■Dice Bible ―patru―■
ともやいずみ |
【7079】【クリス・ロンドウェル】【ミスティックハンター(秘術狩り)】 |
夏ももう終わる……。
「…………」
坂井遊馬は静かに見下ろす。
彼の前に横たわる死体は、無残と言ってもいい。だが遊馬はそれに対してなんの感情もない。
「当然の報いだ」
遊馬はそう言うと、ふ、と息を吐き出した。
目の前の、人の残骸が一瞬で凍りつく。遊馬はそれを足で踏み、砕いた。
「悪人はそれ相応の報いを受けた。それだけのことだ」
彼の表情には喜びも悲しみもない。
路地裏から出てきた彼は空を見上げる。不気味な色の月がそこに在る――。
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Dice Bible ―patru―
紅い太陽を細目で見遣る。クリス・ロンドウェルは小さく息を吐いた。
こうして散歩をしているのには、実は理由がある。
新聞には気になる記事が最近ない。だから、だ。
この間のことを考えて、クリスは暇ならこうして歩き回ることにしている。ヤツらの毒気に反応するのがわかっているのならば、こうして歩いていれば何か感じるかもしれない。
無言で歩いていたクリスはムッ、と顔を唐突にしかめた。何か思い出したようだ。
優先すべき仕事を放り出して、自分は何をしているのか。けれど。
(……たいした理由じゃないさ)
本当に些細なものだ。ただアリサが傍に居てくれたから、その彼女を楽にする手助けをしているだけだ。
あの、微笑みを思い出す。途端、クリスは頬が朱色に染まった。
口元に力を込め、ぶんぶんと片手を大きく振った。
(だから! あれは反則だって!)
あれを見れば誰だって、彼女の力になりたいと思ってしまうはずだ。
(あとは……ダイス・バイブルを使えるようになること、か)
そうすれば、アリサの足を引っ張らないで済む――。
数時間後、クリスは異臭に気づいた。おそらくは、付近に感染したものがいるのだろう。たぶん。
*
夜の闇の中――明るい街の光が届かない路地裏で、彼は男を追っている。
「ひいぃぃぃ!」
中年のサラリーマンは喉から引きつった悲鳴を出していた。どうして自分がこんなことになっているのか理解できない。
背後から追いかけてくる彼は、人差し指を男の足もとに向ける。男の走っていた道が突然凍りついた。男は足を滑らせ、派手に転倒してしまう。
彼は追いついた。男を見下ろす。
「や、やめてくれ……! なんだおまえは! な、なんだ!? 金がいるのかっ?」
「……おまえを裁くだけだ」
短く彼が言った直後、そこに声が割り込む。
「やめろ!」
声に彼は振り向く。
金髪を振り乱し、荒い息を吐いて肩を上下させているクリスが、そこに立っていた。
ひどく、頭が痛い。痛い。かなり痛い。気持ち悪い。犯される。侵される。自分を、破壊、され――。
(堪えろってば!)
自身を叱りつけた刹那、クリスの前に空中から何かが飛び出した。黒いスカートをなびかせたのは、アリサだ。クリスの、ダイスである。
「アリサ……!」
「退がって、ミスター!」
アリサは着地するや、庇うようにクリスの前に立つ。
こちらをゆっくり見てくる青年は、目を細める。
「なんだよ、おまえら」
彼が追い詰めていた男が、その隙に逃げようとする。だがそれは――。
「逃がすわけ、ないだろ」
短い青年の声。彼は男のほうを見なかった。だが男は一瞬で凍りつき、動くことすら、呼吸することすら、できなくなってしまう。心臓もすぐに止まってしまうだろう。
(あれが……!?)
あれが感染者!?
実際に近くで見ると、普通の人間と外見は変わらない。日常の一部だ。
黒髪の青年はどこにでもいる普通の男だ。大学生くらいの年齢である。それなのに、異様で異質な気配がある。
こうも、はっきりと認識できてしまう。
吐き気を堪えるクリスはもう少しで片膝をつきそうになってしまった。頭の中で本が開かれる。ぱらぱらとページが捲られていく。その捲られる速度があがっていく。待ってくれ! そんなに急いで捲られたら、見えない、読めない!
急激に知識が脳を押し潰そうとする。ダイスを使う意味、ダイス・バイブルの使用注意、諸々の……。
「うえっ……!」
堪らず、クリスは嘔吐してしまう。
こちらを振り向かずに様子をうかがっているアリサは、視線を感染者から外さない。
「あー、おまえら『敵』? ということは、『悪人』?」
「アクニン?」
青年の怠惰そうな問いかけに、アリサは怪訝そうにする。
「俺は」
彼は背後を示す。凍りついた人間を、だ。
「こんなヤツらを裁いてるだけ。誰にも迷惑かけてない」
悪いヤツを殺して何が悪い、と青年は言っている。クリスは凍りついたままの男を見た。何をしたかは知らないが、青年は見たところ精神に異常があるわけでもない。正当な理由があったのかもしれなかった。
「今までだって、万引き常習犯とか、あと、レイプしてたヤツとか、目についたヤツは片っ端から裁いていった。それなのに……」
青年の目は敵意を含んだ。唐突に。
「俺の邪魔をするのか?」
正義の為にしていることだ、と暗に言っていた。
手に入れた力を、善い事に使って悪いのか?
(……こんな人もいるの?)
信じられない。適合者は精神異常者も多いはずだ。強すぎる力にあてられてしまうのだ。人間は、弱くて脆いから。
だが稀に、それに打ち勝つ者もいるだろう。目の前の男が、きっとそうだ。
別に破壊しなくてもいいのではないか? 世の中の為にしていることだ。弱者には、こういう存在がどうしても欲しいものなのだ。
「当然です。感染者を破壊するのがワタシの役目」
それなのに。
はっきりとアリサはそう言い放った。クリスは信じられないという瞳で彼女の小さな背中を見つめる。
「ミスターはここから離れ……。いいえ、すぐに、片付けます」
アリサの声質が変わった。圧倒的な殺意がそこに秘められている。
憎しみもなく、悲しみもなく、怒りもなく――まるでスイッチが入ったように彼女は青年を敵と認識し、破壊しにかかった。
青年は「そう」と短く洩らす。
「坂井遊馬だ。あんたは?」
「ワタシはただのダイス。名など必要ありません」
決着はあっさりとついた。すぐに終わったわけではない。
アリサは苦戦こそしなかったが、遣り難そうだったのは確かだ。遊馬は触れなくても相手を凍らせる能力を持っていた。使い慣れているのか、それとも天性の才能なのか、攻撃方法のバリエーションは多い。
凍らされてもそれを打ち砕くアリサに、遊馬は負けた。
なんの躊躇もせずに、彼女は遊馬を破壊した。
時間にすれば十五分も経っていないだろう。
「終わりました」
うずくまっているクリスのほうを、彼女はやっと振り向いた。一糸乱れぬ姿だ。
「アリサ……」
「…………」
彼女は眉をひそめる。
「そんな顔をしないでください、ミスター。わかっていますよ、ワタシが悪いことくらいは」
どんな顔をしているかクリス自身にはわからないが、アリサにそう思わせる表情をしていたことはわかった。
「アリサは……」
悪くない、と言うわけにはいかなかった。彼女のしていることは、単純な善悪で言うならば『悪いこと』だ。人殺しなのだから。
凍らされていた髪から滴る水を払い、彼女は苦笑する。
「感染したものを破壊するのがダイスの役目です。幸い、あなたは感染せずに済んだ。それでいいではないですか」
何か違う気がした。
アリサはクリスに手を差し出す。クリスはその手を掴んで立ち上がった。やはり冷たい手だ。
「ご無事で良かった」
小さく洩らすアリサの声に、なんだか本当に申し訳なくなる。
こんなところで役にも立てずに居る自分。足を引っ張るだけの自分。情けなかった。
あれほど酷い吐き気もおさまっている。
「……ほんと、俺って役立たずだ」
苦笑してぽつりと言ってしまうと、アリサは緩く否定する。
「そんなことはありませんよ、ミスター」
「前の主はもっと役に立てた」
渋い表情になったのは一瞬だ。肯定の意味だとわかって、クリスは目を伏せた。
(そりゃそうだよね。アリサとは息が合ってたはずだよ)
自分は偶然に選ばれただけだ。ダイス・バイブルさえろくに使えない、ダメな主だ。
「ミスター・クリス」
彼女の名を呼ぶ声にクリスは伏せていた瞳をあげる。凛としたアリサの姿は綺麗だ。
「あなたに、あなたに持てない資質をワタシは求めていません。努力しろとも、言っていません。ワタシの役に立てなど、申し上げておりません」
「でも」
「役に立たなかったからといって、落ち込まないでください。今までの主はあなたとは違います。『敵』に対して恨みや憎悪があったのです。あなたはそれがない。だから無理をする必要はありません」
「でも」
「帰りましょう」
さらりと彼女は言って微笑んだ。
「あなたはワタシの足を引っ張ってはいませんよ」
そう言うと、アリサはクリスの手を引っ張って歩き出した。
そういえばもう夜だということに、クリスは思い出したように空を見上げた。
「星が見えればいいのに」
明るい都会では無理な話だ。クリスは前を歩くアリサに視線を戻す。
「……先ほどのような男は、以前にも居ました」
彼女はこちらを振り向かずに話した。
「手に入れた力を有益に使おうとする者はいました。勿論、悪いことに使う者も。
それらを分け隔てなくワタシは破壊してきました」
「それは……それがダイスの存在意義だから、でしょ?」
「……精神が異常に至る者が圧倒的に多いのですが、稀にあのように自我を保つ者もいます。けれど、すぐに殺してしまうので果たして最後はどうなるか、見当もつきません」
異常者になった時を考慮して破壊している、ということだろうか?
怪訝そうにするクリスに向けて、彼女は続けて言う。
「最後まで自我を保てるかもしれない。……ワタシの主の中には不安そうにそう言ってきた者もいました。小心者な主でしたが。
自分達のしていることは、とんでもないことではないのかと怯えていました」
「……アリサはどう思った?」
「さあ……昔のことなので憶えていません。けれども、ワタシはただのダイスですから。
ミスターもあまり考えないことです。考えれば、辛いことも多いでしょう」
気遣ってくれているらしい。不器用な心遣いにクリスは小さく笑ってしまう。
(素直じゃないんだなぁ、アリサって)
そんなクリスとアリサを観察している者たちが居た。とはいえ、遠いビルの屋上からだが。
四つの瞳はただ真っ直ぐにアリサに向けられている。
その視線に気づかない彼女は主と共にゆっくりと去っていく。
追うべきかどうか、悩むような反応をする。だが、やめた。今はまだ、その時ではない。
ただ一言、洩らす。
「――あんなに弱いダイスは、見たことがない」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【7079/クリス・ロンドウェル(くりす・ろんどうぇる)/男/17/ミスティックハンター(秘術狩り)】
NPC
【アリサ=シュンセン(ありさ=しゅんせん)/女/?/ダイス】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、クリス様。ライターのともやいずみです。
気遣うアリサからの呼び方が変わりました。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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