上げ、海月はしばし沈黙を守る。彼がその静寂を破ったのは、手に取った花弁を夜の風がさらっていった後だった。
 「やはり俺は、ここに来たことがあるのか。」
 尋ねるのではなく、確認のような口調で海月は言う。「いや、『前世の俺』か……『あいつ』がここへ来たんだな。」
 「そう、今のあなたとは隔絶された過去。本来人が記憶に持ち得ない昔のことだ。」
 桜の返答に、納得した様子で海月は頷いた。
 「ここへは初めて来たはずなのに、この桜を見た途端に襲ってきた既視感の理由が判った。」
 彼はそう言って、傍らに佇む桜の化身へ目を向ける。前世の記憶はしばしば彼の――諏訪海月の人生において遠い思い出となって、あるいは別の人格として鮮やかに浮上するが、それは断片的であり、必ずしも細部にいたって緻密でもなかったため、この若者の姿をした精霊に会ったことがあるのかどうかは判らなかった。
 「おまえにも会ったんだろうか?」
 海月が尋ねると、桜佳は人間のような仕種で首を振ってみせる。
 「あの頃、わたしにはまだこのような実体がなかった。でも、この一本桜の中であなたの声を聴いていたよ。」
 そう言うと、彼は懐かしそうに目を細めた。まるで狭めた視界の先に、かつて在りし過去の光景を見ているかのようである。
 海月もそれをまねるように土色の瞳をすがめ、呟くように訊いた。
 「『俺』は何か言ったのか? どんなことを?」
 「あなたの心の内を、おそらくあなたの心の命じるままに。」
 桜の化身は答え、老人のようなゆっくりとした動作で踵を返す。時間を巻き戻しているようだと、その様子を眺めていた海月はぼんやり考えた。
 「あなたがこう言ったのを覚えている。命とはこの舞い散る桜のようだ、と。『花はいつか散るもの。だが、散る前に枝を折る者もいる。それが自分でないと、どうして言えるだろう。』」
 桜佳のそんな言葉に、再び海月の胸がざわめき始めた。声という波が、記憶を揺さぶっている。彼は今の言葉を知っていた。確かにそれは、以前彼が別の名前で呼ばれ、別の時代を生きていた頃に自ら発したものである。
 「ずいぶんと感傷的だな。」
 と、苦笑まじりに海月はそれを評した。しかし、そう言う彼自身がよく知っている、彼の前世が、江戸と呼ばれた時代が彼にとって常に死を身近とする戦いの日々であったことを。
 「あなたの着物には、桜の花びらを散らしたような、あなたのものではない血がついていた。」
 背を向けたままの桜の化身の言葉に、海月は無意識に今の自分の姿を見下ろした。現代的な洋服に、返り血を見たような気になる。思わずまばたきをすると、驚いたことに幻は消えるどころか、いよいよはっきりと姿形を持って彼の現実に過ぎし時の事実をだぶらせ、血染めの着物を見せた。それと同時に諏訪海月の意識も瞬き、前世のものと重なる。
 『命とは桜のようだ。』と彼は言った。まるで囁くような、疲れきった小さな声である。血にぬれた重い足を引きずり、たどり着いた一本の桜を見て呟いた言葉だ。彼は崩れるようにその樹に背を預け、疲労と寂しさと空しさの底に沈みそうになる中、空気を求めるかのごとく、独り言のように桜に話しかけていた。
 『俺は自分が間違っているとは思わない。力ある者が、持たぬ者の代わりにそれをふるうのは正しいだろう。だが、それなら何故、俺は今これほど空しいと感じる? ……太く大きな枝が陽をさえぎる邪魔者であったとしても、誰にそれを折る権利があるだろう? 花は儚い。花はいつか散るもの。だが、散る前に枝を折る者もいる。それが自分でないと、どうして言えるだろう。それが罪でないと、誰が証明できるだろう? 桜よ、お前なら判るだろうか?』
 陰陽師として生きる彼の着物に付いた化け物の返り血。それは、力なき者への貢献の証か、それとも罪の証かと、無言で問いかけてくるようだ。戦った後の寂しさ、空しさだけがその時の彼の口を動かしていた。
 「あの時、わたしはあなたの問いかけに答える術を持たなかった。自我はあっても、人と言葉を交わす力はなかった。」
 不意にそう言って静寂を破ったのは、桜の化身・桜佳である。海月はその言葉で、はたと我に返った。返り血の幻影は、古き思い出の中へ戻ったようだ。そのことに安堵と、わずかながらの淋しさを覚える。
 しかし、それをおくびにも出さず彼は、
 「実体を得た今は、どう答える?」
 と半ばからかうように桜に訊いた。この問いに桜の精は少しの間黙したが、やがてぽつりと、
 「陽も月も遍く光を投げかけている、とだけ。」
 答えになっているのかなっていないのか、判断しがたい言葉を返した。
 海月は天を仰ぎ、なるほど、確かに命がこの舞い散る花びらなら、月は等しくそれらに光を投げかけているかもしれない、と考える。それから静かに身体を起こし、立ち上がった。
 「じゃあ、これは『今の俺』からの質問だ。」
 彼の言葉に桜佳が振り返る。それは先ほどよりも若々しく、少年のような仕種だった。それが何となく愛嬌があって、思わず、口の端に笑みを浮かべながら海月は問うた。
 「俺はあの時から変わっていないか? 変わっているか?」
 この質問には、先のような沈黙は必要とされなかった。同じ地で長い時の流れを見てきた桜の化身は、その目で真っ直ぐに彼をとらえ、答える。
 「あなたの本質は変わらない。昔も今も、あなたは『誰か』のために戦っている。だけど、心の空虚を埋める存在を得たことを『変化』と呼ぶなら、あなたは間違いなく変わったと、わたしは思うよ。」
 「……そうか。」
 今の人生に共に寄り添うようにある者を想って、海月は小さく微笑んだ。
 月の明かりは、見上げた視界いっぱいに枝を伸ばす桜の上に降り注いでなお、舞い散る花弁の間から光を投げかけ、人間の青年とその古き友を等しく照らしていた。


     了





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【3604 / 諏訪・海月(すわ・かげつ) / 男性 / 20歳 / 万屋と陰陽術士】


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■         ライター通信          ■
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諏訪海月様、はじめまして。
この度は一本桜を訪ねていただきまして、ありがとうございました。
大変興味深い前世と人生をお持ちの方にお会いできて、桜共々とても喜んでおります。
いくつか過去の作品を拝見させていただき、実に思慮深い、心の深い方だとお見受け致しました。
そのような方を自分がうまく書けたかどうか、いささか不安ではありますが、自分なりに書かせていただいたつもりではおります。
どうか諏訪海月様ご自身の印象を崩していなければ良いのですが。
前世の方に関しても過去の作品を参考にさせていただき、せりふを捏造(!)致しました。
後ろ向きな言葉になってしまいましたが、戦いのあとの疲労の中ということで、ご容赦願えたらと思います。
とにもかくにも、陰陽師というご職業や過去のお話を含め、大変興味深い、勉強になる出会いでありました。
いつかまたお会いできることを心より願っております。
それがたとえ時や場所を超越した再会であったとしても。
それでは、最後に桜の一面をこっそりお見せしたいと思います。

 ――実体を得た今はどう答えるのか、と尋ねられ桜の精は少しの間黙した。少しの……間……?
 ――「……あ、申し訳ない。今、寝てた。」
 ――大事な話をしているというのに、全く、五百歳の桜も人の姿での経験はまだまだ浅い様子。

ありがとうございました。