■不夜城奇談〜発生〜■
月原みなみ |
【7149】【瀬下・奏恵】【警備員】 |
人間の負の感情を糧とし、人身を己が物とする闇の魔物。
どこから生じるのか知る者はない。
だが、それらを滅するものはいる。
闇狩。
始祖より魔物討伐の使命を背負わされた一族は、王・影主の名の下に敵を討つ。
そして現在、一二八代影主は東京に在た――。
***
明かり一つ灯ることのない部屋で、彼は床に横たわり、低く掠れた声に同じ言葉を重ねていた。
何度も、何度も。
どうして。
なぜ。
――…なんで僕がこんな目に……
この家屋に彼は一人きり。
今はもう誰も居ない。
彼の名前を呼んでくれる優しい母も、他愛のない話に笑ってくれる兄弟も、…成績に対して小言を言う父親の声ですら聞きたいと願うほど、彼はもう長い間、独りだった。
「なんで僕だけ…っ…」
立ち上がる気力も、ない。
いっそ死なせて欲しいと願う。
「僕なんかもう…!」
不意に。
カタン…、と家具が鳴る。
「…え…?」
カタカタッ…、と家具が揺れる。
「なに…っ」
カタカタカタカタカタ……
「なにっ、何だよっ、なに……!」
明かり一つ灯ることのない部屋に、黒い靄が広がっていた。
彼、独りきりだったその場所に。
「――」
響く声は。
「……ぁ…お、お母さん……?」
闇の中、蠢く意思は誰のもの――……。
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■ 不夜城奇談〜発生〜 ■
「これって…」
その日、施設警備の外回りに当たっていた瀬下奏恵は覚えのある気配に足を止めた。
空は快晴、陽射しの熱はバランスよく南風に散らされて都会のささやかな緑を息吹かせ、人混みの不快感を和らげる。
どちらかと言うなら気持ちの良い空間で、だが奏恵は良くないものを感じた。
企業のビルが建ち並ぶ大通りから数本の曲がり角を奥に向かう、更に向こう。
高架下の住宅街辺りから、それは流れて来る。
人並み外れて敏感な五感を持ち合わせている彼女は、昔から周囲が気付かないものに気付いてしまう事が多々あり、そのために危険な目に遭ったのはつい先日の話。
「…似ている…?」
気配なのか、匂いなのか。
どちらにせよ、あの日に感じたものと似た何かを奏恵の五感は此処でも感じ取ってしまったのだ。
彼女は迷う。
これは無視していれば去ると顔見知りになった能力者は言った。
その言葉に反した行動を取って死にかけたのだから、悩む必要など無い。
だが…。
「――…駄目よ…」
また同じ目に遭って、今度も助かるとは限らない。
無視していれば去ると言うなら、今度こそ言われた通りにすべきだと自らを戒め、奏恵は自分の仕事に意識を集中させるのだった。
同日、深夜。
「どうやら中心は…、この辺りですね」
手元の地図に油性のペンで丸を描いた緑光は苦い表情で呟く。
「物が割れる、壊れる、…そして失踪者」
「これだけ異変が集中しているのに魔物の気配は希薄…、問題は此処で何が起きているのか」
低く応えるのは影見河夕。
「行くか」
深夜になろうとも決して闇に呑まれぬ不夜城。
だがその奥、…人の目には決して触れぬ混沌の世界に、狩人達は影を潜めた。
***
感じた気配を無視すると決めてから、三日後。
「様子を見るくらいなら構わないでしょう…」
まるで自分自身に言い訳するような言葉を呟く彼女は、紅に蝶が舞う浴衣姿で件の住宅街を訪れていた。
無視すると一度は決めたが、考えれば考えるほど気になって仕方が無く、この浴衣なら万が一の時には意外な力を発揮してくれるかもしれないという考えが彼女の背を押していた。
戦闘に巻き込み、服を傷めてしまったお詫びだと、あの日の能力者から贈られたそれは、しかし普通に考えれば奇妙過ぎる。
何か他の理由が有るのではと考えるのが自然だろう。
最も、浴衣などあまりに久しく着ておらず、せっかくの機会だし…という考えが過ぎったのも事実で、住宅街に浴衣姿は奇妙かと思いつつも五感を頼りに歩いていると、道路脇で立ち話をしている主婦達の視線を感じた。
最初は浴衣のせいかと思ったが、さりげなく聞き耳を立ててみると「失踪」「行方不明」という言葉が何度も聞こえて来る。
そうして改めて住宅の角に掛けられている町名札を確認し、この辺りで行方不明者が続出しているというニュースが連日のように流れていることを思い出した。
「あれはこの辺りの…」
世間を騒がす失踪者に、異質な気配。
やはり只事ではない。
「行方不明もあれの仕業…?」
狩人が魔物と呼んだ黒い靄を思い出すと同時、悪寒が背筋を駆け抜けた。
「! なに…」
自らの危機を感じたのではなく、強烈な何かに呼ばれた。
判らない、けれど行かなければと思った。
その先にいるのが“あれ”だと気付いてしまったから。
***
走り出した奏恵が辿り着いたのは、主婦達が噂話をしていた路地から五百メートル程の距離にある一軒家だった。
白い壁に茶色の屋根が映える二階建て家屋は、住宅街に在って全く違和感のない風貌だった。
…普通の家であるはずなのに、彼女の五感が感じるのは明らかな異臭と、夥しい人の気配。
「なんて不気味さ…」
低く呟いた、その時だ。
「そちらのお宅にご用ですか?」
不意に声を掛けられて振り向けば、隣家の主婦らしい女性が玄関の扉の隙間から顔を出していた。
どう対応したものかと考えるが、相手の方は特に返答を必要とはしていないらしい。
「そこはもう随分前に引っ越されましたよ?」
「そう…ですか。ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、それで満足したらしい主婦は屋内に姿を消し、一人残された奏恵は、その場でしばらく考えた。
この家の住人は随分前に引っ越したと言う。
ならば、この中から感じる人の気配は何だ。
深く関わるつもりは無い。
だが触れた門扉は驚くほど簡単に開き、まるで彼女を招き入れるかのごとく。
誰も居ないと言われる家は、試しに引いた玄関の扉すら簡単に開けてしまう。
こうなってしまうと、どうしようもない。
後はなるようになれとばかりに最初の一歩を踏み入った、直後。
「なっ…」
その先に広がった光景に言葉を奪われる。
自分の目を疑った。
「なんてこと…!」
あの靄が。
黒い魔物が、廊下と壁の区別すらつかないほど色濃く空間を呑み込んでいた。
深く重い、混沌の闇。
その先に部屋があるとはとても考えられない。
「……っ」
出たほうがいいと理性が叫ぶ。
だが何かが、――本能が。
「…お母さん…?」
不意に響いた少年の声。
「誰かいるの…?」
問い掛けた奏恵に、闇の中から現れたのは中学生くらいの少年だった。
彼に見えている奏恵は、母親なのだろうか。
「…お母さん…帰って来てくれたの…? やっと…帰って…」
力無く震える声はあまりにも痛々しく、淋しく。
「やっと…一緒に暮らせるの……?」
願いは、哀しく。
「おか…ぁさん…」
彼を抱くのは、闇の魔物。
「ぁ…!」
瞬間、いつかの狩人の言葉が蘇えった。
心の弱い人間は魔物に憑かれるのだと。――心の強い人間ならば平気だと。
「気をしっかりと持ちなさい! 魔物に負けては駄目!」
思わず土足のまま奥に踏み入り、少年の肩を掴んだ。
必死に訴えて彼の正気を取り戻させようとした。
しかし虚ろな目に力が戻ることはなく、むしろ剣呑な光りを帯び始める。
「…っ、いま貴方の周りには、貴方の弱さを利用しようとしている魔物がいるの。それに勝つためには貴方自身がしっかりしないと駄目なの」
冷静に、一言一言を噛み締めるようにして告げた。
どうか手遅れになる前にと祈りながら繰り返す。
「目を覚まして。貴方だって魔物にはなりたくないでしょう?」
必死の言葉は、しかし。
「……お母さんじゃない…」
「え…?」
「…おまえも…お母さんじゃない……っ」
おまえ「も」と少年は言う。
奏恵も違う、では他に違うと断じられたのは?
「…っ……!!」
足元に、幾つもの頭。
「そんな…!」
手足。
それは失踪者の――。
「……!」
もう遅かったのか。
この少年は魔物に憑かれるて、人間を。
「違う…」
闇の魔物に周囲を埋め尽くされながらも、奏恵の脳裏は集まる情報を本能に伝え、冷静に何かが違うという警鐘を鳴らしていた。
隣家の主婦は、この家の住人は引っ越したと、そう言わなかったか。
少年その家族の一員なら、何故、此処に居るのだろう。
何故、子供だけが残されるのか。
「貴方…まさか…」
「お母さんじゃないなら…おまえも…」
――オマエモ……
『オレノ 餌 ニ ナレ …!』
「……っ!!」
「させるか!」
刹那、背後に上がった声。
「伏せろ!」
影見河夕の声に応えて身を伏せれば、退けた位置に白銀の閃光が迸り、次いで温かな手が奏恵を闇から引き上げた。
「奇遇ですね。またお逢い出来るとは思いませんでしたよ」
苦笑交じりに響く声も、やはり知っている。
緑光だ。
「闇の魔物は無視するようにとお伝えしたはずですが?」
「急激に闇の気配が増したから何かと思えば、よりによっておまえか!」
何が「よりによって」なのか奏恵には意味不明だが、彼等が現れたの確かな幸運。
彼らの背後に庇われて奏恵はゆっくりと息を吐いた。
「しかし間近に見ても妙ですね…、ただの魔物とは思えませんよ?」
「人間の気配がない。此処に在るのは影だけってことも…」
言い合う二人に奏恵はハッとする。
「教えて、闇の魔物は死人にも憑くのかどうか」
問い掛けを狩人達は怪訝な顔で受け止め、答えたのは河夕。
「憑かない。魔物は人間の肉体に宿り負の感情を喰らうものだ。死人からそれは得られない」
「でもあの子は生きていない」
奏恵が断言すると、二人は目を瞠る。
「それは本当ですか?」
「確証はない、だがこの家の人間は既に越したと聞いた。子供一人が残されるなんて考えられない」
光は頷くが、河夕は納得がいかない様子。
「だが死霊の怨み辛みに魔物が憑くことはない、連中には生きた意思が必要だ」
「それにお子さんが亡くなられたならご両親が弔われるはず。その家族と離れて家に残るとは…」
言い掛けて、途切れた言葉に続くのは三人共が同じ。
「家か…!」
思い出す。
奏恵が命の危機に瀕したあの日、魔物が崩したのは古いビル。
人間に忘れられた無人の建物。
「魔物が無機物に憑くってか、…っとに摩訶不思議の土地だな東京は! 光、そいつを連れて外に出ろ!」
「御意」
光に手を引かれ、河夕の背後から離れると同時、足元を這って近付いて来る黒い靄。
「…!」
それを光の手に握られた深緑色の輝きを放つ刀が振り払い、玄関の外へ飛び出した。
一瞬の静寂。
「伏せて」
同時、家屋の中枢から散開した白銀色の光りは、ゆっくりと家そのものを砂粒に変化させ、いつしか大気に掻き消されてゆくのだった。
***
忽然と姿を消した家屋に、近隣住民は次々と外に出て来ては騒ぎを広め、次いでその場に倒れている何十人もの人の姿を目にすると騒ぎは混乱の喧騒へ変わっていく。
中には顔見知りを発見し、行方不明になっていた人々だと気付く者もいた。
それらを少し離れた建物の屋上で見ていた奏恵は、消えた家屋の内側で見た光景に今更ながら身体を震わせる。
「あの行方不明になっていた人達は…」
「ああ」
不安気な彼女に、河夕は頷く。
「大丈夫だ、全員生きていた。衰弱してはいたが命の心配はないだろう。警察には連絡しておいたぞ」
生きていると聞き、奏恵は心から安堵した。
「そう…全員生きて…」
だが、一方の狩人達の表情は険しい。
「家に憑いた魔物にも、やはり糧となる人間の感情が必要で、糧とするには生かしておかなければならない。…家に憑いた魔物の手の内には少年の魂があり、家族と引き離された少年は淋しさから悪霊と変じ人間を招く。――魔物が直接動かなければ狩人には探れない、偶然と言うには出来過ぎだと思いませんか」
「作為的なものを感じるな…」
難しい顔で消えた家屋を見据える狩人に、だが奏恵はもう一つ気になることがあった。
「あの男の子はどうなったの」
まさか魔物と一緒に消されてしまっただろうかと懸念するが、狩人は。
「自分を縛る魔物は家と一緒に消されたんです。魂は解放され家族の傍に帰れるでしょう」
「そう、良かった…」
「奏恵さんのお陰ですよ」
「え…?」
どういう意味かと目で訴えれば、河夕は嘆息し、光は微笑う。
「貴女が、あの子は死んでいると教えてくれなければ、僕達は魔物に憑かれたあの子が原因だと勘違いして、少年に更なる苦しみを与えてしまったでしょう。それを回避させてくれたのは、奏恵さんです」
「何であそこに居たか聞くのは怖いがな」
それには奏恵も返す言葉がなく、そんな彼女に光はくすくすと笑いながら続ける。
「結果オーライですよ。お礼に、祭りにお誘いしても?」
「お祭り?」
「この少し先で、…あれは盆踊りでしょうか、催されているんですよ。奏恵さんもせっかく浴衣を召されているのですし」
「あ…」
この浴衣をくれたのが目の前の狩人であったことを思い出し、少しだけ戸惑うが。
「よくお似合いです」
にっこりと微笑う光。
「まぁ悪くない」
ぶっきらぼうに言う河夕。
そんな対照的な狩人達を、やはり妙な組み合わせだと思いつつ、せっかくの浴衣なら祭りを楽しむのも悪くない。
話は決まり、三人は揃ってその場を後にした。
―了―
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【登場人物】
・整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業
・7149 / 瀬下・奏恵様 / 女性 / 24歳 / 警備員 /
【ライター通信】
前回に引き続きのご参加、ありがとうございます。
少々お待たせしてしまいましたが、狩人達との二度目の出逢いは如何でしたでしょうか。
物語の展開上、反映できなかったプレイングも一部ありましたことをお詫び致しますとともに、今回の物語を楽しんで頂ければ幸いです。
リテイク等ありましたら何なりとお申し出下さい。
またお逢い出来ることを願っています。
今回は本当にありがとうございまいsた。
月原みなみ拝
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