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■某月某日 明日は晴れると良い■

ピコかめ
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
 興信所の片隅の机に置かれてある簡素なノート。
 それは近くの文房具屋で小太郎が買ってきた、興信所の行動記録ノート……だったはずなのだが、今では彼の日記帳になっている。

 ある日の事、机の上に置かれていたそのノートは、あるページが開かれていた。
 某月某日。その日の出来事は何でもない普通の日常のようで、飛び切り大きな依頼でも舞い込んだかのような、てんてこまいな日の様でもあった。
 締めの言葉『明日は晴れると良い』と言う文句に少し興味を持ったので、その日の日記を読んで見る事にした。
某月某日 明日は晴れると良い

らしくない二人

 いつもの影の道場。だが、今日は少し様子が違う。
 いつものように冥月が小太郎を圧倒し、軽く大外刈りでも決めてやったのだが、違うのは小太郎が倒れた時だった。
「っう゛! げ……ゲホッ、ゲホッ」
「何をやってるんだ、お前は」
 受身に失敗した小太郎は背中を強か打ちつけ、一瞬呼吸困難になった後に咳き込み始めた。
 どうやら顎は引いていたらしく、脳震盪などは起こしていないようだが、すぐには起き上がれそうにない。
 これがいつも通りなら小僧もすぐに起き上がり、もう一本でも組んでやるのだが、こんな調子の小僧は相手にしていてイラつくだけだ。
「やる気が無いのか? 心ここにあらずといったところだな」
「……う、くそっ! もう一回だ!」
「今日はもう終わりだ。身の入っていない訓練なんてやっていて意味が無い」
 図星を指され、何も言い返せない小太郎。
 そんな様子にため息をつき、冥月はそれとなく探りを入れる。
「……ユリと何かあったのか?」
 小太郎がこんな様子なのは、この間符の事件を追うのにユリと二人で行かせた時からだ。
 ならば二人の喧嘩が長続きしているのか、と鎌をかけてみたのだが
「そんなんじゃねぇよ」
 即答で否定が入る。
 それと同時に冥月から目も逸らしているのだが。
 まぁそんな事も突っ込んでやらず、半ば突き放すみたいに背を向ける。
「気持ちが晴れない何かがあるなら、それをどうにかしてからまた来い」
 それだけ言って、冥月は小太郎を放って道場を出て行こうとする。
 小太郎はその背中に慌てて声をかけた。
「あ、師匠」
「……なんだ?」
「一つだけ訊いても良いか?」
 尋ねられて冥月は黙って次の言葉を促す。
 少しの間を置いて、小太郎が口を開いた。
「相手が言ったのが意味の無い嘘だってわかった時って、『もしかして嘘じゃなかったかも』って悩むものかな?」
「回りくどい言い方だな。端的に話せ」
「あー、例えばの話だ。誰かが『別にあの人は好きじゃないよ!』って言ったとする。言われた方はそれが嘘だとわかったはずなのに、『もしかして本当だった可能性』を考えたりするものかな?」
 なるほど、これまでの小僧の様子から考えると、ユリに『好きじゃないよ』と意訳できるような事を言われた、という事か。
 それで悩むとは、鈍感な小僧らしくない、とは思ったものの、一応質問には答えてやることにしよう。
「他人の真意なんて本人以外にはわからないさ。その他人が発した言葉の意味をほぼ確定的に悟ったとしても、もしかして別の意味があったのかも、と考えてしまうのは至極当然の事だ」
「そうかな……。やっぱ、そうだよな」
「なんだ、納得いかなそうだな?」
「いや、俺が聴いた『嘘』が『本当』だったとすると、ちょっとショックでね」
 冥月の答えを聞いた後ならそういう事になるか。
 確かに、誰かの嘘が実は本当でした、なんて話はよくある。だが、今回の場合は『ユリが小太郎の事を好きじゃないと言った』と言う事らしいし、それは冥月が思うに十割嘘だ。
「まぁ、お前の場合は気にする必要は無いんじゃないか?」
「何でそう思うんだ?」
「勘だよ、勘」
 適当にはぐらかし、そのまま小太郎を置いて冥月は道場を出た。
 出掛けに一つ、小さく零す。
「嘘だとわかったはずなのに、か。随分と自信家だな」
 つまり小太郎はユリに好かれているという事に自信を持っている、という事だ。
 いつの間に気付いたのやら……。いつもは鈍感な小僧にしては敏い。むしろ、アレだけアプローチされていて気付かなかった今までのほうが異常というべきか。
 ともかく、人はしっかり成長するものだ。

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 シャワーを浴びて影の中から出た後、冥月は興信所で零に出されたお茶を飲んでいた。
 一人でいる冥月を見て、零は首を傾げる。
「小太郎さんはどうしたんですか?」
「まだ道場にいる。アイツが出てくるまでここに穴を開けとくから、うっかり落ちないように気をつけろよ」
「はい。兄さんにも言っておきますね」
 零は興信所の床に開いた穴を避けて台所へ戻っていた。

 それにしても、あの小僧はどうしたものか。
 最近、何をやるにしても失敗ばかりで、気持ちが何処かへ飛んで行っている印象を受ける。
 ユリとの間を取り持つのも考えたが、今の小太郎の様子ではユリと対してもまともに話が出来るかどうかすら怪しい。
 もう少し考えが纏まり、落ち着いてからにしよう。
「やれやれ、何で私が人の色恋に口を出すんだろうかな……」
 小さく独り言を零し、紅茶を啜る。もちろん、その答えは二人を見ているのが面白いからだが。
 ……ふと気付く。興信所の近くにいつも感じなれた影があるのに気付く。
 窓から外を窺うと、街路樹の根元に隠れているつもりなのだろうユリがいた。
 冥月が見えるとサッと陰に隠れるが、バレバレである。
「アレじゃ不審人物だぞ……」
 注意してやる意味も込めて、冥月はユリに近づく事にした。

 冥月が興信所の外に出ると、それを確認したユリはオロオロとどうして良いかわからないように慌て始める。
 挙動まで不審となると、完全に危ない人だ。
 冥月は彼女の頭を鷲掴みにし、グリンとこちらに顔を向けさせる。
「何か用事か? 用があるなら興信所に入ってきたらどうだ?」
「……あ、いえ……あの……」
 彼女の歯切れが悪いのは、首が不自然に曲げられているからではあるまい。
 ユリもまた小太郎と同じように、言い難い何かがあるのだろう。
「小僧と何かあったんだろ?」
「……ち、違いま……せん……」
 こっちは妙に易々と白状したが。

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 近くの喫茶店に入り、適当な席を取る。
「私にはコーヒー、この娘には……」
「……」
 俯いて答えないユリ。注文をする気が無いのか、それともそれどころじゃないのか。
「とりあえずミルクティーを」
「かしこまりました」
 下がっていったウエイトレスを見送り、ユリに向き直る。
「で、何があったって?」
 小太郎から話を聞いて一応、アウトラインだけは知っているが、詳しい内容までは聞かされていない。
 しっかり聴いておかないと、後々食い違いが出ると困る。
「……それが、えっとですね……」
 ゴニョゴニョと口の中で言葉を選んでいるユリ。
 その選び抜かれた言葉が外に出る頃には、もうコーヒーもミルクティーも運ばれ、冥月の方はコーヒーを半分ほど飲み終わった後だった。
「……こないだ、お仕事で符を回収したじゃないですか」
「ああ」
「……それでですね、その時……知り合いに会ったんですよ」
 一つ一つ確かめるように、じっくり思い出すようにしてユリが話す。
「……昔、とってもお世話になった人で、その時はすごく大好きで……あ、好きって言っても別にアレなんですけど……」
「良いから先を話せ」
「……は、はい。その人に会った時……」
 またゴニョゴニョと口篭る。それと一緒に自分の肩も抱き始めた。
 それほど衝撃的だったのだろうか。もしかして小太郎が言っていたように、ただの誤魔化しじゃなかったのか……?
 ユリの言葉を待っていると、冥月はもう半分残ったコーヒーを全部飲み干していた。
「……その時、訊かれたんですよ、その人に。『小太郎くんと仲が良いの?』って。それで私、『そんなんじゃないです』って答えちゃって」
 これだけ待たされて、結局ユリから聞かされたのは、小太郎から聞かされたものとほとんど変わらなかった。
 冥月はユリに気付かれない様に短くため息をつき、何かあったのでは、と勘繰った自分の取りこし苦労を小さく笑う。
「そんな誤魔化し、お前の口から何度か聞いた覚えがあるぞ。よく考えてみろよ。つい恥ずかしがって嘘をつくなんて何度もあるだろ?」
「……違うんです!」
 突然のユリの大声に、冥月は少し驚く。周りの客も何事か、とこちらを窺っていた。
 気がつくと、ユリは小刻みに震えていた。
「……違うんです……。ただの誤魔化しとは、いつもの照れ隠しとは違うんです……」
 真剣なユリの様子に、ただ事ではない事を悟る冥月。一体、何が違うと言うのか。
 聞かされた話だけでは判断できない。
 ユリの言葉をまたも待つ事数分。
「……今までとは決定的に違うんです。『何が』とは具体的に言えないんですけど、絶対に違うんですよ」
「ハッキリしないな。どういう風に違うのか、感覚的にで良いから教えてくれんか」
「……なんていうか、寒いって言うか、怖いって言うか、何か漠然と……終わりが見えた気がするんです」
「オワリ? オワリって、終了ってことか?」
 冥月の問いに、ユリは黙って頷く。
 寒い、怖い、終わり。これだけのキーワードでは少し想像しがたいが、もしかして小太郎との関係の終わりを予感したのだろうか?
 だとしたらそれは杞憂だ。冥月の目には当分、二人の縁は切れたりしそうにない様に映っている。
「……その言葉を小太郎くんに聞かれたみたいで……。あの感じがなんだったのか、小太郎くんに会えば何かわかるかな、って思ったんですけど、直前で怖くなって」
「それであの不審行動か。……まぁ、大体の成り行きはわかった」
 成り行きがわかったとしても、ユリの話ではなんだかわからない恐怖に怯えているだけらしい。
 そんな状態のユリにどう助言して良いものやら……。
 気にするな、とたった一言言うのは簡単だが、それでは解決すまい。
 何か言ってやらないとこの場は締まらないのだが、何を言って良いやら……。

 いや待てよ。
 考えてみれば、ユリが怯えているのは『小太郎に照れ隠しを聞かれた事』ではない。
 ユリが発した言葉に、自分で怯えているように思える。
 小太郎が好きではない、と言った事自体に何か意味があるのだろうか?
 だとすればどんな意味が……?
 と、そんな風に冥月が難しい顔をして考えていると、対面のユリが少し苦笑して初めてミルクティーに口をつけた。
「……あ、あの、すみません。自分でも何言ってるのかわかんないのに、こんな相談して……」
「いや、気にする事は無い」
「……でも、誰かに話したらスッキリしました。うん、もう大丈夫です」
 笑顔を見せるユリに、冥月は彼女が勝手に話を終わらせようとしてるのに気付いた。
 このまま帰してしまうのは不安であるが、パッと思いつく助言はなんとも冴えないものばかり。
 せめてユリが何に怖がっているのかわかればどうにかできるのだが……。
「……私はこれで失礼しますね」
「小太郎には会っていかないのか?」
「……はい。また今度の機会にします」
 小さく会釈したユリは伝票を拾って席を立った。
「あ、払いは私がしておく」
「……いえ、相談を持ちかけたのは私ですから。冥月さんにはいつも奢ってもらってますし」
「それでも、大した助言もやれてないぞ」
「……また今度、美味しいものを食べさせてください。これはその時のための先行投資ですよ」
「だからってお前みたいな娘に払わせたとあっては体面が悪いんだよ」
 そう言って冥月はユリから伝票を奪い取る。
 苦笑したユリは代わりに小銭を何枚かテーブルに置く。
「……じゃあ、私の分だけでも払わせてください」
「要らんと言ってるだろ」
「……このお金は拾っていきませんよ」
「素直に奢らせてくれんのか。無駄に強情だな」
「……元々ですよ。それじゃあ、ありがとうございました」
「あぁ、ユリ。あまり気にするなよ。漠然な不安と言うのはいつか消えるものだ」
「……はい。そうですね」
 最後に笑顔を見せたユリは、そのまま喫茶店を出て行った。

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 結局、まともな助言はやれなかった。
 冥月はため息をついて喫茶店の席に座る。
 テーブルに転がっている小銭をいじりながら、ユリの様子を思い出す。
 尋常じゃなく、怯えていた。
 何かがあるんだろうが、それが何なのか、彼女自身自覚していないのだから厄介だ。
「どうしたものかな……」
 ため息をついた冥月は、影を使って小銭をユリの財布に戻してやろうかとも考えたが、後で怒られそうなのでやめておいた。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2778 / 黒・冥月 (ヘイ・ミンユェ) / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】

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■         ライター通信          ■
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 黒・冥月様、毎度ありがとうございます! 『妙な……妙な匂いがする』ピコかめです。
 何となくヤバい感じのするユリの言動、これは色々危ないぞ!

 小僧の方は簡単な悩みだったので即解決も望めそうですが、ユリの方はどうやら難しいらしいですよ。
 何があったかわからないのに、的確な助言も出来ませんね。
 そう考えると、カウンセラーってスゲェ。
 そんなこんなで、また気が向きましたらよろしくどうぞ!