■Dice Bible ―trei―■
ともやいずみ |
【6678】【書目・皆】【古書店手伝い】 |
蒸し暑い日々が始まった。夏の到来だ。
鳥がやけに多く空を飛んでいた。
「まったく……またゴミ散らかして」
近隣にいるカラスのせいか、ゴミ袋が散らかしてある。
マンションのゴミ収集場所を、近所の中年女性がそう言いつつ見遣り――。
「……ひっ!」
声をあげ、その場に尻餅をついた。
散乱しているゴミの中に、肉片らしきものもある。そして、女性が見ていたのは……一つの目玉だ。
「ひゃあああぁぁぁああああっっ!」
女は大声で悲鳴をあげ、その場から逃げようとした。だが腰が抜けており、立てない。
*
どくん、と音がする。
脈動の音。
活動を開始。
『敵』の気配が濃い……。
本の中での休眠は終了。さあ、狩りの時間だ。
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Dice Bible ―trei―
冷蔵庫から冷えた野菜ジュースを取り出し、コップに注ぐ。
早寝、早起き。三食はきちんと摂る。健康に気をつけ始めたのは、先月からだ。
運動不足もあるのでとりあえず家の周辺を軽く散歩することにしている。朝食を摂ると、身支度を整えて散歩に出かけた。朝日が気持ちいい。
「うん! やっぱり主は健康第一じゃないとね!」
小さく、それでも張り切って言う皆は歩き出した。
アリサのことを想うと、日々に活力と潤いが得られる。部屋に置いてあるダイス・バイブルを思い出し、皆は照れ笑いを浮かべた。
皆はやたらとダイス・バイブルの知識を検索するのはやめていた。おかげで体調はいい。主である自分が疲れてしまっては元も子もないからだ。
(……それに、データじゃなくて、目の前にいるアリサさんの事を知りたいし……)
ああ、また顔がにやける。どうしたんだ、僕は。
散歩を終えて上機嫌で靴を脱いで部屋にあがると、ぎょっとして体を強張らせた。
机の上に置いてあるダイス・バイブルが勝手に開き、ぱらぱらとページが捲られている。そして、その真上に彼女が「吐き出される」ように出現した。
彼女は軽やかに床の上に降りてきた。皆の目の前だ。本当にあと1センチで触れそうなほどに、近くに。息がかかるほどの間近だ。皆はのけぞってしまう。
アリサは後退し、それから怪訝そうにした。皆が硬直していることが理解できないようだ。
「どうしました、ミスター」
「あ、いや……驚いただけだから」
心臓がばくばくと鳴っている。皆は深く溜息を吐いた。彼女は人を驚かせるのが得意、とも言える。
アリサは皆を凝視していた。
「……ミスター、顔色がいいですね」
「え?」
「乱用していないのですね。賢明です」
小さく頷く彼女は真剣だ。
皆は後頭部を掻いた。
「過去の知識は武器になるけど、アリサさんを目覚めさせる事件……現在のほうが重要だからね」
「…………」
彼女は人形のように固まってしまった。自分は何かおかしなことを言ってしまったかと皆は不安になる。
皆は慌てて自分の部屋に行き、ファイルを取ってくる。アリサの背後にある、ダイス・バイブルがあるテーブルの上にそれらを広げてみせた。
「毎日、新聞やニュースをチェックして、これはと思う事件をスクラップしておいたんだけど……何か参考になるかな?」
テーブルの上に広げられたファイルには、綺麗に記事ごとに切り取られた新聞のものや、所々皆が書き込んだらしいメモがある。
アリサはそちらを見てから、皆のほうへ視線を動かした。アイスブルーの瞳が細められた。
嫌がられたかなと警戒する皆は慌てて言う。
「いや、現場に近づいて気配を探れば敵か否かわかるのだろうけど……逆に気づかれる可能性もあるから僕はしないでおいたんだ」
「…………ミスター」
彼女は、微笑んだ。皆がドキッとしてしまうほど、綺麗だ。
「賢明な判断です。あなたが感染してしまっては、意味がありません。それに……」
言葉を切り、アリサはファイルを見遣る。
「これほど努力をする主をワタシは知りません。あなたは……ストリゴイに恨みもないというのに」
君のためだ、と言い出しかけるが皆はそれを思いとどまった。アリサに不快に思われる可能性もある。
彼女はこちらを見てくる。いつもの無表情に戻ってしまっていた。
「気配を感じますか?」
「いや……」
「……そうですね。ここからは遠いうえ、気配が小さい。ダイス・バイブルを使っていないということは、気配を感じる能力もやや抑え気味ということですね。
ミスター、ファイルを見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「感謝します。あと、地図を貸してください」
*
事件の日付と、起こった場所。それらを照らし合わせながら、アリサはあっという間に記事の内容を読んでいく。速い。速読だろうか? それより速い気がする。
ざっと目を通し、すぐさまテレビにじっと見入る。彼女の頭の中で一体どのような情報整理がおこなわれているのか、皆にはわからない。
とりあえず昼にやっていたニュースが終わり、昼食の用意をする皆。ふと気になってアリサを見遣った。食べるだろうか、彼女は。
「アリサさん」
「なんでしょう?」
彼女はソファに腰掛けたまま、何かを思案しているようでこちらに顔は向けない。構わず皆は尋ねた。
「お昼を作るけど、一緒にどう?」
「ワタシに構うことはありません。食べ物は必要ないので」
「……ダメかな」
再度尋ねると、彼女は振り向いた。苦笑していた。
「わかりました。あなたの我侭に、少々お付き合いしましょう」
一人で食べるのは味気ない、と言っていつもアリサを食事に付き合せていた主がいたことを、アリサは思い出す。
こと細かくスクラップまでする書目皆という青年の、調理をする後ろ姿をアリサは眺めた。
今までの主がアリサに協力してきたのは、『敵』に恨みがあったからだ。兄弟、姉妹を死なせた。家族を殺された。恋人を奪われた。そんな理由ばかりだ。
どの主も自身の行く末を知っていた。だが、それ以上に彼らは強い気持ちがあった。『敵』を許すまじ、という憤怒だ。
皆には怒りがない。彼は、自分がどんな運命を辿るか知ったらどういう顔をするのだろう?
(…………)
アリサは瞼を閉じた。今は力を抑え込んでいるが、本気を出せばこの床を踏み抜いてしまう。厄介な体だ。
「用意できたよ。さ、アリサさんはこっちに座って」
何が楽しいのか、皆は興奮気味にアリサのもとに駆け寄ってイスまで案内する。
テーブルの上に用意されたのは簡単なものだった。チャーハンと、サラダ。それに、スープだ。
「ごめん……。簡単なもので」
何を謝るのだろうか? 申し訳なさそうな顔をしている皆を、アリサは不思議そうに見た。
昼食を食べている最中、皆はちらちらとアリサを盗み見た。
女の子と二人っきりで食事なんて……。しかも家で、だ。デートで軽食、というのならわかるが、家で、というのだから親しい相手みたいでどきどきしてしまう。
父親と祖父がこの光景を見たらどう思い、なんて言うか想像もしたくない。
スプーンを使って口に運ぶアリサの口元を凝視してしまい、なんだか照れてしまう。
(いくら人間じゃないからって……アリサさんの外見は高校生だし、見る人が見たら変に見えるかもな……)
皆はこれほど黙っていることがあまりない。誰かと会話をしても、つい口を挟んで余計なことを言ってしまうのだ。それが性分とも言えた。
なるべく律して、アリサの前ではそんなことがないようにしている。余計なことを訊いたり、言ったりして、アリサを怒らせてはまずいと思うからだ。なんというか…………単純に、彼女に嫌われたくないのだ。
「アリサさん、何か、目に付く事件はあった?」
「はい。少々場所は遠いですが、ゴミ捨て場に人間の肉片のようなものが散乱していたという記事……それが気になります」
誰かのイタズラとしか思えないそんな事件の記事を、アリサは気になるという。
(どんな敵だろうと……アリサさんは勝つだろうな)
それは確信だ。
*
「いってらっしゃい」
皆が笑顔でそう言うと、アリサは驚いたように目を軽く見開いていた。
「ダイス・バイブルと一緒に帰りを待ってる。敵に近づいて感染したら、足手まといになるから」
それに、必ず敵を倒せると信じている。そう瞳に力を込めて言うと、アリサは顔を歪めた。苦笑いをする。
「……信頼してくれているのですね、ミスター」
彼女がなぜこんなに複雑そうな表情をするのか、皆にはわからない。
アリサは決意したような顔をすると、言う。
「わかりました。その信頼に応えましょう。必ずや、敵を破壊してきます」
「無理はしないでね」
控えめに言うとアリサが軽く、困ったように笑う。
「承知しました、ミスター・カイ」
「あ、え?」
今なんて?
そう思っている間にアリサがきびすを返した。裏口から出ることにしたのは、表の店が開いているからだ。祖父が間違いなくいるのに、アリサを表から外に出すわけにはいかない。
「では」
彼女は軽く頭をさげるなり、跳躍して家の屋根の上に着地した。そのまま、何かを探るように辺りを見回している。
まるで狩人だ。獲物を狙う彼女は、ぎらぎらした瞳で小さなものでも見落とさないように注意深くうかがう。
ダンッ! と彼女は屋根から跳び、そのまま近隣の建物を足場にして行ってしまう。
少しは……警戒を解いてくれたのかもしれない。
視線をさげながら皆はそう思う。けれど、アリサは簡単には心を開いてくれそうにないだろう。だから、まだ自分は一歩分進んだだけだ、きっと。
*
コンコン、と叩く音がした。皆はうとうとしていたこともあり、外していた眼鏡をかけて部屋の中を見回した。
また音がする。外だと気づいてカーテンを開いた。
窓ガラスの向こうにアリサが居た。彼女に気づいて慌てて窓を開く。
「このような場所からすみません。戸口が閉まっていたので」
置時計の時間を見ると、すでに深夜の二時を回っている。彼女はこんな時間まで戦っていたということだろう。
「ごめん。うとうとしちゃって」
「お気になさらず」
窓から入ってきたアリサは怪我一つない。疲れてもいないようだ。
「おかえりさない」
意を決して笑顔で言う。アリサは反応が遅れ、「は?」と洩らした。
「無事に帰ってきてくれたから……」
「はぁ……」
だからなんだという表情のアリサに対して、「鈍い」と思ってしまう。いや、こちらの気持ちに気づけというのは皆のワガママだろう。
「なにをへらへらとしているのですか、ミスター?」
「きみが僕のもとへ無事に帰ってきてくれるだけで、嬉しいから」
「そうですね。あなたの信頼に応えられたようです」
……いや、そうじゃないよ。
(敵を倒せたから嬉しいわけじゃなくて……)
まあ、いいや。
彼女は無事なのだ。それでいいじゃないか。
「ミスターももうお休みください。それでは」
一方的にそう言うと、アリサは空気に溶けるように姿を消してしまう。ああ、本に戻ってしまった!
皆はがっくりとしてベッドに腰掛けた。そして頬杖をつく。
「……まぁ、『ただいま』とは言ってくれないだろうなとは予想していたけど」
あまりにあっさりした態度に、気分が落ち込んでしまったのである。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【6678/書目・皆(しょもく・かい)/男/22/古書店手伝い】
NPC
【アリサ=シュンセン(ありさ=しゅんせん)/女/?/ダイス】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、書目様。ライターのともやいずみです。
なにやらアリサは少し心を開いたようです。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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