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■某月某日 明日は晴れると良い■

ピコかめ
【0086】【シュライン・エマ】【翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
 興信所の片隅の机に置かれてある簡素なノート。
 それは近くの文房具屋で小太郎が買ってきた、興信所の行動記録ノート……だったはずなのだが、今では彼の日記帳になっている。

 ある日の事、机の上に置かれていたそのノートは、あるページが開かれていた。
 某月某日。その日の出来事は何でもない普通の日常のようで、飛び切り大きな依頼でも舞い込んだかのような、てんてこまいな日の様でもあった。
 締めの言葉『明日は晴れると良い』と言う文句に少し興味を持ったので、その日の日記を読んで見る事にした。
某月某日 明日は晴れると良い

ノンビリお昼時

「ぅあっちー……」
 ダラリと自分の机に突っ伏す小太郎。
 夏の昼はある種地獄ではないかという暑さだ。
「こんなんじゃ日記を書いてる気力もねーや」
「こらこら、日記を書くのは小太郎君のお仕事でしょ。ちゃんとやらなきゃダメよ」
 小太郎のドロップアウト宣言を聞いて、武彦の机に散乱した書類を片付けていたシュラインが注意する。
 小太郎とは違い、シュラインの動きはテキパキとしている。事務職が板についているといわれても仕方が無い。
「シュライン姉ちゃんは、よくもまぁ、そんなに元気に動き回れるな」
「早く仕事を片付ければその後に十分休めるじゃない。今ダラダラしてたって仕事は終わらないもの」
「きっと小人さんが何とかしてくれるぜ。だからちょっと涼みに……」
「はいはい、さっさとやる事やりましょうね」
 有無を言わせないシュラインの圧力の前に、小太郎は渋々ながら鉛筆を握った。

 昼時の興信所。
 今の所、武彦も零も来客もいない。
 暑さを紛らわすモノも無く、貧乏興信所にはクーラーも扇風機も無い。
 確かに小太郎がぐったりしているのもわからないでもないな、と小さく笑う。
 これから正午をすぎてまだまだ暑くなりそうな雰囲気でもあるし、何か気を紛らわしながら仕事をするのも悪くないかもしれない。
「小太郎くんって、歌とか好きなの?」
「……なんだよ、藪から棒に」
「暑さを紛らわすためにお話でもしようと思って。ちょっと前の話になるけど、気晴らしに歌を歌ったぐらいじゃない?」
「うっ……アレはもう忘れてくれ。……歌か。そうだなぁ、歌うのは嫌いじゃないけど、あまり上手くなくてさ……」
 苦笑しながら小太郎が頬を掻く。確かに、お世辞にも上手いとは言えない歌ではあった。
 誰か他人に聞かれないための措置まで取ったぐらいだ。やはり、自分の歌は聞かれたくないのか。
「シュライン姉ちゃんだって辛かったろ。耳が良いみたいだし、俺の歌なんか聴いてさ」
「確かにちょっと音が取れてなかったみたいだけど、リズム感は良いと思ったわ」
「慰めなら要らないぜ?」
「正直な感想よ。小太郎くんなら運動神経も良いし、ダンスなんか始めてみたらどうかしら。もしかしたら結構様になるかもよ?」
「ダンスねぇ……」
 シュラインに言われて、小太郎はしばらく黙って宙を見上げる。
 どうやらダンスを踊っている自分の姿でも想像しているらしい。
「…………ぬ、いつの間にかカポエイラになってた」
「ま、まぁ、わからないでもない変化ではあるわね」
 シュラインは苦笑しつつ書類を百均で買ってきたファイルボックスにつめた。

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 ふと時計を見ると、そろそろ正午近くなっていた。
「お昼作ろっか。あるもので良いかしら?」
「食えるならなんでもいーぜ。正直、何もしないで飯が食えるのはありがたい」
「一人暮らしでも経験したような言い方ね?」
「興信所に来る前にちょっとね。半年ぐらい頑張ったんだけど、やる事なす事全部失敗するんで、諦めて親戚の叔父さんちに転がり込んだよ」
「意外と色々やってるのね……。そうだ、ここに来る前の事、ちょっと教えてもらって良いかしら?」
「んぁ? ここに来る前?」
 シュラインはエプロンを着け、台所に移動しつつ小太郎の考えている様を眺める。
 特に辛そうな顔はしてないので、それほど苦労したというわけでは無さそうだ。
「ここに来る前はそうだなぁ……ホント何も無かったなぁ。漠然と自分の力で誰かのためになりたいと思ってただけで、明確な目標なんか何も無かったし」
「それでも一人暮らししてたの? 親御さんとかは反対しなかった?」
 それを訊いた瞬間、小太郎の表情が一気に曇る。どうやら地雷だったらしい。
「あ、ごめんね。話し難かったら別に無理して話すことは無いわ」
「……ゴメン。あんま、親の事は話したくないんだ。っつーか、あんまり話すことも無いって言うか……」
 言いよどむ小太郎は、色々考えているようで、あまり彼らしくなかった。

 シュラインが冷蔵庫を覗くと、今日は珍しくそれなりに物が入っていた。
 そういえば、こないだ買出しに行ったばかりだったか。これならまだまともな料理も作れる。
 食材を確認し、シュラインは自分の記憶からレシピを引っ張り出す。
「うーん、ハム玉冷あんかけと肉じゃが、かな。武彦さんたちも帰ってきたら食べるだろうし……」
「あーシュライン姉ちゃん。冷や冷やの水を一杯くれー」
「お水? あっ、ちょっと待って。それよりも良いものあるわよ」
 そう言ってシュラインが取り出したのは牛乳でも麦茶でもなく、野菜ジュース。
「おぉ! 白か茶色以外の色つきなんて良いものあるじゃん!!」
「これでも飲んで待っててね。すぐ出来るから」
「オス! うはー、これは嬉しいサプライズだぜ」
 小太郎は野菜ジュースのペットボトルとコップを持って自分の机へ戻っていった。

「あぁ、そうだ。小太郎くん。歌の話で思い出したんだけど」
 コンロの近くで汗を拭いながらも、シュラインが小太郎に声をかける。
「叶さんの能力、アレを興信所の近くで使うようなら、いっそ興信所の中でやっても良いって伝えておいてくれる?」
「良いけど……なんで?」
「あの能力、もしかしたら一般人が叶さんの作り出した空間に入っちゃう可能性もあるじゃない? 興信所なら集まってくる人はほとんど『そっち』の知識がある人だし、一般人が入り込んでもしもの事があったら、小太郎くんも嫌でしょ?」
「う、それは……そうだな。早いうちに伝えておくよ」
 小太郎の返答のすぐ後、コチコチと携帯電話のボタンを押す音が聞こえた。
 善は急げという事か、早速メールでも打っているらしい。
「それに、そんな嫌な気持ちになった小太郎くんを見て、また悲しくなるのは叶さんだろうしね」
「は? なんで?」
「誰だって、好きな人の悲しい顔は見たくないモノよ」
 ここまで来ると根回しが利かない、というよりもただの鈍感であったが、シュラインの言葉で色々思うところがあったらしく、小太郎は少し頬を染めた。
「……なに? 叶さんと何かあったの?」
「結構前の話だけど、バレンタインの日に、こ……告白されたりした」
「へぇ〜。印象どおり行動派なのね、彼女」
「で、でもアイツと付き合うとか、そんなんじゃないんだぜ!?」
「そりゃそうよね。もしそうなら色々納得いかない事もあるし。ユリちゃんへの対応とか」
「な、何故そこでユリの名前が!?」
 テンパる小太郎を見ているのも面白かったが、火を使ってる時にあまり余所見もしていられず、シュラインはすぐに料理に集中した。

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「はーい、お待たせ」
「うおー、待ったぜー」
 料理を持って台所から出てきたシュラインを、小太郎はダルーい拍手で迎えた。まだ暑くてダレているのだろう。
 小太郎の分をテーブルに置いた後、自分の分もその対面に置き、席に着く。
「いっただっきまーす」
 小太郎がハム玉に箸を伸ばし、すぐに口へ運ぶ。
 暑いながらも食欲は衰えていないようだ。
「うんめー! いやー、俺もこれぐらい作れてれば、まだ一人暮らし出来たかな!?」
「うーん、料理の腕一つで一人暮らし云々ってのは言えないけど……料理って言うのはやっぱり作ってあげたい人がいるから上手くなるんじゃないかしら?」
「なるほどね。誰か作る相手か……」
 小太郎はまた宙を見上げ、色々考え始めた。今度は自分が料理を作ってあげたい相手でも浮かべてるのか。
 ところが今回はあまり考えが纏まらなかったのか、しばらくした後に首を傾げる。
「思い当たらないの?」
「あんまりそういう事は考えたこと無いからなぁ」
「じゃあユリちゃんにでも作ってあげれば良いじゃない」
「ユリだって女の子だし、料理なら向こうの方が上手いだろ?」
「そう……かしらね。あの娘、ちょっと抜けてる所もあるっぽいし……」
 しっかりしてそうに見えて、何処かネジが外れてそうな雰囲気がある。
 それを言われて、小太郎も一つ思い出した。
「そう言えば、アイツに貰ったチョコ……見た目は悪かったな」
「こら。貰った本人がそういう事言っちゃダメでしょ。ユリちゃんだって一生懸命作ったんだろうし」
「いや、でも味は美味かったんだって! うん、あれはビックリした!」
 慌ててフォローした小太郎は誤魔化すように肉じゃがを食べた。

「それで? ユリちゃんとは最近どうなの?」
「どうって……なにが?」
 色々咀嚼していたものを飲み下しながら、小太郎が聞き返す。
「最近何か変わった事無いのかなぁ、って」
「別に。アイツも符関連の事で忙しいだろうし、特にこれと言って何も無いな」
「ふーん……」
 そんな事を言いつつ、小太郎の表情の変化を、シュラインは見逃さない。
 何も無い。何も無いからこそある心の変化もある。
「……寂しい?」
「っば! 誰が!?」
「そうよね。最近興信所にもあまり顔出さなくなったしね。忙しいのはわかるけど、ちょっとねぇ……」
「ち、違う! 別にそんなんじゃ……っ!」
「違うの? それはそれでユリちゃんが可哀想ね」
「……っ! ……っ!! あぁもう、なんて言や良いんだよ!?」
 頭を抱え始める小太郎に、シュラインは優しく笑いかける。
「素直になれば良いんじゃない? 難しいかもしれないけど、結構重要な事よ?」
「……素直……。素直、か」
 小さく唸った小太郎は、少し俯きながら小声で呟く。
「つまらない……事は、なくもない」
「うん、上出来」
 素直、とはなかなか言い難い感情の吐露だったが、小太郎にしてはマシな方だろう。
 シュラインは笑顔で小太郎の頭を撫でてやった
「何か、シュライン姉ちゃんと話してると母親と喋ってるみたいだな」
「失礼な。私はまだ、小太郎くんみたいな子供を持つような歳じゃないわよ」

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「片付けなら俺も手伝えるぜ!」
 というわけで、今度はシュラインと並んで小太郎も台所に立つ。
 たらいに水をため、その中に食器を沈める。
 洗剤を使って洗うのはシュラインの役、食器を拭いて棚に戻すのが小太郎の役になった。
 シュラインが鼻歌交じりに食器を洗っていると、小太郎から羨望の視線が飛んできているのに気がつく。
「……なに、どうしたの? 食器洗う方が良い?」
「いや、そうじゃなくて。……シュライン姉ちゃんはやっぱり歌上手いなって」
「ああ、うん。これは特技みたいなものだしね……。でも歌が下手なのだって悪いことばかりじゃないわよ」
 シュラインの言葉に小太郎は首を傾げる。本当に良い思い出が無いようだ。
「昔の人が音痴だったのは、プロの人の歌でなく、身近な人の子守唄なんかを聴いていたからだ、って言う説があるの。そんな風に子守唄を歌ってくれる人がいたって考えると、なんだか嬉しくならない?」
「ああ、うん。……そうかも」
 そう言って小さく微笑んだ小太郎は片付けに戻る。それを見てシュラインも笑いながら皿洗いを再開した。

「だが惜しむらくは、俺の記憶にそんな人物がいない事だ……」
「そ、それはどうしようもないなぁ」
 結局、小太郎の音痴は生まれつきのものであったとさ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ (しゅらいん・えま) / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】


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■         ライター通信          ■
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 シュライン・エマ様、毎度ありがとうございます! 『のんびりのほほん』ピコかめです。
 チリチリするような戦闘話も良いですが、たまにはこういうノンビリした話もまた良し、ですよね。

 昔の人が音痴だった理由にそんな説があったとは……。知らなかった。
 というか、昔の人が音痴だったのすら知らなかったわけですが。西洋の詩人さんとかもそうだったんだろうか……?
 そうなるとファンタジーの吟遊詩人のイメージが変わってきちゃったりするかもですね。
 ではでは、気が向きましたらまたよろしくどうぞ!