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■心の絆〜メイドたちとの戦い〜第1章■

笠城夢斗
【2778】【黒・冥月】【元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
「サクラ、おやつの準備をお願いしてもいいか?」
 ――午後3時。葛織紫鶴はそんなことをメイド長に頼んでいた。
 メイド。そう、紫鶴の家には7人のメイドがいる。それを統括するのがこのかっぷくのいい、40代半ばほどの女性――サクラ・メルクリアスである。
 金髪碧眼。見れば一発で分かる。アイルランド人のハーフらしい。
 サクラは冷静で、まったく動かぬ顔を紫鶴に向け、
「……かしこまりました」
 一礼した。
 紫鶴は意を決して口を開く。
「お前たちメイドとも一緒のティータイムを開きたい。いいか?」
 するとサクラはかすかに表情を動かした――眉をしかめたのだ。
「……ご主人様、それは恐れ多いこと。またメイドたちは仕事に忙しく、申し訳ございませんがご相伴には預かれません」
「………」
 これは明らかに慇懃無礼な返答だ。
 紫鶴はうつむいた。
「それでは、ティータイムのご用意を致します。竜矢様と一緒に庭のあずまやにてお待ちください」
 サクラはそれだけ言ってもう一度一礼すると、身を翻した。

     * * * * *

「やっぱり駄目だった……」
 あずまやでは、紫鶴の世話役の如月竜矢が待っていた。
「おやつの時間に誘ったのですか?」
 彼は唯一、紫鶴に気軽に声をかける青年だった。
 紫鶴はこくんとうなずく。
「……メイドたちはどうして、私に近づいてきてはくれぬのだろう」
「………」
 竜矢は知っている。紫鶴をこの別荘という名の籠に閉じ込める際、同行させるメイドには、『紫鶴の身の回りの世話以上、紫鶴に一切関わるな。必要以上にしゃべるな』という命令が出されていたということを。
 大義名分は、『紫鶴をまっすぐ育てるため』だという。ばかげた話だ。
 特に総括しているサクラが問題だ。
 ――彼女は元々、紫鶴の従姉葛織紅華の乳母。
 その愛情は紫鶴ではなく紅華にあるというのに、無理やり紫鶴のメイドの長として指名されてしまった。おまけに、結局本家が次期葛織家当主として選ぶのは紅華ではなく紫鶴なのだ。
 サクラは――おそらく紫鶴を憎んでいる。
 その憎悪は、この13年で根深くなっているだろう。

 メイドたちが2人、揃ってティーセットを手にやってきた。サクラではない。竜矢より少し歳上ほどの女性たちだ。
「お待たせしました」
 1人が菓子をすっと出し、1人はお茶を淹れる。
 2人とも、十代の頃から、紫鶴の世話をしていながら一切紫鶴とはしゃべらないメイドだった。
「なあ、このお菓子、おいしいぞ? 一緒に食べよう?」
 紫鶴がにこにこしながら誘ってみても、
「……失礼致します」
 頭を下げ、くるりと背を向ける。
 紫鶴はうつむき、竜矢はため息をついた。
「姫。あまり気落ちなされませんよう――」
「………」
 うつむいたままだった紫鶴は、やがてきっと顔を上げた。
「決めた」
「何をです?」
「メイドたちと、絶対仲良くなる!」
 紫鶴は椅子から立ち上がり、握りこぶしを作った。
 竜矢は微笑んで、
「まず何からやりますか?」
「え? あ、えーと、うーん……」
 途端に詰まった紫鶴は、ぐううとうめきながら、
「と、友達に相談、する……」

 少女がまた新たに人の心を開こうと決心したその日。
 空は抜けるように青く、けれど雲はそれを覆い隠すように大量に流れていた。
心の絆〜メイドたちとの戦い〜第1章

 屋敷のメイドたちと仲良くなりたい――
 そんな紫鶴の願いをかなえるため、まずどうすればいいかを人に相談しようと、如月竜矢は友人たちを集めた。お茶会と称して。
 紫鶴邸に集まってくれたのは5名。

 黒冥月【ヘイ・ミンユェ】。
 阿佐人悠輔【あざと・ゆうすけ】。
 黒榊魅月姫【くろさかき・みづき】。
 天薙撫子【あまなぎ・なでしこ】。
 エルナ・バウムガルト。

 魅月姫やエルナに関してはふらっと屋敷にやってきただけだったが、久しぶりに来たのでお茶会を楽しみにしている様子だった。
 また、撫子の提案により、お茶会にはロザ・ノワールと紫音・ラルハイネも呼ばれることになった。

「手製のカステラでございます。よろしければ茶菓子にでも……」
 撫子が手土産に持ってきたカステラを囲んで、面々はあずまやで涼む。
 撫子がお茶を淹れて、
「相変わらず撫子殿のお茶は美味しいな」
 と笑顔で言う紫鶴。
 笑顔。笑顔。
 元から笑顔の多い娘ではあったが。
「ノワール殿。このカステラ美味しいぞ」
「……食べてる」
「うん、そうだな。でも美味しいって口に出さなきゃ作ってくれた人が喜ばないから――」
「……美味しい」
「ノワール殿、えらい!」
 妙なところでハイテンションだ。
 紫音が首をかしげて紫鶴を見ている。
 撫子も、不思議そうな表情で紫鶴を見ていた。
 魅月姫はさっと竜矢に目配せした。
 竜矢は他に気づかれないよう小さくうなずいた。
「紫鶴」
 魅月姫が紫鶴に向き直る。「もったいぶらなくていいわ。話しなさい」
「え……」
「そのために人を集めたのでしょう?」
 魅月姫の赤い瞳にじっと見つめられ、紫鶴の顔からだんだん笑顔が抜け落ちていく。
「……聞くから」
 ノワールが、紫鶴の隣でぽつりとつぶやいた。
 その一言が、少女を勇気付けたのか。
「あの。私は屋敷のメイドたちと仲良くなりたいと思うんだ」
 椅子から腰を浮かせ、身を乗り出して、必死の顔になる。
「メイドたちとはずっと距離を置いてきた。でも……こんな屋敷で、竜矢としかしゃべられないなんて悲しい。何とかメイドたちとも楽しく話したい」
「そう言えばこの屋敷のメイド様方は……」
 撫子は思い出す。
 操り人形のように忠実で、しかし紫鶴には決して接しようとしない、そんなメイドだった気がする。
 魅月姫は次に竜矢を見る。
「……実はですね、ここのメイドたちは……本家から、姫には関わらないよう厳しくしつけられておりまして……」
「なぜ?」
「『まっすぐ育てるため』という理由で、です。本当は俺もあまり関わるなと言われているのですが俺は反抗勢力ですから」
 苦笑して青年は言う。
 それを聞いて、紫鶴が悲しそうな顔で竜矢を見た。
 竜矢は「大丈夫ですよ、姫」と穏やかな声で言った。
「俺は姫を見捨てませんから。貴女の行く道についていきます」
「竜矢……」
「まーお前の生きる道なんかどうでもいいがな、竜矢」
 冥月が竜矢を切って捨ててから、
「仕方のない子だ」
 と紫鶴の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「この家の事情は知らないし、その気持は判らないでもないが、もし彼女たちがメイドであることに誇りを持っているのなら、紫鶴の誘いはとても失礼なことなんだぞ」
「えっ」
 紫鶴は慌てて冥月を見る。
 冥月はうなずいた。
「友達や家族ではなく主人と従者、その一線引いた立場をきちんと守れない者にメイドの資格はない。食事を共になんてもっての外だ。紫鶴の願いを聞かない理由の一端はそこにもあろう。それを知った上でも紫鶴は守るべき立場を乗越えて彼女たちと仲良くなりおやつを共にしたいか?」
「……その理論で行くと、俺はとっくにその立場を壊した資格のない人間になりますね……」
 竜矢がつぶやく。
「お前はへたれだからどうでもいい」
 冥月は素っ気ない。
「………」
 紫鶴は信じられないことを聞かされて、沈黙してしまった。
 主人と従者? 一線を引く?
 そうしないと、彼女たちの立場がない?
「――私は」
 すとんと椅子に座って、気の抜けたような声で紫鶴はつぶやいた。
「間違っているのか……?」
 冥月が険しい顔をする。
「これを聞いたぐらいで揺らぐ決心だったのか?」
「―――」
 紫鶴がうつむいた。
 考えもしなかったことだ。自分のよかれと思ったことが、人の迷惑になるなんて。
 すべて、屋敷で閉じ込められて生きてきたからゆえの失敗。
 もっと人間関係を知っていれば、こんなことはなかったろうに。
 ――ふと。
「あたし、反対」
 手を挙げた人物がいた。
 正しくは人ではないが――妖精のエルナが、冥月と竜矢を見比べて言う。
「当主って、公私共に高い交流能力を求められる立場だよね」
「そうだな」
 冥月が、軽く首をかしげて妖精の言葉を聞く。
「交流の基礎経験の多くは、身近にいる人と共に養われていくもののはずだよ」
「……そうだな」
「当主が傀儡と外に認知されたら、敵対的な外部勢力に付け入らせる隙も増えちゃうはず。例えば、有力退魔師の大量引き抜き工作を仕掛けられたりとか……」
 彼女は本家の『まっすぐに育てるため』という大義名分の矛盾をついた。
 そして、最後につけたした。
「紫鶴ちゃんはこの屋敷から出られない。従って、交流能力を培うための身近な人は竜矢さんかメイドさんたちしかいない。……こんな状況で、通常のメイドさんの誇りは通用しないと思う。むしろ当主により世間と交流を教えてこそ立派なメイドじゃないかな」
「………」
 ふむ、と腕を組んだ冥月が感心したようにエルナを見つめる。
 紫鶴が顔を上げた。
「私は……どうすれば?」
 隣にいたノワールが、そっと自分の髪にいつも挿している黒薔薇を、紫鶴の髪に挿した。
 ノワールほどに似合うそれではなかったけれど。
 それが話し下手の彼女なりの後押しだと、紫鶴には伝わった。
「冥月殿」
 紫鶴は背筋を伸ばして、「やっぱり私はメイドたちと仲良くなれる道を選びたい」
「………」
「わたくしも……」
 撫子が口を開く。「ここのメイド様方は、失礼ながら、必要以上に冷たいと思うのです」
「そうね」
 魅月姫がお茶を一口すすり、ティーカップを置くと、紫鶴に向き直った。
 珍しく、仕方ないわねと言いたげな、薄く優しい微笑み。
「大丈夫です。……そちらのお嬢さんの時の事を忘れていなければ」
 ノワールと紫鶴を交互に見て、
「仲良くなりたいのは、何か見返りが欲しくてではないのでしょう? ならいつも通りに一所懸命にがんばりなさい。悩んだらいつでも相談に乗ります」
「魅月姫殿……!」
 感極まった様子で紫鶴が両手を握り合わせる。
「紫鶴様。わたくしも本家の言い分には不満があります」
 撫子が優しく言った。「これまでの事情による誤解もあるでしょうから、一朝一夕では仲良くなるのは難しいでしょうが、今まで通りに一歩ずつがんばっていきましょう」
 そして紫鶴のために、新しい茶葉に取り替えてお茶を作り始める。
 黙って聞いていた紫音が、感慨深げにノワールのなめらかな金髪を撫でながら、
「……ノワールも薔薇園に軟禁しているような状態だから……ノワール、紫鶴の気持ち分かるかしら?」
 ノワールはすぐには反応しなかった。
 ただ、目を閉じた。何かを思い出すかのように。
「……嬉しかった。紫鶴が、友達になって欲しいといってくれた時」
 ノワールの時の事情を知っているすべての人間が笑みを浮かべる。
「それじゃあ俺は、ちょっと動いてきます」
 悠輔が立ち上がった。「どこへ?」と問うと、「メイド長のサクラさんのところへ」と少年は答える。
 そして「屋敷内に入りますね。失礼します」と悠輔は行ってしまった。
 冥月は紫鶴の頭に手を置いて、
「焦らず一人ずつ仲良くなるんだな。まずは一番年の近い娘がいいだろう。仲良くなるには相手のことを知らないとな」
 言って、世話役の青年の方に声をかける。「竜矢、次までにメイド全員のプロフィールや趣味嗜好、休日の過し方等必要と思う情報を集めておけ」
「分かりました」
「一番歳が近いのは……誰だ? 竜矢」
「美月湖縁【みづき・こより】ですよ。18です」
「じゃあそいつからだな」
 冥月が足を組みかえる。
 撫子が紫鶴のティーカップに新しいお茶を淹れながら、
「これからはどんな些細なことでも『ありがとう』と心を込めてお礼を言うように致しましょう。お礼を言われて嫌に思う方はいらっしゃいませんし、紫鶴様のお人柄を感じていただけると思います」
「う、うん」
 紫鶴はこくこくと強くうなずいた。
「それにしても、さっきの男の子は何しに行ったのかしら?」
 紫音がティーカップを持ち上げながら小首をかしげた。
 さあ、と困ったように竜矢は微苦笑した。

 広い屋敷内の中で何人ものメイドに出会い、ようやく悠輔はメイド長のサクラにたどりついた。
「何か御用向きでございましょうか、お客様」
 サクラは確かに尊大だ――と悠輔は思う。
 彼は、このサクラが紫鶴の従姉――葛織紅華の乳母であったことを知っていた。常日頃紅華と会っているので、『自分を育てることのなかった乳母』の話を紅華から聞いていたのだ。
 紅華は悔しがっていた。紫鶴に乳母まで奪われたと。
「これ、おやつに出してくださいませんか」
 お土産に持ってきた羊羹を差し出す。
 そして、それを受け取るサクラに、軽い口調で話しかけた。
「俺は紅華さんと縁があるんですよ」
 ぴく、とサクラが反応する。
「この間は花火を一緒に見に行きました。紅華さんは裁縫が得意で、浴衣まで自分で作って……黒い浴衣でしたが、すごくよく似合ってましたよ」
「紅華様……が」
 サクラが動揺したように視線を揺らす。
 ――やはりこの人の中で紅華は大きな存在なのだ。それを確信し。
 ふう、とため息の後。
「紅華様は、お元気ですか」
 世間話のように、サクラは言った。
「ええ、元気すぎて困っています」
「紅華様は赤子の頃から元気のいい方でした。……あなたはどういうご縁ですか?」
「うちの叔父が紅華さんの家庭教師で、俺もたまに勉強を教えるんです」
「まあ」
 サクラは、表情が薄い顔に、わずかながらも微笑を浮かべた。
「お手柔らかにお願いします。紅華様をどうか立派な淑女に」
「紫鶴さんと並んだらいい雰囲気になると思うんですけどね。姉妹みたいで」
 紫鶴の名前を出す。
 案の定、サクラの顔から笑みが消えた。
「……紫鶴様は次期当主です。いかに紅華様といえども隣には並べません」
「そうですか? 2人が仲良くなれば――」
「必要ありません」
 言葉が硬くなる。
 どうやら紅華と紫鶴が仲良くなることさえ嫌らしい。
 悠輔は一抹の悲しさを感じた。
 ――紅華と紫鶴を並べたら本当にいい姉妹に見えるだろうに……
 けれど顔には出さず、
「それでは羊羹、お願いします」
 と頭を下げた。

「え……従姉の紅華さんの乳母さんだったんですか?」
 エルナがそれを聞いて、うーんとうなった。「何で紫鶴さんのメイドになったんだろう……やっぱり『裏』の圧力ですか?」
「いや、ここのメイドたちが選ばれる理由は簡単ですよ」
 竜矢は肩をすくめた。「必要なのは、『魔に強い体質であること』それだけです」
「……それは……紫鶴様の体質を思ってのことでしょうか?」
 撫子が、カップが空になっている人々のそれにお茶を注ぎながら問う。そうですね、と竜矢はうなずいた。
「とりわけサクラは生まれつき特殊体質で、魔耐性が異常に高いんです。だからメイド長に選ばれた。まあ、それまで本家でメイドをしていた経験と年齢もありますが」
 魅月姫はそれを聞きながら深く思案しているようだった。紫鶴のために何ができるか。どうすればいいのか。
「サクラさんは紫鶴ちゃんのメイド長にされた後、紅華ちゃんと触れ合える機会が相当減ったと思う」
 エルナは言う。
「減るどころか、ほとんど会ってないと思いますよ。紅華様もほとんどこの邸には来なくなりましたしね」
 幼い頃は違ったんですが――と竜矢は困った顔をして、
「もっと小さい頃は、紅華様は暇つぶし代わりに姫に悪態をつきに来ていましたから。その頃は、サクラも穏やかでしたね」
「一時期は勝負を申し込みにいらしていたではありませんか」
 撫子が懐かしそうにつぶやく。
「あれも紅華様のお父様の京神様の命令で止めたんですよ。勝手にここに来るんじゃないと」
「竜矢さんの協力が欲しいな。あたしたち外部だけじゃ、深入りしがたい所もあるから……」
 エルナは身を乗り出して、竜矢に迫る。
「それはもちろん」
 竜矢は笑みを浮かべた。
 冥月が足を組んだまま、
「お前は頼りなさすぎるな。お前のような者を世話役に置いたのも本家の嫌がらせか」
 と冗談で言う。――半分本気だったかもしれないが。
 竜矢はテーブルに両手を置いて――苦笑した。
「そうですよ。俺が弱いのは本家の狙い通りです」
「………?」
「姫付きになる際に、話しているのが聞こえましたからね。世話役はすぐ死んでも代わりができるように用意しておけと。だから俺自身は魔耐性はそれほどないんです」
 ふう、と一息ついて。
「――京神様と、うちの父親が」
 冥月が顔をしかめた。
「つまりお前は捨てられたも同然というわけか」
「その通り。捨て駒ですよ」
 ですが――
「その話を聞いてしまった、だからこそ意地でも姫にずっとついていようと思ったんです。死なないためにはどんな手を使ってもいいと思っています。ひょっとしたらあなた方を一番利用しているのは俺かもしれない」
 ぐるりとその場にいる人々の顔を見る。
 堂々とした様子のまま。
 ――冥月がくっと苦笑した。
「仕方がない。今回は特別だぞ」
 ちょうどその時、悠輔が戻ってきた。
「お待たせしました。……どうかなさったんですか?」
 わずかに残っていた緊張した雰囲気に敏感に反応し、悠輔は周りを見回す。
「いや、何でもない。お前こそ何をしに行っていたんだ」
「いえ……メイド長のサクラさんに会いに」
「会ってどうしたんだ?」
「紅華さんの話を聞いてきたんです」
 しばらくすると、切り分けた羊羹を手にメイドが1人やってきた。20代半ばほどのメイドだ。
 羊羹を丁寧に全員の前に置く。
 紫鶴は撫子に言われた通りに、
「ありがとう」
 とにこやかに言う。
 しかしメイドは無表情で、
「それではごゆっくり」
 とそれだけ言って屋敷に戻っていってしまった。
 その後姿を目で追った紫音が、つぶやいた。
「なんだか、敵意さえ感じるわ。……サクラさんという方の事情は分かったけれど、他のメイドもそんな感じなの?」
「ああ……この屋敷のメイドになるということは、本家では最悪のステータスですからね」
 竜矢は紫鶴の方をちらっと見て言いにくそうに、
「……姫の傍近くに仕える者は、大抵誰かを人質に取られていますので」
「なぜ!?」
 エルナがたまらず声を上げた。
「そんなことしなくても、魔耐性が強いなら充分紫鶴ちゃんの傍に仕えられるじゃない!」
「……保険」
 ノワールがつぶやいた。
「……自分の魔耐性などに自信が持てるはずがない」
「そうね。紫鶴の力はどれほど強力な魔を呼ぶか、本当に分からないわけだものね」
 紫音がティーカップについた自分の口紅を拭いながら言った。
 紫鶴が陰鬱な表情でうつむく。撫子が優しくその背中を撫でる。
 しばらく、紫鶴の気晴らしにでもしようと、世間話が展開された。
 撫子の茶葉が切れた。
「あ、俺メイドさんたちにもらってきます」
「え?」
「ついでにメイドさんたちと話してきますから」
 と悠輔は言った。「一番、紫鶴さんと仲良くなれそうな人を見つけてきます」
 紫鶴に微笑みかけて、彼は屋敷に向かう。
 冥月は内心疑問に思っていた。
 メイドたちは本当に紫鶴を憎んでいるのか? 無関心なのか?
 竜矢の情報の限りでは憎まれる理由は充分だが、それでも。
 彼女は影の力を発動させた。
 ――屋敷内の音声を吸収するために。

 悠輔が屋敷内に入る。
『すみません、お茶の葉を欲しいんですが』
 早速1人のメイドと接触したようだ。
『茶葉なら台所でございます。お客様のお手を煩わせなくともわたくしたちが』
『いえ、自分でやりたいんです。――ところでメイドさん』
『はい』
『紫鶴さんとお知り合いになってもう大分経つんですが、彼女は素晴らしいお嬢さんですよね。いいご主人を持って幸せでしょう』
『……そうですね』
 トーンが薄っぺらい。明らかに本音じゃない。
 そこへ、もうひとつの足音――他のメイドがたどり着いたようだ。
『どうかなさいましたか?』
『茶葉を頂きに。……あの、あなたも。紫鶴さんのようないいご主人を持てて羨ましいです』
『……そうですか』
 トーンが低い。これも明らかに無理のある返答だ。
 悠輔は歩き出したようだ。
 途中で、またメイドと接触した。
『お客様?』
『台所へ茶葉を頂きにきました。メイドさん、紫鶴さんっていずれ大物になると思いませんか? 器が大きいというか』
『……次期当主様ですので』
 社交辞令のような返答だ。
 そのメイドと別れてまた歩き――どうやらまっすぐに台所へ向かっていない――次のメイドと接触。
『すみません台所はどっちですか?』
『お客様。御用でしたら私たちが――』
『自分でやりたいもので。メイドさんがいるのに、こうやって自分たちでやろうという珍しい精神をお持ちの紫鶴さんは、素敵ですね』
『……台所はあちらです』
 紫鶴に関する返事さえなかった。
 また少年が歩き出した足音。
 しばらく誰とも会わなかった。まあそうそう運よく全員のメイドに会えるわけもないと思うが――
 しかし、しばらくしてまた1人と接触したらしい。
『あ、どうも。台所へ行くのに迷ってしまって……』
『お客様、御用でしたら私たちが行いますので』
『いえ、紫鶴さんのためだったらやろうと思えるんですよ。あなた方もそう思いませんか?』
『……そうですね。台所はあちらです』
 返答に間があった。そしてすぐさま話を切り替える。
 また悠輔は歩き始める。
『あ、サクラさん』
 冥月は緊張した。サクラ、メイド長――
『ああ、あなたは先ほどの……』
 優しい声だった。『紅華様を……よろしくお願いします』
(……紅華の話だからか。紫鶴への反応を知りたかったんだがな)
 メイド長はすぐに悠輔から離れたらしい。
 悠輔は最後の1人を捜して歩く。
 ばたばたばた、と慌しい足音がして、
 次にメイド長の怒鳴り声が聞こえた。
『美月! 走るなといつも言っているでしょう!』
『はい! すみませんメイド長!』
 足音で判断する。その慌てていた足音の主は、自ら悠輔に近づいていった。
『あの……紫鶴様のお友達ですか?』
『え? あ、ええ』
『紫鶴様にこれを……』
 声をひそめて、メイドは何かを取り出したようだった。
『新しく手に入った茶葉なんです。ぜひ紫鶴様に差し上げたいんです。でもメイドたちでもらってしまおうって、メイド長が許してくれなくて。ほんの……分け前になってしまうんですけど』
『ああ、それなら喜んで』
 悠輔はその茶葉を受け取ったようだ。
 少し間があって――
『あの、紫鶴様をよろしくお願いします』
『何を言ってるんですか。メイドさんたちの方がお近くにいらっしゃるんだから』
『私たちは……』
 そのメイドはため息をついた。『近いようで、遠い……です』
『メイドさん……』
 お名前は? と悠輔は初めて訊いた。
『美月湖縁です。美しい月に湖の縁』
『綺麗な名前ですね』
『あ、ありがとうございます……』
『美月!』
 再びメイド長の声が響く。『仕事に戻りなさい! 何をお客様のお手を煩わせているの!』
『はい、メイド長!』
 では失礼します――と湖縁は悠輔から離れた。
 悠輔の足音が、玄関に向かう。
 その間にも、
『美月! 茶葉が減っているわ――どういうこと!』
『メイド長、さっきのお客様に差し上げたんです。お客様へです。構わないではありませんか』
『ごまかしは効きませんよ! どういうつもりだったんです!』
『――どういうつもりもありません!』
 そのままサクラと湖縁は激しい口論になった。
 その頃には、悠輔はもう玄関から出て庭を走って来ていた。

「その、美月とやらが突破口だな」
 冥月は、悠輔が何も言う前に言った。
 悠輔は茶葉を撫子に渡しながら、軽く目を見張った。
「よく分かりましたね」
「私をなめるな。――竜矢、そのメイドの詳細は」
「18歳、ここに来て2年目です。メイドの中で唯一サクラにたてつく子ですが、例によって彼女も本家に人質を取られています。年老いた祖父母を」
「ひどい……」
 エルナが震える声を出す。
「彼女の魔耐性は極めて高く――おそらく吸血鬼の血が混じっていると思われます」
 吸血鬼、と聞いて、魅月姫が軽く眉を寄せる。
「何にせよ、突破口はとりあえず見つかった」
 冥月は組んだ足を解いた。「行動はこれからだ。紫鶴」
 ノワールの黒薔薇を髪に挿したままの紫鶴に、冥月は笑った。
「心配するな。一度お前の味方をすると決めたら翻したりはしないさ」

 撫子に、湖縁からもらった茶葉でお茶を淹れてもらって、後の時間はのんびりとティータイム――
 ふと魅月姫は、竜矢に言った。
「私もサクラさんに会ってみたいわ」
 分かりましたと竜矢が屋敷に行く。
 魅月姫は立ち上がった。
「どうなさるのだ? 魅月姫殿」
「心配しないで紫鶴。ちょっと話をするだけ」
 薄いけれど確かに優しい笑みを向け――
 やがて、竜矢と共にメイド長がやってきた。
「お客様。お呼びとうかがいました。御用向きは何でございましょう」
 表情がないメイド。からくり人形のようなメイド。
「ここの庭園は美しいから、案内してくださらないかしら」
「庭園……でございますか」
「ええ」
「かしこまりました」
 紫鶴邸の庭は広い。庭園も軽く散策できるほどにある。
 この時期でもたくさんの花が咲き誇っている。手入れも完璧、つやつやとみずみずしく葉も茂っている。満足そうに風に揺れ、陽射しを全身で浴びている。
 あずまやが見えなくなるほど離れてから、魅月姫はふっとサクラに向き直った。
「紫鶴への態度……」
 サクラは表情を動かさない。
「紫鶴のことが怖いのかしら? それとも自身の処遇への八つ当たりかしら? それはお門違いと言うものでしょう? ご自分でもお判りなのではないですか?」
 冷え切った魔女の声で魅月姫は言葉を紡ぐ。
 サクラはすうと息を吸ってから、
 ゆっくりと、言葉とともに吐き出した。
「……紫鶴様は、紫鶴様でございます、お客様」
 ――紅華様は、紅華様でございます、お客様――
 紅華の代わりは誰もいないと、そう言っているように、聞こえた。
「そう」
 この女性の執念を溶かすのは難しそうだ。そう思いながら、魅月姫は再び色鮮やかな庭園を歩き始めた。

 夕刻。お茶会もそろそろ切り上げにしようと、皆ががたがたと椅子から立ち上がる。
「撫子殿、お茶を本当にありがとう」
「お茶会でしたらいつでもどうぞ……」
「悠輔殿、お世話をおかけした」
「……紫鶴さんと紅華さんが仲良くなるならそれに越したことはないと思ってるんだけどな」
「紅華のことは嫌いじゃないぞ。……冥月殿、色々教えてくれてありがとう」
「乗り越えろ、紫鶴」
「頑張る。魅月姫殿、巻き込んでしまってすまない」
「『ありがとう』ではなかったの?」
「……ありがとう。ありがとう。本当にありがとう……」
 紫鶴はふいに泣きそうになって目元を拭い、髪に挿したままだった黒薔薇を抜いた。
 そしてそれをノワールに渡す。
「貸してくれてありがとう。とても力強かった」
「……よかった」
「紫音殿も、ありがとう」
「私も何か手伝えるといいのだけどね」
「エルナ殿――」
「紫鶴ちゃん」
 紫鶴が何か言う前に、エルナは紫鶴と竜矢を何度も見つめた。
「……竜矢さん……。メイドさん達の心の壁、取り払おう」
 エルナは手を差し出す。
 紫鶴は笑顔でそれを握り返した。

 凍ったメイドたちの心と紫鶴の心のぶつかりあい。
 痛い痛い道が待っていると分かっていても、足を踏み出さずにはいられない。

「私は、行く」

 夕陽に向かって、紫鶴は立った。
 メイドたちの心を傷つけるかもしれないことを承知で。
 自分の心が傷つくかもしれないことを承知で。
 なぜなら知っているから。
 ――痛みの後には、優しい癒しが待っているということを。

 7人のメイドの姿が夕陽にだぶって見える。
 彼女らと手を重ねるために。笑いあうために。
 さあ始めよう。心の――戦いを――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0328/天薙・撫子/女/18歳/大学生(巫女):天位覚醒者】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【4682/黒榊・魅月姫/女/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女】
【5973/阿佐人・悠輔/男/17歳/高校生】
【5795/エルナ・バウムガルト/女/405歳/デストロイヤー】

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■         ライター通信          ■
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黒冥月様
いつもありがとうございます。笠城夢斗です。
今回もまたシリーズ物のゲーノベにご参加頂き嬉しいです。
冥月さんの意見には私自身はっとさせられてしまったという、超未熟者のライターですが、よろしければまたお会いできますよう……