■例えばこんな物語 第二章■
紺藤 碧
【3087】【千獣】【異界職】
「遊びに来てくれたの!?」
 青年――コールは白山羊亭で知り合った冒険者の訪れに、満面の笑顔を浮かべる。
「ストックしてある物語読んでみる? それか…」
 コールはそこで一度言葉を止めると、新しい真っ白の本を取り出してドンと机の上に置く。
「新しい物語とか、どうかな?」
 
例えばこんな物語 第二章


 くるくるとペンを回して、窓際の丸いテーブルセットに腰掛けていたコールは、薄く開いた扉に気がつき、その顔をほころばせた。
「遊びに来てくれたの!?」
 扉に立っていたのは、先日白山羊亭でであった少女、千獣。
 千獣はその場でしばらくじぃっとコールの顔を見つめると、しばらくしてちょこんと頭を下げた。
「この、前……お話、聞かせて、くれて……ありが、とう……」
「気にしないで。僕が好きで書いてるものだから」
 コールは椅子から立ち上がると、扉を開け放ち、千獣を部屋の中へと招き入れる。
 千獣は促されるように部屋へ入ると、何事かを考えながら、再度コールの顔をじぃーと見つめた。
「……ねぇ……この前、の、お話……」
 そして、小さく開かれた唇に、コールは軽く首をかしげる。
「……私は、み、こ、に、なって、いた、けれど……どう、して……みこ、に、したの……?」
「どうしてって言われると、うーん」
 コールは虚空を見つめるように瞳を泳がし、合点言ったとばかりに、にっこりと笑う。
「千獣ちゃんの瞳が、凄く優しそうだったから、かなぁ」
 千獣はコールの答えに、一瞬面食らったように瞳を瞬かせ、また何事か考えるよう軽く瞳を伏せる。
「……私の、この、体には、ね……いっぱい、いっぱいの、獣の、命が、一緒に、いる……全部……私が、食べて、きた、もの……」
 そして、続ける。私にあるのは癒す力じゃない……奪う力だけ。と。
「……誰か、が……大切な、誰かが……傷、ついて、も、何も、できない……命、が、流れ、出て、いく、のを……見る、しか、でき……なかった、から……お話、の、私が……」
 コールの瞳を見返すように顔を上げた千獣は、眉根を寄せて苦痛とも言えるような笑みを浮かべていた。
「うらやま、しい」
 その言葉に、コールは優しく微笑んだ。




【ルピナスの慈悲】


 穢れには二通りのものが存在する。
 1つは、肉体的衰弱を誘い、その命を奪うもの。
 1つは、精神的衰弱を誘い、その魂を奪うもの。
 肉体的衰弱を誘う穢れは切り離す事が可能は分まだ可愛いものだ。しかし、精神的衰弱を誘う穢れは、その魂を侵食し、融合……もしくは、その肉体を乗っ取る。
 精神的衰弱を狙う穢れが危険なのは、肉体的と違い目で見える変化や外傷などが一切ないということ。
 そして、周りのヒトが気がつき、医者や癒者に見せるころには、魂と穢れの融合が進み(もしくは始まっており)、取り返しがつかない事になっている場合が多いのだ。
 “穢れ”と呼ばれる全てを扱うのが、カンパニュラの巫女の役目。
 けれど、カンパニュラの巫女は、穢れをその体内に移して患者を癒す。融合してしまった穢れを取り込むということは、患者の魂をその身に取り込むこと。それはつまり、患者の死を意味することと―――同義。
 それでも、ヒトは、救いを、癒しを求めるのだ。
 その意味を………知らずに。
「分かって、る………?」
 穢れに犯され、その性格を変貌させた少女を連れた夫婦に、千獣は告げる。
「この子……もう、取れない、よ……」
 それは、この世界に蔓延する穢れを浄化する事はできても、少女はもう助からないという事実。
「それでも、私たちは娘が狂う様をこれ以上見ていたく……っ」
 暴れるために、封印符で取り押さえられた少女。
「わたしは変わったの! 言ってたじゃない。もう少し明るくなってくれればって!」
 封印符で身動きを封じられている時点で、どれだけ反論しても意味がないことなのに。
 千獣は少女を連れてきた両親を巫女の間から退席させ、真正面から少女と対峙する。
「何よ! そんな同情の目で見ないでくれる!?」
 千獣に向けて牙をむく少女に重なった、両手で顔を被い泣き崩れているもう1人の少女。

―――助けて!

「………うん……」
 千獣は小さく頷いた。
「ここは嫌よ! 帰して!!」
 穢れは、精神を壊すものだけではない。
 今目の前の少女のように、精神を侵食し、ヒトの世界に紛れ込み、穢れを増やすものもいる。
「ねぇ……どうして、あなたが……不完全、なのか……分かる?」
 少女の口から放たれる侮蔑の言葉。けれど、その裏に隠れた弱々しい小さな言葉。
 千獣には聞こえていた。
 その、小さな“助けて”の言葉が。
「……それは、あなたが……幸せな、夢を…その子に、見せて、あげていない……から……」
 穢れの名は、夢魔。
 壊れたままの心。不完全な融合。
「だから…あなたは……ヒト、にも……仲間、からも……迎えて…もらえない……」
 あなたも分かっているんでしょう? と、告げる千獣の瞳。
 少女はかっと瞳を見開き、その顔が憤怒の形相を浮かべていく。
 完全に乗っ取ったつもりでも、彼女の融合は不完全のまま。そのため、穢れとしての力も不完全にしか使えず、穢れを広めることもできない夢魔。
 けれど、一度融合を始めてしまった魂を、分離させることはできない。
「わたしが完全に融合していようがいまいが関係ない! わたしを取り込めばこの娘は死ぬ。そうなれば、お前は人殺しだ!」
「………うん…」
 分かっている。そんな事は充分に。肉体的穢れとは違い、精神的穢れは、直接魂に結びつくため、カンパニュラの巫女の力では、肉体の死が訪れてしまうことくらい。
「でも、ね……。このまま、じゃ……その子、転生、できないの……」
 穢れに犯された魂に、輪廻の扉は開かない。だからこそ、魂―――穢れを浄化させる力を持った、カンパニュラの巫女がいるのだ。
 そう、癒しとは肉体的なものが全てではない。その魂の癒しも含まれる。
 ただ、巫女は最終的な終着点。魂をその身の内で癒し、輪廻の扉へと直接送る。そして、新たなる魂―――命へと還すのだ。
「勿論……あなた、も………」
 千獣は顔を上げ、唇をかみ締める少女を見つめ、優しく微笑んだ。
 命は祝福されなくてはいけない。
 今度は、夢魔ではなく、純粋な魂として、祝福される命として、生まれてこられるように。
 そっと触れた少女の手。穏やかに、そしてゆっくりと両手でその手を包み込み、千獣は微笑む。
 ドクンと跳ねる心臓。
 一度は怯えを見せていた少女も、徐々にその表情を穏やかなものへと変えていく。

 いらっしゃい。

 それは羊水に包まれるかのような安らぎ。
 母なる腕に抱かれる喜び。
 永遠のような、けれど数分のうちの出来事。がくりと少女の体が傾ぐ。
「千獣様」
 名を呼ばれ、千獣はゆっくりと顔を上げた。
 “癒し”が終わったことを確認し、神官たちが一礼して巫女の間へと足を踏み入れる。
 千獣の手から少女の体が離された。
「……ごめん、ね…」
 自らの体を抱きしめ、千獣は誰にも聞こえないようそっと呟く。ポツリと一粒、頬を流れる雫。来世のために、現世を奪わなければいけない矛盾。それがただ、歯痒くて。
「ありが、とう……」
 巫女の間から運ばれた少女の顔は、穏やかな微笑を浮かべていた。




 千獣の体から空へと昇る白い羽根。
 実体のない幻影の羽根は、癒された穢れ。
 輪廻の階が空から千獣へと降り注ぐ。
 二つの光が羽根に混じって階を昇っていく。
 魂は廻る。
 さぁ生まれておいで。
 祝福されるために。





終わり。(※このお話しはフィクションです)





























 話が終わった後も千獣はしばしその場で立ち尽くしていた。
 物語の自分は、癒したのだろうか? それとも、奪ったのだろうか?
 結果的にこの物語に出てきた患者は皆死んでいる。
 彼に言わせれば、肉体の死を迎えてただけで、魂の死を迎えたわけではない。そういう事らしいのだけれど。
「……癒す……癒し……」
 小さく繰り返すように呟き、自分の両手を見る。
 奪う癒しという言葉は、とても新鮮な響きを持っていた。
「傷を癒してあげられなくても、心は癒してあげられるよね」
 物語の彼女は自ら奪うことでその心を癒していたけれど、そんな力の無い現実の人々は、語り合ったり笑いあったり、心を触れ合わせることで、誰かの心を癒している。そうでなければ、救われる人なんて出てこない。
「私……も、誰か、を、癒して……」
 あげられるだろうか。それとも、あげているだろうか。
 “癒し”という言葉を、狭く考えすぎていたのかもしれない。
 千獣はふと顔を上げる。
「お話……ありが、とう……」
 そして言葉と共にほんのりと微笑んだ。







☆―――登場人物(この物語に登場した人物の一覧)―――☆


【3087】
千獣――センジュ(17歳・女性)
異界職【獣使い】


☆――――――――――ライター通信――――――――――☆


 例えばこんな物語 第二章にご参加ありがとうございました。ライターの紺藤 碧です。
 突発的な窓開けに気づいてくださりありがとうございました。
 前回の続きとして、別の方面の癒しの物語を考えてみました。楽しんでいただければ幸いです。
 それではまた、千獣様に出会えることを祈って……


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