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■Night Bird -蒼月亭奇譚-■

水月小織
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
街を歩いていて、ふと見上げて見えた看板。
相当年季の入った看板に蒼い月が書かれている。
『蒼月亭』
いつものように、または名前に惹かれたようにそのドアを開けると、ジャズの音楽と共に声が掛けられた。

「いらっしゃい、蒼月亭へようこそ」
Night Bird -蒼月亭奇譚-

「……で、私も今度冥月さんのお誕生日お祝いしたいんですけど、いつですか?」
 蒼月亭の従業員である立花 香里亜(たちばな・かりあ)の誕生日を祝った翌日、黒 冥月(へい・みんゆぇ)は、蒼月亭のカウンターでそう聞かれて言葉を一瞬失った。
「さあ?」
 何気なくそう答えると、香里亜は「むー」とか唸りながら、軽く冥月を睨む。
「また、そうやって教えてくれないんですか?」
 睨んではいるが本当に怒っている訳ではなくて、自分の誕生日は知られているのだから、冥月の誕生日も知っておきたいという好奇心のようだ。
 何だかそれが微笑ましくて、冥月はコーヒーを飲むと小さく溜息をついた。
「いや本当に知らないんだ。私は捨て子でな、実年令や本名さえ不明だ」
 もうそんな事は過去の話だし、今更何かを言うべき事ではない。だが、香里亜は悪いことを聞いてしまったというように、ちょこんと頭を下げた。
「あ……そうだったんですね。悪いことを聞いてしまってごめんなさい」
 謝られてしまった。
 別に今更悪いことでもないのだが、冥月は少し笑って言葉を続ける。
「だから今二十歳のつもりだが一〜二才違うかも知れん。もしかしたら、案外香里亜と同じ歳かもな?」
 同じ歳……と言いながら、冥月は香里亜をじろじろと眺める。同じにしては身長も体型も、香里亜と冥月は大違いだ。似ている所がない。
「同じ歳にしては随分違いすぎだろ」
 孤児だとか誕生日を知らないとかそんな雰囲気を和ませるように、煙草の煙を吐きながら、マスターのナイトホークが笑った。香里亜も冥月の視線と、ナイトホークの言葉で何を言われたのか気づき、小さく溜息をつくとまた唸る。
「むーっ、また、みんなしてそう言うこと。冥月さんもじろじろ見すぎです」
「そういう意味で見ていた訳じゃないんだが……」
「流れ的にはそういう感じです」
 確かにじろじろ見すぎてしまった。香里亜は身長が低いことなどを多少気にしているのに、今の視線はまずかったかも知れない。
「悪かった。そういうつもりじゃなかったんだ」
「別に今更ですから、いいんですけどね」
 話題を変えた方がいいだろう。元々誕生日の話をしていたのだ。冥月はコーヒーを一口飲み、話題を元の誕生日の話に修正した。
「本当の誕生日は知らないが、兄弟子が決めてくれた日ならある。九月六日だ。私の姓も誕生日も能力が影だから『クロ』だと。酷いよな」
「七月十日で『納豆の日』よりはマシだろ」
「語呂合わせという点では、あまり変わらんな」
 そうは言いつつも、それは冥月にとって楽しい思い出の一つだった。
 誕生日がないと祝えないから、じゃあその日を誕生日にしよう。誕生日を祝うなどと言う習慣も、何も持ち合わせていなかった冥月に教えてくれたのは、元恋人でもある兄弟子だ。今はこの世にいないが、誕生日を祝ったりするという習慣は全て彼に教えてもらった。
 生まれてきてくれたことを祝う。
 そして、自分と出会ったことに感謝する。
 そんな事を思っていると、香里亜がくすっと笑って息をついた。
「大事な思い出なんですね」
「なっ……」
 酷いとか言いながらも、穏やかに懐かしむように話すその姿から、香里亜はそれが冥月にとって大切な思い出なのだと言うことが分かっていた。
 たとえ語呂合わせでも、誕生日がなければ祝えない。
 だからその人は、絶対忘れない日を誕生日にしたのだろう。何もなければ普通に過ぎてしまう一日だが、そこに「誕生日」という理由が付けば、それだけで特別な一日だ。
「九月六日か……ちゃんと覚えておきますね」
 にっこりと笑って言われた言葉が恥ずかしくて、冥月は聞かなかったフリをしてコーヒーを飲んだ。

 実際、誕生日というものに対して、冥月は執着も思い入れもなかった。
 そんな物がなくても、毎年勝手に一年は過ぎるし成長はする。別に誕生日で一年と数えなくても、その歳の正月を基点にして「大体いくつ」でも構わない。
 だからそんな話をしたことすら、冥月はすっかり忘れていた。
 香里亜の誕生日が過ぎた後、七夕だの何だのと毎日は忙しく過ぎ、季節も初夏の爽やかな時期からうだるような猛暑、そして余韻を引きずるような残暑へと変わっていった。
 そんなある日のことだった。
「冥月さん、今からお店に来られますか?」
 唐突にやってきた一本の電話。
 香里亜からの誘いに、冥月は少し驚きながら言葉を返す。
「珍しいな、香里亜が何の約束もなく『来られるか』なんて」
 それは香里亜からの電話で、今から蒼月亭に来て欲しいというものだった。だが、突然そんな事を言われ、冥月は多少戸惑いを見せる。
 普段香里亜は、何かあるときは約束をする。そしてわがままは言わない。
 だが、その日の電話はいつもと様子が違っていた。
「もし用事とかおありでしたら、終わるまで待ってますから……」
 いや、そんな物は全然ない。
 小さく息をつき、冥月は時計を見る。
 蒼月亭の夜の営業前、夕方。香里亜は夜には店に出ないが、呼ばれて断る理由もない。
「いや、用事はないから今から行こう」
「ありがとうございます。じゃあ、待ってますね」
 電話の向こう側から、微かに誰かの話し声がする……。

 呼ばれて行った蒼月亭は、何だかいつもと様子が違っているような気がした。
 だがそれを訝しむ訳でもなく、冥月はいつものようにドアを開ける。その瞬間……。
「Happy Birthday!」
 その言葉と共に鳴らされるクラッカー。
 普段であれば気を張り巡らせているのだが、なじみの店と言うこともありすっかり油断していたせいもあって面食らっていると、店の中はいつもと少しだけ様子が違っていた。
 真ん中に置かれているテーブルの上には、花が飾られた花瓶。
 そして中にいるのは葵(あおい)や伊藤 若菜(いとう・わかな)、太蘭(たいらん)など、冥月を知っている人たち。
「冥月さん、誕生日おめでとうございます」
 クラッカーを持ったまま頬笑む香里亜に、冥月はやっと今日が九月六日であることに気付いた。
 そうだ。
 今日は誕生日だったのだっけ。
 それに気付いた瞬間、いつもと全く変わらない日であったはずの今日一日が、突然特別なものになったような気がした。照れを隠すように溜息をつき、冥月は香里亜の頭をそっと撫でる。
「全く……ありがとな」
「いえいえ。さあ、今日の主役なんですから、中に入ってください」
 席に座ると、ナイトホークがシャンパングラスにスパークリングワインを注いでくれた。
「今日は『アスティ・スプマンテ』を。たまには、甘口のデザートワインをどうぞ」
「ああ、ありがとう」
 レストランなどには行ったりしても、蒼月亭でこんな風にされるのは初めてだ。慣れないことに戸惑っていると、香里亜が奥からバースデーケーキを出してくる。
「今日はチョコレート生地のビターなケーキに、イチゴやクリームで飾り付けをしました。ケーキの他にも色々作りましたから、皆さん召し上がってくださいね」
「その前に、ろうそくを消さなくてはダメですわよ」
「そうよ。乾杯の前に歌を歌わないと」
 葵と若菜がそう言って誕生日の歌を歌い始めた。それがまた恥ずかしくて、照れくさくて。
 歌が終わると同時にろうそくを吹き消すと、周りから拍手が巻き起こった。
「冥月師、これは私からですわ」
 そう言いながら、葵は色とりどりのバラで作った花束を冥月に渡す。
「ありがとう」
「黒薔薇様、私からも贈り物ですわ」
 若菜からは、普段も使えるような黒いショルダーバッグだった。こうやって大勢に祝われたのが初めてで、冥月が照れていると、太蘭は小さな箱を手渡した。中には漆黒の櫛が入っている。
「冥月殿がそんな表情をするのは珍しいな」
「えっ」
 慣れないことずくめで戸惑っているせいか、どうしても俯きがちになってしまう。それに皆が笑い、冥月はまた小さく俯く。
「今日は主役なんだから、堂々としてろよ」
「……こういうのには慣れてないんだ」
 ナイトホークが言うのももっともだ。普段は少し不敵な感じですらあるのに、今日はすっかり借りてきた猫だ。いつもなら少し賑やかにライバル心を見せ合う若菜も、少し控えめに冥月の近くに座って頬笑んでいる。
「何だ?」
「黒薔薇様のお誕生日を一緒に祝えて嬉しいの」
 ああ、やっぱり照れくさい。
 そんな事をしている合間にも、香里亜が作ったお祝いの料理が出され、ナイトホークはワインを注いだり、カクテルを作ったりと忙しい。料理も少しずつ色々な物を食べられるようにと、香里亜が考えたメニューらしい。
「冥月誕生日だって言うから、来たぞ」
 仕事があったのということで、少し遅れてやってきたのは草間 武彦(くさま・たけひこ)だ。武彦はポンと細長い箱を置くと、カウンターの方にすたすたと行ってしまう。
「おい、これ……」
「ああ、誕生日だって言うからプレゼント買ってきてやった」
 いつも殴ったり蹴ったりしているのに、何だか申し訳ない。そう思いながら包みを開けて、冥月は絶句する。
 ……どこからどう見ても、黒のトランクスが入っているような気がするのだが。
「草間、これは?」
「そういうのって何枚あってもいいだろ。黒一色の探すの大変……」
「そうじゃなくて……って、もしかして男同士だからこれで良いとか思って買ってきただろう」
「ご名答」
 クスクスと武彦が悪戯っぽく笑う。
 気持ちだからありがたく……とは、その表情を見ていると思えない訳で。
「私は女だって言ってるだろう!」
 照れも入り交じったパンチに、店にいる皆が笑った。

 大勢に祝われた誕生日は、照れくさくて恥ずかしくて。
 だけどとっても嬉しくて。
 そんな事を思っていると、香里亜がそっと近づいてきて小さな声でこう囁いた。
「これからは、毎年こうやってお祝いしますね」
 不意にこっそりそう言われ、冥月は赤面する。
 毎年こうやって、誕生日を祝われるのか。ふと見上げると、香里亜はにこっと頬笑んでいる。すると冥月が赤くなっているのに気付いた若菜が、じっと二人を見た。
「黒薔薇様、どうなさったの?」
「え、えと……香里亜に告白されてしまった」
 何だか恥ずかしくて、そんな冗談を言うと隣にいた香里亜が小さく手を振った。若菜は目が三角になりそうなぐらい、じっと二人を見つめている。
「違いますよ。告白してませんって」
「私も、黒薔薇様に対する想いでしたら負けてませんわよ」
 若菜はそう言っているが、いつものように刺々しい訳ではなく何だか妙に和やかだった。それを止める葵も、やっぱり一緒に笑っていて。
 また来年も、こんなに賑やかに祝われるのだろうか。
 照れ隠しのようにスパークリングワインを飲み干すと、冥月は火照る頬にそっと手を当てた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
香里亜の誕生日を祝った話から、冥月さんの誕生日へ……と言うことで、こんな話を書かせていただきました。皆に賑やかに祝われるのが初めてとのことでしたので、照れくさいながらも嬉しいという感じになっています。
毎年やって来る日ですが、その一日が素敵な物になるといいですね。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
また機会がありましたらよろしくお願いいたします。