■不夜城奇談〜発生〜■
月原みなみ |
【4345】【蒼王・海浬】【マネージャー 来訪者】 |
人間の負の感情を糧とし、人身を己が物とする闇の魔物。
どこから生じるのか知る者はない。
だが、それらを滅するものはいる。
闇狩。
始祖より魔物討伐の使命を背負わされた一族は、王・影主の名の下に敵を討つ。
そして現在、一二八代影主は東京に在た――。
***
明かり一つ灯ることのない部屋で、彼は床に横たわり、低く掠れた声に同じ言葉を重ねていた。
何度も、何度も。
どうして。
なぜ。
――…なんで僕がこんな目に……
この家屋に彼は一人きり。
今はもう誰も居ない。
彼の名前を呼んでくれる優しい母も、他愛のない話に笑ってくれる兄弟も、…成績に対して小言を言う父親の声ですら聞きたいと願うほど、彼はもう長い間、独りだった。
「なんで僕だけ…っ…」
立ち上がる気力も、ない。
いっそ死なせて欲しいと願う。
「僕なんかもう…!」
不意に。
カタン…、と家具が鳴る。
「…え…?」
カタカタッ…、と家具が揺れる。
「なに…っ」
カタカタカタカタカタ……
「なにっ、何だよっ、なに……!」
明かり一つ灯ることのない部屋に、黒い靄が広がっていた。
彼、独りきりだったその場所に。
「――」
響く声は。
「……ぁ…お、お母さん……?」
闇の中、蠢く意思は誰のもの――……。
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■ 不夜城奇談〜発生〜 ■
蒼王海浬が知人から力を貸してほしいと頼まれたのは、世間一般の子供達が夏休みという長期休暇を謳歌した後、未着手の宿題に慌てて取り掛かろうという夏の終わりのことだった。
知人に引き合わされたのは都外の中学校に勤務する教師。
そして彼らから託された依頼とは、その教師が受け持つ学級に、夏休みに入る少し前に転入して来た生徒を助けて欲しいという、些か眉を顰める内容だった。
話を要約すればこうだ。
その少年は七月の中頃に弟を事故で亡くし、彼はもちろんのこと両親も、幼い子供との思い出深い家で暮らし続けることに耐えかねて遠方の地に越していった。
だがそれからすぐ、家族は揃って睡眠障害に陥った。
当初は子供を、弟を亡くしたことによる精神的なもので、よくある症例だと医師も真剣には取り合わなかったが、そのうちに「あの子が呼んでいる…」と呟くようになった母親は神経衰弱で入院。
父親も辛うじて出勤はするものの、仕事が手につくような状態ではなく、勤務先の厚意によりしばらくの休暇を取ることになった。
そして、兄であり、依頼主の教え子となった少年。
彼は両親に比べれば随分としっかりしているように思われたのだが、数日前に忽然と姿を消し、――数日後の都内某所。
以前暮らしていた住居から程近い道路上で脱水症状を起こし倒れていたところを、通り掛かった都民に発見されて病院に運ばれた。
少年は自宅から、車でも五時間は掛かろうという道程を「弟が呼んでいたから…」という理由で歩いて来たと言うのだ。
両親も少年のことは心配に違いないが、本人達の症状とて軽いものではない。
親戚や、少年の担任であるこの教師も見舞いに行くなどして少しでも心のケアに役立てばと考えたのだが、そうして担任が再会した少年はすっかり様相が変わり、まるで死人のように血の気のない顔をしていたという。
「あの子はもう…弟の死を悼んでいるだとか…そういうことではないように思うんです…っ」
両手で顔を覆って訴える教師に、海浬は静かな視線を向ける。
「お願いします、蒼王さん…、あの子を助けてあげて下さい……!」
必死で頭を下げる人間を前にして、力を貸さない理由はなかった。
■
話を聞き終えた海浬は、彼らと別れたその足で、問題の少年が入院しているという都内の病院に向かった。
聞いた名前と、病室に掛けられた名札を確認して中に入ると、そこは二人部屋だったが同室者は不在らしく、窓側のベッドに少年の痩せ細った身体が横たわっていた。
「…誰……」
今にも消え入りそうな声が上がり、眠っているように見えるほど静かな呼吸や、存在感の薄さが、少年がどれほど衰弱しているのかを如実に物語っていた。
「俺は蒼王海浬という。君を心配している人に頼まれて来た」
「……僕…を、心配……?」
ベッド脇の椅子に腰掛けて話す海浬に、少年はわずかに目を瞠った。
「…心配…、…お父さん…? お母さん……?」
「ご両親も心配している」
誰とは明らかにしない返答だったが、少年には更に追求してくるだけの余力がない。
代わりに応えたのは、眦を濡らす涙。
「…弟が……呼ぶんだ…」
少年は呟く。
意識しているのか、否か。
それは海浬にも知りようがないけれど、助けに来たと言う彼に弟の話をし出したのは少年自身がこれを怪異と自覚しているからに他ならず。
「寂しがってる……独りだと思ってる……弟は…自分が死んだなんて思ってないんだ…だから僕達が帰ってくるの……ずっと…待っていて…」
二粒、三粒。
少年の涙が枕を濡らす。
「僕が行かなきゃ…弟はずっと独りのままなんだ……っ…」
その言葉を聞きながら、一方で海浬は少年の気の波動を読んでいた。
弱弱しい生体反応。
微弱な感情変化。
…だが、悪しきものは一切感じられない。
どうやらこの少年は、本当に呼ばれているだけらしい。
「行かなきゃ…僕が…行かなきゃ…っ」
「だが君が行き、何かあればご両親は更に苦しむ」
海浬は告げ、右手を少年の額にかざす。
「弟のところには俺が行こう」
「…お兄さんが…?」
「ああ。――だから眠って待て。次に目覚めた時には全て終わっている」
彼の言葉を少年は最後まで聞けただろうか。
翳した手を離したとき、少年は静かな寝顔を見せていた。
■
少年は、弟は自分が死んだとは思っていないと言った。
家族四人で暮らした家に今も縛られ、彼らの帰りを待っているのだとも。
だが、どうにも腑に落ちない疑問が一つ。
これほどに子を、弟を思う家族に恵まれながら、死した魂がそれを自覚せず家族を苦しめる行動に出るというのはどういうわけか。
あの少年の様子からも、弔いは不備無く行われていることは間違いないだろうに――。
「妙だな…」
かくして海浬の懸念は当たる。
辿り着いた家屋、閑静な住宅街の一角に建つ少年ら家族の以前の住居は、見た目には何処にでもある一軒家。
しかし彼の瞳には、幼い魂を蝕む邪気が黒い靄状に映っていたのだ。
「…これは、あれか」
覚えのある形状、気配に、思わず苦笑が漏れるが、まずは幼子を解放することが先決と閉ざされた門扉に手を掛けた。
人が住まなくなって久しいはずの住居は、しかし驚くほど滑らかに開いて海浬を中に迎える。
それはまるで誘うかのごとく。
「よい覚悟だと褒めるべきかな」
揶揄するように呟いて玄関を通る。
その先に広がるのは無限の闇。
廊下、壁、そして天井の区別もつかないほどに歪み捩れた空間には靄状の闇の魔物が処狭しと蠢き、その更に奥。
――少年は、手足に闇を纏いながら佇んでいた。
「……お兄ちゃん…?」
幼い声が呼ぶ。
家族の名。
「…お兄ちゃん…帰って来てくれたの……? また一緒に暮らせるの……?」
自分が死んだとは思っていない幼子。
独りを悲しみ、家族の帰りを待ち続けた。
「これからはずっと一緒…? 僕、ひとりじゃないよね……?」
痛々しい声音。
海浬は一つ、息を吐く。
「…君は偉いな」
静かな語りかけに小さな瞳が見開かれる。
「そのような姿になってまで家族を想う心の強さ…、君は立派だ」
「お兄…ちゃん…?」
幼い子供に、どこまで自分の言葉の意味が理解出来るか定かではない。
それでも、死してなお家族を想い続ける気持ち。
孤独を恐れる心。
悲しむのも、絶望するのも、人の愛情を信じればこそ。
必死で両親や兄を呼び続けたのが、彼らに対する嘘偽りのない信頼だと解ればこそ、海浬には幼子の真の声が聴こえて来る気がした。
「どうしたい」
問い掛けに答えはない。
あるのは選択。
「君は、どうしたい」
「……っ…」
これほどの邪気に囚われてなお家族への想いを忘れなかったなら。
「…また…お兄ちゃんと遊べるかな……」
父と、母と。
家族四人、いつかまた。
「また…家族で一緒に暮らせるかな……っ…」
現世で昨日までの家族と暮らすことは不可能でも、いつの日にか、新しい家族と、新しい時間を過ごすことは出来るだろうか。
判らない。
知る者はない。
それでも、尊い真実は確かに在る。
「君の家族は、決して君を忘れない」
海浬の言葉に幼子の表情が歪んだ。
…泣くのを堪えるような、必死の笑顔――。
「…だったら……、なら…僕……」
少年が手を伸ばす。
その腕に纏わり憑く闇を、海浬の眼光が制す。
「おいで」
言葉に乗せた力は邪気を祓い、少年の背後で魔物が咆哮を上げる。
大気を震わし、少年の輪郭を鈍らせ、その手を遠ざける。
「ぉ…兄ちゃ…ん…、助けて…っ…」
―― タ ス ケ テ ――
たった一言で充分だ。
少年の望み。
希望は、光りを司る神の手をしっかりと掴んだ。
「…さて。俺が魔物を倒せば家そのものを破壊してしまいそうだな……、やはり彼らを呼ぶか」
幼い魂を抱き、二度と魔物の手に落ちないよう守りながら呟く海浬は、その口元に淡い笑みを浮かべていた。
■
しばらくして現れた闇狩一族の狩人は、まずは魔物を倒す事が先決と自らに言い聞かせて住宅に憑いていた魔物を狩ったが、ここに至るまでの経緯を思えば海浬に何かを言わねば気が済まないらしい。
「…魔物を発見してくれたのには礼を言う。無機物に憑くなんて尋常じゃないんだ、俺達が先に見つけていれば、その子供の魂ごと狩っていただろうから、先にあんたが見つけてくれたのは幸いだった…んだと思う。思うが…だがな…っ…」
悔しいのか何なのか。
眉間に深い皺を刻んで拳を震わせる一族の王・影見河夕に、海浬は浅い笑みを返すだけ。
幼子の魂は既に解放し終えていた。
今頃は家族の元に帰り、四十九日を過ぎれば輪廻へと還るだろう。
いつか違う時間軸に転生し、新たな家族と出逢うために。
そして少年の家族も、時間は掛かるだろうが確実に回復に向かう。
彼らには彼らの未来があるのだから。
「海浬さん、これを」
不意に栗色の髪の狩人、緑光が一枚のメモ用紙を差し出してくる。
そこには携帯電話のものと思われる番号が綴られていた。
「もし、また魔物を見つけられて僕達を呼ばれる時には、ここにお願いします。僕達狩人は気配で居所を掴むことはあっても、…その、…直接、心に話し掛けて来られるのには慣れていませんので…」
「あぁ…、それで河夕は荒れているのか」
「ええ…その、全身鳥肌が立つほどだったようで…」
「なるほど」
確かに、直接、脳や心に声を聞かせられるというのは慣れねば気味が悪いことだろう。
海浬は魔物の討伐を任せるべく狩人を呼ぶことにしたは良いが連絡を取る方法など知るはずもなく、多少の手間は仕方あるまいと、東京中に気を巡らせて二人の所在を探したのだ。
そうして念話という方法でもって此処に呼び出したのだが、それが相当気に食わなかったらしい。
「了解した。次回からはこの番号に連絡を取るとしよう」
「お願いします」
メモ用紙を受け取り、しかし…と思案する。
「魔物が無機物に憑くのは尋常でないと言ったな。――魔都による変化か」
「そう思われます」
「…しかもその家に子供の魂を捕らえていたと言うのが気に食わない」
どうやら、ようやく落ち着いたらしい河夕も話に入り、彼らは今は解放された家屋を仰ぎ見た。
「魔物が自ら動かなければ狩人には気取られない。子供の霊を利用して人間を呼び込み糧にするつもりだったんだろうが…」
「作為的ですね。おおよそ魔物自身の計画とは思えません」
「……厄介なことになりそうだな」
狩人達の言葉を、海浬も黙して聞いていた。
もう間もなく秋を迎えようという晩夏の夕空は西から淡い色に染まり、それはまるで今後の“何か”を予感させるように空全体へと広がっていった――……。
―了―
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【登場人物】
・整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 /
・4345 / 蒼王海浬様 / 男性 / 25歳 / マネージャー 来訪者 /
【ライター通信】
〜邂逅〜に引き続き〜発生〜へのご参加まことにありがとうございます。
当方の明記不足で一部プレイングを反映出来ませんでしたことをお詫び致しますと共に、今回お届けする物語をお気に召していただけることを願っています。
リテイク等ありましたら何なりとお申し立て下さい。
再び狩人達とお逢い出来る事を祈って――。
月原みなみ拝
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