■Night Bird -蒼月亭奇譚-■
水月小織 |
【6118】【陸玖・翠】【面倒くさがり屋の陰陽師】 |
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。
「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
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Night Bird -蒼月亭奇譚-
恋死なん 後の煙にそれと知れ ついにもらさぬ「胸」の思いを
「………」
月刊アトラスで追っていた人体発火事件。
それは加害者が己の身を焼くという、後味の悪さで終わった。何度も読み返された跡のある、その号のアトラスを手に取りながら、陸玖 翠(りく・みどり)は何か思ったように溜息をつく。
この事件の裏には謎が多すぎる。
鳥の名を持つ者達、そして遙か昔になくなったはずの研究所の名前。
……綾嵯峨野(あやさがの)研究所。
それが、鳥の名を持つ者達が起こしている事件と繋がっている。見ると正気を失うDVDを作ったり、汚職に関わった政治家達を焼き殺したり……目的のために、彼らは手段を選ばないのだろう。そして、人の命を弄ぶように手のひらで転がしている。
「面倒だ……と、言ってしまうには謎が多すぎますねぇ」
おそらくこれで終わりではない。
翠が知っている鳥の名前は色々ある。カッコウ、チドリ、ツグミ、カラス……そしてもう一人。
事件は全て近くで起こっているのに、わざとそれを最後の鳥に知らせないよう、まるでひっそりと静かにおびき寄せるかのように起こっているのだ。きっとこのまま放っておけば、それは霞網のように最後の鳥を絡め取る。
不意に、翠の隣に黒猫又の式である七夜が翠の手に顔をすり寄せた。
「ニャァ」
「お帰りなさい。この様子ですと、向こうも堂々としたものですね」
ツグミが燃えた現場に現れた一人の男。そこに飛ばした呪が届いたという事は、完全に身を隠す気はないらしい。
『月満ちる夜に、座興でも如何ですか』
そう翠が書いた折り鶴を彼は見たのだろう。七夜は口に白い紙をくわえている。それは翠が送った折り鶴を一枚の紙に戻したもので、裏面に万年筆のインクが几帳面に踊っていた。
『その座興、誘われましょう。R.I』
翠が彼との座興に選んだのは、高台にある公園だった。場所柄人気もなく、夏だというのに何故か虫の声すらしない。
ベンチに座ってしばらく待っていると、入り口の方からスーツに眼鏡を掛けた、細身の男が現れた。年の頃は三十代ほどだろうか……神経質そうな細い目と、それに反して何を考えているか分からない笑みを浮かべた口元。どうやら「彼」のお出ましのようだ。
「月の出に来てしまったら早いと思いまして、いい頃合いまで浮かんでから来ましたが、お待たせいたしましたか?」
「いえ、私も今来たところです。お構いなく」
鳥を飼っている研究所に関わっているのに、その男の印象はどことなく蛇を思わせる。すると彼は翠に一枚の名刺を差し出した。
「磯崎 竜之介(いそざき・りゅうのすけ)と言います。以後お見知りおきを」
「陸玖 翠です……よろしいんですか?素直に私に名刺など渡してしまって」
その名刺には『綾嵯峨野研究所 磯崎 竜之介』と書かれていた。連絡先などは書いていない、真っ白な名刺。だが式が手紙を届けた事を、竜之介は知っているはずだ。なのにそれを渡してしまうとは……こちらが陰陽師であるという事など、彼にとっては大した問題ではないらしい。
月の下、竜之介がくすっと笑う。
「隠したところで、名前などいつか知られてしまいます。それにヨタカの友人には私の名前を知っている方もいますからね」
ヨタカ、という名前に翠は少しだけ溜息をつく。
「本人がそう呼ばれる事を望んでいないようですので、出来ればその呼び方はやめていただけませんか?」
「……ああ、今はナイトホークでしたか。失礼、その名を呼び慣れていないもので」
食えない相手だ。
だが、おそらく向こうも同じ事を思っている。一見和やかだが、辺りに張りつめた緊張感。竜之介は一度天を仰ぐと、また翠を見て笑う。
「さて、何をお話しましょうか。座興と言われても、私はしがない雇われ研究者ですから、貴女に見せて喜ばれるようなものは持ってないんですよ」
「それはどうでしょう」
雇われ研究者。
何故そこに荷担するのか。裏を探ったところで、はぐらかされるのがオチだろう。ならば、駄目元で当たってみるに限る。
「何故、貴方はそんなところに雇われているんです?」
竜之介の口元がにぃ……と笑った。だが、目は真っ直ぐと翠を見ている。
「単刀直入ですね」
「面倒な事は嫌いなんです。これでもずいぶん遠回しに聞いているんですがねぇ……聞きたい事はたくさんありますよ。ナイトホークの条件付けの話とか、鳥の名を持つ者達が起こす事件とか」
ナイトホークの条件付けについては、翠が一番気になるところだった。ナイトホークは自分の力で敵わない相手と戦うと、我を忘れ戦闘人格に入る。その条件付けが後付けである事は既に分かっているので、それに彼が関与しているのか聞いてみたかったのだ。
竜之介は少し歩くと、翠が座っているベンチの隣に座る。
「そうですね、研究所に雇われている理由は、利害の一致ですよ。私は鳥たちに興味がある、向こうは研究を復活させたい……お互いのエゴが上手く合わさっただけです。ああ、それに関して倫理など問わないで下さい。私は私の欲する事をなすだけです」
どうやら竜之介は、研究から手を引いたりする気はないようだ。向こう、と言う事は綾嵯峨野という名に何かがあるのだろうか。そこまでは教えてはくれなそうだが。
鳥の名を持つ者達に興味があるという事は、起こしている事件にも竜之介が噛んでいるのは確実だ。なら、ナイトホークの条件付けについても知っているのだろうか。翠は溜息混じりに立ち上がり、天に昇った月を見上げた。
夏の月は黄色みを帯び、穏やかな光を落としている。
「ナイトホークが戦闘人格に入るのは、そちらの仕業ですか?」
すると竜之介はゆるゆると首を横に振った。
「さあ。彼に関しては、かなりイレギュラーなところがあるようですからね……何でも『神の一部』に適応した者だとか。だから、私も彼のことは詳しく調べさせていただきたいのですが」
くつくつくつ……。
闇の中に笑い声が溶ける。翠はその様子を黙って見ている。
ならば、あの戦闘人格は全く別の「誰か」という事なのか。それにしては、神とは程遠い動きのような気がする。
だが。
もし、ナイトホーク自身が言うところの「キレる」で状態を押さえつけているとしたら。
本当に鍵が外れてしまったら。
その時に自分の目の前に立つのは、一体誰なのだろう……。
「それは謹んでお断りさせていただきましょう。ナイトホークは私の友人です。それを易々と渡す真似は出来ません」
じっと翠は竜之介を見た。何の感情もこもっていないような視線が宙でぶつかる。
「……でしょうね。でも、そのうち彼が自分でこちらに来るかも知れませんよ」
くつくつ。そう言いながら笑う竜之介に、翠は黙って首を横に振る。
「それだけはないでしょうねぇ。ナイトホークの性格では、貴方の所に行く理由が見あたりません。そもそもそうするぐらいなら、初めから逃げたりしないはずでしょう?」
今まで笑っていた竜之介が、初めて翠を睨んだ。それにくすと笑い、翠は無防備に背を向ける。
「磯崎 竜之介、覚えておきましょう。あと、一つ覚えておきなさい。友に手を出すなら、私も承知しませんよ」
鳥の名を持つ者達の事件に、綾嵯峨野研究所と竜之介が関わっている事を知った。後は聞いたところで無駄な時間だ。ならば座興は終わらせるに限る。
「心に留めておきますよ。どうせそのうち嫌でもお会いするでしょう……なかなか楽しかったですよ。では」
突然生暖かい風が吹き、翠の後ろにあった気配がかき消えた。
月の下には、白い紙が花びらのように舞っている……。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
蒼月亭のドアを開けると、丁度客が引けた所なのかナイトホークがグラスの後片付けをしているところだった。翠の姿を見て、ナイトホークは嬉しそうに目を細める。
「よう、久しぶり。一人でどうした?」
「久しぶりに一緒に飲もうかと思ったんです。よかったら如何ですか?」
そう言って翠が出したのは、希少価値高いの霊酒だった。するとナイトホークはカウンターから出て、入り口の看板を『Closed』にする。
「夜も遅いし、たまには早じまいして一緒に飲むか……七夜、元気だったか?」
「ニャー」
足下に擦り寄る黒猫又の頭を撫でるナイトホークに、翠は黙ってカウンターに座り、空いているグラスを下げる。
「サンキュー、翠。何か適当につまみとか出すよ」
「いえ、お構いなく。ナイトホーク、一緒に飲む前に貴方に言わなければならない事があるんです」
「何?」
カウンターの中に戻ったナイトホークが、シガレットケースから煙草を出して口にくわえる。そこに翠は静かにこう言った。
「……ツグミ殿を殺しました」
沈黙の中マッチが擦られ、火薬が燃え上がる音が小さく響く。
「その話なら、他の奴にも聞いたよ。自分で自分を焼いたって」
そうかも知れないが、そうじゃない。
ツグミが己の身を焼く直前、翠はこう言ったのだ。
『貴女は研究所を知っているのですか?もしくは絡んでいるのですか?』
まるでその言葉が引き金になったように、ツグミは悲鳴を上げた。そして自分を灰にするまで焼いた。
あれを聞かなければ、ツグミは死なずに済んだのかも知れない。そう思うと、手は下していなくとも自分が殺したのではないかと翠は思っているのだ。
「私が殺したようなものです」
それを聞き、ナイトホークはふうっと煙を吐く。
「そいつはどうだろう。遅かれ早かれ結果は同じだったような気がするけどな。まあ、その辺は飲みながら話そうか。弔い酒でもやりながら」
照明が落とされたカウンターに二人並び、グラスに霊酒を入れて飲む。客に出した物の残りなのか、夏野菜のマリネやチーズなど簡単な物がつまみとして並べられていた。
「ナイトホークとツグミ殿とは、仲がよろしかったのですか?」
そう問うと、ナイトホークは首を横に振った。
「いや、どっちかってと仲悪かった気がする。研究所では俺、特別扱いだったから、気に入らなかったんだろうな」
煙草の煙が静かに天に昇った。それはまるで死者を送るような煙にも見える。
翠はグラスの酒を飲みながら、その先をじっと見ていた。
「でも、葉隠を読んでいたのは、ナイトホークだけだったと聞きましたが」
「ああ、そういやそうだな。葉隠読んでたときに、ツグミに『恋死なん 後の煙にそれと知れ ついにもらさぬ中の思いを』ってのを教えたら、何度も聞いてきたっけか。でも、昔の話だよ」
ナイトホークにとっては、忘れたい過去なのかも知れない。だが、きっとその過去は、このままではぬぐい去れないものだろう。ナイトホークもそれに気付いているのか、酒を飲んで溜息をついた。
「元々あいつは情緒不安定なところがあってさ。一度ヒス起こすと、辺り構わず焼き尽くそうとするんだよ。それで自分の力が嫌いだってね……まあ、あそこにいた奴で、自分の力が好きだった奴はあんまりいないな」
自分の力が好きではない。
ナイトホークもそうなのだろうか。少し聞いてみたかったが、翠は口をつぐんだ。その代わりに、先ほど会った男の事を聞く。
「ナイトホーク、磯崎という男に覚えはありますか?」
するとナイトホークがあからさまに嫌な顔をした。今までとは違う反応だ。
「それ、どこで聞いた?」
「鳥の名と、綾嵯峨野研究所が関わる事件にちらつく男の名です。それにしても、ナイトホークは隠し事が下手ですねぇ」
呆れるように笑ってみせると、ナイトホークも苦笑しながら溜息をつく。
「ああ、無理無理。俺、正直者だし……磯崎って奴は、俺が研究所にいたときにもいたよ。あんまりいい思い出ないから、その辺はノーコメントで」
線が少しだけ繋がった。
鳥の名を持つ者、綾嵯峨野研究所。そして、磯崎という男。翠は懐から紙を出すと、今まで会った鳥の名を書き出していった。
カッコウ、チドリ、ツグミ。そして鴉とナイトホーク。
それを見たナイトホークは、ツグミの横を指さしこう言う。
「あと、ヒバリってのも出てきてる。後の奴はどうしてるのか知らない。鴉は俺が逃げた後に脱走して、今いるのは孫だし、あいつの能力的に研究所に捕まる可能性は低い」
「彼は結界すら通り抜けますからね……」
そう言いながら翠は思っていた。
これはまだ始まったばかりだ。しかもナイトホークが少し動けば分かるような位置で、巧妙におびき寄せようとしている。
「何にしろ、わざわざ動き始めたって事は、俺も覚悟決めた方がいいんだろうな」
「どっちの覚悟です?」
「………」
クスクス笑った翠に、ナイトホークはくいっとグラスを空け、じとっと翠を見た。捕まる覚悟ではないというのは分かっているが、こういう反応が可笑しくてついからかいたくなる。
空いたグラスに酒を注ぎ、翠はナイトホークの肩を叩いた。
「冗談ですよ。私も飲み友達がいなくなると困りますし、彼とは仲良く出来なそうですから」
「一瞬、マジで何言ってんだとか言いそうになったよ。まあ、俺は死なないってぐらいしか芸ないから、いざというときは皆に守ってもらう……とか言うと情けねぇな。でも俺戦うとキレるしなぁ」
この様子だと『神の一部』については何も知らないようだ。だが、それでいいだろう。言えばナイトホークは知ろうとするだろうし、その時に竜之介が言ったように『彼が自分でこちらに来るかも知れません』というのは避けたい。
「まあ、守られているうちが花ですよ。ナイトホーク、乾杯しませんか?ツグミ殿のために」
「ん?ああ……もう自分の力に嫌な思いしないで、ゆっくり眠れりゃいいな」
チン……と高い音が鳴る。
翠とナイトホークは己の身を焼いたツグミのために、短く黙祷を捧げるように黙って酒を飲み干した。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6118/陸玖・翠/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師
◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
「恋死なん…」の後日談で、なかなか名前を明かさなかった磯崎に接触したり、ツグミの弔い酒をナイトホークと一緒に飲んだりと、二パートに別れた話を書かせていただきました。
あるところはぼかしつつも、何だか核心に迫った話もしています。鳥の名を持つ者達も謎ですが、その中でもナイトホークはまた別のようですので、これからも何かと関わるかと…。そして本当に死なない以外芸がないので、守られそうです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。
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