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■Dice Bible ―trei―■

ともやいずみ
【3593】【橘・瑞生】【モデル兼カメラマン】
 蒸し暑い日々が始まった。夏の到来だ。
 鳥がやけに多く空を飛んでいた。

「まったく……またゴミ散らかして」
 近隣にいるカラスのせいか、ゴミ袋が散らかしてある。
 マンションのゴミ収集場所を、近所の中年女性がそう言いつつ見遣り――。
「……ひっ!」
 声をあげ、その場に尻餅をついた。
 散乱しているゴミの中に、肉片らしきものもある。そして、女性が見ていたのは……一つの目玉だ。
「ひゃあああぁぁぁああああっっ!」
 女は大声で悲鳴をあげ、その場から逃げようとした。だが腰が抜けており、立てない。



 どくん、と音がする。
 脈動の音。
 活動を開始。
 『敵』の気配が濃い……。
 本の中での休眠は終了。さあ、狩りの時間だ。
Dice Bible ―trei―



 本の中で休眠状態に入っていたハルは眠りから覚めつつあった。
 一度本に戻り、休眠状態に入ってしまえば、完全に外界と隔絶されてしまう。
 一度に使う力の量が多いため、こうして休まなければならないのがダイスの弱点だった。どれほど強くとも、それが強さゆえのカウンターとなる。
(…………)
 意識が浮上してくる。ハルは現在の主のことを思い浮かべた。
 橘瑞生。
 女性の主は初めてではないが、果たして彼女はこの先も耐えられるだろうか……?



 瑞生は眉間に皺を寄せて、こめかみを軽く押さえた。
(……活性化しているような、感じが……する、ような……)
 曖昧な感覚ではあるが、瑞生はそう感じることができるようになっていた。
 ハルに言われた通り、「いずれ」敵の気配を感知できるようになった、ということなのだろうか? その「いずれ」が「今」なのかもしれない。
 瑞生はハルに言われた時から、その言葉に安心せずに過ごしてきた。「いずれ」と言われても、それがいつできるようになるのかは不明だ。明確ではないのだから、そこで安心できるはずもなかった。
 この間の時のように、気づいた時はすでに身動きができない状態になってしまうのでは、ハルの邪魔になってしまう。それだけは避けたい。
 せめてもう少し早く気づけるようでいたい。できるだけ早く気づけるように、そしてストリゴイを倒す。ハルの妨げにならない自分で居たい。
 その願いが叶ったかのように、瑞生はじわじわと圧迫するような気配を感じてくるようになった。それは、まるで湿気のようだ。じめじめしていて、鬱陶しい。
 とはいえ、はっきりと「気配」と認識はできない。なぜなら、瑞生が自覚して感じるのは、今回が初めてなのだ。初めてということは、比較できない、ということで、これが『敵』の気配かどうかわからないということだ。
 活性しているのか、出現しているのか、活動しているのか。
 曖昧で、ぼんやりしていて、はっきりしない。
 経験を重ねれば、わかるようになるだろうが……。
(彼の妨げにならない事も、彼の主になる『覚悟』のうちだと思うもの)
 常に緊張していなければとは思わないが、自身の周りのことと世間で起こっていることには注意を払っていなければ。
<では次は……>
 テレビ画面でやっているニュースでは、芸能ニュースが開始されたところだ。
 瑞生はガラステーブルに肘をつき、リモコン操作をする。チャンネルが変わり、画像が別のものになる。
「前の主はどうだったのかしら……」
 ぽつりと洩らす。ハルは語る気がないようなので、瑞生にはわからない。
 ああそういえば、と瑞生は思い出す。
「少し前に……マンションのごみ集積場でばらばらの遺体が発見されたって聞いたけど……あれ、どうなったのかしら?」
 ニュースを見る限り、その話題は全く表に出てきていない。
 同じモデルの誰かが持ってきた話だったのだが……。
(もしかしたら、敵と関係あるということも……あるもの)
 しかしニュースを注意深く見るようになったが、毎日毎日、よくもまぁ事件が起こるものだ。
「あー、ほんと」
 大きく両腕を伸ばし、瑞生はそのままの勢いで床に仰向けに倒れた。白い天井が視界に広がる。
「……考えれば考えるほど、ますますわからなくなっていくっていうか……」
 困った……。そう思っていると、真上から顔を覗かれた。
「……ミス」
「…………」
 完全に硬直している瑞生を見下ろし、赤い瞳の彼は言う。
「おなかが出ています」

 家の中だからといって、油断してはならないということだろうか。
(ちょっとシャツが捲れていただけなのに、わざわざ言ってくれなくても……)
 しかしそこで気づく。これ、が……いつもの自分なのではないだろうか?
 誰かの前で気張ったり、着飾ったりすることのない自分。部屋の外では、モデルという仕事で誰かに「見られる」ことが商売となる。だから、気は抜けない。
 見られる自分のイメージを崩さないように、お化粧もきっちりして、衣服にも乱れがないか毎日チェックするのだ。
 起き上がってシャツを下に引っ張りつつ、瑞生は佇むハルを見遣った。彼は瑞生に対してなんの感情もないように、無表情でこちらを見ている。
 写真に写る自分に勝手にイメージをつけて見る輩とは、全く違っている。彼は瑞生に対して先入観がないのかもしれない。
「……ハル」
「なんでしょうか」
「……なんでもない」
 女性に対してなってない、なんて言ってどうするのだろう。瑞生は彼に「主」として見て欲しいのだ。対等でいたい。それなのに。
(なんか、調子が狂うのよね)
 カメラマン、アシスタント、雑誌編集者、大学時代の男友達、そんな者たちとはまるで「種類」が違うのだ、ハルは。
 試しに訊いてみる。
「変なことを訊くけど」
「はい」
「……おなか出して寝転がってる女を見たら、幻滅する?」
「しません」
 即答だった。あまりの早さに瑞生は目を丸くする。
「そ、そう……」
「なぜ幻滅をする必要があるのですか? ミスはおかしなことを訊きますね。
 それより、『気配』は感じますか?」
「そうね……。曖昧な感じではあるけど、それらしい気配を感じるような……」
 ハルをうかがうと、彼は呟く。
「……確かに、やや遠くにいるような気配がします……」
「気になる事件があるんだけど、ちょっと現場に行ってみてもいいかしら?」
 止められるかなと思ったが、彼は頷いた。感染したらどうしますか、とでも言うのだと思っていたのに。
「そのほうが、ミスの感覚はもっとはっきりしたものになるでしょう。慣れておくのも、今後の為にもいいかもしれません」
「……止めないのね」
「感覚が鋭くなれば、感染するかどうかの判断もできるようになるでしょう」
 そうなんだと思う瑞生の耳に、ハルがぽつりと洩らした一言が聞こえた。
「とは言っても、判断できても感染してしまってからでは遅いんですけど」



 話を持ち込んだモデルに電話をして訊いたところ、ばらばらの遺体というのはかなり大げさな話だったようだ。
 散乱していた肉片は人間のものではなく、目玉も人形のものだったようだ。誰かのイタズラ、ということだろう。
 歩いてそのマンションまで向かう瑞生は安堵していた。もしも敵の関わった事件ならば、感染してしまう可能性もある。警戒しながら近づくのは、骨が折れそうだったからだ。
「ごめんなさい。関係ないかもしれないわ」
「遠慮することはありませんよ、ミス。あなたが『敵』を討とうとする気持ちは、私に伝わっています」
 どきっ、とした。
 ハルの主として恥じないようにしたいという心が読まれたのかと思ってしまう。
「他人から聞いた話にまで気を配るとは、素晴らしい。そこまで『敵』のことに警戒するのは、私としても助かります」
「…………」
 そ、そうじゃないんだけど……。
 内心少しがっかりしてしまう。
(一緒に戦うという目線で見てくれてるわけじゃないのね……)
 彼の足手まといにならないようにという気持ちのほうが、強い。敵を倒すというのは、ハルの足を引っ張らないようにするためなのに。
 マンションに近づいていくにつれ、瑞生は頭がくらりとした。眩暈に、足がよろけてしまう。
「ミス、危ない」
 ハルが横から腕を引っ張ってくれた。
「ありがとう、ハル」
「いいえ。……しかしヒールが高いですね。もう少し低めの靴にしたほうがよろしいかと思います」
 彼に支えてもらって姿勢を正す。愛用しているピンヒールを見下ろしてみた。自分に似合う、踵の高い靴。走って逃げるには不似合いかもしれない。
 瑞生はおしゃれが好きで、綺麗な自分が嫌いではない。だから自分に似合った格好をするのが、好きだ。
(……ハルって、そういうのを気にしないのよね……)
 しげしげとハルを見つめる。モデル顔負けの美貌をしているが、彼は、自分の主がどのような人物でも気にしない印象を受けた。
「でもこの服にはこの靴が合ってるでしょ?」
 そう言うと、彼は首を軽く傾げた。
「ミスは、ジャージ姿でもお似合いですよ」
「……どういう意味?」
「私は機能性を重視しますから。
 けれど……ミスは美人ですし、部屋着でも充分魅力的かと思いますが」
 さらりと、無表情で告げてくるものだから……。
(……なんだか、嘘じゃないんだろうけど……抑揚のない声で言うし……)
 困ってしまった。

 マンションには近づけない。これ以上近寄ると、気持ち悪くなるのだ。
(なるほど。こういう感覚なのね……)
 けれど、事件はイタズラのはずだ。だがなぜ自分はこれほど反応するのか。
(敵が関与しているということかしら……)
「ハル、少し訊きたいけどいい?」
 マンションを離れた場所から見つつ、瑞生はハルに尋ねた。
「敵は特定の周期で活性化するらしいけど、それにも何か原因や法則性があるのかしら……?」
「……生態上、ということでは納得していただけませんか」
「生態上?」
「言い方は悪いですが、人間の女性に、一ヶ月に一度、月のものがくるのと同じです」
「あ……そうなの」
「はい」
 ハルは頷き、それからマンションを目を細めて凝視していた。
「夜になったらこの付近を調べてみます。おそらく、今回は適合者ではないでしょう」
「今じゃダメなのかしら」
「ヤツらは夜のほうが力を発揮しますから」
 今はまだ昼過ぎだ。瑞生は空を見上げてから視線をハルに戻す。
(イタズラだった事件ではなく、別のことに関与しているのかも……。この付近に、まだ表立った事件になっていないものがあるのかもしれないわ)
「とりあえず一旦帰宅しましょう。夜になったら私が調べ、接触できれば全て破壊してきます」
「わかったわ。あまり収穫がなくて、なんだか申し訳ないわね」
「あなたが謝る必要はありませんよ、ミス」
 小さく微笑むハル。彼はすぐに無表情に戻ってしまう。
「徐々に慣れていけば良いのです。焦る必要は、ありませんから」
「…………」
「では、戻りましょう」
「ええ」
 夜になったら、きっと彼は一人で調べに来るのだろう。もっとこの感覚に慣れれば、一緒に戦えるだろうか? それはまだ――わからない。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【3593/橘・瑞生(たちばな・みずお)/女/22/モデル兼カメラマン】

NPC
【ハル=セイチョウ(はる=せいちょう)/男/?/ダイス】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、橘様。ライターのともやいずみです。
 ハルが少しずつ心を開いているような……? いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!