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■遙見邸書斎にて・消失書籍の創作依頼■

めた
【7149】【瀬下・奏恵】【警備員】
 広い部屋である。
 しかしその広さのほとんどは、部屋に散乱するたくさんの本によって埋め尽くされている。書棚のみならず、床にまで本が置いてある。そんな整理もされていない――整理されたところで大して変わるとも思えない――部屋の真ん中に、デスクチェアに座る男がいた。
「さて、用件を聞こうか。ああ、色々と制約があるがな」
 彼――この家の主人である遙見 苦怨は、その凶悪ともいうべき瞳で相対する人物を見た。相手は客、依頼人だというのに、苦怨の態度には遠慮の欠片も見当たらない。
 苦怨は、『無くなってしまった本』を改めて『創りなおす』という、奇矯な仕事をしている。もっとも気に入らない客はすぐに追い出したりするので、趣味半分というのが実情だ。
「駄目ですよ苦怨さま。その制約のほうを先に言わなくちゃ……ああ、怖がらないで下さいね。苦怨さまは目つきが怖いだけで、本当は優しいですから。あ、たまに凶暴になりますけど」
「――七罪?」
「ふえぇ、ごめんなさいですぅ……」
 苦怨の隣に侍っていたメイド姿の少女が、涙目になって謝る。
 彼女の名は七罪・パニッシュメント。人間の姿であるが、目や髪の色は人間ではない。彼女は本に宿る精霊――なのだが、宿るべき本を紛失してしまった、少々間の抜けた精霊である。
 名前とメイド服を苦怨からもらい、家事全般をこなすかわりに居候させてもらっている身だ。苦怨からは『本が見つかるまでここにいて構わない』と言われている。
「まあ、確かに先に言うべきだろうな。俺にもできないことはある。まず『世界のどこかに一冊でも在る本』は逆立ちしても創りなおせない。どうしても欲しいなら大変かもしれないが、必死で世界中を探す事だ。もちろん代金をもらえば探す手伝いくらいはしよう。それに在るか無いか分かるなら、考えようによっては便利だろう?
 それとたまに頼んでくる輩がいるんだが、『未来に出版されるであろう本』の創り直しは出来ない。当然だな、俺の仕事は創り直しだ。創られていない本を創りなおすことは不可能だ。
 それ以外だったら、大体の本は創れる。源氏物語だろうが日本書記だろうがな。ただし原本と全く同じにはならない。あくまで『創り直し』だ。ただ貴様が原本を読んだときに得るであろう感動や知識は、創り直した本を読んでも得る事が出来る。分かったな。
 さあ――貴様の欲しい本、読みたい文、得たい知識を言え。それらをこの部屋で正確に精密に的確に完全に創り直してやろう」
 遙見邸書斎にて・消失書籍の創作依頼

「話はわかった」
 遥見苦怨は、小さく頷いた。その表情は本当に気難しそうで、ちょっとでもつつけば途端に怒りだしそうであったが――。
「滞在していけ。三日後に完成する」
 聞いていた話と違って、苦怨はそう言うと、すぐさま自室に戻るのだった。


「もっと気難しい人だと思っていたのだけれど」
 瀬下奏恵は、そう言いながら手元の食器をがしゃがしゃと動かす。手つきは乱暴だが、意外と繊細なのか割る様子はない。
「苦怨さま、納得するとすんなり通るというか、素直なところがあるんですよ」
 にこやかに微笑みながら、七罪・パニッシュメントは奏恵の洗った食器を拭いていく。こちらは見ため通り手つきも優しく、傷もない。
「そうなの? でも聞いた話だと、とかく銃をぶっ放す怖ろしい人だとか」
「は、はは……」
 当たらずとも遠からずなので、曖昧に誤魔化す七罪である。
 奏恵が依頼したのは、自分の先祖の手記であるらしい。苦怨はそういったものを復活させるためにこの仕事を始めたので、奏恵はまっとうな依頼人と言えるのだろう。
 奏恵は夕食後、七罪の手伝いを申し出たので、七罪は申し訳なく思いながらもお願いした次第なのである。
「ところで、私はどこで寝れば良いのかしら」
「はい、私の部屋ですよ♪」
「そうなの? こんなにたくさん部屋があるのだから、わざわざ…………」
「いえいえ、せっかくですから一緒に寝ましょうよ」
「それじゃあ、そうしようかしら……でもね、七罪さん」
 ふふふふふと、わざとらしく笑う奏恵。
「私、夜になると狼に変身するのよ」
 冗談とも知らず、七罪が逃げ出したのは言うまでもない。


「あ、あ、あの、ほんとーにほんっとーに大丈夫なんですよね?」
「貴女も心配性ね。冗談だって言ったでしょう」
 七罪の寝室にて。未だに青ざめた表情でおびえている七罪と、それを慰めている奏恵の図があった。
 ちなみに奏恵は危機が迫ると本当に狼に変身するのであるが、それは七罪はおろか奏恵本人も知らない事実であったりする。
「ところで……どうして泊まる必要があるの? 期限になったらここに来るのではダメなのかしら?」
「はあ、その辺りは私もよく知らないのですけど……苦怨さまは本をおつくりになるときは、いつもこうしています。で、三日間徹夜で本を完成させるんです」
「三日間徹夜!? それで大丈夫なの?」
「はい。これがありますから」
 そう言って七罪が取り出したのは――。
「一週間徹夜でも全然平気! 飲めば必ず精がつく! 勉強仕事夜のお供に! 苦怨さまご愛飲の『マムシ酒ドレイン』です!」
 既に溺死してご昇天なされたマムシが入っていた、酒のビンなのであった。
「ま、マムシ……」
「はい、どうぞなのです」
「あ、あのね七罪さん? ちょっと私はそういうのは苦手というか…………だ、だから口に押し付けようとするのはちょっと……!」


 その日、寝不足の苦怨が『マムシ酒ドレイン』を飲んでいるとき。
 悲鳴が七罪の部屋から狼の遠吠えのような声が聞こえた気がした。


 さて、三日後。
「え。じゃ、じゃあ奏恵さんは全裸で寝るのですかっ。寒かったりは」
「実は自在に毛を生やしたりしまったりできるのよ。昨日は七罪さんの手前控えたけれど」
「はー……」
 苦怨が本を持ってリビングに入ると、そんな会話をしている二人にでくわした。
「なんの話をしているんだ貴様らは。七罪、あからさまな嘘にひっかかるな」
 嘘っ!? と驚いて再び声をあげる七罪だが、苦怨はそんな彼女に頓着しなかった。
「約束のものだ」
 奏恵は受け取る。黒い装丁に赤い文字の踊る本であった。
「先祖が狼かもしれない……という話だったが」
「ええ」
「どうもそれを見る限り、暗号で書かれていてな。全部を再現しきれたわけじゃない。いや、再現はできたが文字にはできなかったというか……難しい部分については特に難解でな。だから貴様の先祖が狼だの魔人だのかどうかは、わからん」
「…………いえ、それで十分よ」
 奏恵は頭をさげた。


 奏恵を見送った後の、話。
「苦怨さまー」
「なんだ七罪。俺は眠いんだ早く寝かせろ」
「なんで奏恵さまは最後に、十分だなんて言ったんですか? あの人としては不満足な結果だったんじゃ」
「…………お前はそんなこともわからないのか。良いか、あいつの目的は自分のルーツを知る事も確かにそうだったが、それは暗号で書かれていた。つまりあいつの先祖が、もう子孫に知らせるべきじゃないと考えていたんだ。その意思を汲み取ったんだろう」
 相変わらずの仏頂面で、それでも懇切丁寧に解説する苦怨だった。
「でも、書いたってことは」
「ああ、誰かに伝えたかったのは間違いない。だが子孫じゃないんだ。何故なら、子孫に解読の仕方を伝えていないからな」


 後日談だが。
 これ以後、奏恵は頻繁に苦怨宅を訪れ、七罪にちょっかいをだすようになる。ただし苦怨が『マムシ酒ドレイン』を持ち出すと、逃げるように立ち去るのでしたとさ。


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■   登場人物
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【7149/瀬下・奏恵/女性/24歳/警備員】