■戯れの精霊たち〜地〜■ |
笠城夢斗 |
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】 |
「森とは命の集大成だ。そうは思わないかい?」
――『精霊の森』にたったひとり住む青年は、会うなりそんなことを言い出した。
「といってもここには、動物がいないんだけれどね。僕と、精霊たちがいるだけ」
どことなく遠くを見るような目。
銀縁眼鏡の縁が冷たく光る。
「だけど、その代わりに精霊たちが暖かいんだよ。そう、暖かい――大地の精霊なんかは特に。まるで人間を見ているような気がしてくるね、彼らを見ていると」
大地の精霊……?
自分が足をつける地面を見下ろす。その柔らかい土……
「あ、土にはあいにく精霊はいないんだ。この森の場合」
そう言って、青年は視線をある方向へ飛ばした。
そこに、ひとつの大きな岩と――一本の太い木があった。
「あれ。あの岩と、木に宿っているのが大地の精霊だね」
岩と木。
どちらもとても年季が入っていそうな、古くて、強くて、どっしりとかまえて――暖かい。
ずっとこの森を見守っていてくれたふたりだ――と、青年は言った。
「彼らはかけらも動くことができない。あの場所にいるのが当たり前のまま何十年――何百年だ。外のことを知りたい。でも知ることができない」
願いを、叶えてやりたくてね――と、眼鏡の青年は優しい声でそう言った。
「だから、彼らにキミの体を貸してやってくれないかな」
木と岩は、どこかほんのり輝いて見える。森の外からの来訪者を、歓迎してくれているのだろうか。
「なんだったら、遊んでくれるだけでもいいよ――僕の力で、擬人化させることはできるしね」
お願いしてもいいかな。そう言って、青年は微笑んだ。
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戯れの精霊たち〜其の心知らず、ただ〜
精霊の森。そこはいつの間にかそう呼ばれるようになった場所。
誰が名づけたのか、誰がその在り様を決めたのか、誰も知らない。
だが、確かなことはひとつだけ。
この森には、本当に精霊がいる。
精霊の定義は、と聞かれれば、代々この精霊の森を護るために森に住んでいる『クロスエア』の名を冠する人間たちでさえ、言葉あいまいになるだろう。
しかし、精霊は精霊だ。
人間とは異なるものだ。
どちらが神聖か、などというのは愚問。
精霊は精霊として、ただそこに在るだけ。
そこに――生きているだけ。
「クルス殿」
軽く声をかけると、小屋の外の切り株に座って本を読んでいた長身の青年は、ゆっくりと顔を上げた。
眼鏡をかけた、森のような緑色の瞳を持つ青年は、いつの間にか前にいた彼女の存在に驚くでもなく、「こんにちは、アレスディア」と笑う。
「こんにちは」
アレスディア・ヴォルフリートは、彼が驚かなかったことに何の疑問も持たなかった。
おそらく青年は――クルス・クロスエアは、彼女がこの森に足を踏み入れた瞬間から、彼女のことに気づいていただろうから。
「何を持っているんだい?」
クルスがアレスディアのかつぐ袋を指す。
アレスディアは袋を下ろし、
「今回は――」
いいながら袋の入り口を閉める紐を解いて見せた。
中には立派なチェス盤。
「ザボン殿にチェスのお相手をして頂けぬかと思い、お邪魔させていただいた」
「……袋の中身がそれだけではないようだけど?」
「うむ。この時期が旬な、硬い包皮を割ると甘いジュースが出る木の実も手土産に。いかがか、クルス殿」
クルスは微笑んだ。
「ありがとう。半分は僕がもらって、半分はザボンにあげるとしよう」
クルスとアレスディアは共同作業でナイフを使い、木の実を割って中からあふれるジュースをうまくグラスに注ぎ込んでいった。
ちょうど、3人前の量ができた。
「アレスディアの分も含めて、ちょうどいいな」
とクルスは笑った。「ザボンのグラスは、つかみ割らないように強化しておくか」
言うなり、青年はふっとその手を1つのグラスにかざす。
グラスの表面が薄水色に輝いた。光があふれた、ようにも見えた。
アレスディアはふと――青年の穏やかな微笑を横から見つめる。
「ん? なんだい?」
すぐに気づいて、クルスはアレスディアの方を向いた。
「……いや、なんでも……ない。失礼した」
アレスディアはグラスを2つ手に持ち、
「それでは、ザボン殿とまずは1局を、と思うのだが」
「分かった」
クルスとアレスディアは揃って小屋を出た。
精霊は普段、普通の人間には見えない上に声も聞こえない。
そんな精霊を、一時的に擬人化させる技をあみだしたのがこのクルスだ。
『うむ。アレスディア殿ではないか』
やや背の低い、しかしがっしりとした体つきの壮年の男が、目の前に現れる。彼こそが、硬そうなその印象通り『岩の精霊』ザボンだった。
「ザボン殿、チェスをいたそう」
アレスディアはチェス盤を用意しようとして、両手がグラスでふさがっていることに気づいた。
「ザボン殿、これはザボン殿用のグラスだ。中身は木の実から採れたジュース。いかがかな」
『おお』
ザボンは嬉しそうにそれを受け取った。
「じゃあアレスディア。後は任せたよ」
「承知」
クルスの声に軽く応え、やがて青年の気配が小屋に消える。
アレスディアは切り株に自分のコップを置き、ザボンに座るように言った。
それから、袋からチェス盤と駒を取り出して、ザボンの前に並べ、切り株に置いてあった自分のグラスを手に取り彼と相対する。
ザボンはちょうど一口、ジュースを飲んだところだった。
『――むっ。飲み物を飲むことは岩のわしには滅多にないものだが……新鮮じゃ』
「喜んでいただけると嬉しい」
アレスディアは微笑んで、興味深そうにグラスの中をのぞいているザボンを眺める。
『む? ああすまぬ。チェスであったな』
ザボンはアレスディアやクルスによって、チェスの基礎を学んでいた。駒を並べるくらいならもう慣れたもの――と言いたいところだが、残念ながら、彼の体は岩ゆえに硬い。
その動作は重い上にのろくてぎこちない。
だから、駒を盤上に並べることはアレスディアがさりげなくやっていた。
『すまんのう』
重圧感のある声で、ザボンは申し訳なさそうにつぶやく。
アレスディアは顔をあげて、笑みを見せた。
「なにをおっしゃられる。ザボン殿と対戦するのは私の望み、故にこれぐらいのことはなんでもない」
ザボンは照れたように頬を赤らめた。
それを見て、アレスディアは思う。ああ、この精霊たちは生きている――と。
やがて2人は、のんびりとしたチェスを始めた。
「……時に、ザボン殿」
アレスディアがふと口を開く。
『む?』
チェス盤とにらめっこをしていたザボンが顔をあげる。
「恋人のおられる方は冷やかされると皆、クルス殿のように苦い顔をされるものなのだろうか」
『クルスが? 苦い顔を?』
「いや……先にお邪魔した際、柄ではないが少しばかり悪戯心が働いてしまって」
アレスディアはきまり悪そうに胸に手を当て、
「……少々冷やかしてみたのだが……」
クルス・クロスエアに恋人がいることは、彼の友人なら大抵の人間が知っている。アレスディアはそのことについてちょっとばかりひやかしを行ったのだ。
その時に――
「――なかなかに苦い顔をされていたので――」
困ったように、アレスディアはあごに手をやった。
「そういうものなのだろうか、と」
『………』
ザボンはじーっとアレスディアの顔を見た後、
『よく分からぬが……クルスがどんな顔をしたと?』
「いや、苦い顔……というか、実際にはその顔を手で覆おうとなさっていたが」
『ふむ』
ザボンはうなずいた。『それは苦い顔だったのではないと思うのじゃがな、アレスディア殿』
「………?」
『おそらく、“照れた顔”というやつじゃろう。うむ……やつの表情の中では、滅多にないものじゃが』
「照れた顔……?」
アレスディアは首をかしげた。「そんなものを、ザボン殿はご存知なのか」
『いやのう。森に入ってくる人間どもを眺めていると自然とそういうものも分かってくる。夫婦や恋人同士で森に入ってくるものも多いからの。それで“照れる”という概念をなんとなく知ったのじゃが、クルスも――あの少女が来るようになってから、何となくそれを思わせる表情をよくするようになったのでの』
「照れた顔……」
アレスディアは、冷やかしを行ったあの時の青年の顔をもう一度思い浮かべようとする。
――たしかに苦い顔ではあったが、それは嫌悪とかそういったものではなかった気がする。
「では世の恋人――想い人を持つ方々もそうして“照れた顔”をなさるのかな」
『わしは知らぬが、そうなのやもしれぬな』
ザボンはそう言って、常に左手に持っているグラスをぎしぎし口元に持っていくと、一口飲んだ。
アレスディアはしばらく沈黙した。別にザボンが駒を動かすのを待っていただけではない。
ザボンはようやく駒を進め、それからアレスディアの顔をのぞきこんだ。
『そなたはどうじゃ、アレスディア殿。恋の経験などは?』
突然聞かれたことに、アレスディアは恥ずかしがるよりむしろびっくりした。
そして自嘲するように苦笑して、
「私は、今のところこれといって。恋そのものを拒絶しているわけではないのだが」
『ふむ?』
「拒絶するには拒絶するだけのものがなければならぬ」
アレスディアは自分の駒を進めた後、少し考えて、
「私には、今のところそういったものは……うむ、ないな」
もう一度苦笑した。
『そのルーンアームのせいかもしれぬな。皆がそなたを戦士とみなし、女性とはみなさぬやもしれぬし』
ザボンは重い声で、アレスディアの得物である、大きな、刃をねじり重ねたような形状の槍を見やる。
「ルーンアームのために、か……ふむ……」
アレスディアはそっと、自分の相棒たる武器の上に手を添え、
「……私は、確かに恋とこの武器のどちらを取るかと言われれば、ルーンアームを選ぶかもしれぬ」
『その逆のことを言わせる強い恋、とやらも、この世には存在するらしいぞ、アレスディア殿』
ザボンが笑うように言う。アレスディアは再び苦笑した。
「その辺りについては焦ってどうこうするものではないと思っている故、まぁ、いいのだが……」
ザボンが駒を進めている、そのぎしぎしした手元を見つめながら、アレスディアはつぶやいた。
「……クルス殿のあの顔……うむ……そういうものなのだろうか」
『そなたは他の人々の表情をよく見ないのかの? アレスディア殿』
ふいにかけられた問いに、アレスディアはしばし言葉をなくした。
『そうであろう。街中であればおそらく“照れた顔”などはいくらでもあふれておるぞ」
「―――」
『いや……それともそなたはたった今、その表情を“苦い顔”から“照れた顔”へと認識を変えたゆえ、気づかなかっただけかの』
「人々の表情……」
アレスディアはつぶやく。
そう言えば、そうだ。自分は人々の表情をちゃんと追っているか?
いや、追っている……はずだ。ちゃんと、相手の顔を見ている。相手の心を知るために。
ただ今回は――あまりなじみのない『恋愛』などというものが関わっているために、混乱しているだけだ。
ああ、そうだ――
「分かったぞ、ザボン殿」
アレスディアはぽんと手を打った。
ザボンがチェス盤から顔を上げる。アレスディアはどこか無邪気に笑みを浮かべた。
「クルス殿だからだ。クルス殿は、いつもどこか作ったような笑みを浮かべていらっしゃるだろう――それが、あんな、素の無防備な表情をなさったから」
『ふむ、ふむ』
ザボンは目元に笑みを浮かべてうなずいた。
『なるほど、アレスディア殿。気づいておったか――やつの本来の気性では、笑顔どころか表情もない。それが変わってきたことに、気づいてくださったか』
クルスという人間の本来の気性にうすうす気づいていたから。
あんな無防備な表情に違和感を覚えたのだろう。
本当は――“苦い顔”も“照れた顔”も、知っている。知っているのだ、自分は。
そして、人々がどんな時にそんな顔をするのかも――
ザボンが満足そうな顔をしながら、グラスに残っている最後の一口のジュースを飲み干す。
その間にアレスディアは駒を進め、ぷはっとグラスを空にしたザボンに笑顔で宣言した。
「チェックメイト」
ザボンが目をむいて盤上を見る。そして自分のキングが確実に取られる状況になっていることを知り、がっくりと肩を落とした。
ふふ、とアレスディアは微笑んだ。
「私は恋心を知らぬ。ただ――」
森は優しくささめいた。さらさらと不思議な音が耳に心地よく落ちる。
少女の笑顔は消えぬまま。
「ただ、その表情を浮かべる人々に、祝福をと願う」
ザボンがにっこりと笑った。岩の精霊の優しい笑顔。
いつも力づけられる顔。
自分はなぜこの岩の精霊に会いにくるのだろうか?
――そんなことに理由なんかいらない。
そして今日も精霊の森で、精霊と触れ合う人の心が優しくなる。
クロスエアの名を冠する者はこう言っただろう。精霊は――
精霊は、人の心を癒すためにいるのだと。
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】
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■ ライター通信 ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
こんにちは、お久しぶりです、笠城夢斗です。
今回もゲームノベルにご参加くださり、ありがとうございました!納品が大変遅れて申し訳ありません;
前回のお話の続きのようなお話をくださり、まさかあそこをついてくるとは……と驚きましたw
アレスディアさんとザボンのやりとりを書くのは大好きです。書かせて頂けて嬉しかったです。
よろしければ、またお会いできますよう……
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