■特攻姫〜寂しい夜には〜■
笠城夢斗 |
【7008】【三薙・稀紗耶】【露店居酒屋店主/荒事師】 |
月は夜だけのもの? そんなわけがない。
昼間は見えないだけ。本当は、ちゃんとそこにある。
「……せめて夜だけだったなら、こんなにも長い時間こんな思いをせずに済むのに……」
ベッドにふせって、窓から見上げる空。
たまに昼間にも見える月だが――今日は見えない。
新月。
その日が来るたび、葛織紫鶴[くずおり・しづる]は力を奪われる。
月がない日は舞うことができない。剣舞士一族の不思議な体質だった。
全身から力を吸い取られたかのような脱力感で一日、ベッドの中にいる……
「……寂しいんだ」
苦しい、ではなく――ただ、寂しい。
ただでさえ人の少ないこの別荘で、部屋にこもるということ。メイドたちは、新月の日の「姫」に近づくことが「姫」にとって迷惑だと一族に教え込まれている。
分かってくれない。本当は、誰かにそばにいて欲しいのに。
「竜矢[りゅうし]……?」
たったひとりだけ、彼女の気持ちを知っていて新月でもそばにいてくれる世話役の名をつぶやく。
なぜ、今この場にいてくれないのだろう?
そう思っていたら――ふいに、ドアがノックされた。
「姫。入りますよ」
竜矢の声だ。安堵するより先に紫鶴は不思議に思った。
ドアの向こうに感じる気配が、竜矢ひとりのものではない。
――ドアがそっと開かれて、竜矢がやわらかな笑みとともに顔をのぞかせる。
「姫」
「竜矢……どこに行って」
「それよりも、嬉しいお客様ですよ。姫とお話をしてくれるそうです」
ぼんやりと疑問符を浮かべる紫鶴の様子にはお構いなしに、竜矢は『客』を招きいれた――
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特攻姫〜寂しい夜には〜
力なくベッドに沈む少女の目には、一体なにが映っているのだろう?
それさえも分からず愚かなことをした。少女に――
見る、ことしか。聞く、ことしか。できなくなっている少女に。本来の姿を隠せるはずもなかったのに――
++ +++ ++
三薙稀紗耶は如月竜矢に頼まれて、今夜もこの屋敷へやってきた。
以前も来たことのある家。葛織紫鶴という少女の持ち家――
「……でけえな、相変わらず」
つぶやいた稀紗耶は、竜矢に促されて屋敷に足を踏み入れた。
今日の仕事は、新月で弱った少女の話し相手――
コンコン、と竜矢が部屋をノックし、
「姫、入りますよ」
とドアを開ける。
寝室に入ってみて、一瞬稀紗耶は絶句した。
「あ……き、さ、や……殿……」
あんなに元気一杯だった葛織紫鶴の、ベッドに伏せって動けない、それはそれは儚い姿……
「よう」
努めて明るく声をかける。ベッドに近づくと、微笑んだ紫鶴の顔は土気色だった。
――大丈夫なのか。
思ったが、口に出さず。
「話をしてほしいんだってな?」
静かに竜矢が紫鶴のベッドの傍らに置いた椅子にどかっと座り、
「任せな。俺がたっぷり話してやる」
そう言ったら、少女は嬉しそうに笑った。
竜矢が壁にもたれかかって、窓から空を見上げている。
稀紗耶は紫鶴のベッドに片肘をつけて話していた。
「そうそう、居酒屋でよ……、妙な連中に会ったりしてよ……」
「い、酒屋とは……なん、だ?」
「……そうだな……まあ、酒飲む店だ。そこで酔っ払って泣き上戸になったはいいが、泣くと鼻水出るだろう? その鼻水をな、決まって他人の服で拭いやがる女とかな……」
「酔って裸になるやつはざらにいるが、脱いだら腹に好きな女への告白メッセージが書かれてた35の男とか……」
「居酒屋のトイレに尻がはまってトイレから出られなくなったやつもいたなあ……あの時は救急隊員も呼んで、いやー面白かっ……じゃない気の毒だった」
「酔うとな、キス魔という、誰彼構わずキスをしてしまう人間になっちまうことがある。男のキス魔に襲われかけて、反撃して相手の肋骨3本折った男がいた。ずばり俺だ」
「……ああ? ああ、うまいぜ酒は。かーっとな! 酒を理由にして集まって、皆ではしゃげるのもいいところだ」
「そうそう、面白い人外もいたぜ。カモノハシとのハーフだとか……」
「青龍と朱雀と白虎と玄武のあいのことかいう凄まじいのもいたな」
「坊さんと一緒に冒険してるとかいう猿と河童と豚もいた」
くすくすくすと少女の笑顔はやまない。
稀紗耶は目を閉じた。
そして、瞼を上げた。
「……俺の仕事はよ。荒事師でよ」
「あらごと……」
「そこら辺のヤクザの経営する飲み屋の、ボディガードを手伝ったこともあった……。当然ぼったくりの店だ。抵抗する客には容赦しなかったぜ。肩の骨ぼきぼきにして二度と治らないようにしてやったこともある」
「―――」
「それくらいは序の口だな……首の骨折って死ぬ寸前にしてやったこともある。奇跡的に生きてやがったらしいけどな……」
「―――」
「弱ぇやつらをボコるだけで何百万と金もらえるんだ。いい仕事だったぜ?」
「―――」
「荒事師ってのはよう、適当にボコればいいってもんでもねえんだ」
稀紗耶はにやりと笑った。
紫鶴はぼんやりと、稀紗耶を見ていた。
その色違いの瞳を見返し、
「――そういう仕事の中で、殺しもやったさ。嬢ちゃんぐらいの年齢の子供を殺したこともあったぜ……?」
そして突然椅子を蹴り倒して立ち上がり、太刀を抜いて紫鶴の首元にその銀色を当てた。
「今回は、紫鶴、お前さんの殺しを依頼されてきたんだ。平気で部屋に入れた方がまぬけだったな」
「―――」
「さあ、どう殺して欲しい? えぐってやろうか? 刻んでやろうか?」
ぺろりと唇を舐めて脅しをかける。
紫鶴は――
今にも消えそうな微笑みを見せた。
「稀紗耶殿の……お好きな殺し方で……」
「―――!?」
「本当、に、私、を、殺せるなら……」
「こ――殺せるに決まってんだろ……!」
「稀紗耶、殿……は、分かりやすい、な……」
緑と青。色違いの瞳が稀紗耶を吸い込みそうなほどに輝いていた。
――こんな、病人のくせして。
――こんな、無防備なくせして。
なぜ……
太刀を持つ手の方が、震える?
手が震えることで、刃が少女の首を傷つけてしまうのではないかと、そんなことを心配して。
「た……」
稀紗耶はかすれた声で訴えた。
「助けて、くれ……体が、動か、ねえ……」
それは窓際にずっと立っていた青年への懇願。
竜矢はようやく傍にやってきて、緊張によって動かなくなっていた稀紗耶の刀を紫鶴の首から離した。
刀から手を離し、稀紗耶は力が抜けてじゅうたんの上にどさりとしりもちをつく。
刀を稀紗耶の腰の鞘におさめている竜矢に、「何で……」と稀紗耶はつぶやいた。
「何で……止めにこなかった……? 何で……」
「俺は姫がお生まれになった頃からの世話役でしてね」
竜矢は立ち上がりながら、「姫が警戒心を発しているかどうかぐらい、判断できます。……姫が警戒しなかった。だから俺も警戒しなかった」
「刀を向けたんだぞ!?」
「バレバレの演技ですよ。――前回の、あなたの顔を俺も覚えていますから」
前回。――紫鶴の前で初めて力を解放し、残酷とも言える戦いをした日。
自分は紫鶴に怯えられて、どんな顔をした?
平気な顔でいた――つもりだったけれど。
「あなたは……悲しそうな、顔を、された……。稀紗耶殿」
紫鶴はそう言ってから、けほっけほっと咳き込んだ。
稀紗耶は思わず立ち上がってその顔をのぞきこもうとした。――その前に少女の世話役がやさしく小さな背を撫でていたが。
紫鶴はひどく悪い顔色で、それでもにっこりと笑顔を作ろうとしていた。
「だか、ら、信じる……んだ。私は……」
竜矢がひそかに蹴倒されていた椅子を元に戻していた。
稀紗耶は椅子にどさっと座った。……うなだれて。
「……俺みたいな鼻つまみもんは」
両手で顔を覆いながら、稀紗耶はつぶやいた。「あんたと友人になるわけにはいかないんだ……」
だから醜い部分をさらけだして。
だから脅して、二度と自分を近づけたりしないように。
「俺はあんたの友人になるわけには、いかない……」
「……どうし、て……?」
紫鶴が問う。
心の底から、不思議そうに。
「俺は――本当に穢れているからだ」
「けがれ……」
「紫鶴、あんたは本当に綺麗な姫だ……。俺みたいなのと関わっちゃいけない」
紫鶴はまっすぐ稀紗耶を見た。
稀紗耶は目をそらした。こんな綺麗な瞳は見ていられない。見ていられない。
数秒間の、息をするだけの間の後。
「いやだ」
――紫鶴はそう言った。
稀紗耶は瞠目する。
「――っあんたは馬鹿か!」
思わず声を荒らげた。「言ったろ、俺は人を人とも思わないことをしてきたんだ! 殺しもしてきた、そう言ったろう……!」
「――それを、正直に、話すから」
紫鶴はまたこんこんと咳をした。稀紗耶はとたんに不安になって手を差し伸べてしまいそうになる。
咳がおさまってから、大きく深呼吸した紫鶴は、再び稀紗耶を見る。
「正直に話す、から。――本当か嘘かは知らない。だけど稀紗耶殿は……敵じゃないと、思った」
「―――」
「敵じゃ……ないのだろう?」
優しく無邪気な声。
稀紗耶はうなだれる。
「敵じゃなきゃ、なんでもいいってか……?」
「私が、稀紗耶殿を好きだからだ」
耳に響いた凛とした声。多分精一杯声を大きくしている今。
稀紗耶は窓から空を見た。
新月。紫鶴から、力という力をすべて奪うそんな日。
そんな日でさえ、うっとうしがらずにこの少女は。
自分から他人に、手を差し伸べるのだ――
稀紗耶は息をつく。そして、
「……話の続きをしてやる」
ベッドの紫鶴に、向き直った。
「ある、まぬけな男の話だ。そいつは人間じゃなかった。人より強く、だからその力を利用した仕事をしてきた。……裏の世界で」
ひとつ、つばを呑み込む。口の中がからからだ。
「荒事師、なんてことぉやって。汚いことに散々手を染めた……」
思い起こす、自分がやってきたことひとつひとつ。多すぎて忘れたと思っていたのに、今宵はなぜか鮮明に。
「ある日、そいつは1人の少女と出会った」
紫鶴の目を見る。
穏やかに光るオッドアイが、稀紗耶から少しもそらされることなく。
「綺麗な少女だった。見ているだけで心が洗われるような少女だ。男は、すぐにその少女に惹かれていった。自分にはないものをすべてもっている彼女に」
稀紗耶は少し目を伏せた。
「だが……だからこそ、彼女に自分は近づいちゃいけないと思った……。近づけば、彼女をも穢してしまう。そんな気がして……」
目を閉じると、瞼の裏に綺麗な青と緑が残像のように残る。
どこまでも、消えてくれない美しさ。
「下手な演技をやった。彼女が弱っている時に、彼女を、殺してやると脅した。だが彼女は怖がりもしなかった。まっすぐその男を視線で射抜いた。ひれ伏すのは男の方だった。勝てやしないことぐらい、最初から分かっていただろうに……」
「稀紗耶殿」
紫鶴が何かを言いかける。
稀紗耶は目を開け、まっすぐ紫鶴を見て苦笑した。
「殺すにはよ、その子を好きすぎたんだよな……その男は」
まぬけだろ? と言って稀紗耶は豪快に笑った。
「自分の気持ちにも気づけない。まぬけまぬけ。少女は男の醜い部分まで受け止めて、許してくれました。おしまい」
「稀紗耶殿」
強く稀紗耶の名を呼んでから、紫鶴は疲れたように息をつく。
「ああ、いい、いい。無理にしゃべんな」
稀紗耶は、自分でも信じられないほど――優しい声で、言った。
「もう馬鹿なこたぁ言わねえ。正直にあんたの味方でいることを誓うよ。だから……今は無理するな」
「違う……」
紫鶴は少しかすれた声になって、それから眉根を寄せた。
「その、男の人の話の最後に、男の人と女の子は友達になりましたって、つけくわえてくれ」
稀紗耶は目をぱちくりさせ――それから笑った。
「よし、じゃあ、2人は友達になりました、と」
そう言いながら少女の手を取る。
力の入らない彼女の手が、ひどく愛おしかった。
「紫鶴も大きくなったら居酒屋行ってみろ。面白いぞ」
「うん……面白そう……だ……」
「俺と一緒に行くか? 面白ぇ友達いっぱい紹介してやるぞ」
「うん」
「変なことは教え込まないで下さいね……」
素直にうんと言う紫鶴に、竜矢が嘆息する。
稀紗耶はばしばしと竜矢の背中を叩き、
「まあ硬いこといいなさんな! あ、今度あんた一緒に来るか」
「俺は飲みません」
「――いいや、かなり飲めるクチと見た」
自慢の眼力で言い当てにやりと笑うと、「な、紫鶴。今度こいつ借りてっていいか?」
「竜矢が楽しめるなら……」
「おう楽しめる楽しめる。俺が保証するぜ!」
「あなたの保証はアテにならないと思うんですが……」
「いいから来いって」
――この家から竜矢がいなくなると、紫鶴の相手をしてくれるのは数人の、『紫鶴とは必要以上に関わるな』としつけられているメイドだけだと知っていた。
だからこそ、竜矢を留守にさせて。
帰って来た時の喜びを、紫鶴に再確認させて。
そんないたずらもいいじゃないか?
「やっぱ俺、性悪ー」
自分で言って、けけけと笑う。
「………?」
不思議そうな顔をする2人に、
「これからも仲良くしようぜ」
と稀紗耶はがっと2人の手を握った。
心の中がすっきりとしている。
――吐き出したものの大きさ。
(なあ、紫鶴の姫さんよ……)
稀紗耶は心の中で思う。
(いつか本当に、一緒に飲みに行きてえな……)
紫鶴にまとわりつくような悪漢はぼかすか自分がちぎっては投げちぎっては投げ。
――自分の能力が、ボディーガードとして役に立つかもしれない。そう思うと妙に笑えた。
いつかこんな夢も日の目を見るように。
いつかこんな夢が実現して、思い出のひとつとして語れるように……
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【7008/三薙・稀紗耶/124歳/男/露店飲み屋店主/荒事師】
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■ ライター通信 ■
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三薙稀紗耶様
こんにちは、そしてお久しぶりです。笠城夢斗です。
また紫鶴に会いに来てくださってありがとうございました!
それなのに納品が非常に遅れ、大変申し訳ありません……。
稀紗耶さんが紫鶴をどう思っているか、悩んだのですが、こういう形に落ち着きました。いかがでしたでしょうか?
よろしければ、またお会いできますよう……
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