■某月某日 明日は晴れると良い■
ピコかめ |
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】 |
興信所の片隅の机に置かれてある簡素なノート。
それは近くの文房具屋で小太郎が買ってきた、興信所の行動記録ノート……だったはずなのだが、今では彼の日記帳になっている。
ある日の事、机の上に置かれていたそのノートは、あるページが開かれていた。
某月某日。その日の出来事は何でもない普通の日常のようで、飛び切り大きな依頼でも舞い込んだかのような、てんてこまいな日の様でもあった。
締めの言葉『明日は晴れると良い』と言う文句に少し興味を持ったので、その日の日記を読んで見る事にした。
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某月某日 明日は晴れると良い
海に来たよ! バカンス編
一日目は自分の仕事をこなし、丸々潰してしまった冥月。
そんな彼女が一緒に来た連中、四人の元に戻ったのは翌朝の事だった。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい」
高級ホテルのスイートルーム。そのドアを開けて入ってきた冥月を迎えたのは零だった。
彼女は武彦が旅行に来るのを断った後、密かに冥月が誘い、武彦仲間外れ計画の一環として連れて来たのだが……。
「お疲れのようですね? 少し休みますか?」
「いや、いい。別に疲れてるわけではない」
そもそも武彦仲間外れ計画は最初から失敗していたのだ。
武彦は冥月と同様、仕事としてこの近くまで来ており、更に冥月の仕事のサポート役として派遣されていたらしい。
結局、草間兄妹もこの沖縄まで来ていたのだ。仲間外れになんて出来なかった。
とは言え、当の武彦は仕事を終えた後、早々に帰って行ったが。
「子供たちはどうした? まだ寝てるって事は無いだろ?」
「ええ、まぁ……ですが、ちょっともめてまして」
耳を澄ますと、ドアを隔てた向こう側からなにやら声が聞こえる。
かなり大声で言い合っているようだが、ここからでは会話内容が聞き取れない。
冥月は一応ドアをノックしてから開ける。
「なんなの、アンタ! ゲームなんだからしっかりルール守りなさいよ!」
「……げ、ゲームだからってやって良い事と悪い事ってあると思います!」
「こんなの単なる遊びじゃない。そこまでムキになって拒否するってどうなの? もっと大人な考え方出来ないわけ?」
「……私たちはまだ年齢的に中学生ですし、年相応の考え方して何が悪いんですか!」
「うわー、これ完全に負け発言だよ……。アンタ、テンパると良くわかんないこと口走るタイプよね。お酒に弱いなら注意しなさいね?」
「……あ、貴女に哀れまれるほど落ちぶれてません!!」
とりあえず、会話が一段落つくまで傍観していたが、どうやらユリと希望が言い合っていたらしい。
まぁ、簡単に予想できた事ではあるが。
ユリは冥月が誘った故、今ここにいるのに何の問題も無いが、希望の方はまた別だ。
当初の予定では希望は参加しない予定だったのだが、どういう流れか、小太郎が希望を誘ってしまったらしい。
その事にユリはとてつもなく嫌な顔をしたが、旅行を楽しむためにも和を乱す事無く、彼女の参入を了承したのだった。
とは言え、こんな所で口喧嘩をしていればもう『和を乱さないように』なんて心遣いも関係ないような気もする。
「で、これはどういう事なんだ、小僧?」
「……よくわかんねぇ」
冥月が部屋の隅で座っていた小太郎に問いかけるが、彼は首を横に振るばかりだった。
「掻い摘んでご説明しますと……」
そこに零が近付いてきて言う。
「昨晩、王様ゲームなる遊びを、私たち四人でやったのです。その際、希望さんが王様を引き当て、『二番が三番に覆いかぶさる』という命令を下しました。それに対してユリさんが過剰な反応を」
「……二番が三番、ねぇ」
希望が小太郎を狙うなら、王様が何番に、と命令すると思ったのだが、どうやら違うらしい。
……相手が他の人であった場合を警戒したのか?
想像するだに、ユリが小太郎に、若しくは小太郎がユリに覆いかぶさる様を見て、その恥ずかしがる二人を見てゲラゲラ笑うつもりだったのだろう。
その組み合わせではなくても、希望自身は痛くも痒くもない。
確かに、希望の小太郎へのちょっかいの出し方を見ていると、自分が当事者でなくても楽しめるような性格をしているようではある。
それで結果は希望の思惑通り、小太郎とユリが二番と三番だった、という事か。
「なんと言うか、ひねくれた愛だな。小僧、苦労するぞ」
「なんだ? なんか言ったか?」
目の前でギャーギャー騒ぐ女子二人の声に、冥月の憐憫の言葉はかき消されていた。
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「あ、お帰り。案外早かったのね」
冥月が部屋の入り口に立っているのに、やっと気付いた希望が冥月に笑顔を見せる。
旅行に連れてきてくれた事に少なからず恩を感じているらしく、希望は冥月に対し、最初のように露骨な敵対心を見せることはなくなっていた。
「あぁ、思わぬ助っ人も入ったしな……」
「……冥月さん、それ助かったって顔じゃないですよ」
ユリも希望との口喧嘩をやめ、冥月に軽く挨拶する。
「お前たち、夜通し喧嘩してたのか?」
「喧嘩って程のことでもないわよ? ただ、ここのわからんちんが喚いてただけでね?」
「……わからんちんって誰のことですか」
ムゥと唸って睨みつけるユリに対し、希望の方はそんなモノ何処吹く風。
希望にとって見れば、最早ユリすら遊び道具の一つなのだ。
「さぁ、いつまでもやってないで、朝食にしよう。下にビュッフェがあるから、そこでな」
「はーい、ホラ、小太郎は出て行って。着替えるから」
「お、おぅ」
希望は小太郎を部屋から追い出し、ユリと一緒に着替えを始めた。
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ビュッフェにて。
六人席に陣取った一行、その中で小太郎は考えていた。
以前、どこぞの喫茶店に寄ったとき、ユリが席の事で小太郎に噛み付いてきた事があった。
その時小太郎が肝を冷やしたのは言うまでもない。
だったら、今回の席選びは慎重に行かねば……、と思っていたのだが。
片側の三席には冥月と零、そして何故か一つの席には手荷物。
もう片側はユリと希望の間に一席空いているだけだ。つまり、小太郎はユリと希望の間に収まるしかないように見える。
「おい、そこの手荷物をどけてくれないか」
「なんでだ? 退ける必要はあるまい?」
左手でトレイを抱え、右手は壊れている小太郎には、冥月側の三席の一つを占領している手荷物を退かす事はできない。
それを見越して冥月はニヤニヤ笑いながら顎でユリと希望の間の席を指す。
「そこに一つ空いてるだろ? そこに座れば良いじゃないか」
「師匠! こないだの事を忘れたわけじゃないだろ!? 席選び一つにも、俺は命がけなんだ!」
零の隣ならば、きっと何も言われないはず! そう思った小太郎の浅知恵だった。
「……なんで、そっちに座ろうとするんですか?」
「私達の間じゃ嫌なわけ?」
グサリと視線プラス言葉が小太郎に突き刺さる。
零の隣に座るのには何も言われないかもしれないが、自分たちの隣に座らない事には何か言われるのである。
どの道、小太郎に選択肢なんか無いのだ。
大人しくユリと希望の間に収まった小太郎。心なしか、身を小さくして朝食を摂っている様に見える。
「そうだ、お前たち、昨日は観光に行って来たんだよな? どうだった?」
冥月が気軽に話題を提供する。今まで何故か沈黙が降りた食卓だったのだ。小太郎にとっては微妙にありがたいことだった。
息も詰まりそうな空気は堪えられないのだろう。
「ああ、まぁ、色々やったよ。零姉ちゃんは何でか留守番してたんだよな?」
「はい。私は私で楽しめましたよ。このホテルを見て回るだけでも有意義でした」
そう言って微笑む零。冥月にはその笑顔の下に『三角関係に関する色々な面倒事を回避したんだよ☆』という零の心の声が聞こえてくるような気がした。
「観光名所みたいな所は避けて通ったのよね。なんか、いかにもって所はまたの機会にしようって事で」
「またの機会って、また来る予定でもあるのか?」
「特に無いけど、そんな所見に行っても面白くないし、もしかして高校の修学旅行とかで来ることになったら損した気分しない?」
そういう感覚は冥月にはわからない。
学校なんて所に通ったことはないし、当然修学旅行にも行った事はない。
だが、そんな話をして場の空気を悪くするのも考え物なので、適当に相槌を打っておいた。
「……それで、市街地を眺めながら歩いていたんですけど、いきなり道に迷いまして」
「先頭を歩いてたのが小太郎だったしねぇ」
「な、なんだとぅ! 俺の所為か!?」
「それ以外の何物でもないわ」「……そうだと思います」
誰も擁護してくれない事に、小太郎はいじけた様子で朝食を食べに戻った。
「それから色んな人に道を聞きながら、ダラダラ帰ってきたわけ。結局、あまり観光らしい観光はしてないわね」
「……でも、暖かい人ばかりで助かりました」
そう言ってユリも希望も笑う。
まぁ、良い思い出が出来たみたいだし、これはこれで良しとしようか。
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朝食を終えれば後は遊びだ。
「さて、海に行こうか!」
という冥月の鬨の声を聞き零を抜いた三人が『おー』と声を上げ、手を掲げる。
「私は部屋で待ってます」
「零姉ちゃん、来ないのか!?」
手を振る零に、小太郎が驚愕の表情を向ける。
「海に来たら泳ぐ以外何もすることが無いといっても過言ではないのに、零姉ちゃんは来ないのか!?」
「え、ええ。皆さんで楽しんできてくだ……」
「認めん」
ニヤリと笑った冥月が零の肩を掴む。
それに肩を跳ねさせた零が、咄嗟に逃げようとするが、冥月の圧力に動くことが出来ない。
「お前も海に行くんだ。水着を着て、一緒に遊ぶんだ」
「な、何で私も……? 皆さんいらっしゃいますし、私ぐらいいなくても」
「仲間外れはダメ、絶対! 行こうぜ、零姉ちゃん!」
小太郎にも言われ、どうやら逃げられそうにない事を悟った零は肩を落として苦笑した。
そんなわけで、誰も欠員を出さずに一行は浜辺へ。
シーズン真っ只中に来たので、浜辺には随分と人がいたが、遊べないほど混雑しているわけではないらしい。
綺麗な海も、人に埋め尽くされるほどではない。
「おぉー、流石に綺麗ね!」
「……でも、やっぱり暑いですね……」
「夏ですし、沖縄ですし、気温は仕方ないと思います」
ビキニ、タンキニ、ワンピと三者三様の水着で海を眺める。
因みに説明しておくならば、ビキニが希望で、タンキニがユリで、ワンピが零だ。
その三人に遅れて冥月と小太郎もやってくる。
「なぁ小太郎。あの三人、可愛いと思わんか」
「……なんだよ、いきなり」
「なんとも思わないか? おいおい、まだお前は中坊だろ? 枯れるには早いぞ」
「何の話をしているかわからんが、別に可愛くないとは思わないよ。うん、みんな綺麗だ」
生意気にもそんな言葉を発する小太郎の頭をガシガシかき回した後、冥月は前方の三人娘に駆け寄る。
そして三人纏めて抱きしめ、日焼け止めを取り出す。
「ちょっと、暑いんだけど!」
「我慢しろ! 南の島なんてこんなもんだ! よぅしお前ら、私が日焼け止めを塗ってやろう!!」
そう言った冥月の手がワシワシと妙な感じに動く。
冥月の手の動きになにやらイケナイ想像でも働いたのか、顔を赤くした小太郎が割って入る。
「おい師匠! 何をするつもりだ!」
「だから日焼け止めを塗るんだといってるだろう。聞いてなかったのか?」
「それが日焼け止めを塗る手の動きか!? なんかおかしくね!?」
「おかしくない。何もおかしくない。おかしいと感じたなら、それはお前の考えの方がおかしいんだ。何かヤラシイ事でも考えたんじゃないのか?」
図星をさされて口篭る小太郎。
そんな様子を見て冥月は小さく笑い、希望もからかう様に小太郎を眺め、ユリと零は苦笑していた。
「スケベ小僧が。いつでも脳内ピンクか、お前」
「う、うるせぇ! 違ぇよ、バカ!!」
暑さの所為だけでない顔の赤さを冷やすためか、小太郎は海の方へ歩いていった。
それを追いかけてユリも海へ行こうとするが、冥月の拘束は外れない。
「……あの、冥月さん?」
「日焼け止めを塗ってやるって言ったろ? 逃がさんよ、誰も」
ニヤリと笑いかける冥月。そこでやっとユリは自分が捕らえられたウサギだという事を悟った。
小さく『ヒィ』と悲鳴を漏らし、その後……日焼け止めを塗ってもらったよ。それ以上でも以下でもないよ。きっと。
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何故か小刻みにカタカタと震えたユリが、冥月に貰った大き目の浮き輪を抱きしめながら小太郎の許にやってくる。
「え? どうした、ユリ? 寒い……わけないよな?」
「……あ、あの……私、冥月さんに……」
「日焼け止めを塗ってやったんだ。だよな、ユリ?」
「……………………はい」
何があったのか、小太郎が知る由は無し。
浮き輪に乗ってプカプカやりたい! というユリの希望を聞いて、小太郎は『じゃあ俺が引っ張ってやろう』と名乗りを上げる。
浮き輪の上に仰向けに乗っかったユリを、小太郎は引っ張って浅瀬を歩く歩く。
「……ねぇ、小太郎くん?」
「ん? なんだ?」
「……こうして二人きりでいるとさ……私たち、付き合ってるみたいに見えるかな?」
「どうだろうなぁ。ぶっちゃけて、俺今、遊んでるとは思ってないんだよね」
「……え?」
小太郎の返答にちょっと傷付いたユリ。もしかして、自分は恋愛対象ではないのか!?
「水の抵抗があるところで歩けば、足腰鍛えられるって言うじゃん? だから今もしっかり特訓中なワケよ! それにユリと浮き輪の負荷もかかれば効果も向上するって寸法だ!」
「……っ!」
なるほど、遊んでるつもりではなく、ユリすら道具にして特訓しているというわけか。
無性に腹が立ったユリは、小太郎を何発も何発も蹴りつけてやった。
「痛っ、痛っ、何すんだよ、ユリ!?」
「……これぐらいで済むと思ったら大間違いだよ。特訓するなら遠泳でもすれば良い」
「右手! 俺右手壊してんの! ギプスも外れないの!」
「……知らないっ!」
ユリの機嫌を損ねてしまったらしい小太郎は、そそくさと逃げ帰って行った。
「なんだ、また喧嘩か?」
「……冥月さん……もしかして、冥月さんが言ったんじゃないですよね?」
「何をだ?」
「……小太郎くんに訓練を忘れるな、とか」
「言うわけないだろ。日々の訓練は必要だが、息抜きもまた必要だ。こういう時ぐらいゆっくり遊べば良い」
「……だったら良いです」
つーん、とそっぽを向いたユリ。なるほど、また小太郎が何かやらかしたわけだ。
だがこんな調子では海水浴も楽しめまい。
冥月はユリが乗っている浮き輪の端を思い切り持ち上げる。
すると浮き輪は反転し、上に乗っかっていたユリはそのまま海にダイブした。
「……ぷぁ! しょ、塩っぱっ!! な、なにするんですか!?」
「いつまでもいじけてないで、さっさと仲直りしろよ。この旅行を嫌な思い出のままにしたいわけじゃないだろ?」
「……うぅ、そりゃそうですけど……」
「だったら素直に一緒に遊びたいって言えば良いんだよ。それが出来るまで浮き輪は私が預かっておこう」
「……後で返してもらいますからね」
「その意気だ」
勇んで浜に向かっていったユリを見送り、今度は冥月が浮き輪でプカプカやる番だった。
ちょっと浮き輪が使いたかったからユリをけしかけた、なんてそんな事はない。
そんなプカプカ冥月の許に零がやってくる。
「ん? どうした、零」
「いえ、さっきから……な、なんでもないです。ちょっと遊び方がわからなくて」
「遊び方? 何か複雑なおもちゃでも持ってきたのか?」
「そうじゃなくてですね……海でどうやって遊べば良いのか……」
なるほど。海辺の遊び方がわからないのか。
色々考えた冥月は影の中からシュノーケル付き水中眼鏡を取り出す。
「これをつけて海の中を見ながら浮いているだけでも気持ち良いぞ」
「そ、そんなものですか?」
「ああ、そんなモンだよ。試してみると良い。あまり潮に流されないようにな」
「わかりました」
冥月から水中眼鏡を受け取った零は、慣れない手つきでそれを装着、試しに海の中を覗きながらプカーっと泳いでいった。
傍から見ると、少しどざえもんに見えなくも無い。
それを眺めながら小さく笑い、冥月は視線を巡らせ、小太郎とユリの行方を追った。
小太郎が一人でぶらついてると、それを希望が見つけたらしく、二人で遊んでいた。
希望の提案で小太郎を砂の中に埋めているらしく、その尋常じゃない暑さに小太郎は汗ダクダクだった。
「ちょっと、希望さん? そろそろ出してくれないかなぁ?」
「まだまだ乗っけるわよ! 小太郎が動けなくなるまでねぇ?」
「洒落にならないから!」
小太郎が暴れて逃げ出そうとしても、最早砂の重みはかなりの物になっており、抜け出すのも一苦労だ。
「ホラホラ暴れない。ちゃんと出してあげるから安心しなさい」
「……ほ、本当だろうな?」
「疑うわけ? そーんな事言ってると、ホントに土葬するわよ?」
「うっ、すみません」
大人しくなった小太郎に希望はどんどんと砂を積み上げる。
そして小太郎が身動きを取れなくなった頃に、ニヤリ、と笑う。
「なんだ、その笑は。まさか、前言撤回とか言わないだろうな!?」
「そんな事言わないわよ。ただ……条件をつけようかしらね」
「卑怯だ! それは卑怯だ!!」
「罠に引っかかる方が馬鹿なのよ!!」
卑劣な罠に引っかかった小太郎は、このバカ暑い中、背筋を冷やす。
だが、その条件とは意外なものだった。
「このまま小太郎が動けないとなると、私は貴方をどうにでもし放題。それを後で咎めないだけで良いわ」
「……何をするかによるだろ」
「そうねぇ……じゃあ昨日の夜、ユリが出来なかった事をしようかしら」
そう言った希望は小太郎の上の砂にのしかかり、顔を小太郎に近づける。
「お、おい! 人目があるから! 恥ずかしいから!」
「私は全然恥ずかしくない。今、小太郎の顔がこんなに近くても、全然恥ずかしくない」
希望はサラリと小太郎の前髪を退かし、彼の顔をジーっと見つめる。
それに耐えられなくなった小太郎はふい、と目をそらした。
カチンと来た希望は、嗜虐心に火をつける。
「ふーん、そういう事するんだ?」
「……な、なんだよ」
「今なら小太郎を好きにし放題。さて、どうしようかなぁ? キスでもしちゃおっか?」
「うぉ、何言ってやがる!?」
驚いた小太郎は希望の顔を見るが、その顔の近さに顔を真っ赤にし、また目をそらす。
「で、出来るわけねぇだろ!」
「なんで? 出来ない理由って何?」
「そ、それは……」
そんな困惑している小太郎に、天使か悪魔か、助け舟がやってくる。
「……何してるんですか?」
「ゆ、ユリ!?」
やって来たのはユリ。それに気がついた希望はその体勢のままユリを見やる。
「あら、どうしたの?」
「……何してるんですか、って訊いたんです」
「見ての通りよ? 何かご不満でも?」
「……ありまくりです。まず、立ってください」
「いやよぅ。なんでアンタに命令されなきゃなんないわけ?」
「……その体勢は人と話す態度ではありません」
「私には話す気が無いもの。私は小太郎と遊んでるの。あっち行ってくれる?」
「……良いから小太郎くんから離れてくださいっ!!」
本心の叫びを聞いて、希望はニヤニヤ笑いながらも一応立ち上がる。
「恥ずかしい娘ねぇ。そんなに小太郎が好きかね?」
「……そ、そんな事、今は関係ないです!」
「まぁ良いけど。話があるなら聞くわよ?」
そう言って希望は立ち上がり、ユリと睨み合う。その内に小太郎は砂の中で光を操り、砂を地味に崩す。
そして二人にバレないようにその場から逃げ出した。
そんな様子を見ていた冥月はフゥとため息をつく。
逃げ出してどうする、と小太郎をしかってやりたいところも山々だが、浮き輪に乗っかって波に漂うのも気持ちが良いので離れにくい。
どうしたものかと悩んでいると、浮き輪に何かがぶつかった。
「おっと」
「ぷぁ! あ、冥月さん」
ぶつかってきたのは零だった。
「ああ、お帰り。どうだった、海の中は?」
「はい、面白かったです。……ですが……」
「どうした?」
「とりあえず、浜に上がりませんか?」
そういう零につれられ、冥月は浮き輪を持って浜へ上がった。
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零と一緒に浜に上がった冥月は、彼女が周りを窺っている事に気付く。
「どうしたんだ? 落し物か?」
「違うんです……。さっきから視線を感じてて……」
言われて影を探ってみると、確かにこちらを覗き見ているような影が二つ。
敵意を持っている人間だとするならば、隠れ方が拙すぎる。大方、ナンパでもしようとしている男共だろう。
ウザったいので蹴散らしてやろうかと思ったが、こちらから手を出すのは拙い。
とは言え放置しておくのも気持ち悪いし、零が気にして楽しめないかもしれない。
色々と解決案を練っていると、どうやら向こうが動き出したようだ。
近付いてきたのは案の定、軽そうな容姿の男共。燦々と照る太陽に焦がれた身体は黒く、髪は脱色させて金髪がかっている。
指や首にはシルバーアクセサリーもつけ、『いかにも!』な感じの二人組みだった。
「ねぇねぇ、二人とも。暇なら俺らと遊ばない?」
「暇じゃないからお前らとは遊ばない」
「連れないなぁ、キレーなお姉さん。良いじゃん、遊ぼうよ!」
「そっちの娘も、名前、なんていうの? アドレスとか教えてくれない? 地元じゃないよね? 何処に泊まってるの?」
「え、えっと……あの」
対応になれていない零はオロオロと混乱している。
ここはやはり冥月がどうにかせねばならんか、と思っていたところ、丁度良く小太郎が現れる。
「あ、師匠、零姉ちゃん! こんな所に居たのかよ、探したぜ!」
「……あ? なんだ子連れ?」
「違う、アホ共」
変に勘繰る男に、冥月は一瞬睨みつけてやるが、一つ咳をしてから小太郎を近くに呼び寄せる。
そして小太郎に後ろから抱きつき、
「私たちはこの子のモノなの」
「「は!?」」
男二人の声が重なる。それと同時に小太郎のため息も聞こえた。
「もうその手は食わねぇぞ、俺は」
「別にお前相手にやってるわけじゃないしな」
小声でそんなやり取りを交わし、それが聞こえなかった男二人は小太郎を見て嘲笑するように言う。
「え? 嘘でしょ、こんなちびっ子相手に……」
「チビ……だとぅ?」
一瞬にして小太郎の眼光が鋭くなる。身長の事はまだまだ気にしているのだ。
彼の先天的アンチエイジングを馬鹿にしようモノなら、以前の彼ならば迷わず噛み付いただろう。
だが、今は違う。
「落ち着け、俺。こないだ、同じ状況で失敗したばかりだ……」
コンビニの前にたむろしていた男共と喧嘩した際、綺麗に復讐され後悔したばかりだ。右手の痛みと共にそれを思い出す。
深呼吸をした小太郎は落ち着いて怒気を鎮める。
それを見て小さく笑った冥月は話を続ける。
「この子の方が貴方達より強いわよ。勿論アッチもね」
なんとも形容しがたい手の動き。
その挑発に多少自尊心を傷つけられたか、男共はムッと表情を曇らせる。
「ッハ! こんなガキが強い? 嘘言っちゃイケナイよ。こんなガキ、俺らなら一発だって、のッ!!」
言葉が終わると同時に放たれた拳。
小太郎はそれを難なく左手で受け止め、無理矢理捻り上げる。
「っぐ、お……」
「外見に騙されんなよ? 俺はホントに、お前らなんかより強い。それだけの自負はある」
反撃するでもなく、小太郎は淡々と男の右手を捻る。
そして頃合を見て、もう一人が襲い掛かってくる前にその手を放した。
「これ以上痛い目を見たくないなら、さっさと帰るんだな。俺の連れはもう二人居る。その二人に手を出そうとしても、またさっきの続きになるぞ」
「……っく」
何か言いたげだった男たちは、しかし何も言えずに帰っていった。
二人の姿が見えなくなった後に、小太郎はふぃーと息をついた。
「師匠、こういうのは勘弁だぜ。喧嘩ならそっちで片付けてくれよ」
「女を守るのは男の役目と古来より決まってるんだよ。番犬ご苦労」
そう言って笑った冥月は小太郎の頭をガシガシかき回した。
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そこに睨み合いながらユリと希望がやってくる。
「小太郎、ちょっとこの娘どうにかしてくれる? さっきから周りをうろつかれて困ってるんだけど!」
「……貴女が私の話を聞いてくれないからじゃないですか! 貴女とは一度、しっかり話をつけなきゃならないんです!」
「後にしてって言ってるでしょ! 今、私は遊びたいの! バカンスに来てるの!」
「……私も出来れば遊びたいですよ! でも、気になる事を放置したままでは心行くまで遊べません!」
どうやらずっと喧嘩中らしい二人を見て、小太郎もゲンナリしている。
小太郎の頭では解決方法なんて思い浮かばないんだろう。どうして良いやらわからず、オロオロと挙動不審だ。
そんな小太郎に助け舟を出すわけではないが、冥月は睨み合う娘二人を引き離して喧嘩を中断させる。
「まぁまぁ、まずは落ち着け。私が良い解決方法を考えてやろう」
「何か名案でもあるわけ?」
離れてもなお、攻撃的な視線をユリから離さない希望が尋ねる。
「そうだな……一対一で勝負してみてはどうだ? 白黒ハッキリつければ文句もあるまい」
「……リアルファイトですか。負けませんよ」
思考がぶっ飛び始めているユリが、軽くジャブを放って希望を威嚇している。
「小僧みたいな考え方はよせ。勝負内容はそうだな……鬼ごっこってのはどうだ?」
「鬼ごっこ?」
怪訝そうな表情で、やっと希望が冥月を見た。それにつられてユリも冥月に視線を送る。
「ああ、ルールは簡単だ。小太郎の手に触れろ。いや、むしろ手を握れ。早く握れた方が勝ちだ」
「……小太郎くんの手を握る……っ!」
つまりタッチの仕方を制限した鬼ごっこだ。ただし、鬼はユリと希望の二人だが。
逃げる小太郎を追いかけ追い詰め、最終的に手を握ったものの勝ち。簡潔でわかり易い。
「それが出来れば小太郎は死ぬまで勝者のモノだ、というのは流石に辛かろうから、帰った後、一日だけ小僧を好きにして良い、というのはどうだ?」
「小太郎を……」
「……一日好きにして良い!」
その豪華賞品にユリはやる気を燃やしているようだが、希望の方は微妙に嫌そうな顔をしている。
そんな事は気にせず、冥月は開始を合図する。
「制限時間はこの海にいる時間。ホテルに帰るまでにどちらも触れられなければ引き分けだ。それでは、始め!」
「……小太郎くん! フリーズ!!」
「そんな形相したヤツに言われて、止まれるわけねぇだろ!!」
どうやら勝負の事は聞こえなかったらしい小太郎は、鬼気迫るユリに追われ始めて逃げ出した。
一方、希望はそれについていかず、冥月をじっと見ていた。
「どうした? お前は追わないのか?」
「後でゆっくり追わせて貰うわ。その前に、アンタに一言言っておきたくてね」
目つきを鋭くする希望に、冥月は多少身構えてみるが、別に殴りかかってくるような事はあるまい。そんな事をしても簡単に倒し伏せることは可能だ。
「聞いてやろう」
「私はユリとは違って、アンタのやり方に何の疑問も持たないわけじゃない。アンタが小太郎の何なのか知らないけど、小太郎を自分のモノの様に扱うのは正直、気に食わないわ」
どうやら、勝手に小太郎を賞品した事に気分を損ねているらしい。
確かにそこに小太郎の意思はなく、決めたのは冥月の独断だ。
「旅行に連れてきてくれた事には感謝してるけど、私は恩を感じて発言まで自粛するほど人間が出来てるわけじゃないの」
「だろうな。傍から見ててそんな印象だよ」
希望の敵意むき出しの感情を受けても、冥月は笑顔で応対する。
「私もこの旅行に連れて来たのは恩を売るためではないし、気にする必要はない。だが、私にはお前も小太郎を自分のモノの様に扱ってる節があると思うがね」
「私は良いのよ。『本気』だから。でも、アンタは違うでしょ?」
小太郎への気持ちの事か。言われた通り、冥月は小僧に対して特にこれと言って特別な感情を抱いているわけではない。
違うでしょ、と問われればそうだとしか言い様がない。
「まぁ、言いたい事はそれだけよ」
「という事は、お前は今回の勝負に勝ったとしても、小太郎を一日好きに出来る権利は要らないという事か?」
「ユリに何も言わせないようにしてくれる、って言う賞品ならありがたく貰うわ。結果的にそれが小太郎を好きに出来る権利にもなるわけだしね」
軽く屈伸運動をし始めた希望が笑いながら言う。
「アンタの事は嫌いじゃないし、こういう企画でユリを黙らせてくれるなら、私も喜んで乗っかるわ」
「自信家だな。自分が黙らされるとは考えないのか?」
「あんな娘に、私が負けるわけないじゃない」
そう言った希望はユリと小太郎が去って行った方に向かって、自分も走っていった。
「小太郎への想いなら、誰にも負けない自信があるわ!」
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「はぁ……はぁ……なんだって言うんだ、ユリのヤツ」
砂浜を走って逃げてきた小太郎。まだまだユリには体力的に勝っているのか、どうやら逃げ切ったらしい。
一息ついて、冷たい海水で顔を洗う。
「あの様子、あの表情……何かあったのか? 追いかけてくる前に師匠と話してたから、ヤツの企てという事も考えられる」
冷静に頭を働かせて、ユリが突然追ってきた、というか襲い掛かってきた理由を考える。
小太郎の中では半ば、冥月の所為で確定しつつある。何しろ、前例がありすぎる。
「あの外道師匠め……俺をからかうのもいい加減にしろ! くそぅ!」
とは言え、歯が立たないのでいつまでも弄られ続けるのが小太郎の運命だが。
涙ながらにいつかの復讐を誓う小太郎。そこに一つの人影が近付いてくる。
その気配に、小太郎は驚いて振り返るが、そこには希望が。
「探したわよ。いきなり砂浜で追いかけっこって、どれだけ青春を謳歌してるわけ?」
「そんなんじゃねぇよ。血で血を洗う抗争だ」
大袈裟に言い過ぎたかもしれないが、ユリの切迫したオーラを感じれば全てを全て否定できないかもしれない。
「そんなアンタに朗報よ。今ならこの希望ちゃんがアンタの逃亡をお手伝いしてやるわ」
「マジか! それはありがたい!!」
思わぬ助っ人に小太郎は本気で喜ぶ。そんな小太郎は希望の企み全開の笑顔に気付かない。
「お手伝いするからにはまず信頼から。さぁ、握手でもしましょうか?」
「そうだな。頼むぜ、希望!」
「……ああああああああああああああああああ!!」
小太郎と希望がガッチリ握手した所で、やっとユリが追いついてくる。
「はい、試合終了」
影の穴から冥月と零も現れ、ここにユリと希望の一騎打ちが終わったのだった。
握手でも手を握った事には変わらない。
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帰り支度の最中のスイートルーム。
「さあて、小太郎。帰ったら何しようか!?」
「なんだよいきなり?」
勝負の内容や結果をまだ教えてもらってない小太郎は、希望の笑みに疑問符を浮かべるしかない。ユリの浮かない表情にもまた。
「今日全力で遊んだばかりだろ。帰った後の事なんか考えてらんねぇよ」
「バカねぇ。時間は待ってくれないのよ? 一分一秒を有効活用するために、計画は重要だわ!」
「と言われてもなぁ……」
「その時はユリも一緒よ!」
「……へ?」
突然、希望の口から思いも寄らない事を言われ、ユリは頓狂な声を上げてしまった。
「……ど、どうしてですか? 何で私まで……」
小太郎を独り占めできるのに、何故ユリまで連れて行く必要があるのだろう?
ユリには希望の真意がわからなかったが、すぐにそれも希望による耳打ちで明かされる。
「小太郎を独り占めしている私を、ずっと傍で見て悔しがりなさい。私と小太郎が二人でイチャイチャしてるのを、ずっと黙って見てなさい。きっと楽しいわよ〜ぅ」
「……っく! そんな卑劣な手を……! 貴女は人の皮を被った悪魔ですか!」
「なんとでも言いなさい。それは敗者の戯言でしかないわ! 悔しかったら私に勝ってみる事ね!!」
高笑いでも始めそうな希望の前で、ユリは悔しげに奥歯を噛み締めていた。
「やっぱり、ひねくれてるな、アイツ」
それを傍観して冥月はフゥとため息をついた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
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■ ライター通信 ■
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黒・冥月様、毎度ありがとうございます! 『バカみたいに長ぇ!』ピコかめです。
張り切りすぎたぜ……。まさかこんなに長くなるとは……。
微妙にプレイング削ったりしてごめんなさい。
バカンス編という事で、心行くまで遊んでおります。
シチュノベの続きですので、仕事後すぐですが、冥月さんも張り切って遊んでおります!
いやぁ、みんな楽しそうだなぁ……俺も海、行きたかったなぁ。
では、そんなこんなで、また気が向きましたらよろしくどうぞ!
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