■Dice Bible ―unu―■
ともやいずみ |
【3593】【橘・瑞生】【モデル兼カメラマン】 |
風が吹いた。
深い闇の中、都会の一角……誰も見もしない人の居ない道。
蹲る人間を、見下ろす。
「うぅ……あぅぅ……っ」
手には血管が強く浮かび上がり、唾液が唇から零れた。
「あぁ……は……うぁ……」
うめき声を洩らしつつ、苦痛に耐えつつ、その人物は見上げる。
黒い衣服をなびかせる美貌の主は憐れみも、何もその表情に浮かんではいない。だがその姿が消えていく。
「あ……! ああ……っ!」
手を伸ばすが、届かない。届かない!
佇んでいたはずの人物が消えた先には一冊の分厚い本。タイトルは――ない。
「く……っ、あがっ」
喉元をおさえ、その人物は苦痛の声を洩らして……それからゆらりと立ち上がった。落ちていた本を拾い上げ、そのまま闇の中へ消えていった。
こうして……人知れず戦いは起こっていた。そして、「あなた」の物語の始まりの合図でもあったのだ……。
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Dice Bible ―unu―
「遅くなったわね」
左腕にしている腕時計で時間を確かめる。仕事ですっかり遅くなってしまった。
橘瑞生はタクシーを拾うために足早に歩いた。ヒールの音が夜道に響く。
かつ、かつ、かつ、かつ。
足音が響く。
瑞生はふと振り向いた。もうそろそろ大通りに出る。そこでタクシーを拾って家まで帰ればいい。
けれども。
(………………)
なんだろう、この肌寒さ。もうすぐ夏がくるというのにこの寒さは、少々おかしい。
ひた、という音がした。
慌てて前を向くとそこには、いつの間にか男が立っていた。
目立ったところが一つもない男だ。年は二十歳前後。大学生というところだろう。少しばかり痩せすぎだという印象を受ける。
「ったくよ……。まだ、いやがるのかよ」
チッ、と舌打ちしながら歩く男の足取りは危ういものだ。酔っ払いかと思われるほどにおぼつかない。
荒い息を吐くのをなんとか堪えながら、男は歩く。そして瑞生に気づいた。
男は目を細め、それから不機嫌顔になって道の端に寄った。
(そんなに端っこに行かなくてもいいのに)
瑞生は素直にそう思ってしまう。別にこちらは彼を変質者として認識していないというのに。
まあ自分にはあまり関係がない。あちらもこちらに関わって欲しくはないようなのだし、こういう時はそ知らぬ顔で通り過ぎるのが最善だろう。
歩き出した瑞生をかなり避けるように道の、しかも塀に頬を擦りつけんばかりに寄って歩く男は「あ」と一言洩らして顔をそちらに向けた。
「お待たせしました、マスター」
「ど……だった?」
むせながら尋ねる男に近寄ったのは、燕尾服の少年だった。
銀髪は後ろだけが伸ばされている。まるで尻尾のようだ。なんの変哲もない西洋人の少年、ということはないが……瑞生は歩き出そうとしていた足を止めてしまう。
(あんな綺麗な子、これまで見たことがない……)
呆然と思う。
顔立ちはかなり整っているが、それだけではない。強く惹きつけるナニかを持っている少年だ。
(……か弱そうでもない不思議な子)
思わず、持っている鞄からカメラを出してしまいそうになる。彼の姿を写真に焼き付けておきたいという衝動が起こったのだ。
けれど、瑞生はやめる。その欲求を、自身の手で、止めた。
勝手に撮られるのはありがたくないことかもしれない。それに。
(なにより、この目で見たままのあの子の綺麗さが素直にフィルムの上に残るとも思えない)
瑞生の直感は、この場合正解だった。なぜなら、あの少年は――ヒトではない。
「もう残っていないようです」
「……ふっ」
応えた少年を前に、男が口元を緩める。
「そ、か……ふふ。はは……!」
「……マスター・ニレイ、あまり無理は」
「うる、せぇ!」
怒鳴りつけ、男は咳き込んだ。
「これで、また……あぁ……でも、俺も、ここまで、か」
男はくっくっくっ、と笑い声を交えて言う。少年は眉をひそめた。
「簡単に諦めるのですか、マスター」
「おまえ、は……わかってて、言って、んのか? え?」
「…………」
黙りこんでしまう少年にもう一度笑い、男は洩らす。
「わかって、んだろ? あ? 俺は、ダメだって」
「……存じてます」
少年はその言葉を言うのが辛い。男はとても誇り高く、いつも自信たっぷりだった。判断力に優れていたのは、よく知っている。だから、彼はもう『だめ』なのだ。
男自身が知っている。もう長くないと。
「だったら、意識があるうちに、殺せ」
はっきりと、男が言い放つ。
瑞生はどうしようかと悩んでしまう。自分は明らかに場違いだし、かと言って去るのも変だ。いや、去るべきだろうことはわかるがタイミングを完全に逃がしてしまった。
男は瑞生のほうを見る。
「まだいた、のかよ……」
「ごめんなさい。すぐ行くから」
瑞生は早々に立ち去ろうとした。男が声をかけてくれて良かった。これでここから去る機会を得られた。
男は少年に視線を戻す。
「周囲に、他に人間は?」
「……一番近いのはあの女性ですが」
「……なる、ほど」
ふむ、と頷いて男は瑞生のほうをもう一度見た。
「ちょっとあんた、『覚悟』はあるかい?」
「! マスター!」
驚いたように少年が男を止める。瑞生のほうはきょとんとし、瞬きをするだけだ。
覚悟? 一体なんの?
「俺が、死んだら……どちらにせよ、『同じ』だろ?」
「それは……」
言い難そうな少年は、けれども黙ってしまう。
一方瑞生はどうすればいいかわからない。突然話を振られても困る。
「私が自分でなんとかします。これまでもそうでしたし、これからもそうですから」
「へっ。主人と……し、て……最期の手向けだったんだが、な」
がくんと膝を折って男はその場に座り込んでしまった。瑞生は仰天し、それから鞄から携帯電話を取り出そうとした。こういう場合はやはり救急車だろう。休んで治るようならいいのだが、そうでなければ早急に対処しなければならない。
取り出した携帯電話を持って近づこうとする。
「ミス、そこから動いてはなりません……!」
少年が鋭い声で止めた。瑞生は素直にこくんと首を縦に振る。
「あちゃー……もう、だめみてーだ。くらくら、すらぁ」
「マスター」
「いいから、早く殺せ」
面倒そうに、ぶっきらぼうに言いのける男。
瑞生は彼らの会話がまず理解できない。
殺せ、というのは穏やかではない。一体どういうことだ? まさか本当に……。
(本当に殺すつもりじゃ、ないわよね……?)
「殺せ、ハル!」
「っ、了解しました」
ハルと呼ばれた少年は諦めたように呟き、拳を振り上げた。まさか殴るつもりかと瑞生は驚く。
なんなのだこの二人は。なんだというのだ?
(具合が悪いのではないの? それなのに……)
ハルは拳を無造作に振り下ろした。まるで八つ当たりでもするように、本当に、ただ単に拳を、おろす。
男の頭にそれが当たる。「痛ぇ!」と悲鳴でもあげるかもしれない。けれど。
そんな悲鳴は、あがらなかった。
ハルの拳は確かに男に直撃はした。直撃したのは、わかった。しかしその先が信じられない。
『痛い』では済まない現象が起こった。
男は頭から木っ端微塵に砕けた。塵のように崩れ、破壊された。その圧倒的な力の前に、成すすべなく、こわされた。
(これ…………『なんなの』?)
瑞生は目の前の出来事が信じられない。
異常。怪奇。奇妙。あやかし。そんなものの類いではない。
これは、異質だ。
跡形もなく消し去られてしまった、男が。まるで今まで生きていたことが嘘のように。
ハルは小さく囁く。
「ラ・レヴェデレ……ニレイ」
しーん、と辺りが静まり返った。
瑞生は携帯電話を片手で持ったまま、その場に棒立ち状態だ。またも、どうすればいいか、機会を逃がした。
ハルがそっ、とこちらに視線を向けてくる。赤い瞳はなんの感情も浮かんでいない。つい今、人を殺したばかりだというのに。
「…………あなた、誰?」
「…………」
尋ねた瑞生は言い方を間違えている。『誰』ではない。『何』、だ。
「こんなところで……何を、していたの?」
「……ミス」
こちらに体を向け、ハルは真っ直ぐ見てくる。
「覚悟があるならば、私の本の主になりませんか」
それは問いかけではない。ただ単に、訊いているだけだ。まるでそれはいつものように。事務的に。
「本?」
「……とはいえ、適性がなければいけませんが。あなた自身に悪影響を及ぼすことにもなりかねませんし」
ぼそぼそと言うハルは手を差し出してくる。瑞生が三歩ほど前に出なければその手には届かない。
「適性をみるだけです。すぐに契約しようとは思いませんからご安心を」
「……契約とか適性とか、どういうこと?」
ハルをうかがう瑞生。彼は「あぁ」とそこで気づいたように洩らした。
「すみません。先ほどのあなたの質問に応えていませんでした」
「……はぁ」
「私はダイスのハル=セイチョウ。それから、ここでは……ストリゴイを退治していました」
「?」
だいす? というのはなんだ?
(サイコロ?)
単純に想像するのはサイコロだ。けれども、目の前の人物はとてもではないがサイコロではない。
「す、すとりごい?」
「……ミスにわかりやすく説明するなら、吸血鬼です」
「……はぁ」
「けれど、あなたがたが想像するようなタイプではありません。ヤツらに対抗できるのはダイスだけですから」
つまり。ダイス、というものは、そのストリゴイに対抗できるモノのことらしい。
「あ、さっきの男の人は?」
瑞生の言葉にハルは目を細める。訊かれたくないことだったようだ。
話したくないことは突っ込んでいかないことに決めていたので、瑞生はそれについては追究しないことにした。
「……それで、適性をみてもよろしいでしょうか? 無論、あなたが嫌がるなら私は無理強いはしませんが。あぁ、でも断った場合は今夜のことは、全て消させてもらいます」
「え?」
「記憶から抹消します。あとで思い出すこともないでしょう」
それを聞いて瑞生はすぐにハルの手をとった。冷たい。あまりに冷たくて手を離しそうになる。
「…………相性はかなりいいようです。それほど力ももらわないようですし……。では、覚悟があるなら本をお渡ししましょう。心配には及びません。戦うのは私だけですから」
彼の言っていることは瑞生にはわからない。どうやら、わざとわかりにくく喋っているらしい。
ハルは手を離して、一冊の本を差し出してくる。白い表紙の、本。
瑞生が本を受け取るのを選んだのは、目の前のこの少年のためだ。知り合って、少しでも親しくなれたら彼の綺麗さをカメラに切り取れるかもしれないと、思ったからだ。
本に手を伸ばす。指先が触れた。そして。
瑞生はすぐさま手を引っ込めた。なにかが、内側から瑞生を喰い破ろうとした。魂を無理矢理、押さえつけて。
本が落ちる。
ハルは拾いもせずに言う。
「契約は完了しました、ミス」
そして彼は空気にとけるように消え去ってしまった。唖然として佇む瑞生は、恐る恐る落ちている本を見遣った。
今はもう――ハルの言っていたことがわかる。覚悟が、なければ……この本を受け取るのは愚かなことだと。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【3593/橘・瑞生(たちばな・みずお)/女/22/モデル兼カメラマン】
NPC
【ハル=セイチョウ(はる=せいちょう)/男/?/ダイス】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、橘様。初めまして。ライターのともやいずみです。
ハルとの契約に成功し、ダイス・バイブルの所持者となりました。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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