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■「黒雨の中で」■

青谷圭
【5430】【早津田・玄】【呪医(じゅい)】
 あの頃、我は幸せだったと思う。
 主である深藍(シェンラン)の膝の上で、白い毛並みを撫でられていた。
 彼女の名づけた白星(バイシン)という名を、愛情を込めて呼ばれていた。

 だけど今は、違う。
 猫であった頃の我はもう、いない。
 術式を用いて殺され、赤子の屍に取り憑いた。術者である主に服従を強いられる猫鬼(びょうき)。
 人を呪殺し、強盗を行なう。……それが、今の我だ。
 だから深藍のつけてくれた白星の名はもう捨てた。術者と共に中国から日本へと渡った我は……白(ハク)と名乗ることにした。


 雨が降る中。我は白い髪と黒い衣から滴を垂らしながら、主が仕事の話を終えるのを待っていた。
 仕事の話は聴いていて楽しいものではないし、本当なら護衛の意味も兼ねてついていくべきなのだろうが、依頼主が化物を中に入れるなと拒んだらしい。
 我は今の主が嫌いだったので好都合だったが、かといって逃げることなどできはしない。
 することもなくふと壁に目をやると、黒い張り紙が目に入る。
 『呪詛、呪殺完全遂行。黒影』
 ビリッ。
 それをわしづかみ、破り捨てる。
 何が呪殺だ。憎いのならば自分の手でやればいい。金を儲けたいなら、自分が稼げばいい。
 何故、巻き込まれなくてはいけない。何の関係もない我が――。
 チラシを細切れにし、地面に投げ散らかしたまま。我は壁にもたれかかり、座り込む。
 不意に、雨が止んだ。
 ぼんやりしていた我は、ハッとして身構える。
 一人の人間が傘を差し出し、我を見下ろしていた。
「……何だ、お前」
 警戒心をあらわに、我は問いかけた。
   「黒雨の中で」

「この雨ン中、野良猫だって軒下を借りるぐらいするってンだ」
 黒い瞳に銀色の髪をした作務衣の男は「何だ、お前」と聞いてきた少年に蛇の目傘を差し出しながら「てめェこそ今時分に何やってンだい」とばかりに睨み返す。
「俺ァな、早津田 玄ってンだ。用事ついでに通りかかったンだが……どうにも見てられねェな。この先に馴染みの甘味茶屋があンだが、おまえも来るか?」 
 風呂敷包みの中からタオルを取り出し、差し出す玄に、白髪に金色の瞳で中国の死装束をまとった少年はじっと、珍しいものでも見るかのように視線をそそぐ。
「カンミ……何だ?」
 真剣な表情で聞き返してくる少年に、玄は呆れてため息をつく。
「来ればわかるさ。ここを離れられねェ理由でもあンなら別だがな」
 少年はちらりと、建物の一つに目をやったが、すぐに向き直り。
「離れられないことは、ないと思う。だが、そう長くは自由にならない。そのカンミなんとかというのは、すぐ終わるものか?」
「さァな。長居するヤツはするンだろうが、おまえの好きなようにすりゃいいさ。無理に連れていく気も、引き止める気も俺にはねェ」
 どうすンだい、との言葉に、少年は警戒心を持ちながらも、微かにうなずいて見せた。
「……行く」
 小さなつぶやきに、玄は颯爽と背を向け、ついて来い、とばかりに歩を進めるのだった。


「そういや、名前を聞いてなかったな」
 玄は抹茶の器を片手に、思い出しかのようにつぶやいた。
 雨の日だというのに店の外にある長椅子に腰掛けていたため、大きな傘に当たる雨音がBGM代わりとなる。
「――白(ハク)、だ」
 少年、白は陶器の湯のみを両手で抱え込み、小さくつぶやく。
 中身は烏龍茶で、なかなか口をつけないのは彼が猫舌だからだろう。何度も口にしようとしては、ためらうように息を吹きかけている。
「お前は、玄だったな。――早津田の」
 早津田、という部分を強調するような言い方に、玄は顔を横に向けた。
 隣に座る白もまた、真っ直ぐに彼を見ていた。
「以前、そういった名前の呪医がいると、耳にしたことがある」
「は……そいつはまた、珍しいもンだな。一応代々続いた家系ではあるが、最近じゃ馴染みの連中からしか依頼は受けてねェからな。お前は人間じゃアねェようだが……もしかして商売敵ってヤツか?」
 玄はあごひげを撫でながら、睨むような鋭い瞳を向ける。
「おそらく、そうだろうな。我は、人に呪詛をかけるのが仕事だから」
 対する白は、顔を背けるように正面を向き、こくりとお茶を口にした。
「何も楽しんでるわけじゃねェだろうに」
「当たり前だ!」
 玄の言葉に、白い髪の少年は湯のみをダン、と椅子に叩きつけた。
「お前に呪いが解けるというのなら、我の呪いも解いてくれ。忌まわしい、呪われたこの身を開放してくれ! 人殺しなどしたくはない。猫鬼という化物でなど、いたくない。本当は……なのに!」
 火がついたかのように、激しく怒鳴りたてる。
 ずっと、無愛想な受け答えで押し殺していた感情が、一気にあふれ出したかのようだった。
 おそらく……彼は叶わないと思う願いならば、口にしなかったことだろう。先ほどまでの彼は、どこか諦めたような様子だった。
 だが、玄が解呪や浄化を専門とする呪医だと知り、希望を持ったのだ。彼なら自分を救ってくれるのではないかと……。
 しかし玄は、期待を込めた真剣な眼差しに、目を閉じ小さく首を振る。
 ――どうにもならねェ。それが、正直なところだった。
 猫鬼というものについては、勿論知っている。
 中国の蠱毒と呼ばれる呪術の中でも最強とされ、隋の時代多くの人々を殺害し国を混乱に陥れた存在。
 猫と赤子の首を刎ね、猫の腹を切り裂き赤子の首をねじ込む。
 それが猫鬼のつくり方だといわれる。
 日本でいう犬神のように、猫を頭部だけ出して生き埋めにし、目の前にエサを置いて飢えさせた末に首を刎ねる、というやり方もあるそうだ。
 どちらにしても、そこに生まれるのは強力な怨念。
 それこそが猫鬼の力の源なのだ。
「――やはり、無理なのか」
 無言の返答に、白は勢いをなくしてしゅん、とうなだれる。
 可哀想かもしれないが、事実なのだから仕方がない。
 呪術に詳しい玄だからこそ、下手な慰めなど口にはできなかった。
「猫鬼ってのは、蠱物使いに殺され、新たな命を与えられた存在だからな。呪術を使ってンだから、呪われた身であるこたァ確かだ。だが、そいつはただの呪いじゃねェ。術式による、契約だ。俺の専門じゃアねェな」
 白はうなだれるようにそうか、とつぶやき、冷めたお茶に口をつける。
 ――もしかしたら、術者を殺すことで、解放される道はあるかもしれない。
 そういう事例はあるが、もしそうならとっくに実行しているだろう。
 これほど真剣に切望しているのなら……人殺しは嫌だとはいえ、たった一人を殺すだけで二度とそれをせずにすむのなら、実行しないわけがない。
 だが新たな命を与えられた場合、その術者が死ねば共に命を失うという事例もまた、よくあることだ。彼の場合もそうだというなら、玄には解決策など示してはやれなかった。
「お前は、運命から逃れてェンだな」
 ただ静かに、一言つぶやいた。
「……逃れたい。こんなものが、運命だなんて思いたくない」
「なら、あがけばいい」
 正面に向き直っていた白は、その言葉にもう一度玄に顔を向けた。
「可能性がある、とは言わねェ。だが自分の専門でもねェのに、不可能だとも言えねェよ。お前が嫌なら、あがけばいいんだ。そいつはお前の自由だ」
「――でも……」
「何だ」
 言いかけ、うつむいて言葉を切ろうとする白に、玄は静かに尋ね返す。
 白は、口にすることをためらっているようだった。
「言いてェことがあンなら、言っちまえよ。話した方が、多少でも気が楽になるだろうからな」
 それは優しく労わるのではなく、実にぶっきらぼうな言い方だった。
 だが白の心には強く響いたらしい。彼は目を閉じ、小さくうなずいた。
「……自分でもよく、わからない。逃れたいとは思う。人殺しは、したくはない。だけど……逃れてどうしたいのか。狂い死ぬわけではなくても、化物であることに変わりはないのなら、生きる意味などあるのかとも、思う。本当にこの仕事が嫌なら、死んでしまえばいいのに、と」
「――そンでも生きてるってこたァ、目的があるからなンじゃねェのか?」
 静かに尋ね返す玄の言葉に、白は今すぐ泣き出しそうなほどに顔を歪めた。
「……ある」
 自分でも再確認するかのように、小さくつぶやく。
「あるよ」
 とうとう、少年の瞳にはかすかに涙が滲んだ。
 彼は慌ててそれを拭い、キッと表情を引き締める。
「本当の主に。我が猫だった頃、飼ってくれていた深藍(シェンラン)に逢いたい。彼女の元に、帰りたい。化物となった今の我では……人を呪い殺すような我では、逢うことはできないけど。それでも、諦めきれないんだ。生きていたら……生きてさえいるなら、いつかは」
 逢えるかもしれない。逢えなくても、姿くらいは見られるかもしれない。声くらいは。それが無理でも噂くらいは、と。
 苦しみの中で、何度も諦めようとしながら、絶望を繰り返しながら、それでも切望し続けたもの。
 その想いを痛いほどに感じたが、しかし玄は何も答えなかった。
 そうか、といった相槌すら打たず、ただ静かに、その身に受け止めた。
 人の負うべき痛みや苦しみを、自ら引き受けてやるのは、玄の役目の一つだった。
 白の吐き出すものは、呪いではないけれど。彼に新たな呪詛の刻印や痣をつくらせるようなものではないけれど。
 全てを吐き出し、聴いてもらうことで。少年の心がどれだけ軽くなったことだろう。
 玄の持つ空気。大地のようにどっしりした、全てをありのままに受け入れる懐の深さは、呪医としての能力以上に闇を祓う力があった。
「――こんな願いは、許されないのかな。化物である以上、逢うことはできないと言いながら、希望だけを抱えて生き延びて……そのために、人を殺す。沢山の人を殺していく。叶いもしない、願いのために」
 それは、玄への質問ではなく自らに問いかけるもののようだった。
 カコーン。
 店先に設けられた手洗い場の鹿威しが、不意に小気味のいい音を立てた。
 驚いた鳥が、ばさばさと木々から飛び立つ。
 白は目の前の光景に、黙って目を向けていた。
「お前は、殺したくはねェンだろ。けど生きるためには仕方ねェ。それを、誰が責められるってンだ。望まない戦争に借り出されて、生きて帰るために敵を殺したヤツらを、誰が間違ってるなンて言える」
「……けど、我が殺すのは敵じゃない。敵なんかじゃない。本当に、普通の……」
「戦争中、殺された人間が全員兵隊だったとでも思ってンのかい? 民間人がどれだけいたか。……そもそも、国が違うってだけで敵、ってのもおかしな話じゃねェか」
 同じことだ、と。玄はさらりと口にする。
 白は自分の手を……血に塗れた手を、じっと見つめながらその言葉を受けていた。
「まァ、今までしてきたことってのは消せねェからな。後悔したってどうしようもねェ。だが、これからは多少なりとも殺しを避けるこたァはできるだろうよ」
「どうやってだ!?」
 そんな方法があるのか、と。あごひげを撫でる玄につかみみかかるようにして、白は勢いよく叫んだ。
 玄はそれを面倒くさそうになだめ、彼を椅子の上に落ち着かせてから。
「俺は、お前ンとこの商売敵だからな。呪いをかけられたってンなら、解いてやるのが呪医の仕事だ」
 ぶっきらぼうな言葉に、白は実にぎこちない、不器用な笑みを浮かべる。あまりに笑顔をつくることが久しぶりで、どう笑っていいのか忘れてしまったかのようだった。
「――ありがとう、玄」
「敵に礼なんか言ってンじゃねェよ」
 玄はそういって、乱暴に白の頭を撫でてやった。
 傘に当たる雨音が、優しく2人を包み込んだ。 


 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:5430 / PC名:早津田・玄 / 性別:男性 / 年齢:43歳 / 職業:呪医】

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■         ライター通信          ■
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 早津田 玄様

はじめまして、ライターの青谷 圭です。ゲームノベルへの参加、どうもありがとうございます。

今回は戦闘シーンを入れるかどうか迷ったのですが、呪詛の効かない相手に呪詛で闘うのも結果が目に見えていることですし、心の触れ合いを重視した静かなものにさせていただきました。
玄様については無口でぶっきぼうながらも滲み出る優しさ、というものを表現したつもりです。成功しているとよいのですが。

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