■不夜城奇談〜発生〜■
月原みなみ |
【7182】【白樺・夏穂】【学生・スナイパー】 |
人間の負の感情を糧とし、人身を己が物とする闇の魔物。
どこから生じるのか知る者はない。
だが、それらを滅するものはいる。
闇狩。
始祖より魔物討伐の使命を背負わされた一族は、王・影主の名の下に敵を討つ。
そして現在、一二八代影主は東京に在た――。
***
明かり一つ灯ることのない部屋で、彼は床に横たわり、低く掠れた声に同じ言葉を重ねていた。
何度も、何度も。
どうして。
なぜ。
――…なんで僕がこんな目に……
この家屋に彼は一人きり。
今はもう誰も居ない。
彼の名前を呼んでくれる優しい母も、他愛のない話に笑ってくれる兄弟も、…成績に対して小言を言う父親の声ですら聞きたいと願うほど、彼はもう長い間、独りだった。
「なんで僕だけ…っ…」
立ち上がる気力も、ない。
いっそ死なせて欲しいと願う。
「僕なんかもう…!」
不意に。
カタン…、と家具が鳴る。
「…え…?」
カタカタッ…、と家具が揺れる。
「なに…っ」
カタカタカタカタカタ……
「なにっ、何だよっ、なに……!」
明かり一つ灯ることのない部屋に、黒い靄が広がっていた。
彼、独りきりだったその場所に。
「――」
響く声は。
「……ぁ…お、お母さん……?」
闇の中、蠢く意思は誰のもの――……。
|
■ 不夜城奇談〜発生〜 ■
その敷地は周りを囲む鉄柵状の塀の端から端までを視認することが困難なほどに広く、中に構えるは繊細かつ荘厳な造りの大邸宅であり、その裏手、天井までが硝子細工のベランダの先に広がるのは大人が何十人集まろうとも決して手狭にはならないだろう広大な芝の庭だ。
見目良く配置された緑の木々は寸分の狂いも無い球を描き、場を彩る花々は鮮やかに咲き誇り、今日のように澄んだ青空が広がっている日には自然の息吹がいっそう輝かしく見えた。
外観からでは何部屋あるのか想像もつかないほどに大きな屋敷と、見事なまでに手入れの行き届いた庭は、まるで欧州に見られる貴族の館。
――しかし、その庭には通常の館には決して見られぬ奇妙な影があった。
土に根を下ろしているのだから植物かと思いきや、茎から葉へ、…花と思しき顔を蠢かせる“何か”が複数。
そして、今。
その正面に膝を折り、水をやっている少女がいた。
豪奢なフリルをふんだんにあしらった純白のドレスと、薔薇を象った飾りを上品に配置したヘッドドレス。
腿から肩へ、斜めに立て掛けているのは同じく真っ白な日傘。
なるべく太陽の下に自身を晒さないよう気遣っているらしい彼女は、白樺夏穂という名の、成熟した見た目に反する十二歳の少女である。
「……可愛い…」
如雨露で植物…のような、そうとも思い難い“何か”を潤わせながら呟く表情は穏やかで、緑の瞳も嬉しそうに和んでいた。
と、不意に夏穂の左肩。
日傘とは逆の場所で青白い動物のような影が、その輪郭を変化させる。
「…蒼馬」
守護獣である九尾の子の反応を、夏穂は自然に受け止めていた。
しばらくして掛かる声。
蒼馬は彼の来訪を教えてくれたのだ。
「お嬢様、お食事の用意が整いました」
この家に住み込みで働いている執事見習いの言葉に夏穂はゆっくりと立ち上がる。
「わかったわ…、すぐに行くから」
「承知しました」
そうして素直に下がる執事見習いを見送り、夏穂は手にしていた如雨露を置く。
「…そうね、そろそろお腹も空いてきたわ」
植物と言うには多少の疑問が生じるものを育てるのが趣味の少女は、楽しくなり始めるとつい時間を忘れてしまう。
今も執事見習いが声を掛けてくれなければ、まだしばらくはこの場で趣味に没頭していたことだろう。
夏穂はゆっくりとした足取りで屋敷に向かう。
長い道のりには不可思議な植物ばかりでなく、蒼馬以外の守護獣が一時の休息を楽しむ姿も見られる。
大亀、大鷲、狼など、全てが夏穂の守護獣ではないのだが、現実に存在していれば世間を騒がせるだろう存在も、この庭でだけは自由を得られるのだ。
この庭は、そのために作らせたようなものだから。
「……?」
もう間もなくベランダから邸内に入ろうという頃になって、夏穂は蒼馬の異変に気付いた。
先ほどの、執事見習いの青年が近付いてきた時とは明らかに異なる警戒態勢。
「…霊…?」
ぽつりと呟いて進路を変える。
蒼馬は主を守るべく巨大化して彼女の後ろに付き従う。
鉄柵状の塀であればこそ敷地の外を見ることは容易。夏穂はそれに歩み寄って声を掛けた。
「…私を呼んだのは、あなた…?」
佇むのはまだ幼稚園に通っていそうな幼い少女の、霊体だった。
弱弱しく、今にも風に吹き消されそうなほど儚い存在。
「……私に何を望むの?」
問い掛けに、少女は遠くを指差した。
儚くも真っ直ぐな視線が向かう先は。
――…タ ス ケ テ……――
夏穂は目を細める。
感じる。
「…少し待っていて」
言い置いて屋敷に戻った。
自分の部屋に入り、素早く袖の無い白いハイネックの上着にジーンズ、ニット帽という身軽な服装に着替えると再び外に出る。
「お嬢様?」
足音で彼女の異変に気付いたらしい執事見習いが驚いた顔で呼びかけてくるが、夏穂は止まらない。
「…お昼は、…帰って来てから、食べるから…」
「えっ、あのっ、お嬢様!?」
執事見習いは慌てて声を掛けるも、人並み外れた、…否。
化け物並みとも言える足の速さには追いつくはずがなかった。
***
少女の霊に案内されて夏穂が辿り着いたのは閑静な住宅街の一角。
人気が絶えて久しいと思われる青い屋根に真っ白な壁が映える二階建ての家屋だった。
「…ここに貴方の友達がいるの…?」
問い掛けると少女は頷く。
夏穂はしばし考えてから閉ざされた門扉に触れた。
左肩では蒼馬が警戒心を露に低く唸っており、尋常でないことが中で起きているのは明らかだった。
「…あなたは此処で待っていてね…」
少女に言い置いて門扉を押す。
するとそれは、夏穂を招き入れるように驚くほど滑らかに開く。
風に不快な匂いが混ざる。
門のこちらと、向こう側は、完全な別世界。
これほどの変異が生じていながら近所の住人は何も気付いていないのだろうか。
「妙だわ…」
呟きながら玄関のチャイムを鳴らした。
応えはない。
人気が無いと感じたのは気のせいではなかったようだ。
夏穂は再び考え、ものは試しとばかりに玄関の扉に手を掛けた。
人が住まなくなって久しいのなら鍵も開くはずがない。
だが思い過ごしでなければ、門扉のように家は彼女を招き入れる。
かくして結果は後者。
家は、夏穂を呼んでいた。
「…お母さん…?」
不意の声は、まだ幼い少年のものだ。
扉を開けた先に広がるのは屋内の装いなどではなく、無限の闇だった。
廊下と壁、天井の区別もつかないほどに深く昏い世界。
声の主はその中央に唯一人で佇みながら虚ろな目を向けてきた。
両手両足に黒い靄を纏い、闇に埋もれる姿――それは、魔物の如く。
「お母さん…帰って来てくれたの……?」
問うて来る細い声は、広いとも狭いともつかない空間に不気味に響き渡り、その切なさを訴えてくる。
「…僕…ずっと一人で寂しくて…淋しくて…、ずっと…お母さんを待っていたんだよ…」
蒼馬の唸りは、更に低く強く。
「いっぱい…、…いっぱい人は来てくれたのに…」
コロン…と何かが闇の中から転がり出た。
ゴロン…と何かが落ちてくる。
「たくさんの人が来てくれたのに…」
夏穂は目を細めた。
転がる、落ちる、――それは人間の体。
「お願いしたのに…誰も僕の家族になってくれないんだ……」
少年の涙交じりの声に、しかし夏穂は息を吐いた。
判った。
同時に思い出した。
屋敷の執事見習いから聞いた話。
ここ数日間、近所で失踪者が多発しているのでお嬢様もお気をつけ下さいと。
その原因が恐らくは目の前の少年だろう。
自分をここに招いた少女の幽霊、彼女が助けて欲しかったのは此処に集められた人間の内の誰か。
夏穂を見て「母」と呼ぶ少年は、たくさんの人が来てくれたのに誰も家族になってくれないと嘆く。
多くの無関係の人間を巻き込んで、この闇に閉じ込めて、それでも癒されない孤独。
当然だ、誰しもが彼の家族にはなり得ない。
「…独りが寂しいと思うのは、よく判るわ。…けど、それであなたの寂しさはなくなったの?」
「…お母さん……?」
「自分は独りではないと思ったの?」
「僕は…」
「あなたは、どうして其処にいるの…?」
「…ど…して…?」
重ねられる問い掛けに少年の瞳が揺れる。
――…僕は一人で…
独りで。
家族の帰りを待っていて、……待ち続けて。
けれど、誰も帰ってこない。
「…それは、なぜ?」
どうして。
「あなたには…、行かなければならない場所があるからだわ…」
行かなければならない場所。
「ここは…、もう、あなたのいるべき世界ではないのよ…」
少年には。
…既にこの世の存在ではない、あなたには。
「あ…っ…ぁあ…っ」
闇に生じる歪み。
裂ける痛み。
「あああっ…あっ…お…母さん……っ…お父さん…!」
「行って」
叫ぶ少年に、しかし夏穂は表情を変えること無く蒼馬に語り掛ける。
直後。
彼女を背後に庇う巨大化した九尾の子の咆哮が空間を揺るがした。
「あああああ……っ!!」
苦しむ少年の霊体を前に、夏穂は冷静な手つきで扇子を取り出し、低く唱えられる呪い。
生じる炎。
「蒼馬」
主の声に応える九尾は、夏穂から放たれた炎を纏い飛翔する。
「いやだあああああああ……!!」
決して解けない炎の鎖に囚われて少年は叫ぶ。
だが、恐れることはなかった。
「…それは浄化の炎」
夏穂は告げる、静かに。
「在るべき処に帰りなさい…」
「あっ…ぁあ…っ」
「…ちゃんとした場所に帰れば、あなたも独りではなくなるわ…」
「…ぁ…」
苦痛に歪んでいた表情が、いつしか安らかな眠りを得る。
手足に纏っていた闇は引き、少年は浄化の炎に抱き上げられるように宙に舞う。
「……さようなら」
言葉と共に、孤独な魂は消えていった――。
沈黙と、静寂と。
「…帰りましょう、蒼馬」
闇の引いた屋内で、いま夏穂の目の前に広がるのは無数の人々が横たわる姿だった。
性別も年齢も問わず、先ほどの少年に集められたのであろう人間達。
しかし幸いにも全員が生きている。
多少の衰弱は見られるが、夏穂が帰宅してから救急車を呼んでも充分に間に合うだろう余力を皆が保持していた。
「…蒼馬」
だから帰ろうと九尾を呼び戻そうとするも、蒼馬は動かない。
家屋の奥を見据え、低く唸ったまま警戒する。
「蒼馬…?」
呼びかけ、近付く、――その刹那。
「!」
混沌の闇。
虚無が夏穂の視界を覆う。
あまりにも突然の現象に咄嗟の反応も取れなかったが、次いで真正面に走った閃光は見て取れた。
「――なるほど。魔物は死人にではなく家屋に憑いていたというわけですか」
「死人に憑くのも尋常でないのに、無機物に憑くとはな…」
感心した物言いと、呆れた声音。
聞き覚えのある男達の声がして、夏穂の視界には光が戻る。
「…あなた達…」
「お久し振りですね、夏穂さん」
「魔物に囚われた魂の解放、あれは見事だった」
笑顔を向けてくるのは、いつかの夜に出逢った緑光、そして影見河夕の二人だった。
***
夏穂をあの家まで招いた少女の幽霊は、自分の想う相手が助かったと知ると、安堵したらしく笑顔を残して姿を消した。
彼女も、今頃は在るべき処に帰っているのだろう。
そして夏穂を自宅邸まで送るという道すがら、二人の青年は“闇の魔物”について語った。
元来は人の負の感情を喰らうべく、人間の心に憑いて力を発揮する靄状の魔物は、しかし東京の特殊な環境化で変化し、建物に憑くという異例の手段に出た。
失踪者の続出と、微量ながら感じられた魔物の気配を追って近辺で調査していた二人は、夏穂が家に入り少年の魂を解放していく過程の中で異変を察して駆けつけたが、夏穂の戦い振りには手を出す余地がなく、しばし様子を見ていたのだという。
「魔物に憑かれていたように見えた魂が夏穂さんの力で解放されたように見えたので驚きましたよ。魔物は僕達一族の力以外で滅びることはないはずなのに、と」
「…そうなの?」
「それが僕達の存在意義ですから」
闇の魔物は闇狩にしか滅せない。
だが今回、魔物の憑いた家に囚われていた魂だったからこそ夏穂の力が有効であり、言い換えれば、彼女がいなければ狩人は勘違いしたまま少年を狩っていたということだ。
「あまり無茶はするな。…まぁ、今回はおまえがいてくれたお陰で魔物の動きを掴めたんだから、礼は言うがな」
そうして「ありがとう」と微笑む二人に、夏穂も表情を和らげる。
それは笑顔には遠かったけれど、左肩に戻った蒼馬が尾を振る程度には近しい相手に向けられる表情だった。
「…しかし気になるな。魔物が家に憑いたら偶然にも家族の帰りを待つ魂が居たっていうのか…?」
「その逆の方が納得し易いですね、魂を捕らえるために、あの家に憑いたのだと。魔物が自ら動かなければ僕達には探せません」
「…作為的なものを感じるな…」
それは第三者の意思とでも言うべきか。
「死んだ者の寂しさまで利用するってのは、どういうつもりだ…」
忌々しげに呟く河夕を見上げ、夏穂はぽつりと呟く。
「“寂しい”…って、個人個人の気の持ちようだと言うけれど…、生死に関わらず人は凄く脆いものだから…。凄くね…」
どこか切なさすら伴う声音に、河夕は空を仰ぎ、光は目を細める。
「…まったくもってその通りですよ」
そう返す光の胸中に浮かぶ面影。
河夕が想う人、…それを夏穂が知ることはないけれど、だが、強く胸に響く言葉だった。
今頃、あの家に囚われていた失踪者たちは彼らが呼んだ救急車によって病院に運ばれ、手当てを受けているはず。
自宅に帰れるまでそう時間は掛からないだろう。
死者は出なかった。
そのせめてもの救いを胸に、陽の傾き始めた空の下。
彼らは並んで歩いていく――。
―了―
===============================================================
【登場人物】
・7182 / 白樺・夏穂様 / 女性 / 12歳 / 学生・スナイパー /
【ライター通信】
こんにちは、不夜城奇談〜発生〜へのご参加ありがとうございました。
再びお逢い出来て光栄です。
設定を拝見しながら、いろいろと謎めいている夏穂嬢の日常が気になると同時、危うく狩人を登場させずに終わらせてしまうところでした。
夏穂嬢一人でも充分に物語が成り立ってしまうんですもの…!
謎と共に深い強さを秘めたお嬢様ですね。
失踪者の情報を得ている必要があったために執事見習い殿にもご登場願ってしまいましたが、今回の物語は如何でしたでしょうか。
リテイク等ありましたら何なりとお申し立て下さい。
再び狩人達とお逢い出来る事を祈って――。
月原みなみ拝
===============================================================
|
|