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■戯れの精霊たち■ |
笠城夢斗 |
【3087】【千獣】【異界職】 |
「お願いが、あるんだ」
と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
両手を見下ろし、そして、
顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
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戯れの精霊たち〜儚き命の声を聞き〜
ある日、千獣は少し肩を落として、現在住みかにしている『精霊の森』に帰ってきた。
少し目を伏せたまま歩く。出かけて、帰ってきた時には必ず挨拶していく森の守護者の青年の小屋も素通りして。
彼女の向かう場所は、彼女が母とも慕う樹の精霊のところ――
精霊は、森の守護者の力がなければ、その姿も見られないし、その声も聞こえない。会話ができない。
だが、千獣は別だった。
森の守護者たる青年が特別に、この樹の精霊――ファードとの会話だけは可能にする薬を作ってくれたのだ。
「………」
千獣はこの森でもっとも堂々と立つ樹を見上げる。
堂々と、そして優しい母のように。
――胸に常に隠している薬を取り出して、ちょこんと飲んだ。
「ファー、ド……?」
声をかける瞬間が一番緊張する。薬の効果がなくなっていたらどうしよう。ファードが応えてくれなかったらどうしよう。
しかしそれはいつも杞憂で。
『千獣。……どうしたのですか? ずいぶんと……疲れている様子……』
姿は見えない。
けれどいつもどおりに優しい樹の精霊の声がした。
千獣は首を横に振る。
「疲れ、て、ない。考え、ごと、してる、だけ……」
けれど考える内容次第では、人はずいぶんやつれてみえるものだ。
『クルスにも挨拶してこなかったのですね……?』
ファードは森の守護者の名前を出す。
千獣はうつむいて、
「クルス、の、顔……見たら、甘え、ちゃう……から。それに」
と視線を樹の精霊の本体に戻し、
「どう、しても、ファードに、聞いて、ほしかっ、た」
木の葉がさらりと音を立てる。風のないこの森で。
『千獣。私はいつでもあなたの味方ですよ』
「………」
千獣はその言葉を噛みしめるように何度も心の中で反芻した。
それから、ファードを見上げてつぶやく。
「……ねぇ……ファードって、樹、だよね……?」
『え? ええ、そうですよ』
「樹って……植物、だよね……?」
『植物……ええ、そう呼ばれるものだと歴代のクロスエアに習っています』
「………」
千獣は少し考える。思うことはたくさんあった。だからそれをまとめるように。
『千獣?』
頃合を見計らって、樹の精霊が呼びかけてくる。
千獣はいつも擬人化させた時にファードがいる場所を見つめて、
「……獣、でも、人間、でも……自分の、命、を、脅、かす、ものに、対して……抗、う、牙、を、持って、いる、のに……」
何で、だろう……。小さくつぶやいた。
「……どう、して……植物、は、持って、ないん、だろう……?」
『………』
「この、前、ね」
とても言いにくそうに、視線を揺らしながら千獣は話を続けた。
「……街、で……花……採って、来て、ほしいって……頼、まれた」
『それは、噂に聞く冒険者への依頼、というものでしょうか?』
「うん……」
――それは美しい花だった。千獣が目を閉じれば、瞼の裏にまだその輝きは残っている。
命の息吹。
美しく咲いた後は枯れて種子を残す。
人も動物も、いつか果てる運命から逃れることはできない。永遠など言葉でしか存在はしないのだから。
世界にある全てのものは流れて変わる。人も花も、咲き誇る為に今を生きているのだと。
……そう、千獣は思った。
「……その、花は……この手が、摘む、ため、に……茎に、触れ、ても……静かに……静かに、摘まれて、くれた……」
その時の感触が忘れられない。
なぜこうも素直に、この生命は命を渡したのだろう。
「その、花は……傷、に、よく、効く、花……だって、言って、いた……」
千獣はぽつりと言って、ファードの本体の幹に額をつけた。
「多くの、人、を、助ける、ことが、できるって……」
――それはまるでこの樹の精霊のように。
「……でも……花には、花の、命が、ある……」
胸に手を当てた。
奥の方でじりじりと、焼け付くような痛みがあった。
「どう、して……静かに、摘まれて、くれる、ん、だろう……」
奥深い痛みにつける薬はなくて、胸元をぎゅっとつかんだ。
「……どんな、爪、よりも、牙、よりも……ずっと、ずっと、痛い……」
『………』
それはあるいは、ファードに向けられた言葉だったのかもしれない。
先日、またファードの樹液を求めて若者がやってきた。クルスとの深い話し合いのもと、結局樹液は彼に渡されることになった。
ファードの体にのみを打ち付けたクルス。その顔が歪むのを見ていた千獣。
若者だけが、喜びに打ち震えていて。
この大地に深く根を張り、動けないファードには、逃げ道がない。
それでも――この精霊は言うのだ。
『人が救われるのなら、私は構わない』と。
「どう、して……なんだ、ろう……」
千獣はファードの幹に額をあてたままつぶやた。
『……千獣……』
ふと、ふわりとした感触。
まるで精霊に包み込まれたような暖かさ。
『優しい私の子……花も貴女のような人に摘まれて、嬉しかったでしょう』
「……そんな、の、嘘……」
千獣は首を振る。「誰、に、摘まれ、たって……命を、奪われ、た、ことに、違い、は、ない。きっと、苦しかった」
きっと、絶望の瞬間だった――
千獣は薬を懐にしまい、それから両手を見下ろした。
「私、は……ひとつ、の、存在、を、殺し、た、も、同然」
『………』
「………」
しばらくの沈黙があった。
この森には音がない。けれど風がないのにファードの木の葉だけがさわさわと鳴っていて。
まるで音の癒しを千獣に降らせてくれているようで。
『私は直接知りませんが――』
ファードは言った。『確か植物にも、自分で自分の身を護る方法を持っているものがいると聞きます』
「………?」
『虫を吸い込んで自分の栄養にするもの。……あるいは、薔薇』
「バ、ラ……」
とげを持つ。それは強き植物。
「でも……戦って、いる、のは、それだけ……」
『そうかしら』
ファードは優しく囁く。
背中を撫でられたような感触がした。
『花、とはね……種子を、なるべく遠くへ飛ばそうとするそうです、千獣』
「遠く、へ……?」
『だから虫に花粉を運んでもらう。……ひょっとしたら、人の手で摘まれることも、その一環なのかもしれません』
「でも、私は、種子を」
『……ええ、そうやって別の目的で使われてしまうのもまた運命……』
ファードの声は静かに空気を揺らす。『けれど千獣。……植物は弱くないのですよ』
「そ、んな……!」
『私は聞くばかりで他の植物との接触はほとんどありませんが。クロスエアが教えてくれます。――道端に咲く花や雑草は、踏まれても踏まれても簡単には枯れない』
「―――」
『高嶺に在る植物は、手に採られてしまったら弱いけれど、その分人の手には届かない場所にいる』
「………」
『皆それぞれに、身を護っています』
千獣は視線を下に落としてつぶやく。“それじゃあ”――
「どう、して……あの、花、は……あんなに、弱い、のに……無防備だったの……?」
『どんな花だったのですか?』
「夜の、短い、時間……だけ、花開く……見つける、のが、難しい――」
言いかけて、口をつぐむ。
ファードが微笑むのが分かった。
『ほら、身を護っているではないですか』
――そうか、あの花の特徴。あれはあの花の自衛手段だったのかもしれない。
時刻を問わず花開いていれば、花粉を運んでくれる虫はいくらでもいるだろうに、あえて夜にしか咲かない。
あれだけ需要があるのに、その居場所を見つけるのは難しくて。
「……でも」
千獣は両手を組み合わせた。
「あの、美しい、花、は……夜に、一番、輝く……」
『自分でそう在ることを望んだのですよ。……植物は生きていると思うのでしょう?』
「う、ん」
『ならば植物にも心があります。……そうであることを、自分で決めたのですよ』
忘れないで。
植物はただ弱いだけの生命じゃない。
彼らだって、自分の意思とともに――進化してきた存在なのだから。
『私もです。ちょっとやそっとの傷をつけられたくらいでは枯れないよう、こうして強くなりました』
ファードは言う。
千獣はファードのとても太い幹を見つめ、そしてとても高い背を見上げる。
『私のような樹が何本もあれば別の進化の仕方をしたかもしれませんが……私は1本だったから』
「ファー、ド」
そう言えばあの夜の花は、一面を埋め尽くすほど多くあった。
あれもまた、彼らの『在り方』だったのだろうか。
思い出す。摘んだ後、ただ静かに風に揺られるだけだった花弁。
『摘まれただけで……そこで花は終わりだとは、思わないで……千獣』
むやみやたらと摘むのはもちろんいけないこと。
でもその中に命を見出すことができたあなたなら、きっと分かるでしょう。
命あるものは最後まで、意味あるままで生き延びる。
完全に命が費えるまで、その心を開いたまま生き続ける。
『そう……常にその心を、意思を、私たちにも伝えてくれているのは、他ならぬ植物なのかもしれません』
「その、心を……」
あの輝きは、一体何のためにあったのだろう。
あるいは、自分たちが子孫を残すために、誰かを惹きつけようとしていたのかもしれない。
あの花が弱いだなんて、決め付けてしまったのは誰だ?
「私……何も、分かって、なかった、の、かな……」
ファードの葉が、さわりと鳴った。
『あなたはちゃんと、花の中に命を見出すことができたのですよ』
「………」
千獣は両手を大きく広げ、ファードの幹に抱きついた。
ファードの体の中を流れる水音がする。ファードの鼓動。
自分は最初から、この樹の精霊のおかげで――知っていたはずだ、植物は弱くないと。
「いつの、間に、忘れて、たの、かな……」
思わず笑みがこぼれた。
『こんなこともありますよ』
ファードがもう一度、抱きしめてくれた気がした。
ファードとの会話が終わった後、千獣は急いでクルスの小屋へと走った。そして、クルスに植物の話を聞いた。
クルスも外にはあまり出たことがない人間だから詳しくは知らなかったが、彼の持っている文献には、たくさんの植物が載っていた。
……自分の身を護ることができる植物がたくさんいることを知った。
たとえその方法が、人の武器や獣の牙よりもはるかに弱い方法だとしても。
「生きて、る……」
千獣は本のページをめくった。
――あの植物が載っているページが現れた。
「この、子も、生きて、る……」
クルスが、ん、と千獣の手元をのぞきこむ。
「ああその花か。知っているのか?」
「……うん。クルス、は……?」
「それは魔術師たちの中で有名だからよく知っているよ。でもまあ、俺は研究に使おうとは思わないけどな」
千獣は一拍置いてから、
「何で……?」
と訊いた。
「何でって、そりゃあ、儚すぎるからだよ。まあ直接見たことはないが……相当綺麗らしいな」
「う、ん。綺麗……だよ」
「そうか。だとしたらその輝きが――」
クルスは微笑んだ。「その花の心の声、なんだろうな」
「―――」
「キミはその声を聞いたのかな。どうだった?」
「う、ん」
千獣は微笑んだ。
「生きて、いたよ。精一杯……綺麗、な、命、だった……よ」
あの花は、今頃どうしているだろう。研究材料となって……それでもなお、自分の命を消すまいと強く生きているだろうか。
あの花がなければ、研究は完成しないと言う。
ならばきっと、できあがった薬には、あの花の命がまだ宿っているに違いない。
「もし、可能、なら……完成、した、お薬……見せて、もらいに、行こう、かな……」
クルスがぽんぽんと優しく肩を叩いてくれた。
視界が開けた気がした。
植物が弱いだなんてもう思わない。
――命あるものすべて、身を護るすべを持っているのだと――
そして心を、持っているのだと。
手元にある本のページの中で、絵に描かれたあの花がきらりと輝いたような気がした。
―FIN―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【3087/千獣/女/17歳(実年齢999歳)/獣使い】
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■ ライター通信 ■
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千獣様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
まずはお届けが遅くなり申し訳ございません;
今回も考える意義のある議題でご参加ありがとうございました。納得できるお答えができたか不安ですが……;
またこれからも精霊たちと一緒に色んなことを考えてほしいと思います。
よろしければまたお会いできますよう……
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