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■Dice Bible ―doi―■

ともやいずみ
【3593】【橘・瑞生】【モデル兼カメラマン】
 梅雨の時期に入った。
 雨の中、傘を差す女が居る。ぼんやりと沼の縁から濁った水を眺めている。
 水に打たれる沼を、ただ見ていた女は振り向いた。
 声をかけてきた相手に微笑む。そして、短い言葉を交わした。
 こほん、と相手は一つ咳をする。
 女は心配そうに相手を見遣る。最近体調が悪いような気がするけど大丈夫? と声をかけた。
 けれど相手は元気に笑った。そして手を軽く振る。否定の意味だ。
 ならいいけど。女はそう呟いた。そして視線を沼に戻す。
 そして――――。

 次の日、女の履いていた靴だけが沼に浮いていた。
 女の両親からは捜索願いが出された。彼女は、行方不明になったそうだ。



 気配が、する。
 ヤツらの気配。
 ダイスはそれを感じ取ることができる。
 眠りから目覚めなければ。そう――活動開始、だ。
Dice Bible ―doi―



 時々起こる頭痛。原因はわかっている。
 一ヶ月ほど前に契約したハルのせい……正確には、ハルから渡された『ダイス・バイブル』という本のせいだろう。
(頭が重い……)
 ずっしりと何かが乗っている、頭に。
 橘瑞生は軽く溜息をつく。
 この痛みは頭痛薬でもどうにもならないだろう。変に『使わなければ』、自然に治る。
 けれど。
(使い勝手は悪いわね……。知りたいことを探すたびに、こう頭痛がしていては……)
 いつかこの頭痛もなくなるだろう。瑞生はまだ慣れていないのだ。ダイス・バイブルの情報量が重過ぎて。
(慣れるまでどれくらいかかるのかしら……。困ったわね)
 そもそも人間が扱える情報量ではないだろう。
 瑞生はお気に入りとなっている喫茶店でコーヒーを飲む。落ち着く香りだ。
 鞄の中には一冊の本が入っている。白い表紙のハードカバーの本。本屋で店頭に並んでいても違和感はないだろう。ただし、タイトルはないが。
(本を持っているだけでいいってハルは言っていたけれど……それだけで済むものじゃないわよね)
 自分の前にハルと契約していた……確かニレイと呼ばれていた男の最期を見たのだから、間違いはないだろう。
 契約者のことはダイス・バイブルの情報に含まれていない。いや、あるのかもしれないが、瑞生では『届かない』。
(ハルだけが戦う理由は、わかったけど)
 ずきずきとまた頭痛が復活する。
 制限ではない。単に、ダイスしか『敵』に対抗できないのだ。だがわかるのはそこまで。これ以上は頭痛がひどくて無理だ。
 ハルが出てきてくれれば説明してもらえるかもしれない。けれど、こちらからは呼べない。彼は自分の声に応えてくれはしないだろう。
(ダイスが出てくるのは、『ストリゴイ』が活動を活性化した時なのよね……)
 強大な力を持つために、ダイスはかなり制約が多いのだ。だがそれは……当然だろうとも思う。
 強すぎる力は反発も大きい。ダイスはそれを最小限に抑えているのだ。
「はぁ」
 瑞生は再び嘆息。頭が痛い。
 美味しいはずのコーヒーも、なんだか微妙だった。



 仕事が一段楽し、やれやれと部屋で休息をとっていた瑞生はぎょっとする。
 バスルームから出てきたら、そこに一人の少年が立っていたのだ。
 部屋の真ん中に突っ立っている、燕尾服の少年。なんて場違いなんだろう。
 銀髪の彼は振り向く。赤い瞳がやはり綺麗だ。
「ミス」
「……びっくりした」
「驚かせましたか。申し訳ないです」
 謝っている口調ではない。かなり平坦としている。
 瑞生は髪をタオルで拭きながら室内を歩いた。ハーフパンツにTシャツという簡単な衣服だが、寝る時はこのくらい着易いもののほうがいい。
「ちょうどいいわ。色々訊きたいことがあったの」
「…………」
 彼は黙って瑞生を目で追う。瑞生はハルのほうを見遣った。
「まだ消えないわよね?」
「……まだ倒せていないので、消えるわけにはいきません」
 はっきりと言った。決定だ。彼は『敵』が活動を開始したから出てきたのだ、あの『ダイス・バイブル』から。
 テーブルまでミネラルウォーターの入ったコップを持ってきて、座る。直立のハルはそんな瑞生を見ているだけだ。
「これ、あなたが倒したものよね?」
 ガラステーブルの上に置かれているのは白い表紙の本だ。それを捲りながら瑞生は尋ねる。気持ち悪い生物や、見知らぬ人間の絵が続き、それが途中でぱったりとなくなっている本だ。さながら、描きかけの図鑑である。
 ハルは静かに見ていたが、頷いた。
「そうです。……ミス、もしやダイス・バイブルの知識はないのですか?」
「あるけど、なかなか難しくて」
「……そうですか。ですが、あなたは本と相性が良かったようです。知識が流れ込んでいるならば、あとは時間の問題でしょう」
 瑞生にもそれはなんとなくわかっていた。今は手が届かない場所にも、いつかは届くということが。
「敵と戦うには、ダイスでなければならないのよね。それしか方法がない、ということはわかるのだけど……。具体的によくわからないの。
 何故そうした制限がつくのかしら?」
「……我々ダイスの『敵』が『ストリゴイ』ということはわかっていますか?」
「ええ」
「『ストリゴイ』というのは……我々が呼びやすいように名づけただけです。今の人間にもっとも馴染みやすい表現は――ウィルス」
「ウィルス……」
「それらはある時期、活性化し、爆発的に増殖します。いわば我々は……抗体ですね、強力な」
「ワクチン?」
「……そう、ですね」
 目を細めるハルは少しだけ逸らして、伏せる。
「人間であろうと、なんであろうと、ダイス以外はそのウィルスに感染してしまうのです。だから、ダイスしか戦えないのです」
「……感染、ね。ニレイさんもそうなの?」
 ハルの気配がピリッ、とする。痺れるような感覚は一瞬だった。
 彼は今度は冷ややかな瞳になった。
「そうです。ですが、それはどうでもいいことですよ、ミス」
 触れられたくはないということなのだろう。
 ダイス・バイブルの主であっても感染してしまう。ダイス以外は、というのは間違いないということだ。誰であろうとも、感染し……。
(異形に成り果てる……そして待ち受けるのは)
 瑞生はハルを見つめる。美貌の少年は静かに佇んでいた。座ればいいのにと、少し思う。
(ダイス……彼らに狩られるということか)
 ミネラルウォーターを飲む。冷たい。
「私のことを少し話してもいいかしら?」
「……どうぞ」
 あまり興味のない口調でハルは頷く。
 そんなハルに瑞生は微笑んだ。「ありがと」と小さく言う。
「あなたと一緒に戦っていくことになるんだし……少しは互いのことを知っていたほうがいいものね」
「………………」
 感情のない瞳でハルは瑞生を見ている。反応がないが、まあいいだろう。
「名前は橘瑞生。年齢は22。モデルをして生計をたてているわ。カメラマン志望でもあるわね」
「……モデルなのに、カメラマンを目指しているのですか」
「まだ勉強中なんだけど、なかなか面白いのよ。いつか被写体になってくれる?」
 明るく尋ねたが、ハルはまたも無反応だ。
 出会ってまだ二度。まともに会話をするのは今回が初めてなわけだが……。
(あまり……喋ってくれるタイプではないのね)
「そうだ。私の能力のことだけど」
「……はい」
「能力を自覚はしているけれど、ほとんど使った事ないわ。だから『取られる』事は不都合じゃないし、使って役立ててもらえるんだったら遠慮なくそうしてもらっていいの」
「…………」
「それに、そんなに勘がいい方でもないし……」
「勘がいいとか、そういうのは、必要ありません」
 はっきりとハルが言い放つ。彼の赤い瞳は瑞生を真っ直ぐ見ている。
「……そのうちあなたは感知できるようになるでしょう。……異臭に気づくのと同じように」
「そうなの?」
「はい」
 頷く彼は、静かに続けた。
「……何か、この付近で事件は起きていませんか?」
「事件? それは、普通のでいいの? 怪談話とかは少し苦手なの。何か起こっていても噂になって耳に入ってこないと判らないし……」
「……普通の事件でいいです」
「そうね……」
 瑞生はテレビのリモコンに手を伸ばし、電源のスイッチを押す。
 チャンネルを変え、手頃なニュース番組のところで止めた。
「私が一番憶えているのは、あぁ、ちょうどやっているわね。小さなものだけど」
「…………」
 画面に映っている人物が、事件がまだ未解決だということを告げている。
「沼で行方不明になった女性がいるっていう話。あなたの『敵』と関係ある事かしら……?」
「…………関係があるかもしれません」
「これって、一応普通の事件てことになるのよね」
「……ヤツらは、怪談まがいの噂話にはなりません。そうなる前にダイスが破壊します」



 深夜近く、調べに行くと言ったハルに瑞生はついて来ていた。タクシーを利用したのだが……。
(タクシーの車体の上に乗っていたとは……)
 想像するとちょっと笑える。
(そりゃそうよね……。でも一人乗るのも二人乗るのも、運賃は変わらないんだけど……)
「あそこが例の沼みたいね。ちょうど公園へ向かう道……ここから見えるあそこ」
「……行方不明の女性はすでに死んでいますね」
 瑞生の横に立ち、ハルは言う。薄暗い闇の中で彼の赤い瞳が輝いている。
「それに……嫌な予感がします。ミス・タチバナ、急いで帰ったほうが良いでしょう」
「え?」
 その呟きと同時に、ハルはハッと我に返り、瑞生を横抱きにして跳躍した。
 たん、と近くのフェンスの上に降り立ち、周囲をうかがう。
「え、あの?」
 戸惑う瑞生は間近でハルを見上げる。綺麗な顔立ちだ。
「…………近い。近くに居る……」
 囁くハルは目を細めた。
 瑞生もそこで気づく。やっと、気づいた。
 空気が重い。眩暈がする。
「あ……?」
「ミス、敵がどれほどの範囲で行動するか不明です。ですが……経験から察するに、かなりの広範囲でしょう」
「広範囲……ということは」
「あなたが感染してしまう……。できるだけここから離れてください」
「わ、わかったわ。……あの、ここで降ろさないでくれると助かるんだけど」
 苦笑して言うと、ハルがそこで気づいたように瑞生を見下ろした。
「あぁ……すみません」
(全然悪いと思ってないわね……)
 そんな瑞生を近くの道に降ろすと、彼は何かを感じているのか空を見上げる。月は厚い雲に隠されてる。
「ミス、倒れないようにゆっくりと去ってください。そして、決して私を追ってこないように」
「一人で大丈夫なの?」
 実はかなりもう足がふらふらだ。ハルの言う『敵』が迫っているせいだろう。
 ハルは頷く。しっかりと。
「ダイスは『ストリゴイ』を倒すために存在しています。必ず、仕留めます」
 そう言うなり彼は颯爽と駆け出した。あっという間に背中が見えなくなってしまう。
 またタクシーを拾わなければならない。瑞生はよろめく足取りで振り向く。振り向くくらいは許されるだろう。
「どんな敵なのかしら……?」
 けれど倒すだろう、ハルは。それは確信している――――。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3593/橘・瑞生(たちばな・みずお)/女/22/モデル兼カメラマン】

NPC
【ハル=セイチョウ(はる=せいちょう)/男/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
 ハルと少し会話ができたようです。いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!