■不夜城奇談〜邂逅〜■
月原みなみ |
【7149】【瀬下・奏恵】【警備員】 |
人間の負の感情を糧とし、人身を己が物とする闇の魔物。
どこから生じるのか知る者はない。
だが、それらを滅するものはいる。
闇狩。
始祖より魔物討伐の使命を背負わされた一族は、王・影主の名の下に敵を討つ。
そして現在、一二八代影主は東京に在た――。
***
「一体、此処はどうなっているんだ!」
怒気を孕んだ声音にも隠し様のない疲れを滲ませて、影見河夕は指通りの良い漆黒の髪を掻き乱した。
一流の細工師に彫らせたかのごとく繊細で優美に整った顔も、いまは不機嫌を露にしており、普段の彼からは想像も出来ない苛立った様子に、傍に控えている緑光は軽い息を吐いた。
王に落ち着いて欲しいと思う一方、これも仕方が無いという気はする。
何せこの街、東京が予想以上に摩訶不思議な土地であることを、時間が経つにつれて思い知らされたからだ。
「歩いてりゃ人間とは思えない連中に遭遇するわ、うっかり裏路地に入れば異世界の戸にぶつかるわ…っ…」
「…それも東京の、この人の多さに埋もれて隠されてしまうんでしょうね」
告げ、光は周囲を見渡した。
自分達が討伐すべき魔物の気配も確かに感じられるのに、それすら森の奥深くに見え隠れする影のように存在を明らかにしないのだ。
「悔しいですが、…これは僕達だけの手では掴みきれませんよ」
「クソッ」
忌々しげに吐き捨てる河夕と、こちらも欧州の気品溢れる騎士を連想させる凛とした美貌を苦渋に歪めた光が再び息を吐いた。
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■ 不夜城奇談〜邂逅〜 ■
瀬下奏恵には、勘が鋭いという自覚がある。
第六感が働くとでも言うのだろうか。
また身体能力や定期健診で検査員を驚かせる数値を出すことも多々あったが、両親共に普通の人間で、自分が自分以外の何かであるなど考え難く、…それでも、時として奇妙な出逢いを経験してしまうことは否めない。
この日、大勢の人が行き交うビル内の一角で、施設警備中だった彼女は奇妙な物体を発見してしまい、どう対応すべきか考えていた。
煙のようで、大気に霧散することはなく。
埃のようで生き物のごとく蠢く輪郭。
大きさは拳程度なのだが、見つめているとそのまま飲み込まれそうになる濃い闇色、…だが奏恵は呆れた息を吐き、眉間に皺を刻んだ。
(妙だ…、私を呼んでいるつもりか)
声が聞こえるわけではない。
だが、呼び寄せようとする異質な何かが周囲を包み始めていた。
邪魔だな、と単に思う。
このまま放っておいても構わない気はするが、付き纏わられるとすれば面倒だ。
蹴散らせば消えるだろうかと、試しに一歩を踏み出した、その時。
「…っとに次から次へと鬱陶しいな」
突如割り込んできた声と、それを上方から刺したのは日本刀を模した白光。
直後に闇色の靄は砂となって大気に溶け消え、後には何も残らなかった。
「大丈夫ですか?」
今度は横から声が掛けられる。
立っていたのは少なからず異国の雰囲気を醸し出す栗色の髪の青年だった。何が大丈夫なのかと怪訝な顔をして見せれば、彼は驚いたように目を瞬かせる。
「河夕(かわゆ)さん、この女性は全く影響を受けていないようですよ」
青年の声に「河夕」と呼ばれた彼、例の物体を消した男もやはり驚いた様子。
「…強いな」
揶揄するでもなく、素直にそう思っているらしい声音に、奏恵はどう答えたものか。
既に日本刀を模した光りは消えていたが、彼等二人が普通でないことは明らかで、しかし「大丈夫か」という言葉は自分への気遣い。
どうやら先ほどの靄は害成す物で、彼等はそれから助けてくれたのだろう。
だとすれば、悪い人間ではないはず。
「ありがとう」
まずは礼をと告げる彼女に、二人の青年は面食らったようだが、すぐに栗色の髪の青年が微笑んだ。
「どういたしまして。こちらこそ魔物に引き摺られない心をお持ちの女性にお逢い出来て光栄です。――失礼ですが名前をお伺いしても? 僕は緑光(みどり・ひかる)。彼は影見河夕(かげみ・かわゆ)と言います」
「…瀬下奏恵ですが」
「では奏恵さん、魔物に呼ばれたのでなければ、どうしてあれに近付こうとなさったんですか?」
表情は笑んでいたが、その言葉の裏に含まれた響きに彼女は気付く。
だから正直に答えた。
「邪魔だから蹴散らせないかと、試しに踏んでやるつもりでしたが、…なにか?」
すると二人は再び目を丸くした後、光は吹き出し、河夕は呆れ顔になる。
「なるほど…本当にまったく影響されてらっしゃらなかったんですね…」
「鬱陶しいのは判るが、それは無謀っつーか…」
くくっ…と肩を震わせる光に対し、河夕は困惑気味の表情で更に告げる。
「あんたなら問題は無さそうだが、自分からあいつ等に関わる真似は止めておけ」
「あれが何か知っているんですか」
「闇の魔物だ」
「心の弱い方はあれに取り憑かれることがあるんですよ」
簡素な河夕の返答を補うように光が告げる。
「放っておけば、その内に姿を消しますから、今後は無視するようにして下さいね。では」
優雅に一礼する光と、片手を上げた河夕が去っていくのを、特に引留める理由もなかった奏恵は黙って見送ることになった。
そうして気付く。
どちらも目立って当然のような言動を取っていたにも関わらず、彼等は誰の目にも留まらなかった。
無数の人が行き交うビル内で、二人の存在は奏恵以外には全くの「無」だったのだ。
***
あれを「魔物」だと言った奇妙な二人連れとの出逢いは人生において些細な変化の一つ。
きっかけはともかく、人で溢れるこの東京において再び見えるなどそうあることではなかった。
…そのはずなのに、仕事を終えての帰宅途中。
奏恵の視界に入ったのは紛れもなく影見河夕と緑光。
二人は揃って難しい顔をし、手元の紙面を睨みつけていた。
些か気になって近付いてみれば、彼等が手にしているのは東京を縦横無尽に走る電車の線路図。
「ここに行きたいならこれに乗ればいいんだろ?」
「これだと此処までしか行きませんよ、線路の色が変わっています」
「なら、どれに乗ればいいんだ」
「さぁ…地図では東側ですから、東を向いている電車に乗ってみては?」
妙な会話である。
それが外見は完璧に近い美貌の男二人がしている会話なのだから違和感を禁じえない。にも関わらず、やはり彼等を振り返る人の姿はなく、奏恵はしばし考えた。
関わらずにおくことも出来るだろうが、一度は助けてもらっている、これで貸し借りゼロにするのもいい。
「どこに行きたいの」
声を掛けると、二人が揃って振り返る。
「おまえ、あの時の…」
「奏恵さんでしたね」
驚いた様子の河夕と、にっこり微笑む光。
対照的な二人に悟られぬよう(変な組み合わせ…)と息を吐く。
「で、どこに行きたいの」
繰り返し問い掛けた彼女は、だがこの後に少しばかり後悔した。
見た目はとっくに成人している彼等は、だが電車の乗り方すら知らない非常識人だったのである。
奏恵の指示のもと、目的地までの切符を買って電車に乗った彼等は、さすがに悪いと思ったのか自ら素性を明かした。
曰く「人間の負の感情に取り憑く魔物を狩る一族」だと。
だが東京という都市の特異な環境の中、魔物の生態系にも影響が出ているらしく、本来であれば彼等の力で追えるものが、まるで森の奥に潜む獣のようにすっかり隠れてしまっている。
ネットという文明の利器を活用し、それらしい事件の情報を仕入れて追うことにしたものの、東京の地理にも疎い。
感覚を頼りに足で向かうのが通常であれば、電車などの公共機関を使ったことも無く困り果てていたそうだ。
能力者の感覚というもので全てを補う彼等にしてみれば、この街は随分と苦労の多い土地なのだろう。
目的地までおよそ三十分。
東京の路線図と電車の色が八割方共通していることや、どこを拠点としておくのが無難かなどの情報を、二人は授業を受ける生徒のように真剣な面持ちで聞いていた。
中でも地下を走る電車というのは初耳だったらしく、より詳しい話を聞きたがるなど、外見との落差が有り過ぎる反応には、さすがの奏恵も失笑してしまった。
その内、やはり周りの乗客が彼等の存在を気に留めていないことに気付く。
見えていないはずがないのに気にならない、それも彼等の力だろうか。――とすると、自分が気付いたのは何故かという疑問が生じるのだが…。
「ここよ」
二人が目指していた駅に到着し、奏恵は下車するよう促す。
「気をつけて」
降りた彼等に声を掛けると、河夕は片手を上げ、光は優雅に一礼する。
「ありがとうございました。奏恵さんも気をつけてお帰り下さい」
「ええ」
そうして二人はホームを去り、車掌が発車の注意を知らせる笛を鳴らす。
同時。
「――」
その音に導かれるように訪れた不快感。
匂い、冷気、異質の、気配。
全身が粟立ち、動かずにはいられなくなる。
いつかどこかでも感じたような、だが憶えの無い感覚。
――……コレ ハ 何……?
奏恵は電車を飛び降りていた。
***
自分の身に何が起きているのかは解らない。
ただ良くないものに呼ばれているのは判ったから、放っておけないと思ったのだ。
駅を離れ、人混みを掻き分け、次第に人気のない裏路地へ。
「ここ…」
いつの間にか辺りからは明かりが消えていた。
太陽が沈めば暗くなるのは当然だが、それとは異なる沈黙の帳。
(何かいる…?)
周囲を見渡すと、あの日に見かけた黒い靄が散在していた。
ゆっくり、…ゆっくりと足元から近付いてくる「魔物」達。
じっと見つめていれば呑み込まれそうな濃い闇色はあの日と変わらず、また奏恵がそれに引き摺られないのも、変わらない。
だが、今日は数が違った。
四方を囲む建物の壁に、隅に、アスファルトに散らばるゴミの影で、それは奏恵の隙を窺っている。
(無視していれば消えると言われたけれど…)
先日の狩人の言葉を思い出すも、それで引き下がるとは思えない。
それは確かに奏恵を狙っていた。
「!」
飛び掛かられ、素早くかわす。
次いで二つ、三つ。
幼い頃からの身体能力が自身を守るが、逃げてばかりではどうにもならない。
鞄に入れてあった警備用の伸縮式警杖を取り出し、掛かってきた靄を切り裂くように振り下ろす。
「っ…」
だが、すり抜けるだけ。
(効かない…)
思わず足を止めた一瞬、目の前に現れた靄。
「!」
「おまえ…!」
頭上からの声と、目の前の発火。
「!?」
驚きながらも火の粉が掛からないよう飛び退けば、広がった空間で青年の手が泳いだ。
「――…素晴らしい反射神経ですね」
光だ。
苦笑交じりの言葉は、彼女に火の粉が被らないよう庇うつもりだった腕が、思い掛けず素早く避けられて無意味なものになってしまったことを恥じたから。
そして頭上から飛び降りて来た河夕が。
「下がってろ!」
言い放つ表情には困惑。
「奏恵さん、もしかして貴女は…」
光も、その面に戸惑いの色を滲ませて何かを言いかけた、まさにその時だった。
「!」
辺りに散在していた靄が、塊に。
塊は凶器となり彼等に切っ先を向け、更に両側のビルの壁は崩壊を始める。
「バカな…っ」
「! 奏恵さん!」
上空に気を取られ、隙を作ってしまった背後。
「……っ!!」
視界が闇に覆われて。
奏恵の意識は、そこで完全に途切れた――。
***
「…無自覚の能力者の体を欲しがるのは連中の習性だが…最初から狙われていたのか…」
「精神的に陥落しないのに業を煮やして、いっそ殺してしまおうと考えたのでしょう…肉体さえ手に入れば目的は達せられますしね…ついでに僕達も殺して体を奪えれば万々歳でしょうし…」
狩人達の声に、奏恵はゆっくりと意識を浮上させた。
「…気付いたか?」
「奏恵さん、大丈夫ですか」
順に声を掛けられて、奏恵はゆっくりと上体を起こす。
そうして開けた視界に映ったのは、倒壊した二つのビルと、忙しなく動き回る警察や消防士達、野次馬に来た人々。
自分の居る場所が、それらを間近に見ることの出来るビルの屋上だと気付く。
「…ひどい状態ね…」
「でも安心して下さい。もう随分前から人の入っていない建物だったようですし、人的被害が無いのは確認済みです。倒壊の原因も老朽化のせいになるでしょう」
「…そう…」
「奏恵さん?」
どれくらいの時間が経ったかも判らず、あの一瞬――魔物に背後を取られ、終わりかと感じた辺りからの記憶が定かではないが、こうして生きていることを考えれば、自分はまた彼等に助けられたのだろう。
「…ありがとう」
告げると、二人の狩人は目を瞬かせる。
「言われた通りに無視していれば良かったのね…」
呟く彼女に、だが狩人は。
「いや…っつーか…」
「うーん…難しいところですが、たぶん、そうなんでしょうね…」
「だろうな…」
二人は顔を見合わせ、彼女には意味不明な会話をする。
「どうかしたの?」
「いえ…」
狩人達は再び顔を見合わせ、しばらくの後、河夕が肩を竦め、光は微笑う。
「何でもありませんよ。――ところで魔物との争いに巻き込み、洋服も傷めてしまい…随分ご面倒もお掛けしました。そのお詫びなんですが、受け取って頂けませんか」
言いながら光が差し出したのは、紅に蝶が舞う絵柄の浴衣だった。
「ありがとう…でも、どうして浴衣…?」
「簡易性と言いましょうか、利便性と言いましょうか…」
「深く考えるなっ」
怪訝に思って聞き返す奏恵に、光は苦笑し、河夕は怒る。
追求したい気持ちはあるのだが、それを上回る疲労感のせいで言葉が巧く見つからない。
「さて…、ではお手をどうぞ。ご自宅までお送りしますよ」
正確に何があったのかを知りたいと思う。
だが今は休むことも必要のようだと自身を納得させ、差し出された手に、そっと自分の手を重ねるのだった。
―了―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
◇整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /
・7149 / 瀬下奏恵 / 女性 / 24歳 / 警備員 /
■ ライター通信 ■
初めまして、月原みなみです。
クールで自分の能力を自覚していないという奏恵さんの魅力を生かせる物語になったでしょうか。
お気に召して頂ければ幸いです。
また河夕と光からは…
「あれで衣服も元に戻るってのは…っ…なんだ…助かったけどなっ」
「いやぁ、まったくですねぇ…」と言伝を預かってまいりました。
リテイクありましたら遠慮なくお出し下さい。
そしてまた機会がありましたら声をお掛け下さいませ。
ありがとうございました。
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