■戯れの精霊たち■
笠城夢斗
【2919】【アレスディア・ヴォルフリート】【ルーンアームナイト】
「お願いが、あるんだ」
 と、銀縁眼鏡に白衣を着た、森の中に住む青年は言った。
「この森には、川と泉、焚き火と暖炉、風と樹、岩の精霊がいる――」
 彼の声に応えるように、風がひらと彼らの横を通り過ぎ、森のこずえがさやさやとなった。
「彼らは動けない。風の精霊でさえ、森の外に出られない。どうかそれを」
 助けてやってくれ――
「彼らは外を知りたいと思っている。俺は彼らに外を見せたい。だが俺自身じゃだめなんだ……俺が作り出した、技だから」
 両手を見下ろし、そして、
 顔をもう一度あげ、どこか憂いを帯びた様子で青年は。
「キミたちの、体を貸してくれ。キミたちの体に宿っていけば、精霊たちも外に出られる。もちろん――宿らせた精霊によって色々制約はつくけれど」
 お願い、できるかい――?
「何のお礼もできないけれど。精霊を宿らせることができないなら、話をしてくれるだけでもいい。どうか、この森にもっと活気を」
 キミの言うことは俺が何でも聞くから――と言って、青年は深く、頭を下げた。
戯れの精霊たち〜笑顔のその奥に〜

 静かで穏やかな気配のする場所、精霊の森。
 そこに今日も、1人の少女が足を踏み入れた。

「確かルゥ殿は雑食のはず……果物もきっと食べられるだろう」
 そうつぶやきながら、アレスディア・ヴォルフリートは道なりをまっすぐいく。
 右手には、最近この森に住み着くようになったミニドラゴンへのお土産の果実。この季節ようやく採れるようになった梨やいちじくだ。
 やがて小屋が見えてくる。
 自分がドアをノックするまでもなく、小屋の主はドアを開けて姿を現した。
「こんにちは、アレスディア」
 それはいつものことで、アレスディアも驚くことなく「こんにちは」と返した。
「これはルゥ殿への手土産だ。……ルゥ殿は果物はお好きか?」
「こいつはありがたいな。ルゥは甘いものが大好きなんだ」
 歯に悪いね、などと笑いながらクルスはアレスディアの青い瞳を見る。
「今日は、どうする?」
「また、ザボン殿とチェスで一局いかがかと思ってお邪魔させていただいた。良いかな?」
 岩の精霊の名前を出すと、クルスは破顔して、
「ますますありがたいよ。ザボンをよろしく」
 と言った。

 擬人化<インパスネイト>――
 それは森の守護者、クルス・クロスエアだけが使える技。
 本来人間には姿も見えず声も聞こえないはずの精霊たちを、擬人化させることで普通の人間との接触も可能にするのだ。
 アレスディアはそのインパスネイト能力の恩恵をあずかって、しばしば岩の精霊ザボンとチェスの対局をしていた。
 ザボンは岩の精霊の名に恥じぬほどに動きが硬く、鈍い。チェスをやっていても相当の根気がいるが、アレスディアは気にしない。
 むしろ彼と話せるその時間が有意義だった。

 ザボンは擬人化すると、40代の小柄な男性の姿を取る。
『おお、アレスディア殿』
 少女の顔を見て、ザボンは久しぶりに娘に会ったかのような顔をして、がちがちの動きで手を差し出す。
 アレスディアはその手をぎゅっと握った。
「こんにちは、ザボン殿」
『先ほど聞こえたが……ルゥに土産とか? わしも嬉しい。ありがとう』
「いや、これくらいのことしかできないから……」
 ミニドラゴンのルゥは精霊ではないが、すでに精霊たちの子供のような存在になっているようだ。
「ところでザボン殿。チェスはいかがかな?」
『む。今度こそは今までの負けをひっくり返すぞ』
 ザボンはのろのろと腕まくりをするような仕種をした。
 アレスディアは微笑んだ。

 2人、しゃがみこんでの対局――

「……先日のスリ事件はご存知か、ザボン殿」
『む? ああ、いつもの少女に聞いておる』
 先日のスリ事件とは、シュウという男が、クルスを自分の財布をスリ取った犯人だと勘違いして大騒ぎになった件の事件である。
「そうか。……クルス殿本人は事なきを得たとはいえ、世の中まったくけしからぬ輩が多い」
 アレスディアはザボンが駒を動かしている間、腕組みをした。
「シュウ殿は、まぁ……一応、被害者ではあるし、血の気の多いところを何とかしていただければ、根は悪い方ではないと思うが……」
 少女は眉をひそめ、「あの兄弟、売ったものを魔法で取り戻してまた売るなどと、けしからぬ」
 強い口調でつぶやく。
 ザボンはそれを、目を細めて見つめていた。
 あの兄弟とは、スリの本当の犯人のことだが――
 ふと、クルスがやってきて、
「ルゥも仲間に入れてやってくれ」
 と碗に入った小さく切り分けられた梨にかぶりついているミニドラゴンを連れてきた。
『おお、ルゥか』
 ザボンが破顔する。アレスディアも微笑んだ。
「どうぞ」
 チェス盤の横をすすめる。
 クルスは碗ごとミニドラゴンを置いて去っていった。
 しゃくしゃくしゃく……
 ルゥの梨を食べる音は、いかにも涼しげで聞いているだけで気持ちいい。
『アレスディア殿、番じゃ』
「あ、ああ失礼」
 アレスディアは慌てて盤上を見て、そして駒を素早く動かした。
 兵士(ボーン)を1つ取る。
 次の手を考え始めるザボンに、アレスディアはぽつりと言った。
「……などということを考えていると、時々不安を感じる」
『うむ?』
「クルス殿は精霊の方々に外の世界を見せたいと望んでいる。だが、外の世界は言うほど綺麗なことばかりではない」
 精霊に優しい人間には無条件に優しい森の守護者の顔を思い出しながら、アレスディアはぼんやりと言った。
「それを言えば、私とて清廉潔白な人間ではない故、外の世界ばかり悪くいうわけにはいかぬのだが……」
 ふう、とため息ひとつ。
 ザボンの、硬い手にそっと触れて。
「……外の世界など見なければ良かった、そんな風に思われるのではないかと思うと、怖い」
『………』
 ザボンはがちがちな動きで、自分の手に触れる少女の手に、もう片方の手を乗せた。
 ずっしりとした質感があった。
『アレスディア殿。――この森には、ファードがいる』
 その言葉に、アレスディアははっと顔を青くする。
 ザボンは重くうなずいた。
『そう、ファードがいる。……人間のよい面も悪い面も見るに相応しいあの樹の精霊が』
 癒しの精霊ファード。
 樹の精霊ファード。
 その樹液は万病に効く薬となる。それは知る人ぞ知る情報で、この森の長い歴史の中、たくさんの人々がその恩恵にあずかろうとやってきた。
 樹液を採る。それはすなわち、木肌を傷つけるということ。
 ファードには意思がある。否、どんな植物でも意思はあるのかもしれないが。
 樹液を採る際に、ファードに痛みが伴うことを、森の者たちは皆知っている。

 ……本当に、誰かの治癒を強く願って薬を求める者もいた。
 ……そして、ただ利用しただけの者も。

『見つけた輩は……歴代のクロスエアがもれなく仕置きしておったがな』
 ザボンは苦笑する。『そしてファードに、我々に、口をすっぱくして言うのじゃよ。人間は決して清廉潔白ではないと――』
 それでもなお、ファードは薬を欲しがる人々に平等に与えてしまう。それを阻止するのがクロスエアの名を冠する人々の仕事となり。
 特に――現クロスエアのクルスは、ファードに対する愛情が人一倍強い。
 人の治癒を願って薬を求めてきた者にさえ、かつては強く噛み付いた。
 今でこそ、ファードの意志を尊重することにしたが――
『クルスはの、アレスディア殿』
 少女の手にずっしり手を乗せたまま、ザボンは微笑した。
『我々に外を見せたいと言う一方で……この森の結界を決して解かぬ』
「……結界……」
『そうじゃ。知っておるじゃろう?』
「………」
 アレスディアは目を伏せる。それに関する一件を思い出していたのだ。
『クルスもな、我々を人々に宿らせるという魔術を生み出す際に、ちゃんと我々に聞いておる。外を見たいかと』
「……それが後悔に変わらないかと」
『ファードの樹液は、利用する者の方が多かった』
 アレスディアは口をつぐむ。ザボンは続けた。
『誰よりも外を憎んでいるのはクロスエアじゃよ。ずっとこの森に結界を張って我らを護って……』
「ク……ルス、殿、も……」
『やつは不思議なやつじゃ。ファードに一番なつき、一番人間を憎んでいるだろうに……我々を外に出そうとしおった』
 ザボンは懐かしそうな目で虚空を見た。
『……あの魔術を完成させるにはの、アレスディア殿。何よりファードの樹液が必要だったんじゃよ』
「………!」
 ではあの青年は、自らファードを傷つける行為に出たのか。
 精霊たちを外に出すために、自分が一番護りたいと思っていたはずの樹の精霊を傷つけたのか。
 ザボンの言葉は続く。
『あの時のクルスの泣き声はわしにも届いておった。……ごめん、ごめんと泣きながらな』
 おかしなやつなんじゃよ――ザボンは苦笑する。
 何がやりたいのか、さっぱり分からん、と。
『歴代のクロスエアたちとも全く思考が違うのでな。過去を捨てる代わりに不老不死など……記憶喪失であったというのに』
「………」
『クルスがあの技を完成させたことで、精霊が恐ろしい目に遭ったこともあった……』
 アレスディアは驚いて顔を上げる。
『一方で、嬉しい出来事に出会った者もおる……そなたと出会えたわしのようにな、アレスディア殿』
 ザボンは優しい微笑みを浮かべていた。
『……クルスは、綺麗な外を見せたいわけではないのかもしれぬ』
 アレスディアの手から重い手を下ろしながら、岩の精霊はつぶやく。
『逆に、ありのままの外の世界を見せたかったのかもしれん。クロスエアたちが語る物語ではなく、本当の世界を……』
「精霊殿が失望するのを覚悟でか?」
『そうなのかもしれぬし、そうでないかもしれん』
「精霊殿はそれに従ったというのか。失望するかもしれないのを覚悟して?」
『そうじゃ』
 岩の精霊は重々しくうなずいた。
『というよりは……最初から期待はしていなかったのかもしれぬな。我々に体を貸そうなどという奇特な人間がそうそういるわけがないと』
 我々は汚い人間を刷り込まれてきたから――
『むしろ、想像以上に優しい人間に恵まれてきたと思っておる……』
「………」
『いや、やはり期待していたかもしれん。……歴代のクロスエアは人間だったからして、人間にもよい者がいると最初に思えたのかもしれん』
 チェスは完全に止まっていた。
『おっと、いかんいかん』
 ザボンがのろのろと駒を動かす。
 アレスディアは無言で駒を移動させる。
 ザボンが思考して、その間少女は無言で、やがてザボンがのろのろと女王(クイーン)の駒を動かし騎士(ナイト)を取ると、アレスディアはお返しに女王を取った。
『むむっ!』
 ザボンが盤上をのぞきこんでうめく。
「クイーンはうかつに動かさぬが定石だ、ザボン殿……」
 アレスディアはくすっと笑う。
 そして、ぽつりとつぶやいた。
「しかしあなたたちは、動くことを選んだのだな。動かないまま護りに徹するのではなく、身を捨ててでも動いて外を見ることを……」
『アレスディア殿』
「そうか。――そうだったのか」
 精霊の決心は並ならぬものだったのだと。
 自分の『心』と代償だったのだと。
 知った今。もう何も言えることはない。
 アレスディアはザボンの前で、鮮やかな駒さばきを見せて、
「チェックメ――」
 言いかけた。
 と――

 るぅ

 一声鳴いたルゥが、頭からチェス盤に追突した。
 チェス盤は綺麗にひっくり返って、勝負はご破算になった。
『こ、これ、ルゥ』
 慌てるザボンの前で、アレスディアはくすくすと笑う。
「これはきっと、精霊と人間の間で争うなということだ、ザボン殿」
『むむ? むう』
「これからはチェスをする時も気をつけなければならないな。――うむ」
 ゆっくりと立ち上がり、ザボンが立ち上がるのを助けながら、ひっくり返ったチェス盤に何度も追突するルゥを見つめて、
「……ルゥ殿はいつも体ごと、全力だ……」
 子供ゆえに恐ろしさを知らない。
 外の世界の穢れなど、どうでもいいのだろう。
「――こら、がしゃがしゃ音がすると思ったら――ルゥ!」
 小屋からクルスが走ってくる。
 アレスディアは笑って、
「今回はルゥ殿に負けてしまった。なあザボン殿」
『うむ……』
 ザボンは負け記録更新で真剣に落ち込んでいた。
 その背中をぱんと叩いて、
「そんな顔をなさるな。私は何度でもここに来る。あなたに会いに来る。生きている限り。そして簡単に死ぬつもりはない」
 ザボンはそんなアレスディアをぎしぎしと首を動かして見上げ、
 微笑んだ。
『……やはり、わしは恵まれていたと思うぞ、アレスディア殿』
「………」
 返せるのは最上級の笑顔。
 ルゥを抱えたクルスが傍らで微笑している。
 ああここには、笑顔があふれてる――

 穢れを持ち込もうとしたのは誰だ?
 ――話すことで、外の世界の穢れを知っていてほしいと、ひょっとしたら願っていたかもしれない。
 でもそんな必要はなかった。彼らはもう知っていた。自分よりずっと深く知っていた。
 そして残ったのは笑顔だけ。

 笑顔のその奥に固い決心をこめて。
 ――我は誓う、我が身盾として、牙持たぬ全てを護る
 ――我は誓う、我が命矛として、牙剥く全てを滅する
 笑顔のその奥に、閉ざされることのない彼らとの未来を夢見て――


 ―FIN―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2919/アレスディア・ヴォルフリート/女/18歳/ルーンアームナイト】

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■         ライター通信          ■
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アレスディア・ヴォルフリート様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
ザボンのご指名嬉しいです。アレスディアさんとザボンの会話は楽しいです。また、ルゥへのお土産ありがとうございました。
そんなわけで最後はルゥに決めてもらいましたが、いかがでしたでしょうかw
よろしければまたお会いできますよう……

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