■悪魔契約書―魔皇子―■
川岸満里亜 |
【2863】【蒼王・翼】【F1レーサー 闇の皇女】 |
その日。
呉苑香は、姉の水香に帰宅するなり研究室に連れ込まれた。
普段姉や自分を手伝ってくれている時雨と水菜の姿はない。
「時雨が狙われてる」
「はあ?」
水香の言葉に、苑香は僅かに首をかしげた。
時雨は水香が作り出したゴーレムである。どんな理由があって狙うというのだろう。
水香が天を仰ぎ見て言葉を続ける。
「魔界の使者に!」
「ち、ちょっとお姉ちゃん、頭大丈夫?」
突然の水香の言葉に、苑香は戸惑ってしまう。
「本を出しっぱなしにしちゃったことがあって……。それで場所が知られたとか!? 苑香、あなた本いじってないよね?」
「いや、そういわれても、意味全然わかんないんだけど」
苑香は姉に説明を求めた。
姉水香がため息混じりに説明を始める。
――それは、苑香にとって衝撃的な内容であった。
ゴーレムの製造は、核となる物質の他、人を形成する成分と同じ材料を使う。
作り上げた人形は、それだけで動くわけではない。
彼等は命ある存在でなければならず、“命”は人の手では作り出すことはできない。
故に、ゴーレムの魂は異世界から呼び寄せたものであるということ。
悪魔と契約を交わし、魔界から呼び寄せた命。
それがゴーレムの魂である。
「お、お姉ちゃん、そんな危ない研究してたの!?」
「別に危なくはないんだけどさー。悪魔っていっても、契約しなきゃこっちの世界に来れないみたいだし。で、そんなことはどうでもいいんだけれど!」
問題は、時雨の魂だという。
大量生産用の水菜に関しては、魔界の下級生物の魂を込めたのだが、自分の側仕えである時雨の魂の選別は拘りに拘ったのだという。
「生きることを放棄した者や、肉体を失った者の魂を宿らせてるわけだけどね。時雨の魂は特別なの〜」
真面目な話だというのに、水香は頬を赤らめて夢心地な顔になっていた。
「なんと、プリンスよプリンス!」
「はあ?」
耳を疑いたくなるような言葉だ。これまでの話でさえ、信じがたい内容だというのに。
「数ある国の1つにすぎないし、皇位継承権は凄く低かったみたいなんだけどね〜。で、それ以上詳しいことは知らず、その魂を頂いたってわけ」
「なるほど……それであの熱の入れようってわけね」
水香は時雨を自身の最高傑作と溺愛している。
「で、使者に狙われてるって何? こっちの世界には来られないんじゃないの?」
「そうなのよっ!」
ガラリと表情を変え、水香は苑香の両肩を掴んだ。
「最近、私がストーカーされていたのはしってるでしょ? それ、私をつけていたんじゃなくて、時雨だったの。時雨が襲われたのよー。なんとか自力で振り切ったみたいだけどっ。ああ、さすが私の最高傑作!」
近頃見知らぬ男につけられていると、水香がぼやいていたことがある。
けれども、さほど深刻そうではなかったので、苑香はあまり気にしていなかったのだが……。
水香は再びため息をつくと、深く考えこむ。
「相当犠牲を要する契約を交わさなきゃ、魔族がこの世界に現れることはない。はず、なんだけど……」
悪魔と契約を交わすための本――悪魔契約書――。
契約により人間界を訪れた存在が、何のためにゴーレムに近付き、その命を狙うのか。
それは苑香にも、作り主である水香にもわからなかった。
**********
買物帰り、水菜は近所の公園に沢山の木材が置かれていることに気付いた。
立ち止まり、何に使うのだろうと考えている彼女に、声をかける者がいた。
「今週末、盆踊りがあるんですよ」
優しい雰囲気の20代くらいの男性である。
「盆踊りって何ですか?」
「年に一度、この世に戻ってくる精霊を迎え、送り出すために皆で踊るお祭りです」
その言葉の意味は水菜にはよくわからなかった。
「ご家族と一緒に是非参加してくださいね」
水菜は青年からドリンクのチケットを受け取った。
「お祭り、ですよね? みんなに話してみます!」
「はい。必ず、お母さんとお兄さん達と一緒に来てくださいね」
「わかりました!」
以前からお祭りに行ってみたいと思っていた水菜は、青年にお礼を言うとチケットを握り締めて帰路を急いだ。
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『悪魔契約書―魔皇子―』
「時雨さんが襲われたのですか?」
「そうなのよ、アリスちゃーん」
呉水香は泣きつかんばかりの勢いであった。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
アリス・ルシファールは、呉苑香が淹れたお茶を冷ましながら口にした後、再び水香に質問を投げかける。
「でも、時雨さんが襲われる理由って何なのでしょう? 恨みを買うはずもありませんし……。水香さんの同業者の嫌がらせでしょうか?」
「うーん。というかね、時雨は人間に狙われる理由はないんだけれど、時雨の魂は、あっちの世界から狙われる可能性もあるというか……」
「あっちの世界? ……詳しく話してくれませんか? 私、オカルト関係に詳しいので、きっとお力になれます!」
アリスは知っている。
この家に『悪魔契約書』という悪魔と契約を交わす本が存在していることを。
だけれど彼女は、呉姉妹に秘密で契約を交わしたゴーレムの水菜を気遣い、そのことには触れなかった。
水菜の契約以来、水菜と呉家が気になりアリスは頻繁に顔を出していた。
そして今日、核心に迫る――。
「ただいま戻りました」
水香が言葉を発する前に、少女の可愛らしい声が響いた。
「お邪魔します」
続いて、少年の声が届く。
「水菜、帰ってきたみたい」
苑香が襖を開け、帰宅した水菜と、水菜が連れて来た少年――阿佐人・悠輔を部屋に招き入れた。
「悠輔さんと、道路で会いました」
「こんばんは。今日、祭りに行く約束をしていたんだけれど……どうかしたのか?」
場の空気を察し、悠輔が訊ねる。
「ああ、うん……。じゃまあ、悠輔君にも聞いてもらおうかな。水菜、あなたは時雨と一緒に、お風呂場の掃除をしてらっしゃい」
「はい、わかりました」
水菜は素直に返事をし、風呂場の方へと向かっていった。
苑香が襖を閉める。
水香は大きなため息をつくと、アリスと悠輔に話し始めた。
時雨に宿る、魂について――。
「……それでは水菜さんの魂は!?」
話を聞き、アリスは驚きを隠せなかった。彼女が最初に気になったのは、水菜の魂である。
「水菜には、魔界の下級生物の魂を籠めたの。こちらでいうペット以下の扱いの生物だから、問題はないはず。ただ、水菜も時雨も悪魔の仲介で得た魂だから、それ以上詳しいことはわかんない」
「襲われたといっても、時雨が自分で撃退できるレベルの相手だったんだよな?」
悠輔の言葉に、水香は頷いた。
「でもでも、不意打ちとかされたら……私の時雨が傷物になる恐れがっ」
相手が魔界に関係する人物であるという確証はない。
一同は考え込む。
「……とりあえず、その本だけは厳重に管理しながら、普通にしていた方がいいかもしれませんね。私も時間がある時には顔を出します。人が沢山いた方が、近付きにくいでしょうし」
言いながら、アリスはもしもの時の対処法について、考えを巡らせていた。
「で、お祭りはどうしますか?」
実はアリスは今日、浴衣姿である。
呉家の近くで行なわれる盆踊りに誘われてやってきたのだ。
「行くー。楽しみにしてたし、人が集まるところじゃ、狙ってはこれないしね!」
そう言って、水香は着替えを手伝わせるために、二人のゴーレムを呼びに行くのであった。
**********
道路の両側に露店が並んでいる。
街灯の光よりも、沢山のちょうちんの明りが歩く人々を照らし、淡い光が人々の心をより弾ませていた。
水菜はきょろきょろし通しであった。その手は、悠輔の腕をぎゅっと掴んでいる。
音楽と太鼓の音が町中に響き渡っていた。
「時雨〜。あれ食べたいっ」
水香は、スーツ姿の時雨に手を回しながら、彼を引っ張る。彼女は艶やかな古典柄の浴衣を着ている。色はえんじ系であり、少し目立っていた。
「アリスちゃん、私達も食べようか」
「はい」
苑香は黒系の浴衣だ。淡い梅の絵柄が苑香の雰囲気によく似合っている。
対照的に、アリスはホワイト系の浴衣であった。鮮やかなピンクの花々がアリスの可愛らしさを引き立てている。
「悠輔さん、あれはなんでしょう?」
水菜はいつものメイド服だ。これはこれで可愛らしく、人々の注目を集めていた。
「櫓だ。あの上や、回りで踊るんだよ」
「そうなのですか」
水菜は不思議そうに櫓を見ている。どうやら彼女は参加したいらしい。
「盆踊りか……中学に入ってからは見てるだけだったが……そうだな。たまには踊ってみるのもいいか」
「悠輔さんも踊るんですか? 私も踊れますか?」
「ああ、一緒に踊るか?」
「はいっ!」
水菜は笑顔で元気良く返事をした。
「そうだ、水菜が貰ってきたチケットがあったんだっけ。お姉ちゃーん、ジュースもらいに行こ!」
時雨と二人の世界に入りつつある水香は、苑香の声に気付かない。
仕方なく、苑香は二人の側に寄り、水香の腕を引いて引き摺るようにテントへと向うのであった。
櫓の側にあるテントは、多くの人で賑わっていた
一行は談笑しながら、ドリンク引き換の為、列にならぶ。
「……あれ?」
一行の前に並んでいた少女が突如、振り返った。
顔は日本人風なのだが、彼女の髪は銀色であった。年は水香と同じくらいだろうか。身長は呉姉妹より高い。
彼女はたこ焼きを美味しそうに食べながら、時雨に眼を留めた。
「へ〜、ほうほう」
そう言いながら、時雨を上から下までじろじろと見回したのだった。
「何よっ! 私の時雨を変な目で見るな!」
水香はぐいっと時雨の身体を引っ張り、前に出て少女と対峙する。
「あ、ごめんごめん。この子が珍しいヤツが近付いてきたって言うから、ちょっと気になってね〜」
そう言って、少女は指を見せた。変わった指輪をしている。
「私は朝霧・垂。召喚師やってる。この指輪にはケルベロスが……」
そこまで自己紹介をした垂に、突如水香が掴みかかった。
「あんたが犯人かー!!」
「はあ?」
「散々付回しやがって、どういう了見かしらないけど、私の時雨に手ぇ出す奴は許さないだからっ!!」
水香が手を振り上げる。
慌てて苑香が背後から水香を羽交い絞めにする。
「お姉ちゃん、落ち着いて! 付回していたのは、男でしょーがっ」
「離せ苑香! こいつが召喚した悪魔が原因に決まってるー!」
「はいはいはいはい」
苑香は力任せに水香を引き剥がすと、姉の身体を時雨に預ける。
「ごめんなさいね、変な姉で。……で、朝霧垂さんだっけ? あの男性は、「時雨」って言ってね、あのお姉ちゃんが作ったゴーレムなの」
「なるほどねー」
感心しながら、垂は再び時雨を見る。途端、水香が「みーるーなー!!」と暴れだす。
「ええっと、別に害のある人形じゃないし、見逃してほしいんだけど?」
「見逃すって……私別に危害加えるつもりないし」
垂は苦笑する。妹の方にも少し疑われているようだ。
「時雨さん、最近襲われたらしく、2人共慎重になっているんです」
そうフォローしたのは、アリスである。
「まあ確かに、そのクラスとなると、そういうこともあるかもねぇ」
「そんなこともわかるのか!? やっぱりアンタ魔界の住人ね! 時雨、やっつけちゃって!!」
「だから、ダメだってば、お姉ちゃん!」
暴れる水香を時雨と苑香が宥める。
その間に、アリスと悠輔は垂に色々聞いてみることにする。
「そのクラスとはどういう意味ですか?」
「王、もしくは、皇族クラスかしらね」
アリスの問いに、垂は即答した。
アリスと悠輔は顔を見合わせる。どうやら彼女には隠しても無駄なようだ。
「では、そういうことがあるかもという根拠は?」
悠輔の問いに対しては、垂は少し考えながら、ゆっくりと言葉にする。
「このクラスになると、一般クラスと違って、本人同士の契約以外にも問題出てくるからね〜。親族の問題は勿論、国家にもね。彼はどういった境遇の魂?」
「数ある国の一つ、皇位継承権の低い人物だったと聞いている」
「なるほど、皇子ね……。本人同士の契約は成立しても家族が反対したり……特に皇女クラスの婚約者なんて居たら、彼氏を取り戻す為にこちらの世界に来てしまうかもしれませんしね……な〜んて、契約さえちゃんとしていれば、先ず大丈夫でしょうけど」
垂は笑い口調であったが、アリスと悠輔は笑えなかった。
もう一つ。
不思議な感覚を受け、垂は首は動かさず、瞳をそちらへと向けた。
妙なエルフがいる。だけれど、ケルベロスは何の反応も示さない。
悪意はないと考え、垂は気にしないことにした。なにせ、この東京には一般人に知られていないだけで、変わった生き物が多く存在しているのだから。
パンッ
突然、破裂音が響いた。
花火の音に似ていたが、違うようである。
子供が持つ、風船が割れたのだ。泣き叫ぶ子供と、頭を撫でる親……。
しかし、何か違和感を感じる。
パン、パパンッ
立て続けにまた、破裂音が響く。
次々に悲鳴が上がる。
風船の破裂音にしては、大きすぎる。
垂、アリス、悠輔の三人は顔を見合わせた。
アリスは苑香の手を引っ張った。
「苑香さん、時雨さん、水香さん! 水菜さん。皆さんこちらへ。離れないでください!」
**********
時を数分遡る――。
明るい音頭が響き渡る中、一際 華やかな集団があった。
「翼様、あちらのベンチで一休みしませんか〜」
「それより、踊ろうよー」
「このたこ焼き凄く美味しい。翼さんも一つどう?」
「ありがとう、頂くよ」
少女が差し出したたこ焼きを、笑みを浮かべながら蒼王・翼は口に入れる。
途端、翼の耳に音が響いた。
取り巻く女性達の声ではない。
祭り客の声でもない。
風の、声だ。
「ちょっと失礼」
女性達の手をすり抜け、翼は声が示す場所へと急いだのだった。
「場所は?」
風に訊ねながら、翼は駆ける。
翼の容姿はこんな夜には一際目立つ。
提灯の明りに照らされた揺らめく金色の髪は、人々の眼を惹きつけてやまない。
人々の間を潜り抜けながら、翼が辿りついた場所は――祭りが行なわれている道路と公園を一望できるビルの屋上であった。
祭りを見下ろしている男に近付く。男の手の中には、開かれた黒表紙の本がある。
「何をしようとしているのですか?」
男が振り向く。優しい雰囲気の青年だ。自分より10歳ほど年上に見える。
「ただ本を読んでいるだけだよ」
翼が近付くと、青年は本を閉じた。
本には赤い栞が挟まれている。タイトルには「…魔契約書」の文字が読取れた。最初の文字は青年の指で見えないが、検討はつく。
――異界の住人との取引には様々な手段が存在する。
その一つが魔術書による契約だ。
青年の持つ本がその部類の本であると、翼は察知した。
青年から目を反らさず、翼はまた一歩、青年に近付いた。
「……どうやら、キミには分かっちゃってるみたいだね」
微笑みながら、青年が本を再び開く。
「でももう第68項は実行済みさ。次は90項を――」
「やめてください」
静かに言い放ち、翼は手を差し出した。
「本を渡してください。それは、人が安易な考えで使うべきものではない」
「安易じゃないさ。彼女の身体と魂を蘇らせる為に必要な契約なんだ」
青年が一歩、足を退いた。
この場所に柵は存在しない。落ちれば確実に命を落とす高さである。自分の命と引き換えに、取引をしようというのだろうか。
「詳しい事情はわかりませんが、それは自己満足です。あなたがいなくなったこの地で、戸籍もない彼女に人々に忌まれながら生きろというのですか?」
「それでも、俺は――」
青年の片足が中に浮いた。
説得は不可能と考えた翼は風を操り、青年の足を掬う。屋上に倒れこんだ青年に瞬時に近付き、その額に触れた。
翼の頭に、彼の数週間前の出来事が流れ込んでくる。
事故で亡くなった彼の恋人。
直後に現れた謎の壮年男性。
渡された本。
本に記された契約を実行し、悪魔との親交度を上げてゆき――。
持ち掛けられた取引の通り、金髪の少女に近付いた。
そして、第68項の実行。
「悲しいでしょうけれど、彼女の分まで生きてください」
翼は青年の脳に魔力を送り、恋人の死より後の記憶を消し去った。
脳への干渉を受け、意識を失った青年の手から、黒表紙の本を取り上げる。
最初のページには、こう記されていた。
〜はじめに〜
この本を読んだものは、読んだページに書かれた事項を必ず実行しなければならない。
1ページ実行するごとに、貴方が愛する者に幸せが訪れるだろう。
しかし、読んで3日以内に行なわない場合は、貴方は愛する者全てを失うことになる。
「戯言を。出来るものならやってみろ」
一瞥して、ページを飛ばし、68項を開く。
第68項――魔霧乱舞。
……どうやら、大規模な騒ぎが起きそうだ。
祭りにてこのページの実行を命じられた理由は、先ほど垣間見た金髪の少女絡みだろう。
90項には、肉体の復活について記されている。やはり、契約者の命。そして大勢の人々の生気が対価のようだ。
悪魔との直接の取引は、恋人の魂絡みだろう。
「68項――放っておくわけにはいかないか」
翼は人目のない路地裏の方に走り、屋上から身を躍らせた。
**********
アリスは、悠輔に皆を任せると、一人盆踊りの櫓へと駆けていた。
異変に気付かず踊る人々の間をすり抜け、梯子を上り、最上階へと駆け上がる。
背後には、女性の姿をしたサーヴァント『アンジェラ』の姿がある。
集まった人々に微笑みかけながら、アリスは踊り始める。乱入した盆踊りの客を装いながら――。
彼女の口からは、流れる音楽とは別の謳が紡ぎだされていた。
大地よ、邪なる力を浄化せよ。
風よ、異なる存在を暴きだせ。
予め配置してあった、天使型駆動体6体に働きかけ、広範囲に結界を張る。
――突如、風の勢いが増す。
人々に干渉していた異物が空へと浮かび上がってゆく。
アリスの隣に、翼の姿があった。一瞬だけ、アリスは目を向ける。
瞬時に互いの目的が同じであることを理解した二人は、言葉を交わすこともなく、互いの背を預け、浄化に努めるのであった。
「金無宿無男無し不幸のずんどこの私が通りますよ。わっはっはっ」
ここに、藤田・あやこという女がいる。
元々一風変わった性格と体質を持っていた彼女だが、白い翼のエルフ族王女に出会ってから、更に変わってしまった。奇天烈な方向に。
エルフと肉体交換されたあやこは、今では日常も性格も人間離れしていっている。
男無しというか、疫病神が彼氏のようだ。
「ははぁ敵は王子の恋人で、奪還しに来たと……大方そんなところね」
垂達の会話を物陰で聞いていたあやこは、そう目星をつけていた。
「そうなれば、やることは一つ!」
あやこは、騒ぎに動揺する女性達。特に、若い女性にこう声をかけるのであった。
「無料で安全な中絶方法がありまーす! 出来婚が無理な人にお勧めでーす!」
しかし、応えるものはおろか、あやこの姿に皆彼女から離れていく。
無理もない。先日彼女を襲った不幸により、あやこは今髪さえもないエルフなのだから。
哀れな瞳で見る客もいる。
「そんな目で見るなー! 同情するなら、髪をくれー!」
涙ながら叫び、あやこは商店街の魚屋に飛び込んだのだった。
悠輔は水菜と時雨の手を引き、駆けていた。
「とりあえず、公園から離れよう。狙いは時雨かもしれないからな」
浴衣姿に草履を履いている水香と苑香は、悠輔達についてはいけない。後方には、垂がついていた。
「ちょっとあなた達! 見つけたわよ!」
突如、悠輔の前に立ちふさがる者がいた。
エルフ、である。
「あ、ああ、さっきの」
水香達と共に追いついた垂は、彼女を知っていた。先ほど物陰から自分達を見ていたエルフだ。
右手に大皿、左手にはバケツ。指には赤い魚が入ったビニール袋を提げている。
鯛の生け作りに、生きたアジ、そして金魚だ。
「新鮮な魂を持ってきたわ。契約の対価はこれでどう! 魂抜けるのなら、そっちのゴーレムには、私の身体を貸してあげるっ。とりあえず、私の中に避難して」
「私は単なる発明家だから、魂なんか抜けないわよ」
水香が言う。
無論苑香にも無理だ。ちろりと、垂を見るが、無理か拒否かわからないが首を左右に振った。
「私にはゴーレムの身体貸してね、浴衣美人がいいわ〜♪」
身体を選ぶかのように、一同を見回すあやこ。
「この子にするわ」
「わ、私はゴーレムじゃな……」
苑香に手を伸ばしたあやこの背が、突如音を立てる。
「ん? 今なんかびりって……うわっ」
背中がザックリ避け、羽根が飛び出している。
「邪魔だ、エルフの小娘」
振り向いた先にいたのは、闇色の服を纏った男性であった。
「確かにこの身体はエルフだけれど、エルフはエルフでも王女よ! 無礼者!」
あやこは銀の髪飾りを抜いた。……殆どない髪から。髪が数本一緒に抜け落ち、思わず涙目になる。
「あなたが、悪魔? この世界にもね、浮かばれない魂が沢山あふれているの。例えば、水子とかね。水子の魂を好きなだけもっていっていいわ。だから、皇子を狙う者との契約は解除しなさい。そして、盆踊りの参加者に手を出すのはやめて」
「狙ってなどいない」
男は冷笑した。
あやこは霊具である銀の髪飾りを剣に変化させる。
嫌な気だ。何者かはわからない。しかし、垂の身体に緊張が走る。苑香と水香を背に庇いながら、指輪を構える。
悠輔もまた、男から目を離さず、水菜と時雨の前に立った。
「その魂、返してもらう」
言った途端、空気が変わった。
周囲を駆け回っていた異なる存在が、男の下に集結する。
男は眉根を寄せる
「何故だ、かなり、弱い……っ!」
「交渉決裂ね!」
あやこが男に跳びかかる。
剣が男の胸を貫く。男は裂けようともしない。
「2人は早くこの場から離れて! ケルベロス、やるよ!」
垂はケルベロスを自分の中に呼び込む。垂の身体能力が飛躍的に上がる。
水香と苑香は垂に押され、人込みに雪崩れ込み、そのまま人込みを掻き分けながら離れていく。
男は剣を放ったあやこを片手で自分の胸に抱え込み、血を吐きながら、時雨に近付く。
男が繰り出した手に、悠輔が触れた。途端、男の動きが鈍くなる。
悠輔の特殊能力、布を変化させる能力の影響だ。
今、男は自分の体重以上の重さの服を着ている。
「返すとはどういうことだ?」
悠輔の問いに、男は苦悶の表情で答えた。
「我等の国へ。その器に入った魂は、我等に必要な命だ。対価は私の魂で構わん」
元々、時雨の魂はこの世界のものではない。彼の世界で何があり、悪魔に魂を譲り渡したのか……それは全くわからない。
危害を加えることは許さない。しかし、時雨の魂に関しての判断は、その場に集まった者達にはできなかった。
「だけど、一般客を巻き込む姿勢は、許せないわね」
垂の蹴りが、男の足に打ち込まれる。男は体制を崩し、膝をついた。垂はあやこを引き離し、男の傷ついた胸に膝蹴りを浴びせた。
垂の数倍の重さのある男の身体が、茂みの方へと投げ出される。
引き離されたあやこは、男の熱い抱擁にただただ惚けていた。
「一旦生を受けたものの魂を、再び引き離すことなど、できない」
悠輔は静かに男を見下ろした。
浅く笑った男が、手を伸ばす。悠輔は即座に時雨の前に立った。
――しかし、男が手の伸ばした先は、時雨ではなかった。
そこには、きょとんと立ち尽くす水菜の姿がある。
男が放った黒い霧が、水菜の頭にぶつかった。水菜は反動で尻餅をつく。
「水菜!?」
悠輔が駆け寄り、変わって垂が時雨を守る。
「くっ、うあっ……」
男が頭を抱え、痙攣を起す。
男の身体から浮かぶオーラが、黒い煙となって浮上した。
会場に渦巻く全ての霧は空に浮かび上がり、櫓の方へと飛んでいく。
**********
携帯電話で救急車を呼んだ後、悠輔達はその場を離れた。
出血はあるが、あやこの剣は霊を斬る剣であったため、肉体への影響は少ないようだ。
「あの男が召喚したんじゃなくて、波長が合うあの男に別の意思が取り憑いたってところね」
そう、垂は分析した。
「やっぱり、魔界の使者だー」
合流した水香はへなへなと座り込む。浴衣はすでに泥だらけだ。
「水香さん、皆さん!」
アリスが皆の元に駆け寄った。
「アリスちゃーん。無事でよかった。……あれ? 後ろの美少年は誰!?」
「蒼王翼さんです。騒ぎに気付いて、不浄な者の浄化をしてくださいました」
「ありがとうっ。私、呉水香ですっ」
「いえ。お怪我がなくてなによりです」
翼の手をぎゅっと握る水香に、紳士的な笑みを浮かべる翼。
水香は翼を完全に男だと思っているようだが……実は翼の性別は女性である。でも、あえて否定はしない。
翼は、水香の側に立つ時雨に目を向けた。
人間ではない。それは瞬時に理解できた。
そして、人間より、自分に近い存在であるとも、感じ取れた。
「しかし、今回は回避できたけれど、契約がどこでされるかわかんないし。結局また魔界からの使者がやってきて、私の時雨は狙われるのねー」
水香が時雨に抱きつく。
垂が顎に手をあてながら、考えを口にする。
「悪魔と交信して、詳しい事情を聞くか、魔族が完全な形で現れるのを看過し、事情を聞くか……いっそのこと、あっちの世界に行ってみるか」
「私はか弱い乙女だから行くのは無理ー」
「そうだよね」
「水菜?」
時雨の隣に立つ水菜が、ずっと視線も表情も変えないことに気付き、悠輔が声をかけた。
「痛むのか?」
頭に触れてみる。感触的に異常はない。
水菜は首を横に振った。
「憑依とかそういうものでもなかったみたい。ただ、通過しただけみたいな……言葉とか、聞こえなかった?」
垂の問いに、水菜は目を瞬かせながら、こう言った。
「……名前、聞かれました。名前思いだせって」
「名前?」
それはどういう意味だろう? 今は誰にもわからなかった。
「あの方の名前に、何か秘密が隠されているのよ。思い出すのよ! あの方はどこの誰? あなたは知っているんじゃない?」
正気に戻ったあやこが、水菜を揺する。
「知りません」
「そりゃそうよ。記憶は身体が持っているものだもの。ゴーレムに宿っているのは、生命エネルギーだけ。昔の身体の記憶なんてあるわけないもの」
水香は大きくため息をつき、時雨にもたれた。
「帰ろう、時雨」
「はい、水香様」
優しい青年型のゴーレムは、主を気遣いながら帰路についた。
「皆さん、本当にありがとうございました」
苑香が深々と頭を下げた。水菜も真似て頭を下げる。
周囲に悪しき気配は感じられず、今晩はもう遅いということもあり、呉家の前で一同は解散となった。
とりあえず、今後近場で起きる事件には気をつけた方がいい。
その事件は、悪魔との契約かもしれない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【5973 / 阿佐人・悠輔 / 男性 / 17歳 / 高校生】
【2863 / 蒼王・翼 / 女性 / 16歳 / F1レーサー 闇の皇女】
【6424 / 朝霧・垂 / 女性 / 17歳 / 高校生/サマナー(召喚師)】
【7061 / 藤田・あやこ / 女性 / 24歳 / ホームレス】
【6047 / アリス・ルシファール / 女性 / 13歳 / 時空管理維持局特殊執務官/魔操の奏者】
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■ ライター通信 ■
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初めまして&こんにちは、川岸満里亜です。
悪魔契約書―魔皇子―にご参加いただきありがとうございます。
皆様のお陰で、殆ど被害もなく、祭りを終えることができたようです。
次第に危険な展開になっていくかもしれませんが、またご参加いただけましたら幸いです。
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