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■闇之庵■

【5566】【菊坂・静】【高校生、「気狂い屋」】
 幽艶堂の住人らが暮らす三軒の家から少し離れた竹林の奥に、ぽつんと一軒。

「――では、今宵はあちらでお過ごし下さい。何かありましたら工房の方にいますので、お呼び下さい」

そう言って翡翠は工房に戻っていった。



幽艶堂に用向きがある客ばかりではない。

訳ありらしき者こそ、この幽境に訪れる。

今宵も、また――…



闇の庵に独り


闇の庵



  幽艶堂の住人らが暮らす三軒の家から少し離れた竹林の奥に、ぽつんと一軒。

「――では、今宵はあちらでお過ごし下さい。何かありましたら工房の方にいますので、お呼び下さい」

 そう言って翡翠は工房に戻っていった。



 幽艶堂に用向きがある客ばかりではない。

 訳ありらしき者こそ、この幽境に訪れる。

 今宵も、また――…



 闇の庵に独り


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  幽艶堂に来る客は人形ばかりが目的ではない。
 中には呪詛依頼にくるという勘違いもはなはだしい者もいる。
 だが、そんな不届き者共とは別に、ただ泊めて欲しいと何処からともなくやってくる客人もいるのだ。
 そういう客人は瞳の奥に暗い光を宿していることが実に多い。
 そして、珍客を迎えるのは何故かいつも翡翠がふらりと外へ出た時。
 大抵一期一会となるのだが、稀に再びあの場所へ招かれる者もいる。

 …今宵はそう、そんな裏を返しに来た珍客の物語―――…

  日暮れ時、夕立がすっかり上がって真っ赤な空が美しい時分に、菊坂・静(きっさか・しずか)は再び幽艶堂に続く竹林の中を通る道を歩いていた。
 一歩一歩、けして急ぐことなく、迷いない足取りで。
「――――…」
 視界が、開けた。
 夕暮れに染まる茅葺屋根の古民家はなんと風情のあることか。
 物語に出てきそうな、自分がその時代を知っているわけでもないのに、懐かしいと表現したくなる空間。
 ここだけ何十年も昔に巻き戻ったような、そんな錯覚がうまれる。
 ここに来たのは四度目。
 しかし、同じ目的で来たのは二度目。
 ここの若衆は知らない。
 翡翠と三人の師匠以外、あの庵の存在をはっきりと認識する者はいない。
 他に知るものと言えば、風の噂に庵の存在を聞いたものだけ。
 自分もその一人だった。
 初めてアレを、自分の中に存在する者を目の当たりしたあの夜。
 勝てると思っていた。
 必ず勝てると。
 その存在を消せると。
 けれどあれから日増しに存在が大きくなる。
 自分の気づかない所で、知らぬ間に事が解決している時が増えた。
 何が起こったのか、共に依頼を受けた者達の表情は、視線は困惑に満ちていることにも気づいていた。
 『自分』が自分でなくなる瞬間がある。
 自分でない間に何をしているのか、何をしていたのか、見ていたはずの彼らは口をつぐんだまま何も答えてはくれない。
 ならばこの目で今一度確かめるより他にない。
「――今晩は」
 あの日と同じように、コの字型に並んだ古民家の中央に、開けた何もない場所の中央に、翡翠が佇んでいる。
 逢魔ヶ刻。
 まさに、魔物と遭遇する時間。
 静の考えを読んだのか、視線を向け微苦笑する。
 手にはあの日見た行灯。
 さながら牡丹灯篭に案内される男のように、夕暮れ時の光差し込まぬ竹林の奥へと足を進める。
 あの庵がある場所までは暗く、その道中から既に試されている気分になった。
 ゆらりゆらりと揺れる行灯の灯火についつい目が奪われる。
「―――あの」
「はい?」
 思わず、聞こうとしたその口を閉ざした。
 立ち止まり振り返って静を見やり、翡翠は首をかしげる。

”――なぜ、何も言わないんですか?”

 そう言いたかった。
 けれど口ごもった後に咄嗟に出た言葉は謝罪の言葉。
 何に対して?
「何故、私に?」
 自分が決めたことなのだから、何も謝る必要などない。
 けれど、何故か謝ってしまった。
 再び負と対面する愚かな子供の我侭につき合わせているからか。否。
 あの庵で師匠を失った彼。
 自分はせっかく打ち勝ったその心を再び危険に晒しにきて、彼の心を殺めているのではないかという恐れが謝罪と言う形になってしまったのかもしれない。
「――自ら選ばれたことでしょう。それに対して私が否やを申す所ではありませんよ。そして――煩わせたと詫びる必要もない」
 悔やむ必要も無い。
 彼はそう言って微笑んで、きびすを返して道を進む。
 空気が、身にまとう何かが、言わずとも知れてしまうのだろう。
「それに」
「…それに?」
 鸚鵡返しにかけたその言葉の続きを、翡翠は柔らかな笑みをたたえて静に言った。
「貴方は一度打ち克っているではありませんか」
 だから大丈夫。
 自信を持って、再び降せる。
 自分はそう信じていると翡翠は笑う。
 その言葉が嬉しくて、目頭が熱くなるが、有難うとは言えなかった。
 涙を堪えて唇をかみ締めたせいもあるだろうが、それだけではない。
 そう言って貰える事はどれほど心強いか知れない。
 だけど、本当に勝てるかどうかなどわからない。自信がもてない。
 彼のその言葉を無碍に出来なくて、ただただ静は黙って歩いた。
「では、お気をつけて。朝になったら迎えに参ります」
 注意事項は前回来た折に聞いている。
 禁忌を犯した際の代償も何もかも知っている。
「―――はい。では、明日…」
 再び普通に会話が出来る事を祈って、この瞳にまやかしではない貴方がはっきり映る事を願って。
 再び幽艶堂の彼らと他愛のない話で笑えるように。
 再び大切な人と他愛のない日常に戻れるように。


 そして―――世界は閉ざされた。


  パチパチと囲炉裏の炭が真っ赤になって燃えている。
 夏の時分に聊か暑苦しいはずなのだが、不思議と不快を伴う暑さにはなっていない。
 独りきり、いやに広く感じる庵の中で静はその時がくるのを待っていた。
「…」
 あの時と同じ。
 向かいの囲炉裏端に人の気配。
 そしてだらりと垂らされた腕。
 その手首から流れ出る夥しい血。
 顔を上げてその姿を確認する静は、『彼』の姿を見た瞬間、ふと違和感を覚える。
 無表情であの時の狂気じみた様子が微塵も感じられない。
「確かめに来た」
 その言葉に『彼』は視線だけを静に合わせる。
「…僕はあの事故で君を受け入れた…母親、父親、生まれてくる筈だった兄弟の命すら奪ったのは確かに君だ…でも…本当に君は”死神”なの?」
 このところ感じていた自分の能力に対する疑問。
 本当に自分の持っている力は死神のものなのだろうか。
 死を、魂を刈り取る神の農夫が。
「君は――」
 その瞬間、囲炉裏を飛び越え般若のごとき形相で静の首に手をかける。
「なっ…!?」
 『彼』が蹴っ倒した鉄瓶が灰の中に落ち、じゅわっと音がしたかと思えば灰が舞い上がり室内に散る。
 絞められる首と降り注ぐ灰の為に余計に息が出来ない。
 ジタバタともがくもその力の前になす術もなく、意識が遠のく。
 霞む眼前に何かが映る。
 巫女服の、増女の能面を被った姿。先ほどの『彼』の姿ではない。
 だが、自分の首にかけられた手は少しも緩んでいない。
 これが『彼』の本来の姿なのだろうか。
 今の静にはそれ以上のことを考える思考力がない。
 意識が遠のき、苦しさも痛みも鈍くなっていく。
「――――…」
 抗っていた手がコトリと、力なく床板に落ちた。


 「!」
 内線の黒電話がけたたましく鳴り響く。
 素早くとった受話器の先に誰が居るのか翡翠は知っている。
「菊坂さん!?」
 返事がない。
 耳を澄まして聞こえるのは家鳴りとシュウシュウと小さく鳴る何かと、笹の葉ずれの音が遠くに。
 拙い。
 受話器を戻し慌ててあの庵に向かって走った。
 暗闇の中、翡翠の足は迷うことも蹴躓く事もない。
 まっすぐに庵に向かって光差さぬ竹林の奥へと走っていく。
「菊坂さん!」
 髪を結わえていた珠の通った組み紐を外し、それを腕に巻きつけ扉を開ける。
 暗闇の中、僅かに残った火種の明かりが囲炉裏端に倒れている静の姿を見せた。
「菊坂さん!菊坂さん!?」
 一先ず彼を外へ運び出し、火事にならぬよう火の始末をして庵を閉めた。
 うすぼんやりと差し込む月明かりの下、再び静の顔を覗き込むとそこには小さな、女性を思わせる指の形がくっきりと残っていた。
「…力が直接害を及ぼした…?そんな馬鹿な…」
 いや、力と言うよりも彼の中に潜む何者かがいるとすれば、こういうことが起こらない事もない。
「…息は…あります、ね」
 口元に手をかざすと、微かだが風を感じる。
 生きている事に一安心した翡翠は、手当てをせねばと静を抱き上げ来た道を引き返していく。
 その時、何か心に引っかかるものがあったが、まずは静の安全を確保する事が先決だ。
「………」
 チラリと肩越しに庵を見やる翡翠。
「――――何の目的で…貴方はそこにいらっしゃるんでしょうか…?」


 「……」
 喉が痛い。
 苦しい。
 息をす……息、を…?
「ッ!?」
「落ち着いて!菊坂さん!ほら、息を吸うんです!」
 息って、どうやってするんだっけ!?
 苦しい、どうにかして
「上体を起こして!さぁ、これを見つめて…」

 うずくまる体を強制的に起こされ、顎をつかまれ上向きに上げられる。
 苦しくて、霞む視界に映ったのは紐に通された大小様々な大きさの珠。
 それがゆらゆらと電球の明かりに反射し、不思議な揺らめきを見せる。

 ゆらゆら ゆらゆら

「―――…」
 ヒュー…っと空気が抜ける音がした。
 途端滲んでいた視界がはっきりと、今自分がおかれている状況を映し出す。
「大丈夫ですか?目が覚めた瞬間にパニックに陥ったようですね。安心してください。ここは工房です。あの庵じゃありません」
 喉が痛い。
 ゆっくりと手を持っていけば、痣に触れたような痛みが走る。
「僕は……」
「耐え切れなかったのですね…」
「え…?」
 そう言われて翡翠の方を見やる。
 少し悲しげな表情で、解かれた髪のせいか女性が目の前で泣いているように見えてしまった。
「内線をお使いになられたでしょう?」
「いえ、僕は…」
 内線のことなど思い出しもしなかった。
 あることすら忘れていた。
 目の前の『彼』の行動に抗おうと精一杯だった。
 今生きているのはわかるが、あの時確実に囲炉裏端から動くことはなかったのだから。
 あの場所から離れた所にある内線までいけるはずがない。
「―――では、誰が…?」

 本当に








 『誰』が――――…?




― 了 ―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【5566 / 菊坂・静 / 男性 / 15歳 / 高校生、「気狂い屋」】

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■         ライター通信          ■
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