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■Dice Bible ―doi―■

ともやいずみ
【6600】【居駒・獅騎】【大学生兼風使い】
 梅雨の時期に入った。
 雨の中、傘を差す女が居る。ぼんやりと沼の縁から濁った水を眺めている。
 水に打たれる沼を、ただ見ていた女は振り向いた。
 声をかけてきた相手に微笑む。そして、短い言葉を交わした。
 こほん、と相手は一つ咳をする。
 女は心配そうに相手を見遣る。最近体調が悪いような気がするけど大丈夫? と声をかけた。
 けれど相手は元気に笑った。そして手を軽く振る。否定の意味だ。
 ならいいけど。女はそう呟いた。そして視線を沼に戻す。
 そして――――。

 次の日、女の履いていた靴だけが沼に浮いていた。
 女の両親からは捜索願いが出された。彼女は、行方不明になったそうだ。



 気配が、する。
 ヤツらの気配。
 ダイスはそれを感じ取ることができる。
 眠りから目覚めなければ。そう――活動開始、だ。
Dice Bible ―doi―



 颯爽と歩く居駒獅騎。彼女が持つ鞄の中には、一冊の本がある。
 紅色の表紙の、ハードカバーの本。本にはタイトルなどない。けれども、その名を獅騎は知っている。
 本は、『ダイス・バイブル』という。あえて呼ぶなら、それしかない。
(アリサちゃんからもらった本を肌身離さず持ち歩くアタシ。ふふふ。なかなかに甲斐甲斐しいね)
 もらったというよりは、一時的に預けられているというほうが合っているのだろうが、そのへんを獅騎は気にしない。そもそもあまり、気にしない性格なのだ。
 アリサというのは『ダイス』。
 ダイスはこのダイス・バイブルの守護者。そして、『敵』を狩るハンターのこと。
(って、ことはわかってるんだけど。他はいまいち……)
 なんだか重いものを背負わされているのはわかるのだが、ソレがなんなのか獅騎は理解できないのだ。
 手が届きそうで、届かない。もどかしい。
 もう少し手を伸ばせば、もっと知りたいことがわかるのに。そんな気がしているのに、背伸びをしても手が届かないのだ。
(えっと、次は……)
 次の時間に受ける講義は、確か一番遠い教室だったはず。それを思い出し、獅騎は駆け出した。

 講義の最中も、暇をみてはダイス・バイブルを開いていた獅騎である。
 まずは表紙を開く。
 内容は簡単だ。全て絵なのだ。説明も何もない。ただ延々と絵が描かれているだけだ。
 水彩の色鉛筆で描かれたような、柔らかい色遣い。その先頭ページにアリサが横向きに佇んでいる。まるで、次のページから描かれるものたちを監視するような、凛々しい姿で。
 アリサのページを捲ると異形、人間、様々な絵が1ページに1つずつおさまっていた。それが続くのは途中まで。
 絵が途切れた先から最後までは、白いページが続いている。まるで描きかけの図鑑のようだ。
(…………)
 うぅむ。
 何度もアリサのページを眺めてしまう。ついつい触ってしまう。とはいえ、紙の感触しかないが。
(何度見てもかわいいねぇ)
 お人形さんのようだ。
 一体いつになったらアリサと再会できるのだろう。心待ちにしているというのに、待ち人は来ず、という感じだ。



 帰る時間がすっかり遅くなってしまった。
 そういえば梅雨の時期だ。じめじめした湿気は本には大敵だ。
(休みの日に、カバーでも買いにいこうかね)
 なんて考えつつ、そのまま家に向けて獅騎は歩いていた。
「ミス・イコマ」
「はいはい。って、あれーっ!?」
 大げさなリアクションで振り向く獅騎。自分の真後ろに、アリサが立っていた。
 彼女は暗闇の中、こちらを見ている。
「アリサちゃん! どうしたの」
 顔がにやけてしまう。無理に引き締めようとするが、無理だった。
 彼女は顔を少ししかめる。
「……『敵』です。ワタシの知覚範囲にいるようです」
「敵」
 って。
「どんなの?」
 ずずいっと近づいて尋ねてくる獅騎を、アリサはじっ、と見る。なんだか目付きが怖い。
「いや、あのさ、よぅく考えたらあたし、知らないなあって思ってね」
「……やはり本と相性が悪かったのですね。本来なら、それくらいのことは、『知っていなければ』ならないのですが」
「そうなの?」
「いいです。そのうち、わかるようになるでしょう。
 ダイスの敵とは、『ストリゴイ』のこと。ワタシは人間にわかりやすいようにこう呼んでいます」
「すといごいね。すごい名前だ」
「……ルーマニアの吸血鬼の総称です。日本では馴染みがないでしょうけど。
 とはいえ、『敵』は吸血鬼ではありません。今の人たちにもっとわかりやすく正体をさらすと……ウィルス」
「ウィルス? ってー、えっと、コンピューターとか、あと風邪とかの?」
「はい。人間の体内にも多くのウィルスがあります。が、我々ダイスの敵とは、抗体があるくらいではどうにもならないモノなのです」
「どうにもならないのか……」
「はい。一度感染してしまえば、それで『おしまい』ですね」
 文字通り、『お終い』だ。終わりなのだ。
「死ぬってこと?」
「ダイスが必ず狩りに行きますから、そういうことですね」
「なぜ狩るのかな」
「それがダイスの存在意義なのです」
 答えになっていなかった。が、今のところはそれでいいと思う。
 獅騎はアリサをまじまじと見た。
「正義の味方って、わけじゃないよね。アリサちゃんは」
「まさか。善意でやってはいません」
 さらりと言い放つアリサ。彼女は『役目』だからそうしているだけなのだ。そこに感情はないということだろう。
 にこにこしている獅騎を、アリサは不審そうに見る。
「……やけに機嫌がいいですね、ミス」
「アリサちゃんに会いたかったからね、あたしは」
「……は……?」
 理解不能と言いたげな表情をする彼女は獅騎を値踏みするように見た。
「……あなたはもしや、女性がお好きなんでしょうか……?」
「どうだろ。でもアリサちゃんのことは気に入ってるよ?」
「笑顔で言わないでください。怖いし、気色悪いです」
 はっきりと言うアリサだったが、声は平坦としている。
 獅騎は豪快に笑った。
「あはは! 言われちゃったね!」
「…………変な人ですね」
 顔をしかめるアリサは、神妙な顔つきになる。彼女は何かを感じているのか、空を見上げていた。
 そんなアリサの視線を追うように、同じように空を見上げる獅騎。
「なにか見えるのかい?」
「……近い」
 ぽつりと呟く。
 アリサは視線を獅騎に戻した。
「まっすぐ帰ってください。ワタシは退治に向かいます」
「え? せっかく会えたと思ったら、もういなくなっちゃうの?」
「ワタシは『敵』が出現した時のみ、ダイス・バイブルから出てくるので。そしてヤツらを倒します」
「いや〜、戦う美少女アリサちゃん。ますます興味深いねぇ。倒しに行くならご一緒させておくんなよ」
「…………構いませんが、感染したいという意味でしょうか、それは」
「しちゃうの?」
「この感じだと……間違いなく、そうなるでしょう」
 確信の言葉を吐いたアリサは、どことなく暗い表情だ。
「広範囲の攻撃を得意とする敵だということは、間違いない」
「あたし、逃げ足には自信あるんだけど」
「…………あなたは、風から逃げることができますか?」
「風?」
 アリサはそれ以上なにも言う気がないのか、黙り込んでしまう。
 ややあって、獅騎は口を開く。
「足手まといだってことはわかってるよ。でも、一緒に行くくらい」
 いいじゃないか、と続けようとしたが……無理だった。アリサは冷たい無表情に戻っている。
「梅雨の夜にアリサちゃんと魔物退治ってのもいいかな……って思ったんだがね。
 ほら、始めての『一緒におでかけ』が魔物退治ってのも楽しくてあたしはいいなぁ」
「……いいでしょう。では、共に行きましょう。言っておきますが、感染した場合、ワタシは容赦なくあなたを殺します」



 ぶぶぶぶぶ……。
 耳障りなこの音は、虫の羽音だ。
 アリサの向かう場所に近づくにつれ、この音は大きくなっていく。
「……アリサちゃん、敵ってのは」
「ワタシは止めました。後は、あなたの責任です」
 獅騎は足を止めた。
 この先に待ち受けているものは、『虫』だ。どんなものかはわからない。だが、羽を持つ虫だろう。
 空を飛び、集団で行動する種類だ。
 そんなものに、逃げ足が速いというだけで、逃げ切れるわけがない。アリサの言っていた意味がわかった。
 広範囲の攻撃。逃げられない。
「……なるほどね。こりゃ、難しいわけだ」
 納得した獅騎はアリサの背中を見つめる。小柄な少女の小さな背中。けれども、彼女はヒトではない。
「アリサちゃん、感染てのは、どんな具合でなっちゃうのかね?」
 尋ねると、彼女は足を止めて振り向いた。
 彼女の瞳はまるで氷のようだ。淡い青の眼が闇の中で冷たく輝いている。
「接触? なんか、血液とかみたいなものを浴びたりとか」
「それぞれ異なりますが……空気感染に近いでしょう」
「……防ぎようがないってことね」
 もしも。
「一緒に行って感染しちゃったらさ、あたしを殺すんだよね」
「ええ」
「本は、どうなるの」
「別の方を探します」
 あなたでなくとも、構いません。
 そう言外に言われた。
 獅騎は、彼女と仲良くなりたいのだ。仲良く、友達のようになりたい。
 もっと笑えば可愛いのにと何度も思う。けれど……それを求める自分の気持ちは、アリサにとって邪魔にしかならないのだ。
 あっさりと殺せる間柄、なのだ。なんとも、さみしい。
(あたしだったら、アリサちゃんを簡単には殺せないけどな……)
 彼女は逆だ。殺せるだろう、獅騎を。いいや、誰でも殺せる。
「んー……じゃ、あたしはここにいるよ。終わったら戻ってくるんだよね?」
「……先に家に帰ってください。そのほうが、安心ですから」
「およ? 心配してくれるの?」
 明るく問うが、彼女は無表情のままだ。もう少し反応してくれてもバチは当たらないと思うのだが。
「……負担を増やさないで欲しいだけです」
 短く低く、アリサは言った。彼女は前を向いて颯爽と歩き出す。
 迷いのない足取り。真っ直ぐに、目的を目指していく彼女。
「むぅ……」
 残された獅騎は唇を尖らせた。
 アリサと仲良くしたいわけだが、それではアリサの負担になる。アリサのことを考えれば彼女の言う通りにするべきだろうが、それではいつまで経ってもこの距離のままだ。近づけやしない。
 後頭部を掻いた。
「むずかしいもんだねぇ。いや、でもこれ、当たり前なのかな」
 人間関係だって、そんなに単純なものじゃない。
 さてどうしよう。待っていても……まずいかもしれない。
「足を引っ張るのだけは、避けたいしね」
 獅騎はそうぼやいて、くるりときびすを返した。アリサが向かった先とは逆方向に歩き出す。
 なにが、一緒に行くのが楽しい、だ。
(あれはもしかして、アリサちゃんは怒ってたのかもしれないねぇ)
 敵を倒しに行くのが楽しいなんて……不謹慎だっただろう。だから彼女は同行を許可した。
 わかっていないのですね、という目だったのだ。一緒に居て楽しいなんて、それは獅騎からの感情だけだ。
 彼女は役目を果たすために現れた。目的を達成することに真剣な人に向けて「楽しい」なんて……。
「言ってくれりゃあ……って、言ってくれるわけないか」
 空を見上げる。明日は雨が降るかもしれない――。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6600/居駒・獅騎(いこま・しき)/女/19/大学生兼風使い】

NPC
【アリサ=シュンセン(ありさ=しゅんせん)/女/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、居駒様。ライターのともやいずみです。
 アリサとの距離は縮まらず……。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!