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■Dice Bible ―doi―■

ともやいずみ
【6678】【書目・皆】【古書店手伝い】
 梅雨の時期に入った。
 雨の中、傘を差す女が居る。ぼんやりと沼の縁から濁った水を眺めている。
 水に打たれる沼を、ただ見ていた女は振り向いた。
 声をかけてきた相手に微笑む。そして、短い言葉を交わした。
 こほん、と相手は一つ咳をする。
 女は心配そうに相手を見遣る。最近体調が悪いような気がするけど大丈夫? と声をかけた。
 けれど相手は元気に笑った。そして手を軽く振る。否定の意味だ。
 ならいいけど。女はそう呟いた。そして視線を沼に戻す。
 そして――――。

 次の日、女の履いていた靴だけが沼に浮いていた。
 女の両親からは捜索願いが出された。彼女は、行方不明になったそうだ。



 気配が、する。
 ヤツらの気配。
 ダイスはそれを感じ取ることができる。
 眠りから目覚めなければ。そう――活動開始、だ。
Dice Bible ―doi―



 店番をしていた書目皆は頬杖をつく。
 アリサと契約して一ヶ月以上経つ。これからのことを考えると、色々と知らなければならないことが多い。
「む……」
 軽い頭痛。
 この頭痛はダイス・バイブルの所持者になった証だ。しかも、適性がかなりいいことの証明である。
 ダイス・バイブルの膨大な情報は、今や皆の中にある。だが皆が全てを理解することはできない。ただぼんやりと、何か重たいものが加わったと認識できる程度だ。
 今の皆に呼び出すことのできる知識は、軽めのものだけ。
 机の上に置かれた本。紅色の表紙の本。これはもう、皆の物だ。
(アリサさんが戦っている相手……ストリゴイ。どんな性質の敵なのか……)
 アリサに説明を乞うつもりだったが、その必要はない。ダイス・バイブルが教えてくれるからだ。
 ヤツらは激しい嫌悪感を覚えさせる敵なのだ。ダイス以外ではまず破壊できない。いうなれば、『ウィルス』。空気感染に近い。生き物から生き物へ、あっという間に感染していくのだ。
 アリサが目覚める時、それはヤツらが活動を活発にさせる時期であることも示している。
 爆発するようにあっという間に肥大し、周囲の者に感染して生き物を蹂躙していく。適性者ならば、元の姿のままということもあるわけだが、ほとんどはそうはいかない。
 生き物を元の姿から変質させる――それが敵の正体だ。
「ストリゴイ……」
 ルーマニアの吸血鬼のこと。ルーマニアといえば、ドラキュラのことも浮かぶ。ドラキュラ、というのはルーマニア語のはず。
 アリサがイメージをしているのは『吸血』ではないだろう。
「…………」
 皆は顔をしかめ、眼鏡を外して目元を軽くおさえた。これ以上の『検索』は脳に負担を強いる。
「はぁ」
 店内から外を見る。そろそろ、梅雨の季節だ。



 アリサが出てくるのは『敵』が活動を開始した時だ。
 皆はぱらぱらとダイス・バイブルを捲っていた。暇があればいつもそうしている。
 まず最初のページに登場するのはアリサだ。皆が出会った姿のまま、番人のように彼女は紙の中に佇んでいる。瞼を閉じた、凛々しい少女だ。
「………………」
 それを眺め、眺め……じーっと見ていた皆はハッと我に返ってこほんと咳をした。見惚れている場合ではないだろう。
 彼女は横向きに立っている。次のページから始まる連中の様子を監視するように。
 アリサのページを捲った先は、様々なものが描かれている。アリサと同じように、水彩色鉛筆で描かれた、犬、猫、異形のもの、人間などだ。
 これは図鑑のようなものだ。アリサが倒したものは全てここに封じられる。
「すごいなぁ……」
 この間見た、犬のページを最後に、その後は白いページが巻末まで続いていた。
「こんな気持ち悪いのと戦ったこともあるわけ、か」
 最初の頃のページには、物語にしか出てこないような、見るからに気色悪くなる物体もある。
 傍に置いてあるラジオからは最近のニュースが流れてきていた。行方不明の女性のこと。玉突き事故があったこと。ボリュームはおとしてあるので、客は気づかないだろう。古書店『書目』には、現在客はいないが。
 そちらに視線を向け、本に戻した瞬間、ドキッとした。
「……それほど、見ていて面白いものではないと思いますがミスター」
「っ」
 座っていたイスをがたりと鳴らし、皆はのけぞる。
 いつの間にか真横に立っていたアリサが、こちらを覗き込んでいたのだ。
「えっ、あれ?」
 皆は本のページに視線を戻す。アリサのページはもぬけの殻だ。
 彼女は姿勢を正した。
「驚かせたのなら、詫びます」
「いや、いいんだ」
「そうですか」
 詫びるのは表面上だけのつもりだったのだろう。彼女の声は淡々としている。
 皆は改めてアリサを見た。あ、と気づく。
「今はいないけど……うちは父親と祖父が」
「誰もいない時に出てきますから、ご安心を」
 割り込んだかたちで言うと、彼女はラジオのほうを向く。皆は本を閉じた。
「アリサさん」
「なにか」
「訊きたいことがあって」
「……知識は『呼び出せない』のですか?」
「いや、できるけど……」
 アリサが言っているのはダイス・バイブルの『知識』のことだろう。根性なし、と思われるだろうか。頑張ろうと決めたが、ダイス・バイブルはかなり負担があるのだ。
「敵は、例えば、強い想いを残した相手……恋人や家族を狙ったりする傾向がある?」
「いえ、無差別です」
 あっさりと彼女は応え、それから目を細めた。
「ヤツらは、ある起点から、そこを中心に広がります。そこに感情は関係ありません」
「そっか。よかった」
 安堵する皆を見遣り、彼女は怪訝そうな表情をした。その表情の意味を読み取り、皆は説明する。
「悲しみの連鎖は防ぎたいから。できるなら、後手に回らないようにしたいしね」
「……先手を打つことなど、無理かと」
 できることならやっている、とアリサは言葉にせずに声に滲ませて言った。
 皆の脳が自動的に検索した。目の前に軽い火花が散る。今日はこれが限界だ。これ以上は、無理――。
(そうか。活動が活性化しない限り、ダイスは感知できないのか……)
 それは今まで、口惜しいこともあっただろう。
 彼女はラジオに聞き入っている。
「……場所はここから近いですね。ふむ」
 どうやら事件の一つが気になるようで、さっさと歩き出す。
 突然のことに驚き、皆は慌てて立ち上がる。
「ちょ、どこ行くの!?」
「気配がする方角を探ってきます。あぁ、ついてこなくて結構ですよ、ミスター」
「そんなこと言っても、この辺の地理はわからないでしょ! ちょ、ちょっと待って!」
 慌てて辺りを探る。ビニール袋を出して、そこにダイス・バイブルを入れる。それを、引っ張り出してきた鞄に入れると、出入り口に向かった。
(あ、あれ?)
 アリサの姿がない。
 と思ったら、彼女は店のすぐ外に立っていた。しとしとと降る雨の中、きょろきょろと見回している皆と視線が合う。皆は気恥ずかしくなった。「待って」と言った自分の言葉に、彼女は従ってくれたのだ。
「よかった。置いていかれたかと思ったよ」
「迷いましたが、ミスターが本を大事にしてくださっているので、譲歩しようかと思いまして」
 どうやらビニール袋に本を入れたことで、彼女はこちらを待ってくれる気になったようだ。
「湿気は本の大敵だから、当然だよ」
「感謝します」
 アリサは微笑んだ。なんだか、こちらがむず痒くなるような笑みだ。
 店のシャッターを閉める際、少し迷った。時刻は夕方過ぎ……店じまいをしてもいいが、一応、今は皆がこの店を任されている状態だ。古書店『書目』の看板に目を遣るが、決意してシャッターをおろす。傘を持つとアリサの前に立った。
「お待たせしました」
「…………」
 皆に応えず、無言で歩き出すアリサに、傘を差し出す。
「濡れるよ、アリサさん」
「構いません。風邪はひきませんからご心配なく」
「でも」
 受け取らないため、皆は傘を差し、アリサの横に並んだ。彼女のほうへ傘を少しだけ、寄せる。
「アリサさんは、梅雨は初めてかな?」
「いいえ。しかしミスター、ついて来てどうするのですか?」
「いや……。ほら! 道案内なら任せて! 自信あるんだ!」
 どん、と軽く自身の胸に拳を当てる。苦しい言い訳だった。
 アリサは気配のある方角へ向かうだけなのだし、道案内は不必要だろう。けれど、アリサだけに任せておくのは嫌なのだ。
 皆は、アリサの前の主のひづめのことも、気にかけていた。彼女のことは、忘れない。ひづめの為にも、アリサの助けになれるように頑張らなければと決意したのだ。
(敵に出会ったら……すぐに距離をとってアリサさんの邪魔にならないようにしないとね)
 ちら、と横のアリサに目配せをする。
 彼女がいくら強くても危険はあるし、時には……辛く悲しいことがあるだろう。



 夜になり、ざわざわと空気が波打つ。こんな強力な気配なら、皆でもわかる。
 距離をとって殲滅の指示を出す? そんなの無理だ。これはひどい酔いに似ている。こんな状態でアリサに指示など出せるわけもない。
 ダイスは主を必要とはしない。主というのは、本の持ち主の呼称にすぎないのだ。本を保管する、金庫の役目に似ている。
 アリサが指示に素直に従うとは思えなかった。
 つい先ほども、「ここに居てください」と言うなり、軽々と跳躍して屋根づたいに去ってしまった。それもこれも、気分が悪くなった皆が足手まといになったせいだ。
(検索――)
 『敵』の数が増えれば増えるほど、こんな強力な気配になるのだと判明した。
(……役立たずだけど、アリサさんが帰ったら言わなくちゃ……)
 それだけは、もう、絶対に言うと決めている。

 三時間ほど経過して、アリサが戻って来た。
 公園のベンチに腰掛けている皆は、頭痛に唸っていた。無理をして『検索』をしたのは明白だった。
「お待たせしました、ミスター。無事に敵を発見し、倒しました」
「あ。あぁ、おかえりなさい、アリサさん」
 無理に笑顔を作る皆は、待っていましたとばかりに立ち上がる。よろめいた彼は、「おっと」と洩らしてなんとか踏ん張った。
「ほんと、役に立たなくて申し訳ない」
「いいえ。これほど離れた場所ならば、感染を心配しなくてもいいので楽です」
「そっか。
 おつかれさまでした」
 ぺこりと頭をさげてアリサを労う。彼女は怪訝そうな顔をする。しばらく思案した彼女が、口を開いた。
「失礼」
 言うなり、彼女は皆を背負った。軽々と、だ。
「家まで送り届けます」
「え。いいよ。休んでいれば大丈夫だから」
 こんな幼い少女に背負われる二十代男というのは、少々恥ずかしい。いくら夜中とはいえ、人目も気になる。
 彼女は無視して歩き出した。皆は彼女の肉体が冷たいことに気づき、驚く。
(…………『検さ……)
「ミスター、何かよからぬことをしようとしていないでしょうね?」
 ぎくりとして皆は思わず硬直した。
「大人しくしていてください」
「……はい」
 あぁ、情けない。皆はそう思いながらアリサに負ぶさったままだった。
 次の『夜』までには、少しはまともな主になれていればいいけれど――――。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【6678/書目・皆(しょもく・かい)/男/22/古書店手伝い】

NPC
【アリサ=シュンセン(ありさ=しゅんせん)/女/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、書目様。ライターのともやいずみです。
 アリサとの会話は、いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!